第131話「帝国とリーベル王国の敵」

 リーベル王国宰相イナンバークは、王家の血を引く公爵だ。

 他国では間違いなく臣下の中で最高権力者だ。


 ?

 他国では、とは?


 リーベルでは違う。

 王国には、宰相に拮抗する存在がいる。

〈海の魔法〉勢力だ。


 形式的には宰相が上位なのだが、実権は魔法艦隊や研究所を従える海軍大臣の方が上だった。

 国外の問題については宰相より、海軍大臣の意見が優先される有様だった。


 また海軍は島外が活動の場であり、外務省も国外の問題を取り扱うので両者は自然と結び付いていった。

〈海軍派〉という。


 逆に宰相の権限は事実上、国内に限定されており、同じく島内にしか活躍の場がない陸軍省と結び付いていった。

〈陸軍派〉という。


 宰相閣下に陸軍魔法剣士が護衛についているのは、かかる事情による。


 その宰相閣下だが、トライシオスの知り合いだった。

 探検隊のような友人ではなく、知り合いだ。

 両者の間に真の親しみはないが、イナンバークがロミンガンを訪問して以来、親しく文を交わす間柄になった。


 彼はトライシオスの大切な……火種だった。

 実権で上回る海軍派を苦々しく思う王家の血を引く宰相。

 いかにも執政好みの火種だった。


 その執政から本日午後、イナンバークに密偵が送られてきた。

 通常、彼の手紙はネイギアス大使館経由で届けられるが、手紙を残すわけにいかない場合、密偵が伝えに来る。


「我が主からの伝言でございます。今夜——」


 今夜、シグという帝国人に会ってほしい。

 彼の話を聞けば、〈海〉が穏やかになるだろう……


 今夜とは急な話だが、密偵も執政も宰相が暇なのを知っている。

 リーベルは海洋魔法王国だ。

 海洋魔法王国において、国内に関する職は閑職だった。

 今夜も明晩もその翌晩も、夜までかかる業務はない。

 密偵には了解の意を伝えた。


 そして夜になり、密偵の案内でロミンガンの船に連れて来られ、後から本当にシグが現れた。


 トライシオスの伝言にあった〈海〉とは海軍派という意味だ。

 目の前に着席した息子ほどの若者が、海軍派を大人しくさせる話をするというが、果たして……


「貴公は確か、和平を求めて我が国へやってきたのだったな」

「はい。そのつもりでした」


 イナンバークの片眉が僅かに下がった。

〈でした〉とは意外な言葉が飛び出してきたものだ。

 ということは、


「ほう、『でした』と申すか。では、いまはもう我が国との和平は望んでおらんということか?」

「いいえ、貴国との和平は望んでおります」


 今度は片眉だけでは済まず、首を傾げてしまった。

 おかしなことを言う若者だ。

 リーベル王国に対して和平を望んでいないが、和平は望んでいる、と。

 何かの謎かけか?


「よくわからんな。もう少し詳しく説明してくれないか」


 端的に結論を述べるのはトライシオスが相手なら良いかもしれないが、それ以外の者には過程も必要だった。

 シグの望む和平とは、


「リーベル王国と和平を結びたいのです」

「だったら——」


 だったら、休戦に応じれば良かったのに。


 イナンバークが疑問に思うのは自然なことだった。

 夕方まで、リーベル外務省の担当官が帝国に対して休戦を求めていた。

 一時的ではあるが、これに応じるだけでリーベル王国との和平が実現する。


 しかしシグは首を横に振った。


「いいえ、我々が和平を結ぶべきは〈リーベル王国〉であって〈海の魔法〉ではないのです」


 ——この若者は……!


 リーベルが一つに纏まっている国ではないことを知っている。


 そこまでも若者の話を真面目に聞いていたが、以後、身を乗り出して聞くようになった。


 シグの話は以下の通り。


 帝国はこれまで交渉相手を間違えていた。

 リーベル王国だと思っていたものは〈海の魔法〉という別の勢力だった。

 真の交渉相手〈リーベル王国〉とは、イスルード島を実際に統治している宰相閣下たちだ。

 よってリーベル王国とは和睦するが、〈海の魔法〉とは和睦しないという話は矛盾しない。


「ま、待て、シグ殿」


 宰相は思わず若者を制止した。

 理屈としては正しい。

 だが力が伴わなければ机上の空論に過ぎない。

 悔しいが、それが政治というものだ。

 ここで何が決まろうと、明日、海軍派に反対されれば白紙と化す。


「他国にとって無敵の海軍には、自国も敵わないのだよ」


 と肩を落として自嘲した。

 交渉終了の意も含めたつもりだった。

 ところが、シグの話は終わらなかった。


「なるほど、この国では海軍派と呼ぶのですね。我々はリーベル派と呼んでいました」

「リーベル派か……他国にしてみれば、魔法艦隊の横暴即ち王国の横暴であろうな」


 そう、まるでリーベル王国の意向によって活動しているかのような印象を受ける。

 そこで、だ。


「海軍派と王国が別とわかった以上、帝国はリーベル派という呼称を改めたいと思います。新しい呼称は——」


 シグはここまでの会話で確信していた。

 イナンバークは賢者たちではない、と。


 もし賢者なら、和平に興味など示さない。

 そして非力だ。

 陸軍派を杖計画に加えても模神作りの役には立たないだろう。


 ゆえに情報を与えることにした。

 敵の敵は味方同士になれる。

 その信頼を得るために。


 まず敵の呼称だ。

 村を焼いたり、人攫いをやっているような軍規違反の連中にぴったりの呼び名がある。


「新しい呼称は〈反乱軍〉です」



 ***



 シグはリーベル派を反乱軍と呼称した。

 これでリーベルの宰相とリーベル派について話し合うというややこしい状況を回避できる。


 ところが、イナンバークは反乱軍という呼び名に反対した。

 国内外において我が物顔で振舞っている海軍派ではあるが、王国に対して反乱しているとは言い難い、と。


 ——理性的な御方だ。


 シグは感心した。

 さすがはトライシオスが知り合いとして付き合っているだけのことはある。


 ネイギアス海賊とも躊躇いなく組む賢者たちと違い、宰相閣下は敵と味方の区別がついている。

 忌々しい味方であっても、味方は味方なのだ。

 耳に心地良い帝国の言葉に乗せられて、味方を反乱軍呼ばわりしない。


 その毅然とした姿勢に、シグは却って安心感を覚えた。

 今夜、帝国に丸め込まれて味方を反乱軍呼ばわりするような奴は、明朝になったら賢者たちに丸め込まれる。

 そんな相反する意見に挟まれて常に揺れているような人物では信用できないところだった。


 だが宰相閣下は違うようだ。

 閣下になら明かせる。

〈集い〉の敵は、閣下や王国にとっても倒すべき敵なのだから。

 そのことを理解できる人物だと見た。


「閣下、我々が反乱軍呼ばわりするのは——」


 本当に、王国に対して反乱と言える行いだからだった。


〈海の魔法〉を司ってきた強力な海軍が、研究所を取り込んだ話は世界的に有名だ。

 だがそれは形式上の話であり、実際には研究所が海軍へ寄生したのだ。


 最も強い者と最も賢い者が手を組んだら、誰にも止められない。

 そして研究所に悪が生まれた。

〈賢者たち〉という悪が。


 いまや海軍は賢者たちという寄生虫に全身を蝕まれ、意のままに操られている。

 そして、操られている海軍の主張に誰も異議を唱えることができず、此度の戦になった。


「賢者たち……」


 自国のことなのに、イナンバークにとって初耳だった。

 研究所は機密を盾に隠し事が多い。

 陸軍派にはもちろん、陛下に対してもだ。


 リーベルという国は、世界各地の品々が入ってくるが、肝心な情報は海軍や外務省経由でしか宮廷に入ってこない。

 妙な話だが、情報という点においてリーベル王国は海軍派に閉ざされた島だったのだ。

 ゆえに、誰にも邪魔されず初めて聞く〈外〉からの話だった。


「賢者たちこそ、帝国とリーベル王国の敵!」


 賢者たちはネイギアス海賊と組み、王国の許可なく海軍魔法兵を軍事顧問として派遣し、リーベル派という非合法集団を結成した。


 リーベル派は諸国沿岸の街や村を襲い、金品を奪っていったが、これは真の目的を隠すための欺瞞行動だった。

 真の目的は〈原料〉として多勢の人々を攫い、賢者たちの下へ送ること。

 すべては……


「神を作るため!」


 シグは杖計画を明かした。

 賢者たちの杖たる模神と始原の魔法、イスルード島に消えていく奴隷たち。

 そして模神を操る賢者たちによる全世界の支配。

 その支配の対象にはリーベル王国も含まれている。


 誰も逆らえないほどの権勢を誇ろうとも、賢者たちは王国の臣だ。

 臣下でありながら主君を従わせようという計画は、反乱計画に他ならない。


「なるほど……その話が本当なら、連中のことは反乱軍と呼ぶべきだな」


 その話が〈本当〉なら……

 シグは苦笑を浮かべた。


「……やはり、信じてはもらえませんか」

「うむ、すまぬが——」


 イナンバークも苦笑を返すしかなかった。

 辻褄は合っているが……

 話に乗るには規模が大きすぎる。


 軽々には決められない。

 話の辻褄が合っているかどうかと、すんなり了承できるかどうかは別だ。

 初対面の者が語る反乱の話を信じるには証拠が要る。


「証拠は、残念ながら……」

「であろうな。ならばこちらもその話に乗るわけにはいかんな」


 宰相は席を立ち、船室を後にすることにした。

 着席したままのシグの横を、もうすぐ通り過ぎるというところで、


「模神か……なかなか面白い話であった」


 空想だ。

 模神の話も、研究所の魔法使いが全世界を支配する話も空想だ。

 真実だったとしても空想だったと聞き流すしかない。


「貴公もその空想をウェンドアで語るのはやめておいた方がいい。それが——」


 それがリーベルで平和に暮らす秘訣だ。

〈海〉に、無敵艦隊がある限り……


 イナンバークとしては若者を諫めたつもりだった。


 この国では、海軍派に盾突く者は早死にする。

 先日、ネイギアスの大使館が何者かに爆破されたが、執政が外務大臣の要望を頑として呑まなかったためだと噂されている。


 無敵艦隊ある限り、奴らの権勢は揺るぎない。

〈海の魔法〉に抵抗する者には、悪者に仕立て上げられて正義の鉄槌を下される運命が待っている。


 執政に対しても容赦しなかった海軍派だ。

 戦争中の帝国の交渉団団長など、赤子の手を捻るようなものだろう。


「大人しく休戦を受け入れて……」


 宰相の言葉が途中で止まった。

 シグの口角が上がっている。


「何がおかしい?」

「いや、失礼……無敵艦隊、ですか……」


 シグは笑い出した。

 おかしいに決まっているではないか。

 海軍派御自慢の無敵艦隊なら、もうアレータ海で壊滅したというのに。


「な、何っ⁉」


 無敵艦隊が壊滅……?

 イナンバークは思わず動揺してしまったが、すぐに気持ちを落ち着かせた。


 咄嗟に出鱈目なのではないかとの思いが過ったが、目の前の若者がどうしても法螺吹きとは思えない。

 模神の話は、作り話にしては辻褄が合い過ぎている。

 ウェンドアで作り込んだ法螺を吹いても、帝国に得はないはずだ。


 一国の宰相として認めるわけにはいかないが……

 宰相の内心では次第に、実話なのではとの思いが強まっていた。


「閣下、ネイギアスの執政がどうして今夜、この密会を設けたと思いますか?」

「…………」


 イナンバークは無言だ。

 いや、思考が追い付かずに答えられなかったというのが正しい。

 帰りかけていた足は止まり、シグの話に耳も心も奪われていた。


 執政が密会を今夜にした理由——

 それは、帝国軍とリーベル軍との〈同士討ち〉を避けるためだった。

 つまり打ち合わせだ。


 ならばもっと早く知らせて、十分な時間を設ければ良いのにと思うが……

 その時間は、余計なことを考える時間にもなり得てしまう。

 賢者たちから模神を奪い、陸軍派が取って代わる計画を練る時間に。


 余計な企み事をする時間を与えないためにも、ウェンドア攻略戦前夜である今夜が最良だった。


「我が軍の竜騎士団は明朝、ウェンドア港の大水門を攻める予定です」


 シグは陸軍派との同士討ちを避けるため、攻撃箇所を明かした。

 だが宰相が強い反応を示したのは大水門ではなく、


「竜……だと?」


 宰相の脳裏に昼間、会議室から漏れ聞こえてきた声が蘇る。

 午前中、会議室の前を通りかかると、扉の向こうで海軍と外務省が呻いていた。

 確か「小竜が……」と。


 ——まさか、こいつら本当に無敵艦隊を⁉


 確かに全滅させた証拠はないし、海軍からそのような報告はない。

 では、どうして海軍と外務省が朝から集まって緊急会議をやっていたのだ?

 そしてその会議で決まったのが休戦……

 奴ら、あれほど強硬に「戦うしかない!」と訴えていたのに。


「…………」


 イナンバークは席に戻った。


「明朝、ウェンドア沖に竜が現れれば〈証拠〉になるかと。無敵艦隊を突破できていなければできないことです」


 シグの言う通りだ。

 明日、水平線に竜が現れたとき、リーベルは認めざるを得ない。

 無敵艦隊が本当に敗れたのだ、と。


「仮に、だ……」


 それでも己の目で確認できていないものを認めるわけにはいかない。

 ここだけは宰相として譲れない一線だ。

 それゆえの〈仮に〉だ。


「仮に貴公の話が真実だとして、我々〈リーベル王国〉に何を求める?」

「我々の望みは——」


 シグは望みを伝えた。

 難しいことではない。

 あまりにも簡単なことなので呆気に取られていたが、陸軍派がやってくれれば作戦の成功率が大きく上がるだろう。


 同時に、成功すればトライシオスの〈猛毒〉がリーベル王国により一層回ることにもなる……


 打ち合わせの終わりに、シグとイナンバークは握手を交わした。

 ウェンドア攻撃前夜、帝国とリーベル王国の交渉が成立した。

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