第134話「ありがとう」

 イスルード島中央部を覆い尽くし、沿岸街道のすぐ手前まで迫る大森林。

 その深い森の中に、模神の作業場はある。


 賢者たちにしてみれば、人が寄り付かない場所を作業場に選んだつもりだった。

 しかし時々、大森林に分け入って来る者がいる。

 冒険者一行だ。


 島へやってくる冒険者一行によれば、イスルード大森林の奥に古代遺跡があり、財宝が眠っているという。

 ……まるで職業病だ。


 ちょっと深い森があれば古代遺跡と財宝の話。

 ちょっと強いモンスターが出たと聞けば、スレイヤーの称号目当てで戦いを挑む。


 好き好んで危険を冒しに行きたがる一種の病気のようなものだといえるだろう。

 賢者たちにとっては迷惑な病人たちだった。


 森林への立ち入りを取り締まれば、余計に噂は真だと補強してしまうかもしれない。

 しかも研究所による取り締まりとなれば、財宝は魔法遺物だと宣伝するようなもの。


 そこで冒険者対策を考えた。

 森へ入るのを止めるのではなく、森で行方不明になってもらうのだ。

 魔法剣士隊を交代で駐留させているのはそのためだった。


 モンスターに野生の獣、木々に囲まれて方向を見失っての遭難、あるいは森に棲む〈神〉の怒りを買い、〈原料〉にされてしまうとか?

 森には、冒険者が生還できなくなる理由がいくらでもある。


 魔法剣士隊は今日も作業場の周囲に目を光らせていた。

 模神の敵は平面上をやってくるものだったから。

 まだ空には、鳥しかいなかった。



 ***



 作業場、朝——


〈原料〉が届いていた頃は忙しかったが、供給が途絶えてから作業場では待機が続いていた。


 模神は、森を切り拓いて作った広大な土地に仰向けの状態で安置されていた。

 このままでは雨露や鳥糞でミスリルの巨体が錆びてしまう。

 そこで全身を布で覆い、その上を簡素な屋根で覆っていた。


 屋根は木々より低いので人間には見つけにくい。

 鳥の目には簡単に見つかるかもしれないが……


 鳥には、人型に板を配置している様子が奇異に見えることだろう。

 鳥同士は「気味が悪い」と知らせ合うかもしれないが、人間に告げ口することはできない。

 だから作業場を任されている研究員も護衛の魔法剣士隊も暇だった。


 魔法剣士隊は一応、待機中も冒険者除けという仕事があるので探知魔法を発動しているが、動くものは鳥か鹿か小動物。

 あと時々、肉食獣。

 冒険者もウェンドアで偽情報を流しているのが奏功し、最近は滅多に現れなくなった。


 作業場で行うべき今日の仕事は、模神の中に蓄えられている〈純粋な魂〉が蒸発していないか確認すること。

 以上。

 今日も暇……いや、平和そうだ。


 ところが、研究所所長直々の指令が作業場の平和に終わりを告げた。


「模神を起こせ!」

「えっ!? し、しかし——」


 暇で弛んでいる最中の緊急指令に驚いたというのはある。

 だがそれ以上に、作りかけの模神を直ちに起動しろという指令の内容に研究員たちはより驚いた。


 現在、模神の完成度は約六割。

 六割の出来でも動かせないことはないが、未完成では全力を出せないと所長に伝えるが、


「構わん! いますぐ術式を始めてウェンドアへ寄越すんだ!」


 すべて承知の上での指令だった。

 伝声筒越しに緊迫感が伝わってくる。

 微かに聞こえる遠くの爆音と、近くから聞こえる激突音。

 激突音は研究所内で展開している障壁を、何者かが壊そうとしている音だ。


 ウェンドアで何かが起きていて、研究所にも危険が及んでいる。

 未完成の模神を起動しなければならないほどの危険が。


 状況を理解した作業場の研究員たちは、模神を覆っていた屋根と布を急いで外した。

 これより〈目覚め〉の術式に取り掛かる。



 ***



 イスルード大森林上空——


 上空といっても木々の数エールト上だが、レッシバル隊はラーダ騎を先頭に少しずつ作業場へにじり寄っていた。

 シグが発見した〈線〉の上を。


 高度が低いのは海のとき同様、森から発せられる木の〈気〉に紛れるため。

 にじり寄っているのは探知魔法の円や線に触れず、少しでも距離を詰めておくため。


 近隣の村人たちは森の奥深くに入ろうとは思わないが、冒険者たちはあえて入ろうとする。

 王国による遺跡探索完了の偽情報が効いてその数は減ったが、まだ何か残っているかもしれない、と諦めが悪い者はいる。

 そのような者は、情報の真偽を確かめに行こうと考える。

 よって、魔法兵や魔法剣士が探知魔法の網を張り巡らしていることだろう。


 この網に雷竜隊が引っ掛からないためのラーダ騎だった。

 隊は彼の手信号に従ってここまでやって来た。


 皆、ラーダの右手の動きに注目していた。

〈進め〉や〈止まれ〉はいい。

 最も緊張するのが〈隠れろ〉だった。


 時々、探知線が飛んでくるらしい。

 それを感知したラーダの合図で、隊は一斉に木々の間で空中待機して〈隠れる〉のだ。

 そして探知線が消えたのを確認し、木々の上に戻る。


 空中待機は疲れるだろうし、模神の現在地がわかるまで地上で待機していれば良いのにと思うが、そうはいかなかった。


 大森林には、倒せばスレイヤーの称号が手に入るほどの大型の地上モンスターが棲んでいる。

 沿岸に近付けば冒険者たちが死に物狂いで戦いを挑んでくるので、大型モンスターは大森林中央部を縄張りとしている。

 ……いま雷竜隊がいる辺りだ。


 もし鉢合わせたら、小雷竜対大型モンスターの戦いになり、周辺の動物が逃げ惑う。

 騒ぎは作業場にも伝わってしまうだろう……

〈隠れろ〉の度に神経が擦り減るが、予期せぬ戦闘を避けるには空中で待機するしかなかった。


 だが、この恐ろしい隠れん坊もあと少しだ。

 ウェンドアではエシトスたちが大水門への攻撃を開始し、シグも動いているはずだ。


 海軍魔法兵団は研究所に駆け付けられず、陸軍からも見殺しにされた賢者たちは模神に頼るしかない。

 必ず、模神を起こす大掛かりな術式が行われる。

 この森のどこかで。


 そのときだった。


「っ⁉」


 前方から大きな〈気〉が出現した。

 大勢の魔法使いたちが一斉に詠唱を始めた〈気〉の集団だ。

 間違いない。

 模神を起こす術式が始まった。


「作業場を発見!」


 ラーダは手信号ではなく、声で伝えた。

 兜の伝声筒は呪物であり、これで会話すれば感知される虞があったので控えてきた。

 でも、もう控える必要はない。

 奴らは自分の詠唱に集中を始めているから、伝声筒の微弱な〈気〉を感知する余裕はない。


 その上で感知されても構わなかった。

 模神の現在地がわかったのだから。

 案外近くだった。

 人間が地上から近付くには遠いが、直線を飛べる竜なら近い。

 模神がいまから引っ越すことはできないし、術式をやめても一度見つけた作業場をラーダが見失うことはない。


 これまで手信号を送っていた右手が、作業場の方向を指し示す。

 シグの線からやや外れて南だった。


 ついに模神を退治するときが来た。

 あとは雷竜隊が速攻をしかけるだけだ。

 ラーダが下がり、先頭の位置になったレッシバルが号令する。


「全騎、全速前進!」


 一斉に「了解!」が返り、四騎は指し示された方向へ加速を始める。

 ところが最後に「五番、了解!」と続くので、驚いた四騎は最後方を振り返った。

 見ると、ラーダ騎が追走していた。


「ラーダ?」


 レッシバルが不思議がるのも無理はない。

 模神への攻撃は四騎で行い、ラーダは巣箱へ帰還する予定だったはずなのだが……


「四騎では手が足りないぞ、レッシバル」

「手?」


 ラーダによれば魔法使いたちが五ヶ所に分かれて配置についているという。

 即ち模神の頭、左右の腕、左右の足、計五ヶ所だ。


 今回の攻撃も剣王退治のときと同じく同時攻撃を仕掛けるが、攻撃目標五ヶ所に対して四騎では手が足りない。

 そこでラーダが五番手として参加することにしたのだった。

 急降下攻撃には参加できないが、水平飛行なら彼にも可能だった。


「なるほど……」


 急な変更の理由がわかったレッシバルは改めて、


「いくぞ、ラーダ!」

「おおっ!」


 四騎改め、雷竜隊五騎は全速で作業場へと急いだ。

 現在地がわかったいま、一刻も早く術式を止めなければならなかった。



 ***



 作業場では術式が進行している。

 派遣されていた研究員たちは模神の頭、左右の腕・足に分散して配置につき、模神を起こそうと懸命に詠唱を続けていた。


 模神は大規模呪物だ。

 作るのに何年も時間が掛かり、起こすのにも時間が掛かる。

 本来は未完成のまま大慌てで起こすものではないのだが……


〈頭〉の前に描かれた魔法陣に立つ五名の術士は〈目覚め〉の術式に集中している。

 残り四ヶ所、腕・足でも同様だ。

 身体の末端から中心核である〈呪符〉に向かって魔力を送り込んで目覚めさせる。

 通常のゴーレムの起動とは逆のやり方だった。


 通常のゴーレムの場合は、身体の中心核から全身に魔力を行き渡らせて〈目覚め〉させるのだが、模神は大きすぎるのだ。

 このやり方では魔力の伝わりが悪いし、時間が掛かる。


 賢者たちの命令は「可及的速やかに」だ。

 そこで魔力が全身に伝わり易い、五ヶ所分散式になった。


 ただ、このやり方も難点はある。

 伝える速度を揃えなければならなかった。

 模神の〈呪符〉は人体でいうと両肺の間、胸の中央部にある。

 そこへ五ヶ所からの魔力がほぼ同じタイミングで到達しなければ起動に失敗する。


 術士たちは焦る気持ちを抑えつつ、他の魔法陣との速度を合わせて魔力を送り込んでいく。


 ここで事情を知らない者は疑問に思う。

 別に急がなくても良いのではないか?

 ウェンドアの賢者たちがこのままいなくなってくれれば、全世界は〈目覚め〉させている術士たちのものにできるのでは?


 ところが、そうはいかなかった。

 ゴーレムの〈呪符〉とは主従の合言葉が記されているものだ。

 これを唱えられる者をゴーレムは主人と認識する。


 だから起動しただけでは足りないのだ。

 主人が声を掛けなければ、せっかく起きたゴーレムもぼーっと突っ立っているだけだ。

 何年でも、何百年でも。


 ゆえに術士たちの中に悪巧みをする者はいなかった。

 只々、起動に全神経を集中させていた。

 起動に成功したら賢者たちに報告し、伝声筒を通して模神に合言葉を掛けてもらう。


 そうすれば……

 模神は動き出す。


 イスルード島の深い森の奥で、全世界の終わりが着々と近付いていた。

 末端からの魔力が胴体に辿り着き、これより中心核〈呪符〉を目指す。

 だが、


「あれが模神……夢で見たのより小さいな」


 術式全体を俯瞰したレッシバルは意外そうに呟いた。


 それはそうだろう。

 イルシルトが見たのと同じ光景を彼も夢で見ていたが、あれは大陸へ辿り着いた模神の姿だ。


 起動し、主人たる賢者たちに従属した模神は、まずイスルード島を食い尽くすだろう。

 島には多くのリーベル人や動植物が生息している。

 夢に登場した白い巨人は、彼らを食らって大きく育ち過ぎ、ミスリルの身体に収まりきらなくなった姿だ。


 起動する前はミスリルの身体に収まる程度の大きさなのだ。

 この状態の内に模神を滅ぼす。

 そのために海を越え、森を越え……

 いま、レッシバルたち雷竜隊は作業場へ辿り着いた。


「同時攻撃用意! 一番の目標、頭部魔法陣!」

「二番の目標——」


 各騎で重複しないよう、攻撃目標を確認し合う。

 五番ラーダ騎は右足の魔法陣を狙う。


 奇襲を仕掛ける側に焦りはない。

 されど仕掛けられる側は混乱の極みだった。


 人間は想定外のことが起きると言葉を失うというが、リーベル王国のエリート集団も人間だったらしい。

 各魔法陣で漏れた最期の言葉は「……え?」や「あ……」などの短いものだった。

 一人だけ「ら——」という者がいたがこれはおそらく「雷竜⁉︎」か「雷球⁉︎」だったのではないかと推測する。


 雷竜は正解だが、雷球は不正解だ。

 正しくは溜雷という。


 ドォンッ、バチィィィッ!

 バシィィィンッ!


 障壁を展開していなかった術士たちを、強烈な電撃が襲った。


「ギャ……!」

「…………!」


 五ヶ所で短い悲鳴があがるが、叫び声は続かなかった。

 全員、一撃だった。

 一撃で感電死した。


 ……リーベル王国は魔法先進国だった。

 それは間違いない。

 でもイスルード島に竜の生息地になるような高山はなく、竜が空から襲いかかってくるということを想定できなかった。

 大事な模神の作成を任されている研究員であってもだ。


 彼らが立っているのは魔法艦の甲板ではなく、地上だった。

 波も揺れもない。

 だから海より広範囲且つ精密な探知魔法を展開することが可能だった。


 なのに、彼らは地上にばかり注目していた。

 この森に有翼モンスターがいないわけではないが数は少ない。

 時々探知線で作業場周辺を一周すれば十分だったのだ。


 まさか木々の間に隠れながら、小竜が距離を詰めてきているとは……


 同時攻撃は成功。

 雷竜隊は魔法陣をすべて潰し、〈目覚め〉を阻止した。



 ***



 魔法陣への同時攻撃に成功した雷竜隊は二手に分かれた。

 レッシバルたち四騎は急上昇で高空へ。

 急上昇についていけないラーダ騎は水平飛行で作業場から遠ざかる。


 第二次攻撃の用意だ。

 小雷竜は次の溜雷を作っていく。

 目標、模神!


 ラーダによると模神の〈気〉が高まっているという。

 レッシバルも上昇しながら振り返ると、指が微かに動いているのが見えた。


「まさか……」


 レッシバルは呻いた。

〈目覚め〉の術式を止めるのが遅かったのか!?


「違う、そうじゃない」


 ラーダは否定する。

 眠っている人間も、揺り動かされれば覚醒に向かうもの。

 模神も同じだ。

 まだ完全に起きたわけではない。

 でもグズグズしていると、自力で目覚めてしまうかもしれない。

 だから、


「まだ寝ぼけている内に倒すんだ!」

「わかった!」


 話している間に四騎の溜雷が完成した。

 上昇をやめて水平飛行へ。

 旋回し、模神の頭を正面下方に捉えた。

 降下角度八〇度。

 連撃用意。


「一番の目標、模神の喉!」


 二番から四番まで続く。

 だが五番ラーダ騎だけは目標が違った。


「五番の目標、模神の呪符!」


 人間が装着する甲冑と同じだ。

 頭部を守る兜は硬いが、頸部は柔らかい。

 でないと周囲を振り返れない。


 模神は仰向けに寝ているので、狙うのは喉だった。

 頸部が壊れれば硬いミスリルの頭が外れ、体内の呪符に攻撃が届くようになる。

 それゆえの「五番の目標、模神の呪符!」だった。


 ラーダが駆る小雷竜も旋回し、模神の頭部を正面に捉えた。

 頭が外れて開いた穴から溜雷を撃ち込んで、呪符を破壊する。

 そのために大きな溜雷を用意していた。


 小雷竜の牙から漏れる稲妻の量が多い。

 これなら体内で溜雷が破裂した後、指先、爪先まで電撃が走る。

 呪符が体内のどこにあろうと、穴に撃ち込むことができれば必ず破壊できる。


 雷竜隊全騎、攻撃用意完了。

 レッシバルは掲げた右手を振り下ろした。


「降下っ!」


 四騎は一糸乱れず模神の喉目掛けて急降下を開始した。

 ラーダ騎も呼応して速度を上げる。


 剣王退治同様、模神退治もこの第二次攻撃で仕留めなければならなかった。


 おそらく、喉をやられた模神は確実に〈目覚め〉るだろう。

 大人しく動かないでいてくれるから、狙って撃つことができるのだ。

 叩き起こされて大暴れしている状態では無理だ。

 頭が外れた直後、その一瞬にラーダも撃ち込まなければならなかった。


 一方、レッシバルたちの作業も難しい。

 喉部分の装甲板はなだらかな曲面だ。

 溜雷を撃ち込む角度が悪いと、力が逃げてうまく破壊できないかもしれない。

 それゆえの降下角度八〇度だった。

 垂直に撃ち込むために。


 レッシバルは最後の軌道修正をした

 後方に続く三騎も合わせる。


「針路このまま! 一番、攻撃用意!」

「二番、攻撃用意!」

「三番——」


 小雷竜たちがあぎとを開いた。


 ……もうすぐ終わる。

 結果がどうあろうと、この四発と一発の溜雷で世界の命運が決まる。

 小竜隊の遥か上空、天界では神々が集まっていた。


 溜雷が狙い通りに当たれば、世界はこれからも続いていく。

 外れれば……


 ……いや、やめておこう。

 縁起でもない。


 神々が見守る中、レッシバルが叫んだ。


「一番、撃てぇぇぇっ!」


 フラダーカが溜雷を撃つとすぐに急上昇をかけ、二番騎のために射線を空ける。


「二番、てぇぇぇいっ!」


 と、四番まで続いた。

 青白い四つの溜雷が一列となって、模神の喉へ迫る。

 果たして……


 …………


 バチィィィッ!

 ガァァァァァァンッ!


 レッシバルたちの溜雷は見事垂直に命中した。

 全弾命中した衝撃で頸部装甲板が引きちぎれ、狙い通り頭部が外れた。

 その途端、


「オオオオオオォォォォォォッ!」


 頭があった穴から模神の叫び声が森と空に轟いた。

 その声は男とも女ともわからない複雑な響きだった。

〈原料〉たちの声なのか。


 魔法の素人であるレッシバルの目にも明らかだった。

 肘から先が動き出した。

 足首が動いている。

 模神が……起きた。


 けれど、まだだ。

 雷竜隊の攻撃はまだ終わっていない。

 手足が動き出しても、胴体は動いていない。

 頭があった穴はまだ動いていない。

 その穴にラーダ騎が真っ直ぐ迫っていた。


「やれ! ラーダ!」

「五番、撃てぇぇぇっ!」


 掛け声と共に最後の溜雷が発射された。

 直後、模神が身動ぎを始めようとしたが、ラーダの溜雷が早かった。

 吸い込まれるように穴の中へと消えていき、そして——


 バシィィィッ!


 体内の奥、胸の辺りで命中音がした。

 雷が呪符に命中した音だ。

 攻撃を終えたラーダは慣れない上昇に耐えるのに精一杯で、音に気付いていないが……


 代わりに、レッシバルたちが目撃している。

 胸部装甲板の隙間から漏れる稲妻と、穴から蒸発していく〈純粋な魂〉を。


 呪符は、岩石等の素材をゴーレムの形に保つ役割を果たしている。

 模神なら〈純粋な魂〉が素材だ。

 保霊器だったミスリルの身体で素材を密封し、さらに呪符の効力によっても繋ぎとめていたのだが、いま両方失われた。


「オオオオオオォォォォォォ……ッ!」


「行かないでくれ!」とでも叫んでいるのだろうか。

 蒸発していく魂を模神は手を伸ばして掴もうとしているが、すり抜けていくばかり。

 もはや魂の蒸発を防ぐことはできない。


 いや、蒸発ではなく昇天というべきか。

 肉体を失った魂の帰るところは、天なのだから。


 しばらく腕を振り回していたが、やがて動かなくなった。

 腕にあった魂が蒸発してしまったのだろう。


 真っ白な魂がまるで雪のようだ。

 地上から天に向かう逆方向の雪ではあるが。

 フワフワとレッシバルたちの高度まで上がってきて、止まることなくさらに上昇していく。


(ありがとう)

「?」


 不思議な光景に見惚れていたレッシバルに、誰かが感謝の言葉を述べた。

 後ろからだったような気がするし、右からだったような気もする。

 いや、左だったかも。


(ありがとう)


 再び感謝の言葉。

 見れば、他三騎も同じ現象に戸惑っていた。

 そこへラーダが合流して五騎でキョロキョロと。


(ありがとう)


 レッシバルたちは感謝の言葉がどこから飛んでくるのか、探すのをやめた。

 感謝はそこいら中から飛んできていることに気が付いた。

 上昇中の魂たちからだった。


 ありがとう——

 模神から解放してくれて。


「やったぞ、皆」


 レッシバルは見上げたまま微笑んだ。


 どの雪玉が誰の魂なのかはわからないが、きっとこの中にはピスカータ村から攫われた村人やワッハーブの妹もいるはずだ。

 皆を元の肉体に戻すことはできないが……

 それでも自由を取り戻せたことは良かったと思う。


 すべての魂を見送った後、視線を地上へ戻すと、そこには空っぽになったミスリルの器が横たわっているだけだった。


 小竜隊は模神を倒した。

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