第119話「入隊式」

 大陸北東端の岬、昼——


 無敵艦隊出撃の報は帝国各地にも届いていた。

 囮艦隊こと帝国第二艦隊にも。


 艦隊編成はすでに終了済み。

 いつでも迎撃に出られる。

 ところが……


「納得がいきません!」


 出発直前、急に下った提督の命令に多くの兵が反発し、再考を求めた。

 しかし提督は強引に実行し、北東沖から艦隊を出撃させてしまった。


 命令は……

 若者、未婚者、結婚していても子供がまだいない者は退艦せよ、というものだった。


 一応、退艦の理由は伝えた。

 北東の岬に潜んでいる密偵共の掃除と、北岸に上陸したフェイエルム軍の横腹を突くため、掃除が終わったら西へ移動して待機せよ、と。


 ところが、命令は口実だとバレてしまった。

 それゆえ「納得できない!」と騒ぎになってしまったのだ。


 岬で、若者たちの怒りは凄まじかった。


 征東軍を迎え撃つのは準騎士たちだ。

 名ばかりの正騎士共ではない。

 真の大陸最強の騎兵たちだ。

 彼らは弱小海軍の援軍など必要としていない。


 仮に必要だったとしても、その援軍がどうして自分たち海軍の若者なのだ?

 体の良い口実ではないか。

 要するに嘴の黄色い若造よ、と見くびっているのだ。

 無敵艦隊と戦う覚悟はできているのに!


「……フゥ」


 嘘というのは難しい……

 提督の溜め息が苦い。


 皆を見くびっているわけではないし、覚悟が口だけではないことも知っている。

 だからだ。

 知っているからこそ連れて行くわけにはいかないのだ。


 これより先の海には死しかない。

 人生が始まったばかりの若者を、地獄へ連れて行くわけにはいかなかった。

 征東軍も手強いが、必ず死ぬと確定している海よりマシだ。


「どうか命を無駄にせず、しぶとく生き残って帝国を守ってくれ」


 興奮状態の若者の耳にどれだけ残るかわからないが、提督は自らの思いを伝えてから去った。


 艦隊は風を掴んで増速し、岬がどんどん小さくなっていく。

 振り返ると岬に取り残された若者たちが何か叫んでいるが、遠くてよく聞き取れなかった。

 ……頑張れ、と励ましてくれているのだと思いたい。


 総員、岬への敬礼を終えた。

 これより第二艦隊は東へ、無敵艦隊の迎撃に向かう!


 ただ、参謀たちは首を傾げていた。

 帝国海軍の強みは白兵戦だ。

 しかし若者だらけの斬り込み隊の大部分をさっき下ろしてしまった。

 この状態で、どう戦うつもりなのか?


 提督に尋ねても「後で話す」としか答えてくれなかった。



 ***



 ピスカータ村、昼——


 帝国第二艦隊が北東沖から出発した頃、巣箱艦隊も出撃のときを迎えていた。

 ウェンドア沖から西へ発った無敵艦隊が途中で南へ進路を変更すると予測し、巣箱艦隊は先にアレータ島近海で待つ。


 朝から始まった水や食料等、物資の積み込みは昼前に完了。

 後は小竜を浜から各艦に移すだけだ。


 竜騎士たちはそれぞれの騎竜に跨り、次々と巣箱へ飛んでいく。

 レッシバルとエシトスも……

 いや、その前に済ませなければならないことがある。

 家族へ、報告しなければ。


 共同墓の前には、シグ以外の五人が勢揃いしている。

 エシトス、ザルハンス、トトル、ラーダ、そしてレッシバル。

 朝、摘んできた花を供え、静かに祈りを捧げる。


「…………」


 祈りが終わった。


「皆、聞いてくれ。あの日——」


 ザルハンスが代表して眠っている家族へ語りかけた。


 あの日、村を襲った海賊はリーベル派のネイギアス海賊だった。

 名の通り、海賊の首領はリーベル王国、そして王国を操る賢者たちだった。

 抵抗できずに攫われた者たちは模神の〈原料〉にされたか、リンネのようにされた。


「今日、俺たちは出撃する!」


 皆の仇討ちというのもあるが、世界のためにも模神を退治しなければならない。

 もう二度と、


「誰も、ピスカータのような目に遭わないようにっ!」


 語りながら、村が焼き滅ぼされた日を思い出してしまい、最後は涙声になってしまった。

 つられて他の三人も涙ぐむ。


 三人?

 エシトス、トトル、ラーダだ。

 レッシバルは、泣いていなかった。

 ザルハンスの話が終わると、墓の前に片膝をついた。

 そこにリンネが眠っている。


「リンネ、遅くなって済まなかった」


 彼女に詫びながら、懐から何かを取り出した。

 取り出した物は、無敵艦隊出撃の報の横で黙々と作り続けていた何か。

 楕円形の布の両端に縄がしっかりと結び付けてある。

 それは、大小二つのスリングだった。


「スリング?」

「~~~~っ!」


 ザルハンスとエシトスにはわからないが、リンネの臨終に立ち会ったトトルとラーダは大小二つの意味がわかった。

 涙が止まらない。


 スリングはピスカータ探検隊の装備だ。

 新規入隊者が現れると、隊員が作ってあげることで歓迎の意を示してきた。

 大きいスリングはリンネの。

 小さいのはお腹にいた子供の……


 風で飛ばされないよう布の中央に小石を置くと、両端の縄が前後左右へ元気一杯に揺れる。

 まるで母子が諸手を挙げて喜んでいるかのようだ。


「シグが不在なので——」


 レッシバルは立ち上がり、四人を振り返った。


「多数決を取りたい」


 まずザルハンスたちへ事情を説明した。

 これで二人にもトトルたちの涙の理由がわかった。


「リ、リンネ……そうだったのか」

「リーベル派め、何てことしやがる!」


 大小二つのスリングの意味を理解した二人は、涙と鼻水がトトルより酷いことになってしまった。


「そういうわけで、リンネ〈たち〉の入隊を認めたい。賛成の者は挙手を」


 レッシバルは拳を天に掲げた。

 まずは賛成に一票。

 四人は——


「異議なし!」


 さすが探検隊だった。

 息が合っている。

 いや、こんなときだからこそか。

 四つの拳と「異議なし」がピッタリと重なった。


「リンネ、それと……男でも女でも、ピスカータ探検隊へようこそ!」


 少年時代ならともかく、いまのシグが反対するはずはないので、これで決まりだ。

 リンネ母子は探検隊の隊員になった。


 反対者などいるはずがなかった。

 それはわかっている。

 だが、これは大切な儀式だった。

 悔いが残らないよう、出撃前に済ませることができて良かった。


 もう帰ってこられないかもしれないのだから……


 入隊式を終えた探検隊はこれより巣箱へ向かう。

 イルシルトとフラダーカが飛び立ち、ザルハンスたちもボートを漕ぎ出して行った。


 今日は風が強いようだ。

 二つのスリングの縄がいつまでも海に向かって揺れていた。



 ***



 ソヒアムに艦長乗艦を知らせる号笛が鳴り響く。

 ザルハンスたちが帰ってきた。


 小竜隊の収容はすでに完了。

 トトルもフォルバレントに着いたようだ。

 すべての出撃準備が完了した。


 ザルハンスは艦隊内連絡用の伝声筒を握りしめ、息を大きく吸い込んだ。


「全艦抜錨! アレータ島へ向かえ!」


 四隻の甲板に了解と復唱が木霊し、次々と帆が張られていった。


 リーベル艦隊は順風に乗れるから楽だが、迎撃する帝国側はその逆なので大変だ。

 逆風へ向かって真っ直ぐ進むことはできないので、大きくジグザグに航行し、向かい風を斜めに受けて進まなくてはならない。


 それでもアレータ島は、ウェンドア沖から目指すよりピスカータからの方が近い。

 いまから出発すれば、先に到着して奴らを待ち構えることができる。


 風を掴んだ四艦は、東へと出撃した。



 ***



 宿屋号、夜——


 巣箱艦隊が密かにピスカータを発った日の夜、宿屋号はセルーリアス海とは別の海で通常営業だった。

 レッシバルたちのことは気になるが、〈集い〉との関係を疑われないように、女将は努めて普段通りの生活を送っていた。


 今夜も付近を航行していた馴染のお客たちが集まり、楽しそうに呑んだり歌ったりしている。


 付近を航行していた交易商人。

 彼らを獲物と狙っていた海賊。

 さらにその海賊の討伐を任務としている海軍軍人……


 いまにも殺し合いが起きそうな面々だが大丈夫だ。

 皆、宿屋号の規則を知っている馴染客ばかりなので行儀が良い。


 女将は彼らの話し相手になっていた。

 そのおかげで、交易商人からセルーリアス海の情報を得ることができた。


「女将、しばらくはこの辺で商売かい?」

「さあ……でも、どうして?」


 商人は少し前にウェンドアを出航し、セルーリアス海を通り抜けてきた。

 しばらくはあの海に近寄らない方が良いという。


「リーベル王国とブレシア帝国の戦ね……ありがとう、ウチも用心するわ」

「いや、そうじゃないんだ」

「?」


 女将は首を傾げた。

 あの海に、無敵艦隊より警戒を要するものがあっただろうかと思い浮かべる。


 大頭足はそれほど頻繁に遭遇するものではないし、現れたらリーベル海軍がすぐに駆除する。

 強いて挙げるならば封鎖海域の妖魔か。

 でも、海域へ近付かなければ遭遇する危険はほぼない。


 やはりいま警戒すべきは、戦で気が立っている無敵艦隊だと思うのだが……


 しかし商人は首を横に振る。


「もう一つあるじゃないか、台風だよ」

「!」


 彼はもう少しウェンドアで商売をしたかったが、イスルード島南端に台風が近付いていると聞き、急いで切り上げてきた。

 台風の規模と進路によってはウェンドアも暴風圏に入り、足止めを食らってしまう。


「いま頃、島南端は暴風雨だろう。明日には西の洋上へ抜けるらしい」


 リーベル嫌いの女将のことだから、普段から島近海に近付かないと思うが、台風を避けるという意味でセルーリアス海には近寄らない方が良い、という忠告だった。


 ——西の洋上……


 彼女は昔、リーベルで暮らしていた頃のことを思い出した。

 商人の言う通り、島南端は南の海で発生した台風がかすめていく地域だった。


 時々、上陸して南部の街や村に被害を及ぼし、セルーリアス海へ抜けていく。

 その先は確か……

 コタブレナ海やアレータ海まで西進してから北上するのではなかったか?


 台風がコタブレナから北へ進路を変えてくれたら無敵艦隊を直撃する。

 世界最強の大艦隊も台風には敵わない。

 その場合、レッシバルたちが不戦勝になるかもしれない。


 でも、もしアレータ島を経由したら、巣箱艦隊が直撃を受ける。

 激しく揺れる艦内で、小竜たちは大丈夫だろうか?

 正気を失った小竜たちが大暴れを始めたら……


 女将はお客たちへの笑顔の裏で、最悪の状況が思い浮かんで消えなかった。



 ***



 翌日、ロミンガン——


 トライシオスは執政室で書類に目を通していた。

 密偵からの調査報告書だ。

 連邦内のリーベル派を調べさせていた。


「……思っていたよりは少なかったな」


 裏切者の一覧表を一枚、また一枚とめくりながら感想を独り言ちる。

 市民、豪商、海賊、軍人、魔法使い、密偵、そして元老院を含めた評議会議員……

 ありとあらゆるところにリーベル派が蔓延っていた。

 思っていたより多いと思うが……


 彼はいま部屋に一人だ。

 強がりを言う相手もいない。

 よって口にしたのは強がりではない。


 ふと、めくる手が止まった。

 羽ペンに手を伸ばす。

 先端に赤インクを程良く付けて一覧表の一人に印をつけた。


「…………」


 終わるとペンを戻し、ページをめくる。


 確かに、思っていたよりは少ないようだ。

 粛清すべき人数が。


 彼は冷酷な〈老人たち〉だ。

 とはいえ、殺人鬼ではないので無意味な血は流さない。

 さっきから、周囲に対して一罰百戒になる者を選抜していたのだった。


 巣箱艦隊が出撃したいま、彼にできることはなく、皆の勝利を信じながら選抜作業に勤しんでいた。


「ん?」


 ポケットの中で巻貝が振動している。

 取り出そうと突っ込んだ手が触れると、相手の顔が思い浮かんだ。

 女将からだ。


「やあ、あなたからとは珍しいな」


 冷酷な視線を表に落としたまま、声だけが和やかになった。

 シグはウェンドア、レッシバルたちはアレータ島を目指して進軍中。

 一人で退屈しているところだったのだ。

 ……退屈しのぎに粛清対象の選抜というのは、人としてどうかと思うが……


 さて、女将からの通信は昨夜の台風についてだった。


「ほう、コタブレナかアレータに……それはフラダーカたちが心配だね」


 さすがだった。

 女将と同じ心配を述べた。


 アレータ島に直撃したら、小竜にとっては初めての時化になる。

 台風の進路変更がコタブレナからだったとしても、大波がアレータ海までやってくる。


 揺れに不慣れな小竜のためにも、回避できるなら是非するべきだ。


 巣箱艦隊にはトライシオスから連絡することになった。

 アレータ島に直行するのではなく、島から南の洋上で台風をやり過ごすように、と。


「情報を提供してくれてありがとう」


 トライシオスは素直に感謝した。

 台風は恐ろしいが、事前に知っていれば対処できる。


 それにしても……


「あなたが知らせてくれたことに驚いているよ」


 女将は時代の余所者ではなかったのか?


 だが、彼女は余所者について「その通り」と肯定した上で、皆を応援しているゆえの例外だと答える。


「……ほう」


 嘘だ。

 それならザルハンスに直接伝えれば済む。

 トライシオスを経由する必要はない。


 そんな回りくどいことを女将がする理由はただ一つ。

 ザルハンスでは台風のことを知りようがないが、トライシオスなら女将抜きでも台風のことを知り得る立場だったからだ。


「私こそ、あなたには感謝しているわ。あなたが居てくれるおかげで、私は時代に例外を挟むことができる」


 まさか、あの魔女には室内の様子が見えているのか?

 そんなわけはないと知りつつも、トライシオスはつい左右を確認してしまった。


 粛清候補者リストの隣に、別の報告書があった。

 リーベル王国に潜伏している密偵からの報告だ。

 中身は市民の噂や宮廷での噂、それらの噂についての裏取り。

 あとは……


「…………」


 イスルード島周辺の天気についてだった。

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