第128話「死屍累々の甲板」

 セルーリアス海、曇り時々晴れ——


 遠征艦隊本艦隊では小火竜襲撃の報を受けて、展開中の帆を減らして減速していた。

 剣王から小火竜を全滅させたという報告があるまで、早く進み過ぎると危険だ。

 艦隊の安全を確保するための措置だった。


 そのせいで距離が離れてしまい、先頭艦からも前衛艦隊最後尾艦が見えない。

 対小火竜戦の様子がわかるのは魔法兵のみ。


 ところが、前方の様子を探っていた魔法兵もよくわからなかった。

 報告を求められても「前衛艦隊の気配が消えた」としか……


 副長が詳細な確認を命じているが、慌てることはない。

 すぐにわかる。

 但し、わかるのは魔法兵ではなく、メインマストの見張り員だが。


 カンッ、カンッ、カンッ!


「前方より敵襲っ! 敵襲ぅっ!」


 雲の切れ間から覗く陽光はまだ強いが、明らかに午後の日差しだ。

 夕日になるまであと少し。

 その少し前で竜は活動限界を迎える。

 だからエシトスたちはやってきた。

 残敵四〇艦を掃討しに。


 小火竜三個小隊一五騎。

 ラーダはいないが、魔法兵に探知されないよう、低空を飛んできた。


「なっ⁉ 障壁を展開しろ、急げっ!」


 副長が咄嗟に命令を変更するが、間に合わない。

 もっと早くから備えていなければ。


 防御が間に合わない魔法艦を、イルシルトたちの溜炎が襲う。


 ドガァァァンッ!

 バキバキバキッ!


「核室大破っ!」

「サラマンダーがっ! 召喚士、召喚士ぃっ!」


 本艦隊も前衛艦隊と同じく、召喚士が核室の管理を担当している。

 ゆえに溜炎を受けた艦は同じ末路を辿る。

 核室付近に召喚士の亡骸が横たわっていないなら、舷側を貫いてきた溜炎の直撃を受けたのかもしれない。


 遠征艦隊、残り三七隻。


 攻撃を終えた火竜隊は、


「一小隊、右旋回!」

「二小隊、左旋回っ!」

「三小隊、右旋回!」


 それぞれ左右に分かれて、艦隊との距離をとる。


 世界中の誰も、指一本触れることができなかった魔法艦を、小火竜隊が一瞬で三隻沈めた。

 本艦隊前半部の艦にいた者たちは、その恐るべき早業を見て悟った。

 剣王や前衛艦隊に呼び掛けても、なぜ応答がないのかを。


 小火竜隊はあっという間に離れていったが、退散したのではないことは明白だった。

 さっきの火の玉を作りに離れただけだ。

 完成したら撃ちに戻ってくる。

 艦隊は迎撃態勢を急いだ。


 敵は艦船ではなく、空中を自在に飛び回る小火竜だ。

 リーベル海軍はこれほど速い敵と戦ったことがないが、怯みはしない。

 なぜなら、


「来たか!」


 艦長の視線の先、後方より水精を搭載し直した艦たちがやってきた。

 小火竜隊を制する水精艦だ。


 水精艦はいまの攻撃を見ていたので、水幕を展開済み。

 水力弾の装填も完了しており、遠ざかっていく小火竜の背後を狙う。

 だが……


 ボンッ!

 バチィィィッ!

 バキバキッバキッ!


 到着早々、四隻の水精艦に溜雷が各一発ずつ直上から襲いかかった。


「な、何っ⁉」


 四隻には敵が見えていなかった。

 溜雷の青白い光が接近してようやく攻撃に気が付く有様だ。

 剣王も水精艦も、操るのは人間だ。

 人間が攻撃に気付かなければ、世界最強の魔法艦といえども人間と運命を共にするしかなかった。


 溜雷が水幕を抜けたら、甲板の薄板があるのみ。

 薄板のすぐ下は核室だ。


 甲板と核室を貫かれた四隻はあっけなく消滅した。

 剣王のように。


「ら、雷球……だとっ⁉」


 火精艦で魔法兵が呟いた。

 そう、敵は小火竜のみではなかった。


 攻撃を終えた隊は急降下から急上昇へ反転し、あっという間に吹き抜けていった。

 レッシバル隊だ。


 可変型は精霊を即時変更できるすごい艦だった。

 とはいえ、単一型でも時間はかかるが精霊の変更はできる……が、あくまでも人間が操る物だった。


 トライシオスの言う通りだった。

 小火竜を見せたら、艦隊は必ず水精艦を出して来る。

 だから、その水精艦を制するのがレッシバル隊の役割だった。


 遠征艦隊、残り三三隻。



 ***



 前衛艦隊とキュリシウス型の全滅後も、遠征艦隊は戦意を喪失してはいなかった。


 彼らには、世界中の海に睨みを利かせてきたという誇りがあった。

 それに、剣王と違って時間が掛かってしまったが、火精艦の一部を水精艦に変更できた。

 まだ武器があるのに降参などするはずがなかった。

 尤も、降参したくなっても白旗がない艦隊なのだが……


 攻撃態勢が整った小竜隊は、高空と低空から襲い掛かった。

 雷竜隊の存在が知られたいま、もう高度を気にする必要はない。

 低空から高空へ、高空から低空へと変幻自在に飛び回り、リーベル兵たちを翻弄する。


「敵は速いぞ、よく狙え!」


 砲術士官たちは指揮刀を構えた。

 竜とはいっても小竜ではないか。

 ただすばしっこいだけのひ弱な的だ。

 魔力砲の砲撃が当たりさえすれば、一撃で落とすことができる。

 ……と砲兵や魔法兵を励ますが、そのすばしっこいだけのひ弱な的に当たるだろうか?


「撃てぇぇぇっ!」


 ドォンッ! ズドォンッ! ドドォン!

 ドン、ドン、ドン!

 ドォン! スドンッ!


 砲撃が始まった。

 沢山の艦たちが左右両舷で火を吹く様はものすごい迫力だ。

 ただ……

 小竜たちに一発も当たらない。


 小竜に遠くから撃っても躱される。

 引き付けてから撃てば、動きが早すぎて狙いが定まらない。

 魔法兵による誘導射撃でも追いきれない……


 小竜隊が止まらない。

 第一小隊が遠ざかったと思ったら、第二小隊がもう至近距離へ迫ってくる。

 これに対応しようとしていると、背後から第三小隊の攻撃を受けてしまい、壊れた核室からサラマンダーが這いずり出てくる。


 切り札の水精艦もダメだ。

 火竜隊を撃退しようと前進するが、すぐに雷竜隊が飛んでくる。


 はっきり言って艦隊に勝ち目はなかった。

 でも誰も降参を口にしない。


 白旗がないから?

 いや……


 仮に白旗があっても、リーベル海軍は掲げない。

〈海の魔法〉は開祖ロレッタ卿以来、常勝無敗だった。

 その長い歴史を終わらせる決断など誰にもできなかった。


 それに……

 命乞いをするには血を流しすぎた。


 最強であるために、今日まで皆殺しをどれだけ重ねてきたことか……

 他人の命乞いを許さなかったのに、自分たちの命を勘弁してもらえるわけがない。

 白旗を撃てと命じた者たちとその命令を遂行した者たちは、皆、覚悟を決めていた。


 レッシバルたちも降伏勧告する術がない。

 よって、両者は最後まで戦うしかなかった。



 ***



 戦いには厄介な循環がある。


 相手が攻撃してくるから反撃せざるを得ない。

 相手の戦意が喪失したか確認しようがないので、攻撃をやめるわけにはいかない。


 戦場でこの二つが巡り始めると、戦いはどちらかが全滅するまで終わらなくなる……


 水精艦を全滅させたレッシバル隊は火精艦退治に加わっていた。

 艦隊外縁部にいた艦を襲ったかと思えば、次は内側にいる艦を襲う。


 遠征艦隊、残り二〇隻。


 魔法艦が刻々と消滅していくが、陽も刻々と西へ向かっていく。

 小竜隊は焦っていた。

 なので、艦旗を確認していない。

 丁度良い位置にいる敵艦を手当たり次第攻撃していた。


 小竜隊にとって、通常時どこの海域を担当している艦なのかを把握する必要がなかった。

 すべて遠征艦隊だ。

 攻撃対象だ。

 だからレッシバルは艦隊中央にいた敵艦に狙いを定めた。


「目標、正面の魔法艦! 核室を狙う!」

「二番、了解!」

「三番、了解!」

「四番、了解!」


 砲撃を回避するために低空へ突入する。

 すると早速、砲音と銃声が追い払おうとしてくる。


 ドォンッ! ドドドォンッ! ドンドンッ!

 パパパッ! パァンパパァン! パァンパパパッ!


「針路このまま! 全騎、撃ち方用意!」

「二番、用意よし!」

「三番、用意よし!」

「四番、用意よし!」


 各雷竜のあぎとが開いた。

 魔力砲や長銃は装填中だ。

 第二射は間に合わなかった。

 今度はレッシバルたちの番だ。


「一番、撃てぇぇぇっ!」


 フラダーカが発射すると直ちに上昇し、二番騎に空ける。


「二番、撃てぇぇぇいっ!」


 と、四番騎まで続き、敵艦に溜雷の四連撃を叩き込む。

 本来、五連撃のところを四連撃になっているが、その代わり、一発を大きく作らせているので威力は十分だ。


「!」


 上昇するレッシバルが振り返ると、他艦にない旗が見えた。

 甲板には、他の者たちより豪華な軍服に身を包んだ軍人の姿も。


 ——もしや、旗艦か?


 だが伝声筒に向かって、旗艦撃沈を宣言しなかった。


 この戦いは遠征艦隊の全滅、若しくは降参させるまで終われない。

 でも敵艦隊に降参の兆しは未だ見えない。

 ならば消滅させた艦が旗艦だったかどうかは、あまり重要ではなかった。


 攻撃を終えた雷竜隊は上昇し、高度を上げていく。

 次は高空からだ。


 高空に辿り着いた四騎は次の溜雷の用意を整え——

 レッシバルの右手が上がった。


「降下用意っ!」



 ***



 戦いは不幸な出来事であり、良いことなどあり得ないが……

 ラーダが戦闘に加わっていなくて、本当に良かった。


 レッシバルが「もしや」と疑った通り、他艦にない旗は将官旗だった。

 つまり遠征艦隊旗艦だ。


 ラーダは魔法感知に専念するため、戦闘には加わらなかった。

 だが宿屋号での作戦会議において、レッシバルたち四騎を先導した後、雷竜隊に加わる案もあった。

 もしかしたら、ミルアベルトが乗っている旗艦をラーダが消滅させるということもあり得たのだ。


 直に友人同士の殺し合いにならなかったことだけは、本当に良かった……


 こうして戦いは終わった。

 小竜隊の猛攻によって無敵艦隊は全滅した。

 午後の日差しが夕暮れの色に変わっていく頃のことだった。


 繰り返してきた皆殺しの罪深さを思ってか、あるいは覚悟を決めたためか。

 遠征艦隊は、最後の一艦まで戦い抜いた。


 対するレッシバルたちは……

 やりたくなかった。

 やりたくはないが、降参を薦める術も余裕もなかった。


 小竜がくたびれていた。

 魔法攻撃を躱すために高速で飛びすぎたし、炎と雷を吐かせすぎた。


 くたびれていたのは竜騎士もだ。

 全員、最低一回ずつ空中で吐いており、顔色が悪い。


 その上、砲撃は一向に止まず、夕刻の前に小竜隊が力尽きるのが早いかもしれない。

 だから……


 ……やむを得なかった。


 戦いが終わって、レッシバルは巻貝で巣箱に連絡を入れるのだが、大勝利を果たした英雄の第一声は……


「ラーダ、ザルハンス……た、助けに来てくれ……もう動けない……」


 と弱々しいものだった。


 連絡を受けた巣箱艦隊は直ちに北上し、小竜隊を全騎帰艦させた。


 ……そのときの様子をザルハンスは親しい者だけに語る。

 皆、くたびれていて、無敵艦隊を倒してきた勝者には見えなかった。

 まるで敗残兵が落ち延びてきたようだった、と。


 無理もあるまい。

 高空と低空を目まぐるしく行き来し、急旋回、急上昇、急降下……

 こんなことを何時間も続けていたら、竜騎士といえども体調が悪くなる。


 せっかくフォルバレントに勝利の美酒を積んできたのだが、祝杯どころではなかった。

 着艦した小竜から下りるなり海へ吐く者、鞍上で気絶している者……

 無敵艦隊撃破の代償は凄まじかった。


 後に民衆へ語られた「歴史的大勝利に盛り上がった」というのはザルハンスの作り話だ。

 人々が英雄譚を求めているのに、竜騎士全員乗り物酔いで甲板は死屍累々だったと正直に話すわけにもいくまい……


 かくして〈ガネット〉は遠征艦隊に勝ち、アレータ海は無敵艦隊終焉の地となった。

 この勝利により、賢者たちのブレシア人を〈原料〉にする夢は潰えたのだった。

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