第132話「ウェンドア攻略戦」

 夜のロミンガン船内にて、帝国とリーベル王国の和平が成立した。

 両者はこれから下船するが、双方同時にというわけにはいかない。

 人目を避け、一組ずつ下船する。


 まずはイナンバーク組だ。

 だが、甲板に上がる階段に足を一段置いたところで止まり、見送りについてきていたシグを振り返った。


「最後に、もう一つ教えてくれないか?」

「何でしょうか?」


 質問は、模神についてだった。


「どうして世界に知らせなかった?」


 閑職の宰相にではなく、リーベルの罪として世界中に宣伝すれば良かったではないか。

 さすがの魔法艦隊も世界中の艦隊が相手では勝ち目がないだろう。


「閣下、それでは世界大戦になってしまいます」


 悪のリーベルを倒すために各国が世界各地で魔法艦隊と戦ったら、それはもう世界大戦だといえるだろう。

 世界との戦いはリーベルに苦しみを齎すかもしれないが、苦しんだ分だけ模神が戦場に投入される危険度が増す。

 模神を倒そうという試みが、却って模神に世界を滅ぼされることになってしまうのだ。


「なるほど……それはまずいな」


 イナンバークは納得した。

 あと一つ、質問がないわけではなかったがやめておいた。


「では、これで失礼するよ」


 シグに見送られながら下船し、一行は暗がりに停めてあった馬車へ乗り込んだ。


「出せ」


 護衛の魔法剣士が御者に声をかけると、馬車は夜のウェンドアを駆け出した。


 ガラガラガラ……


「閣下、どうして——」


 走り出すと、もう一人の護衛がイナンバークに尋ねた。

 どうしてあの帝国人に模神の所在を確かめなかったのか、と。


「所在か……」


 彼があと一つ質問したかったのもそのことだった。

 でも尋ねなかった。

 もし模神退治を手伝ってほしいなら所在の情報は不可欠であり、シグが自分から明かすはずだ。

 しかしあの若者は最後まで明かさなかった。


「二人共聞いていたであろう。彼の要望を」

「……はっ」


 まるで、模神は俺たちの獲物だから部外者は手を出すなと言わんばかりの要望だった。


 明朝、竜が現れたら——

 リーベル軍を大水門に集結させ、防衛に専念していてください、と。


 ……陸軍派ではなくリーベル軍といったのは、ウェンドアにいるすべての兵を陸海軍の区別なく大水門へ送れと言う意味だろう。


 海軍魔法兵団の詰所は大水門と研究所の中間にある。

 だから竜に大水門が襲われている最中、宰相の命令に反して研究所へ向かおうとする魔法兵は賢者たちの一味、反乱軍だ。


 シグはおそらく、竜騎士団に連動して研究所へ何かを仕掛ける気だ。

 模神退治に関した何かを。

 そのための頼みだ。

 一味の魔法兵が研究所へ集まるのを阻止してくれ、と。


「屋敷ではなく、宮殿へ向かえ」

「はっ、宮殿へ!」


 明朝、陸海軍へすぐに命令を下せるよう、今夜中に陛下の勅令を密かにお発しいただく。

 宰相の命令なら無視できる者も、陛下の勅令には逆らえまい。

 それでも逆らい、賢者たちの下へ向かうというなら反乱軍として捕らえる。


 馬車は方向を変え、夜の宮殿へと急いだ。


 ——賢者たち、か。


 イナンバークも陛下も研究所を忌々しいと思っているが、奴らの英知が世界最高であることは認めている。

 増長甚だしい自称だが、奴らの能力と積み上げてきた歴史を思えば嗤えない。


 研究所は賢者たちの城と言えるだろう。

 いや、様々な探知や各種障壁が常時張り巡らされている要塞といっても差し支えない。


 帝国の交渉団一行は団長の他、文官六名、護衛の武官三名。

 合計一〇名だ。

 リーベル人でも手が出せない要塞に、外国人一〇名では傷一つつけることはできないと思うが……


 あのシグという若者は、執政が是非会えと薦めてきた人物だ。

 すべて承知の上で何か策があるのだ。

 ならば余計な真似はするまい。

 手出し無用と言われたのだから、手を出さなければ良いのだ。


 トライシオスはシグを通して、たったそれだけで〈海〉が穏やかになると言っているのだ。

 本来の職務通り大水門を守っているだけで海軍派を追い落とせるなら、こんなに良いことはない。

 ……どうせ帝国人共が失敗しても、陸軍派が失うものは何もないのだし。


 今夜のことは公式な面談ではない。

 ゆえにイナンバークとシグ団長に個人的な関わりはない。

 策が失敗したときには、王都攪乱を企てた敵兵として捕えるだけだ。


 トライシオスの密偵も失敗したときのことには何も触れていなかったから、失敗したシグについては罪人という事で処理して良いのだろう。

 シグ自身も一切触れなかったので、こちらも余計なことは尋ねなかった。


 明日は見せてもらおうではないか。

 どうやって帝国人一〇名で賢者たちの要塞を落とし、模神を退治するのかを。



 ***



 セルーリアス海東部、早朝——


 ウェンドア沖まであと少しという海域に、巣箱艦隊はついに到達した。

 今日、小竜隊はウェンドアを攻撃する。

 三艦では発艦準備が進められていた。


 三艦?

 巣箱は合計四隻だ。

 あと一隻は?


 その一隻は旗艦ソヒアムだった。

 ウェンドア攻撃には加わらない。

 三艦と分かれて別行動だ。


 三艦はそのまま東へ進むが、ソヒアムは南東へ針路を変更した。



 ***



 巣箱三艦は陽動部隊だった。

 これよりウェンドアに攻撃を仕掛ける。


 きっと火竜隊の連撃で大障壁に一瞬穴が開くが、城壁守備隊の魔法兵によってすぐに塞がれるという長丁場が続くだろう。

 リーベル側は交代できるが、火竜隊に交代要員はいないのでこの持久戦は必ず負ける。

 たった一五騎の溜炎でウェンドアを陥落させられるわけがない。


 でも、それで構わないのだ。

 爆音を鳴り響かせ、ウェンドア中の注意を大水門に引き付けることが狙いなのだから。


「全騎、発艦!」

「全騎、発艦始め!」


 艦長の号令一下、各艦から次々と小火竜が羽ばたいていく。

 陽動作戦の開始だ。


 火竜隊は無敵艦隊奇襲のときのように高度を上げなかった。

 攻撃目標の大水門に魔法兵がいるためだ。


 しばらく平和な進軍が続く。


 ところが、進路前方に薄っすらと船影が見えたかと思うと、風に乗って警鐘の音が伝わってきた。


 カンカンカン——!


 ウェンドア沖を警備中の魔法艦だ。

 発見された。

 だが……


 単艦でいるとは、運の悪い奴だ!


「一小隊と二小隊は構うな。三小隊かかれ!」

「了解!」


 エシトスの命令に各小隊は機敏に反応する。

 第一小隊は艦首の前を、第二小隊は艦尾の後ろを吹き抜け、目で追ってしまった魔法艦に第三小隊が溜炎を撃つ。


 ボゥンッ、ガァンッ!

 バキバキバキッ……!

 ドカァァァン!


 海で小竜隊を初めて見た魔法艦は、無敵艦隊と同じ末路を辿った……


 魔法艦との遭遇はこれで終わりではなかった。

 ウェンドアに近付くほどに警備艦は増えていった。


 遠征艦隊はセルーリアス艦隊及び周辺海域の艦隊を集めたというが、〈守り〉をしっかりと残していた。

 全く手薄ではない。


 しかし、警備艦がエシトスたちを止めることはできなかった。

 攻撃する小隊を交代させながら素早く撃破して進む。

 相手に考える暇も、報告する暇も与えずに。


 やがて——


「……見えた! ウェンドアだ!」


 大きな水門が見えた。

 攻撃目標、大水門だ。


 カンカンカンカンカン……!


 大水門上、城壁守備隊の探知円は魔法艦を上回るというが、いま頃ようやく警鐘が鳴り出した。

 ラーダがいないのでわからなかったが、低空飛行で大水門から伸びる探知円を掻い潜れたようだ。


「全騎、空対地戦用意っ!」


 エシトスの号令を受けて小火竜の顎が膨らんでいく。

 大障壁は火炎や雷、様々な攻撃を防げる多層障壁だというが、三個小隊の連撃を一点に重ねて貫通させる。


「攻撃用意っ!」


 全速力で大水門に迫る小竜隊。

 しかし先制攻撃は城壁守備隊だった。


 ズドンッ!

 ドォン、ドン、ドドドン!


 迎撃が始まった。

 足元がしっかりした大水門からの誘導射撃だ。

 波や揺れに妨げられることなく軌道修正してくる。


 方向は正しい。

 正確に小竜隊へ向かってきている。


 ところが、軌道修正ができるのは魔法兵だけではない。

 小竜は変幻自在に飛び回る。

 軌道修正を何度も繰り返しながら標的との距離を詰めてくる。


 小竜に命中させたければ、魔法兵も軌道修正を繰り返すしかない。

 一度といわず何度でも。

 それも小蠅すらも撃ち落とせる機敏さで。


 先に消滅させられた警備艦同様、小竜隊を初めて見た守備隊には無理だった。


 先手、守備隊の誘導射撃。

 全弾外れ。

 後手、小火竜の溜炎。


「一番、撃てぇぇぇっ!」


 普段の連撃は先頭を飛ぶエシトスから五番までだが、今日は違う。

 第一小隊五番の後に第二・第三小隊も続く。

 合計一五発の溜炎が大水門を襲う。


 作戦通り、初撃の溜炎は最大火力で撃った。

 一発毎に多層障壁を穿ち、ついに穴を開けた。


 ガァァァンッ、ドガァァァンッ!

 ゴガァァァンッ!


 多層障壁突破で消耗したが、半分以上の溜炎が大水門に届き、爆発した。


 攻撃を終えて旋回退避中のエシトスが振り返る。

 大水門は……


「やはり……ダメか」


 大水門は、健在だった。

 爆発で表面が多少削れただけだった。

 また守備隊に多少の被害を与えることはできたが、予想通りすぐに交代要員が現れた。

 破れた障壁もすぐに修復されてしまうことだろう。


 難攻不落というのは本当だった。

 ウェンドア沖を魔法艦で囲み、突破できても大水門に阻まれて街と停泊中の船には指一本触れることができない。


 これが……

 ウェンドアだ。


 小竜隊だからここまで来ることができ、大水門に傷をつけることができたのだ。

 されど歯が立たなかった。


 エシトスの胸中に、最大火力の溜炎一五連撃ならあるいは、との思いはあった。


「……フゥ」


 小さく溜め息を吐いた後、結果を受け入れた。

 これではっきりした。

 ウェンドア攻略戦はリーベル側の防衛成功で終わる。


 だが落ち込みはしない。

 予定外のことは何も起きていないのだから。


 エシトスは全騎に次の命令を下す。


「狼煙は上がった! 火竜隊はこれより陽動作戦を開始する!」


 すべて予定通り……

 魔法艦隊の砲撃にも耐える分厚い壁を、たった一五騎の炎で砕けるはずがないのだ。

 それでもやってみたのは、探検隊魂が疼いたからだった。

 やるなと誰かに止められると、どうしてもやりたくなる。


 また、言い訳がましいかもしれないが〈作戦開始〉の合図を出す必要もあった。

 新旧両市街隅々までわかるように。


〈作戦開始〉とは陽動作戦のことではない。

 模神を退治する作戦のことだ。


 都合一五発の派手な狼煙はきっと伝わったに違いない。

 ウェンドアのどこかにいるシグにも。



 ***



 ウェンドア新市街、朝——


 シグは昨夜、新市街の宿屋に泊まった。

 場所は研究所に近い。

 窓から研究所の高い屋根が見える。


 朝食を終えると部屋へ戻り、支度を始めた。

 衣服の下に鎖帷子の胴衣を着込み、弾薬を詰めた掌銃もポケットにしまった。

 ネレブリンたちも支度を済ませる。


 支度とは……

 研究所襲撃の支度だ。

 今日、これから実行する。


 窓から見えるほど近いが、研究所までは街の中を移動する。

 完全武装で向かっては、市民によって陸軍に通報されてしまう。

 それゆえの軽装だった。

 面倒は避けたい。


 なぜ今日なのかというと、模神の正確な所在を知ることが出来なかったからだ。

 わかっているのは、イスルード島西岸からの線上にあるということ。

 それ以上は探れずにいた。

 下手に追い詰めれば逃げられてしまう。

 追い詰めるのは、すべての準備が整ってからでなければ……


 それが今日だった。

 すべてが揃った。


 朝食前、ザルハンスから連絡を受けた。

 三艦はウェンドア沖から火竜隊を発艦させた。

 あと少しで大水門へ到達する、と。

 陽動作戦は予定通りに始まる。


 巣箱艦隊旗艦ソヒアムは件の西岸に着き、雷竜隊を発艦させているはずだ。

 レッシバルたちは誰にも見つからないように森林地帯で滞空して待っている。

 シグからの合図を。


 シグの合図……

 それは研究所を襲撃して、賢者たちに模神を起こすよう作業場へ指示を出させること。


 襲撃を陸軍に通報されるかもしれないが、エシトスたちを防ぐのに大忙しで研究所へ回す兵などいない。

 見捨てられたと悟った賢者たちは、模神に頼るしかない。


 模神を起こすのは危険を伴うが……

 女将によれば、大掛かりな呪物は動かすのに相当な魔力を要するという。

 魔法使い一人の魔力では足りず、集団で力を合わせなければならない。

 時間もかかる。


 さて、模神を起こすのにどれだけの魔力と時間が必要になるだろうか?


 賢者たちの作業場へ命令を下せば、魔法使いたちは模神を起こす術式を始めるだろう。

 その気配をラーダが感知し、雷竜隊が急襲する。


 急襲部隊は速さが命だ。

 ゆえにレッシバル隊が担当することになった。

 力の火竜、速さの雷竜だ。


 すべてが配置に着いた。

 あとは……


 ガァァァンッ、ドガァァァンッ!

 ゴガァァァンッ!


 ——!


 大水門にエシトスたちがやってきた。

 これで街中の陸海軍兵が大水門に集まる。


「我々も出るぞ!」

「はっ!」


 シグは文官や武官に化けたネレブリン隊を率いて街へ出た。

 出撃だ。

 賢者たちの要塞へ向かって。

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