第130話「無様な交渉」

 遠征艦隊滅亡から五日目——


 ウェンドア市内はいつも通りだったが、王宮内は騒然としていた。

 騒然とするのも無理はない。

 昨日、ロミンガンのリーベル大使館から長距離用伝声筒で報せが入った。

 遠征艦隊が全滅した、と。


 艦隊の生存兵による報告だ。

 嘘やデマではない。

 おかげで海軍と外務省は昨夜から大忙しだ。


 海軍はずっと遠征艦隊に呼び掛け続けているが、未だに応答がない。

 ウェンドア沖から出撃して以来、初めての通信だった。

 大頭足を撃退できる魔法艦の大軍に危害を加えられる者など、世界のどこにもいない。

 今日まで無事を確認する必要がなかったのだ。


 外務省はロミンガンのリーベル大使に命じて、その七人の生存兵を拘束させた。

 ロミンガンは国際貿易港だ。

 街でうっかり遠征艦隊が全滅した話などされたら、あっという間に全世界へ伝播してしまう。

 噂を防ぐ措置だった。


 外務省にはあと二つ面倒なことがある。


 一つはフェイエルムの征東軍だ。

 彼らも遠征艦隊と連絡が取れずに困っており、いつまで洋上待機していれば良いのか、という苦情だった。

 征東軍から直接通信することはできないので、首都ケイクロイのリーベル大使経由で伝えられた。


 洋上待機?

 情けないが……

 事情がわからないリーベル側は、彼らの苦情によって遠征艦隊の動きを知ることとなった。


 どうやら艦隊は台風を回避した後、帝都ではなくアレータ島に向かおうとしていたらしい。

 征東軍に北岸沖で洋上待機しているよう、通信があったという。

 当然、説明を求めたが艦隊は詳細を明かさず、上陸支援を約束して通信を切った。


 その上で延々と放ったらかされているのだ。

 いくら何でも味方を蔑ろにしすぎる。


「帝都攻略をやらないなら、海に浮かんでいる理由がない!」


 と、ケイクロイの重臣たちが大使に怒りの声を浴びせるのも無理はなかった。


 リーベル側にとっては洋上待機も上陸支援も初耳なのだが……

 いつ来てくれるのかわからない上陸支援を待って一日、また一日と水や兵糧が減っていく征東軍の苛立ちは理解できる。


 海軍は大陸北の海域を航行中だった艦隊に連絡。

 上陸支援部隊として急行させた。


 急派部隊はどこにも寄り道せず、大陸北岸沖へ直進する。

 よって確かな上陸日を伝えることができ、征東軍は怒りを収めてくれた。


 これで一つ目の問題は解決したが、もう一つが厄介だった。

 帝国についてだ。

 和平交渉団団長シグと供二名が宣戦布告直後から足繁く王宮に通い、今日も会議室に来ている。


 ならばリーベル側もいつも通りの茶番を繰り返してやれば良いのだが、事情が変わってしまった。

 必ず勝つと思うから今日まで適当にあしらってきたのだ。

 まさか、遠征艦隊が全滅するなんて……


 生存兵の報告を疑うわけではないが、正直言って現実感がまだない。

 実は空想なのではないか、という思いを捨てきれずにいる。


 あまりにも突飛な話ではないか。

 艦隊は、飛んでくるはずがない竜たちにすべて消滅させられた。

 その竜たち、小型種の竜騎士団の所属が——

 帝国海軍だったなんて!



 ***



 リーベル側は会議室にシグを待たせたまま、別室で緊急会議になった。


 生存兵が余計なことを喋らない内に拘束したのが幸いし、まだウェンドアに敗戦の情報が流れていない。

 つまり、リーベルは〈まだ〉負けていないのだ。


 負けが知られていない内に、帝国と休戦する。

 終戦ではない。

 あくまでも休戦だ。


 遠征艦隊はイスルード島に隣接する海域から集めた艦隊だった。

 もう一度大艦隊を編成するにはさらに外の海域から呼び戻さなければならない。

 その時間を稼ぐための休戦だ。


 ところが、緊急会議はそれで終わらなかった。

 休戦という結論は決まっているのだが、帝国に突き付ける条件について意見が割れたためだ。


 あまり難しい条件を付けず、早く休戦の調印を済ませてしまうべきか。

 不自然に思われないよう、これまでの交渉の流れを汲んだ条件を付けるべきか。

 どちらも正しく、ゆえに譲れない。


 だが議論の末、帝国にある程度厳しい条件を突き付けることになった。


 決め手となったのは海軍の意見だった。

 海軍は敗戦を知っても尚、魔法艦を集めればまだ戦えると主張。

 参列していた外務省の役人たちも釣られて士気が高まっていった。


 リーベル側が帝国に要望する条件は二つ。

 一つは、沿岸で待ち構えている帝国陸軍が撤退すること。

 後に派遣する遠征第二陣の上陸を容易にするためだ。


 もう一つの条件は、強い反抗が予想されるが……

 竜騎士団も内陸へ引き上げてもらう。

 陸軍だけでなく海軍の竜騎士団もだ。


 拘束した生存兵によれば、艦隊は飛んでくるはずがない竜にやられたという。

 大陸東岸からアレータ海の艦隊まで、大型種の航続距離を遥かに超える。

 大型種が無理なら、小型種には絶対に無理なはずなのだが……


 けれども、攻撃できたのは事実だ。

 どうやって海軍の小竜隊約二〇騎が艦隊に到達できたのかは不明だが、遠征第一陣を全滅させた力を第二陣に発揮されては困る。


 朝から始まった緊急会議は昼までかかり、これらの条件に決まった。

 それでもずっと帝国側が求めてきた和平の条件だ。

 終戦ではなく、休戦の条件だが。


 さて、帝国の交渉団団長は何と応えるだろうか?

 会議室へやっと現れたリーベル側担当官は、さっそく条件を読み上げた。

 条件の提示というより、部下に命令を下すような雰囲気で。


「なっ⁉」

「それはあまりにも……」


 シグの部下たちはあまりにもリーベルの都合に偏った条件だ、と不快感を露わにする。

 だが、当のシグは途中で言葉を挟むことなく静かだった。

 少し俯いているせいもあって、まるで本当に部下が拝命しているように見えるが……


 シグはピスカータ村の悪ガキ集団、探検隊の隊長だった男だ。

 リーベルの都合など聞き入れるわけがなかった。

 話を聞き終えると正面を向き、


「そんな条件は呑めん!」


 呑めなければ、交渉決裂となってしまうが……

 それでも構わないという気迫に満ちている。


 昨日までならこれで本当に決裂していたことだろう。

 しかし今日は違う。


「いや、それでは……!」


 リーベルの担当官が決裂させなかった。

 アレータ海での敗戦がウェンドアに届く前に話を纏めなければならないのに、シグ団長は決裂も辞さない剣幕だ。

 昨日まで和平を望んでいた男とは思えない。


「…………」


 シグの担当官を見る目が冷たい。

 まるで〈老人たち〉のように。

 なぜなら……

 もう時間を稼ぐ必要がなくなったからだ。


 密偵たちのおかげで、模神の凡その場所がわかった。

 そして今朝、宿屋を出発する前に〈巣箱〉から連絡があった。

 明朝、ウェンドア沖に到達する、と。

 ついにレッシバルたちがやってくる。


 ならば交渉は成立していない方が良いのでは?

 さもなくば、休戦の調印式の最中に小竜隊がウェンドアに飛来するという事態に陥るかもしれない。


 それでもシグはザルハンスに伝えた。

 予定変更はない。

 皆、作戦通りに行動しろ、と。


 よって明朝、ウェンドア攻略戦が始まる。

 休戦が成立していようが、いまいが。


 卑怯?

 不意討ち?

 それの何がいけない?

 シグは騎士ではない。

 外交官だ。


 どこの外交官も表向きは公明正大然としているが、裏ではどれだけの謀を巡らしていることか。

 騎士道において卑怯は恥だが、外交においては違う。

 相手の謀を見抜けなかった奴が悪い。


 相手の謀を見抜き、それを上回る札を切り返す。

 相手が卑怯な手を使ってくるなら、それ以上の卑怯を用意しておく。

 その戦いを交渉というのだ。


 トライシオスがウェンドアから生還できたのも頷ける。

 リーベルの交渉はこれほどお粗末だったのだ。

 魔法艦隊という〈札〉がなければ、他に相手を説得する術が何もない。

 何もないので、いまリーベルの担当官は平和の大切さを説いている。


 ——無様だな。


 シグは冷笑を浮かべた。


 いつも通りに脅せば良いではないか。

 言う事を聞かないと帝都を灰にしてやる、と。

 まだ敗戦の情報がウェンドアには届いていないのだから、有効な脅しだ。


 いまも担当官が平和を力説しているが、その表情には昨日までの余裕がない。

 どうやら無敵艦隊が消滅した途端、度胸も消滅したようだ。


「帝国も平和は大切だと考える。しかし貴国が提示する休戦の条件には反対である」


 平和は大切だ。

 言われるまでもない。

 ……それで?


 要望を呑んでくれなければ休戦は成立しないというが、別に砲兵や竜騎士団を沿岸から下げなくても休戦はできるはずだ。

 隣接する内陸国同士の戦ではないのだから。


「しかし……!」


 担当官は必死だが、魔法艦隊という強みを失った彼らの発言内容は弱かった。

 結局、夕方に解散するまで何一つ決まらなかった。



 ***



 夕方に宮殿を後にしたシグは、一旦今日の宿屋に入った。

 そして夜になると護衛二人を伴って港へ向かった。


 ウェンドアは国際貿易港だ。

 沢山の船たちが帆を畳んで寝静まっている。

 羽を畳んで眠る水鳥のように。


 シグたちは船たちの安眠を妨げないよう静かに歩き、一隻の交易船に辿り着いた。

 交易船の船籍は、ネイギアス連邦。

 正確にはロミンガンの交易船だった。


 船の前に水夫が立っていたので名乗る。

 すると、


「こんばんは、シグ様……お着きになられています」


 状況から推測して、トライシオスの息のかかった船なのだろう。

 船室なら外から見えないので、街の中で堂々と面会できない人物と会うのに都合が良い。

「お着きに——」という丁寧な言葉遣いから、相手は高い身分の御方だ。


 水夫に案内された一室にその人物たちはいた。

 合計三人。

 初老の男性が一人着席し、二人の護衛が左右に立つ。


「…………」


 護衛たちは眼光鋭く、船室に入ってくる一行を順に眺めていく。

 彼らはリーベル陸軍の軍装に身を包んでいる魔法剣士だ。

 つまり、男性は魔法剣士に護衛されるような重要人物だということだった。


「初めまして、シグ殿」


 男性が最初に入室したシグに挨拶する。


「遅くなってしまい——」


 模神退治の作戦を決行する前にどうしても会えと、トライシオスが用意してくれた面談だった。


 模神の現在地をたった一〇人で明らかにするなんて無謀すぎる。

 上手くいったとしても生きて帰れない。

 それゆえに用意してくれた味方だった。

 いや、正確にはまだ敵の敵という奴かもしれない。

 だから交渉で味方にするのだ。


 まずは挨拶だ。

 シグは参上が遅れたことを詫びた。


「遅くなってしまい申し訳ございません、宰相閣下」


 男性はリーベル王国の宰相、イナンバーク公爵だった。

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