第129話「補給線」
アレータ海、北東——
一隻の西方の船が戦場だった海を目指して急いでいた。
船長の名はワッハーブ。
かつて杖計画に妹を奪われた〈集い〉の一員だ。
彼は巻貝で誰かと話している。
どうやら相手は彼にお願い事をしているようだ。
「気にしないでくれ、女将」
話の様子から面倒なことらしいが、彼は快く引き受けた。
通信の相手はロレッタ女将。
彼女の頼み事は人命救助だった。
彼女は〈海の魔法〉の最期を見届けようとセルーリアス海へ来ていた。
戦場からあの巨艦が見えることはなかったが、遠く離れた地点から遠見の望遠鏡で観戦していた。
それで気付いたのだった。
作戦が図に当たり遠征艦隊は全滅したが、逸早く海へ飛び込んだ兵たちが僅かに漂っていることを。
見なかったことにはできない。
漂っているのはリーベル人だが遭難者だ。
そこで女将は探知円を広域展開し、戦場の北東を航行中だったワッハーブを見つけたのだった。
彼の存在は本当に助かる。
女将はリーベル海軍の者に姿を晒したくない。
トライシオスに頼むのも良くない。
なぜなら連邦海軍の担当海域はネイギアス海であり、それがどうしてアレータ海の北に出ていたのか説明に困ってしまう。
ワッハーブのような第三者が偶然通り掛かるのが最も良い。
依頼を引き受けた彼は女将の指示に従い、正確に遭難者たちが漂う現場に向かっていた。
やがて、
「前方に遭難者!」
メインマスト上方から声が上がった。
舷側から身を乗り出して前方を見ると、こちらに手を振る人影が複数見えた。
「……救助してやれ」
指示を出すワッハーブの顔が僅かに曇った。
リーベル人ではなく遭難者……
それはわかっている。
だから彼らを救おうという女将に対して異議はないし、ゆえに救助を引き受けた。
彼らは末端の雑兵だ。
賢者たちがこの遠征に込めていた思惑を知らない。
それでも彼らの任務が〈原料〉調達だったのだと思うと、複雑な気分になってしまうのだった。
一人、二人、三人……
水兵ばかり七人。
遭難者たちは固まっていたので救助活動は早く終わり、日が沈む前に終わった。
——大艦隊だったというが、生存者はたったこれだけ……
勝っているときには滅法強いが、負ければ艦も人も跡形ない。
これが魔法艦だ。
生き延びた彼らは海に飛び込む決断が早かったか、運が良かったのだろう。
「…………」
女将がなぜ魔法艦を否定しているのか、ワッハーブにも気持ちがわかった。
魔法艦に乗るということが、これほど危ういことだったとは……
恐ろしい。
消滅の現場に立ち会っていた彼らの恐ろしさはそれ以上だっただろう。
皆、頭を抱えて呻いている。
ところが、
「いや、それでは困る!」
頭を抱えていた一人が船の行き先を知った途端、反対の声を上げた。
水兵はウェンドア行きを希望した。
水兵は騒ぎを収めに来たワッハーブにも迫ってきたが、ウェンドアへ行くつもりはないと告げた。
「この船は交易船であり——」
北方諸国で仕入れた品々をロミンガンへ運んでいる最中に通りかかっただけだ。
だからウェンドアではなく、予定通りにロミンガンへ向かう、と。
……本当は交易品ではなく、フォルバレントへ渡す補給物資なのだが……
女将の頼みがなければ、南を目指すつもりだった。
よって遭難者を最寄りの陸地へ届けたら、巣箱艦隊へ急ぎたい。
その最寄りがロミンガンだった。
水兵は「至急、本国に報告したいのだ!」と必死だが、リーベル兵の都合など知らん。
人命救助のために針路を南から南西に曲げたのだ。
この上、東へ向かってやるほど、ワッハーブはお人好しではなかった。
「風に逆らって東へ向かうよりも、ロミンガンのリーベル大使館に行った方が早いのではないか?」
大使館なら本国と通信できる長距離通信用伝声筒がある。
人命救助だけでなく、本国への一日も早い報告という観点からもワッハーブが正しい。
「〜〜〜〜っ!」
遠征艦隊は、午後には小竜隊に敗れ、日暮れには西方人の正論にも敗れたのだった。
結局、ウェンドアに水兵の報告が届いたのは救助から四日後のことだった。
***
ウェンドア——
シグは宣戦布告を受けた日から和平交渉を続けていた。
だが、その内容は担当部時代再びと言わざるを得なかった。
〈庭〉への野心など最初からなかったという帝国の主張に対しては、帆船軍艦の建造を根拠に見え透いた嘘だと反論される。
ならばと、リーベルが望む和平の条件を尋ねても一切提示してこない。
あくまでも帝国を成敗することがお望みらしい。
……それはそうだろう。
成敗しなければ、全ブレシア人をイスルード島へ連行することができない。
リーベル側が和平の条件を出すはずがなかった。
シグはずっと苦境に立たされ……てはいなかった。
リーベル王国はリーベル派の親玉だ。
宿屋号で仇と知ってから、いつか滅ぼしてやると決めていた。
端から仇と和睦するつもりなどない。
ダラダラと時間ばかりかかる不毛な交渉だったが、成立を目標としているわけではないので別に構わなかった。
無駄な時間を過ごしていたのは別の目的があった。
調査のためだ。
ネイギアスの密偵に頼んで、模神について調べてもらっていた。
居場所ではない。
もしわかるなら願ってもないが、たぶん無理だろう。
だから所在を調べてくれというのではない。
レッシバルたちがイスルード島へ攻め寄せてくる前に、明らかにしておきたいことがあった。
海軍魔法兵団、特に魔法剣士隊の行動についてだ。
その時間を稼ぐために、声を荒げて交渉ごっこに興じていたのだった。
時間稼ぎは功を奏した。
先日、密偵から報告を受けることができた。
密偵はマルジオの酒場へ案内してくれたリーベル人の彼だ。
彼は目を丸くして驚いていた。
「シグ卿の読み通りでした」と。
***
シグの読みとは……
模神を探しても見つからないので、ウェンドアと作業場を行き来する者を見つけようというものだった。
言われるまでもない。
もちろんネイギアスの密偵たちも探し続けている。
だが、見つからないのだ。
賢者たちが作っているのは全世界を支配する神、巨大なミスリルゴーレムだ。
作成するのに広い場所が必要であり、研究所を含めてウェンドア新旧両市街にそのような場所はなかった。
ゆえに作業場は野外だ。
きっと作業現場を部下に任せているのだろう。
必要な物資を届けることができれば、賢者たち自らが現場に通う必要はない。
賢者たちがウェンドアの外に出ないので、交代で帰還した部下が研究所へ近付かなければ、賢者たちと作業現場を結ぶ線が見つかることはない。
……密偵はお手上げだった。
密偵がいままで探しても見つからなかったということは、作業場は島内の村や街、その付近ではない。
人里離れたイスルード島中央部、深い森のどこかだろう。
大陸で大分断が起きたように、この島でも森の奥から海岸に向かってモンスターが出たという。
ウェンドアを一歩出れば、大陸と遜色ない弱肉強食の世界が広がっているのだ。
そんな危険な野外へ、密偵だけで探索に向かうことはできなかった。
「そうだな。危ないことはしない方がいい」
密偵が述べるお手上げの理由に、シグも賛同する。
命を落としかねない冒険は必要ない。
探るべきは、内陸ではなく海。
「魔法艦と海軍魔法剣士隊だ」
「内陸にいる模神の関係者を探すのに……海ですか?」
先に結論だけを述べてしまったので、シグの話は難しい。
なぜ内陸についての調査なのに〈海〉を調べなければならないのか、密偵にその結論へ至る過程を説明する必要があった。
シグは説明を始めた。
危険な島内だが、ゾロゾロと多勢で行軍などしていたら目立ってしまう。
物資輸送は少数精鋭で行うべきだ。
魔法だけでなく武勇に秀でた者たちだけで。
つまり魔法剣士隊だ。
魔法剣士隊は陸軍にもいるが、海軍が疑わしい。
仮に陸軍魔法剣士隊を杖計画に参加させ、作業場へ向かう荷馬車を護衛させたら、城門を見張っている密偵に見つかってしまう。
陸路輸送は後をつけられる虞がある。
だから海路だ。
荷と護衛は、普通に魔法艦で出航するのではないだろうか?
魔法艦はリーベル派だが、形式的には他艦と同じ海軍所属なので悠々と大水門を通過できる。
そしてウェンドアが見えなくなってからイスルード島西岸のどこかに戻り、無人の浜に荷と護衛を上陸させる。
作業場からの馬車が合流すれば、荷馬隊の完成だ。
あとは魔法剣士隊に護衛されながら、必要な物資を積んだ荷馬隊が森へ帰っていく……
これが、シグの推測する海路輸送だ。
話を聞いた密偵たちは〈海〉を探った。
深入りすると危険なので時間はかかったが……
ついに見つけた。
イスルード島西岸沖を警備している魔法艦の内、帰還予定を頻繁に超えてしまう不審な艦があった。
不審な点は二つ。
海賊船らしき影を見かけたとか、大頭足の気配を感じたとか、とにかく言い訳が多いのだ。
そして、
「シグ卿の読み通りでした」
と密偵が唸ったのが次だった。
この不審な艦は、なぜか毎回の出動に海軍魔法剣士隊を乗せていた。
ただの近海哨戒任務なのに……
密偵たちはシグに完敗だった。
ウェンドアと作業場を行き来する者は、海からやってきていたのだ。
作業場が内陸のどこかだからと陸にばかり目を向け、指摘されるまで海を見ていなかった……
でも補給路がわかれば、ネイギアスの密偵はその本領を発揮できる。
西岸を見張っていた密偵が、さっそく不審艦の上陸地点を発見した。
島南西部のなだらかな砂浜だ。
彼は、森から現れた荷馬車が上陸した魔法剣士隊と森へ帰っていくところも目撃したという。
西岸の密偵は、模神の作業場まで尾行しようかと申し出てくれたがやめさせた。
単独で森へ入るのは危険だし、もし探られていると奴らに知られたら引っ越されてしまう。
ワッハーブのときのように。
シグはイスルード島の地図を開き、報告の上陸地点から森の中央部へ向かって一筋の線を引いた。
「模神はこの線上にいる。いまはそれだけわかれば十分だ」
陸路では断裂していてウェンドアから作業場まで繋がっていなかった補給線が、海を経由する〈陸、海、陸〉という一繋ぎの線だったとわかった。
シグのおかげで〈集い〉にとって一歩前進どころか、大きな前進だった。
あとはレッシバルたちがいつ来るか……
だが、意外とその日は近いことを知る。
本日も無駄な交渉ごっこを終え、旧市街の宿屋で休んでいたシグは巻貝の震動に気付いた。
通信はザルハンスからだった。
一騎も欠けることなく無敵艦隊を全滅させた、と。
「そうか……そうか……勝ったか……そうか!」
旧市街とはいえ、ウェンドアは敵陣だ。
浮かれてはならない。
大きな声を上げるなど以ての外だ。
込み上げてくる気持ちを堪えた分、シグは嬉し涙が止まらなかった。
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