第118話「出撃前」

 宿屋号での作戦会議は始まってすぐ少々揉めたが……

 危険な目に遭うエシトス自らの賛成によって反対者がいなくなった。

 巣箱艦隊は、無敵艦隊に時間差攻撃を仕掛ける。


 では、その時間差攻撃をどこで仕掛ける?

 セルーリアス海は広い。

 進路を読み違えて、水平線の向こうを素通りされることがないようにしなければ。


 北、中央、南。

 ウェンドアから出撃した遠征軍を、巣箱艦隊はどこで迎撃すべきか?


「帝都沖はどうだろうか? 砲兵隊や陸軍竜騎士団と協力することができる。」


 トトルは帝都沖での迎撃を提案した。

 どの航路をとろうと、遠征軍は必ず帝都を陥落させにくる。

 よって巣箱艦隊はピスカータから北上して、帝国軍の迎撃に加わろう、という堅実な案だ。


 遠征軍とのすれ違いを防ぎ、戦力を集中できるという点では優秀な案だったが、却下された。

 トライシオスだ。


「リーベル本国の模神をどうする?」


 この戦いは、無敵艦隊をやっつけて終了ではない。

 模神を退治し、賢者たちの野心を挫くことが最終目標だ。


 帝都沖では、帝国陸軍と無敵艦隊の長い潰し合いになるだろう。

 そんなところへ出向いて行ったら、乱戦の外側に位置している魔法艦によって本国へ報告されてしまう。


 小竜隊は無敵艦隊をなるべく隠密裏に撃破し、リーベルへ急行してもらいたいのだ。


「それは無理だろう」


 ザルハンスから異議が出た。

 どこで戦おうと、始まったらすぐに小竜を見られる。


「隠密裏に、というのは不可能だ」

「わかっているよ。だから〈なるべく〉だ」


 トライシオスの反論は、軍艦も交易船も乗っているのは人間だ、ということだった。


「ザルハンス、君の初陣のときのことを話してくれないか? できるだけ詳しく」

「初陣? ……いや、それは……」


 思わず口籠る。

 ザルハンスが孤児院を出て、海軍に入り、初めて戦った相手はネイギアス海賊だった。

 その話を飼い主である執政に?


「気にしないでくれ。命令に従わなかった愚か者の末路だ」


 八つ裂きでも、鮫の餌でも、とトライシオスは微笑む。


「そういうことなら……」


 ザルハンスは語り出した。

 とはいえ、特に変わったことはない海賊退治の話だ。

 海賊船を見つけ、追いかけて敵船に乗り込み、白兵戦に勝利した。

 できるだけ詳しくという希望なので、敵船長の容貌など覚えている限りで詳しく述べたが……一体なぜ?


 目を瞑り、終わりまで拝聴していたトライシオスが目を開くと、ザルハンスが怪訝そうに見ている。


「なるほど、まるでその場にいるように状況がわかる詳報だった。でも——」


 でも、そのよくわかる詳報は、戦いが終わったいまだからできるのだ。

 初めて戦う緊張感の中、しかも戦闘中の敵甲板で詳しい報告などできはしない。


「……確かに」


 初回とはそういうものだ。

 初めての戦場。

 初めて見る敵。

 初めて食らう攻撃。


「無敵艦隊にとって、小竜隊は初めて戦う敵なのだよ」


 艦隊内に長距離通信用の伝声筒がいくつかあると思うが、果たしてウェンドアに詳しい説明をしている余裕はあるかな?

 奇襲を受けた混乱の中で……


 しかも奇襲攻撃は一度で終わりではない。

 第二撃、第三撃と続いていく。

 負けるつもりがないリーベル軍は情報を残すことより、小竜隊の撃破を優先するだろう。

 ウェンドアへの報告は後回しになるはずだ。


 それでもいよいよ敗北を悟った者が奇襲を報告してしまうかもしれないが、小竜隊の真価が賢者たちに伝わらなければ良い。

 真価——溜炎や溜雷だ。


 賢者たちに知られたら、模神を起こした状態で巣箱艦隊を待ち構えるだろう。

 模神は眠ったままか、せめて完全に起きる前に仕留めなければならない。


 だとすると、いつも通りの〈漁〉が望ましい。

 短時間の狩りなら、詳しく報告する暇なく終わらせることができる。


 ゆえにトトル案は却下せざるを得なかった。

 無敵艦隊撃破後の模神退治を考えると、帝都沖で陸軍と合流するわけにはいかなかった。



 ***



〈集い〉はトトル案をとれない。

 ならば巣箱艦隊はセルーリアス海へ迎撃に出るしかない。


 北、中央、南……

 無敵艦隊は、どの航路で大陸東岸へ攻め寄せてくるつもりなのか?

 先述の通り、読み違えたら迎撃失敗になる。


 北の航路で来るなら、フェイエルムの征東軍と共にいきなり帝都を陥落させるつもりだということになる。


 南の航路なら、帝国本土を攻める前にアレータ島を確保しに行くということだ。

 三国同盟で決めたことを無視して……


 中央はないだろうと予想する。

 帝都から遠く、砲兵隊の射程外で魔法剣士隊を下ろすことができるが、その辺りにはいまも巡回隊がいる。

 見つかればすぐに騎士団に通報され、精強な準騎士たちが馬を急かしてやって来る。


 魔法剣士隊は恐ろしいが、陸ではやはり騎兵だろう。

 準騎士は魔法で撃たれようが、魔法剣で斬られようが怯まない。

 レッシバルの元同僚たちといえば、その勇猛さが理解してもらえるだろう。

 そんな奴らと戦ったら、魔法剣士隊もタダでは済まない。


 北か南、果たしてどちらか?


 頼る、というわけではないが、皆の視線が女将に集中する。

 本作戦会議において、彼女は空気と化している。

 可能であれば意見を聞きたいのだが……


 しかし、彼女の意思は固かった。


「リーベルの子たちは、どこを目指すのかしらね……」


 知っているけれど教える気がないのか、本当に知らないのか、どちらとも受け取れる苦笑いを浮かべるのみ。


 女将の考えは聞けそうにない、と悟った探検隊は自然とトライシオスへ期待を集める。


 決して面倒な決断を丸投げしたのではない。

 探検隊五名の意見が割れていた。


 レッシバルとエシトスは北、トトルとラーダは南と予想していた。


 ザルハンスは中立だ。

 北か、南か、決めかねていた。

 どちらも五分五分だと思っている。


 北が二票。

 南が二票。

 中立が一票。

 女将は最初から棄権なので、あとはトライシオスの意見で方針が決まるのだ。


 彼はいまのリーベルをよく知る者だ。

 あの国がどれほど思い上がっていて、何を考えているのかを肌で感じてきた。

 これらを踏まえた上で予想する、無敵艦隊の進路は……


「南だと思う」


 根拠は、ウェンドア会談だ。

 リーベル外務大臣からアレータ島への執着を感じた。

 会談中、何度も領有を認めるよう迫ってきたし、帝国への宣戦布告にもアレータ島のことが記載されている。


 対帝国戦でネイギアス海自由航行権は不要だが、アレータ島はそれ以上に不要なものだ。

 にも拘わらず欲しがるのは、帝国を滅ぼした後は対連邦戦に移行するつもりだからだ。

 そのときアレータ島がリーベル軍の泊地になっていれば戦に有利だ。


 どうしてネイギアスが……と白々しいことは言わない。

 リーベルから、帝国の次に滅ぼしてやりたいと思われる心当たりはいろいろある。

 その心当たりの中から今回該当するのは、模神にとって邪魔な国だからだ。


 ブレシア人を確保できたら、模神作りがかなり捗るはずだ。

 もしかしたら完成するかもしれない。

 そうなると〈もう一つの魔法先進国〉が邪魔になる。

 つまりネイギアスだ。


 ネイギアスの英知を結集すれば、模神を破壊できる術を編み出せるかもしれない。

 実際にできるかどうかではなく、その可能性があるだけで賢者たちは気になるだろう。

 危険な芽は早めに摘んでおきたい。


「よって、遠征艦隊はアレータ島を目指して南寄りの航路を通ると予測する」


 これで南が三票。

 巣箱艦隊は帝都沖ではなく、アレータ島へ出撃することになった。



 ***



 作戦会議の間、女将は自らが宣言した通り、何も語らなかった。

 最後に「宿屋号から皆の健闘を祈っているわ」とだけ。


 彼女は常々、時代の余所者だと自称している。

 ゆえに、後世の人間の決断には口も手も出さない、と。


 それは立派な心掛けだと思うが、時と場合による。

 いまは世界が模神に滅ぼされるかもしれないというときだ。

 少々、頑固ではないだろうか?

 見た目が若くても、やはり老いた魔女だったか。


 ……いや、そうではない。

〈時代の余所者〉に拘るなら、そもそも執政とシグたちを引き合わせはしない。

 彼女はお人好しなのだ。

 困っている人を助けようという積極的な人間だ。


 では、なぜ作戦会議では消極的な態度を取り続けたのか?

 それは、彼女にも遠征艦隊の進路が読めていないからだった。

 皆の縋るような視線には気付いていた。

 だからこそいい加減なことは言えなかった。


 彼女が断定的なことを言えなかった理由——

 それは、リーベルがこちらほど作戦を練ってはいないからだった。

 練る必要はないのだ。

 出会えば勝てるのだから。


 トライシオス案のように、アレータ島を押さえてから帝都へ向かうかもしれない。

 レッシバル案のように、まずは帝都を陥落させようとするかもしれない。

 リーベルにしてみればどちらが先でもいいことだった。

 どうせ、帝国も連邦もこの遠征で滅ぼすのだから。


 つまり進路は決まっていない。

 昨日までアレータ島占領を目指していたのに、今日は気が変わって帝都へ向かうかもしれないのだ。

 いかに大魔女でも、気まぐれで変わっていく進路を読むことはできなかった。



 ***



 作戦会議が終わって、ピスカータは忙しくなった。

 皆、いつでも出撃できるよう、準備に余念がない。


 まず騎竜だが、かつて野生動物そのものだった小竜たちは〈漁〉で精鋭に鍛え上げられていた。

 体調も心も問題なし。


 次に竜騎士。

 海の竜騎士が何より心掛けなければならないのは、小竜の機動力を妨げないことだ。

 鉄の鎧はやめて皮革の鎧にしたが、武器だけは変えられない。

 小型連弩やカイリー、各種手投げ弾は空に持っていく。


〈巣箱〉は、時間差攻撃により小竜隊の番号を変更した。

 これまでは旗艦ソヒアムのレッシバル隊が第一小隊、二番艦のエシトス隊が第二小隊、以下三番艦、四番艦と出撃順に番号を付けていたが、この番号を変えた。

 新たな出撃順に従い、エシトス隊が第一小隊で以下続き、レッシバル隊を第四小隊とする。


 フォルバレント号は補給艦として艦隊に随伴する。

 トトルと船員たちの積み込み作業の掛け声がピスカータで最も大きく、そして多かった。


 反対に、最も静かなのはレッシバルだった。

 一番早く準備を終えると、少し離れたところでコソコソと何かの工作を始めた。

 材料は布と縄。

 竜騎士に関する道具だろうか?


 ピスカータでは着々と出航準備が整っていった……


 そんなある日、ウェンドアのシグからザルハンスの巻貝に連絡があった。

 朝、前衛艦隊を先頭に、遠征艦隊が西へと出発した、と。


 ついに動き出した。

 無敵艦隊が出撃した。


「…………ゴクリ」


 ザルハンスの巻貝に集まった皆が息を呑む。


 いつか来るとわかっていたし、そのための準備を整えてきた。

 自分たちの力がリーベル派に通用するとわかったし、魔法艦にも通用すると信じている。


 それでも、これからそっちへ行くぞと宣告されて、緊張しない者はいなかった。

 ……一人を除いて。


 レッシバルは黙々と作業を続けていた。

 少し離れてはいるが、ちゃんと巻貝の声は届いている。

 シグの声が聞こえなかったわけではない。

 それでも作業の手が止まることはなかった。


 ——早く仕上げなければ……


 レッシバルは一体何を作っているのか?

 それは出撃の日にわかる。

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