第117話「非情な作戦」

 リーベル王国が帝国へ宣戦布告した日の午後——

 宿屋号にて作戦会議が行われた。


 探検隊はシグ以外の全員が参加する。

 給仕たちがボート二艘で迎えに来てくれたので、三人と二人に分かれて乗り込んだ。

 行き先は……どこの海だろう?

 きっと遠くだ。


 ピスカータの浜からしばらく漕いで行くと、以前味わったのと同じ違和感が来た。

 太陽や雲の位置が一瞬で変わり、ピスカータの海とは違う青空が広がっていた。

 空間転移だ。


 違和感の後、知らない海で宿屋号が待っていた。

 迷信の船を初めて見たときは驚いたが、もう慣れた。

 そしてこの男にも……


「久しぶりだね、皆」


 甲板でトライシオスが待っていた。

 ……前言を撤回する。

 やっぱり慣れん。


 相変わらずふざけた笑顔だ。

 慣れないし、これからも慣れることはないだろう。

 だが、仲間としては信頼している。

 巣箱艦隊を隠すために自らウェンドアへ赴き、命を狙われながら〈漁場〉を守ってくれた。


 おかげで今日という日を迎えることができた。

 五人は並んで席に着き、トライシオスは向かい合うように着席する。


「あれ? 女将はどこに?」

「…………」


 ザルハンスがキョロキョロと探すが、彼女の姿はどこにもない。

 ボートを空間転移させてくれたのだからこの船にいるのは確かだが、先に着いていたトライシオスも目を伏せて答えない。


「……悪い質問だったか?」


 不安から質問を重ねると、首を横に振りながら顔を上げ、


「いや、悪くはないが——」


 肝心なのはその先だ。

 しかし探検隊の背後から近付く何者かに気付き、そこで途切れてしまった。


 五人が一斉に振り返ると、


「!」


 女将がトレイにお茶の用意を乗せて立っていた。


「お茶の用意が遅れてごめんなさい」


 と一言詫びながら、一同にお茶を注いでいく。

 一杯、二杯、三杯……


「女将?」


 彼女が七杯目を注いでいるのを見て、トライシオスが困惑している。


 ——?


 探検隊五人には事情が見えず、互いに首を傾げ合う。

 彼女も〈集い〉の一員だ。

 合計七杯で間違いないと思うのだが。


「安心して。作戦会議の邪魔はしないわ」

「いや、邪魔ではないが……いいのか?」


 邪魔?

 何が邪魔なのか、五人はさっぱりわからない。


 トライシオスは困り顔だ。

 今日の会議は女将抜きで進めるつもりだったらしい。

 だって、今日の議題は……


「…………」


 女将はお茶に一口つけると静かに置き、全員を見渡した。


「トライシオスの思いやりに甘えて、船長室に居ようかと思っていたのだけれど——」


 やっぱり会議に同席すべきだと思い直し、部屋から出てきたのだった。


 現在、リーベルで〈海の魔法〉と伝わっているものは間違っている。

 彼らの目標は世界最強になること。

 海の三賢者の目標は生き残ること。

 二つの目標が一つに重なることはない。

 だから女将が彼らを弟子だと思ったことはない。


 けれど、彼らの努力を否定するつもりもない。

 いつか最強の〈海の魔法使い〉になりたいという目標は間違っていたが、そのために積み重ねていた努力は本物だ。

 そのひたむきさが悲しかった……


 師匠ではないが、己が切っ掛けを作ってしまった間違いの顛末を見届けよう。


「聞かせてもらうわ。〈海の魔法〉がどうやって滅ぼされるのかを……」



 ***



〈海の魔法〉の滅ぼし方を静聴する。


 女将はその言葉通り、何も語らなかった。

 ただ静かに、皆の話に耳を傾けていた……


「コホン」


 皆、彼女に見入ってしまっていたが、一つの咳払いが皆を会議に引き戻した。

 トライシオスだ。


「……それでは始めよう」


 彼のおかげで思い出した。

 ここへは会議に集まっていたのだ。

 女将に集中していた意識がトライシオスへ移った。


 まずは状況の確認から。

 テーブル中央に海図を広げ、模型を置いていく。


 敵はリーベル海軍セルーリアス艦隊を中心とする連合艦隊。

 総勢六四隻。

 内、四隻は新型だ。

 ……船の模型が多すぎて、ウェンドア沖に収まりきらない。


 対する我が方は、巣箱四隻と雷竜小隊一、火竜小隊三。

 合計二〇騎のみ……


 並べてみると、圧倒的に不利なのだと思い知る。

 有利なのは、院長先生以外誰も巣箱艦隊に気付いていないことだ。

 この有利を活かすために、


「奇襲を仕掛けたいのだが……」


 できれば曇りの日に戦いたい。

 南航路で連戦連勝だったのは、リーベル派が戦闘を予定していなかったからだ。

 敵の不知に隠れて接近することができた。


 だが今度の敵は違う。

 最初から戦闘を予定している遠征艦隊だ。

 海だけでなく空にも警戒を怠らないだろう。


 なぜならこの遠征を各国が注目しているのは、魔法艦と陸軍竜騎士団の対決だからだ。

 晴天の中を近付けば、たとえ高空でも見つかってしまうだろう。


「よって、雲に隠れながら敵艦隊に接近したい」


 探知円に触れるギリギリまで雲の中を進み、一気に襲いかかりたい。

 奇襲は初撃が肝心だ。

 初撃が上手くいけば敵が浮き足立ち、第二撃、第三撃と繋げていくことができる。

 理想は不意打ち、それが無理なら可能な限り敵が無警戒の状態のまま接近したい。


 しかしこれは曇りの日の話だ。

 だからレッシバルとエシトスが一斉に、


「晴れの日は?」


 二人は小隊を率いる現場指揮官だ。

 晴れの日は隠れる雲がないので、リーベル派の船尾高空から接近し、より急角度で仕掛けるようにしていた。

 晴れの日の奇襲は、それほど神経を使うものだった。


 無警戒のリーベル派でも大変だったのに、今度の相手は警戒態勢でやってくる正規軍だ。

 晴れの日についての対策があるなら是非知りたかった。


 謀略に長けた〈老人たち〉の筆頭が考える、晴れの日の奇襲法とは?

 皆の視線が集まる。

 女将も注目している。


「…………」


 トライシオスは集まる視線一つ一つと目を合わせ、息を吸い込む。

 期待がヒシヒシと伝わってくる。

 それだけに申し訳ない。


 晴れの日、セルーリアス海上空を見つからずに接近する術は……


「ない」


 あちこちから落胆の溜め息が漏れるが、仕方あるまい。

 見晴らしの良い青空や海に銀色の群れが現れたら必ず見つかる。

 飛び方の巧拙では誤魔化せない。

 その上、探知円もあるのだ。


 晴れの日、火竜小隊は低く飛ぶしかない。

 艦砲を避けながら接近し、速さと変則飛行で勝負だ。


「ん? ちょっと待ってくれ」


 レッシバルが気付いた。

「小竜隊」と言われたら雷竜・火竜両隊だが、いまの話は「火竜小隊」と限定した。

 では、雷竜小隊は?


「雷竜小隊は……」


 トライシオスは言いかけたが、暫し黙ってしまった。

 ……策はある。

 あるが、伝えるのに躊躇いを感じていた。


 策は、決して難しいものではない。

 フラダーカなら簡単にできる。


 問題はレッシバルだ。

 果たして可能だろうか?

 仲間思いのこの男に……



 ***



 トライシオスは、ウェンドアで剣王を見た日からずっと考えていた。

 キュリシウス型を破れなければ、〈集い〉が敗れる。

 状況に合わせて、艦内の精霊を素早く切り替えるあの即応性を封じる術はないか?


 彼は見事その術を編み出した。

 巣箱艦隊が取り得る最善の策だ。

 いつもながら合理的で非の打ち所がない。

 そして〈老人たち〉らしい冷酷さがあった。

 だから……


「そんなことはできん!」


 作戦内容を知るや、レッシバルは拒絶した。


 奴隷船に落とす降伏勧告文の『奴隷諸共』は受け入れた。

 リンネ諸共と記しているようで嫌な文言だったが、言葉の意味に拘泥せず、救出を第一にというのは理解した。


 だが今日の話は無理だ。

 火竜隊を囮にするなんて!


 ——やっぱりこうなってしまうか……


 トライシオスの前では、四人の男たちが席を立ち、揉め始めている。

 作戦を断固拒否するレッシバルと、彼を宥めるザルハンスたち三人だ。

 宥めてはいるが、作戦に賛成しているわけではない。

 一人の興奮で会議が中断してしまっているので、落ち着かせようというだけだ。


 エシトスはどちらにも加わっていない。

 作戦を聞き終えた後、考え込んでしまった。


 トライシオスが予想した通りの荒れ方だった。


 探検隊には絆がある。

 絆はここまで小竜隊を育むのに有益だったが、ここからは作戦の妨げになりかねなかった。


 戦では、敵の骨を断つために、味方の肉を切らせる非情さが必要になる場合がある。

 その非情さをレッシバルに期待するのは無理だったか……


 探検隊が荒れる原因となった作戦。

 それは——

 時間差攻撃だった。



 ***



 トライシオスが考案した時間差攻撃とは……


 まずエシトス率いる火竜三個小隊が先発し、リーベル艦隊の注意を引き付ける。

 艦隊から様々な魔法攻撃が飛んでくるが、機動力を活かして躱しつつ魔法艦を撃破していく。


 手を焼いたリーベル軍は火竜隊に対処するため、キュリシウス型を前に出してくる。


 火精艦を水精艦に変えてくることも考えたが、それでは時間が掛かりすぎる。

 グズグズしていると魔法艦が次々と潰されてしまう。

 早く食い止めたければ、素早く精霊を切り替えられる剣王を出すしかない。

 剣王なら一瞬で水精艦に変化できる。


 それが狙いだ。

 変幻自在なキュリシウス型だが、襲撃者が火竜隊のみと思わせることができたら、ずっと水精艦のままでいてくれるだろう。


 水を破るには雷だ。

 レッシバル隊は少し遅れて、高空から戦闘海域へ向かう。

 雷竜小隊は、水精艦になった剣王四隻を葬る係だ。

 水精艦の状態なら、沈めるのに溜雷五発は要らない。

 一発で水の障壁を突き破り、艦内隈なく電撃が走る。


 剣王は四隻。

 雷竜小隊は五騎

 一騎が一艦ずつ撃ち込めば、初撃で四隻纏めて仕留めることができる。


 もし初撃をしくじったら……

 剣王が雷もあると知り、以後、火炎も雷も防がれてしまう。

 予定していた短期決戦は長期戦に変わるだろう。

 長期戦に向かない小竜隊は敗北する。


 ゆえに剣王が出てくるまで、敵に雷竜隊の存在を知られてはならない。

 火竜隊の初撃は急降下攻撃でも良いが、以後はできるだけ水平攻撃を仕掛け、敵に真上を向かせないようにしなければならない。

 戦況次第では、高空へ逃れなければならない場面があるかもしれないが、雷竜隊とは逆方向へ上昇するよう注意を要する。


 この作戦は晴れでも曇りでも共通だ。

 火竜三個小隊は囮として、敵兵の視線を水平に維持し続けなければならなかった。

 剣王が出てくるまで……


 レッシバルが怒るのも無理はなかった。

 あまりにも非情な作戦だ。

 剣王がいつ出て来るかわからないまま、エシトスたち一五騎が敵射程内に留まり続けなければならないなんて!


 でも、成功すれば見返りは大きい。

 剣王四隻を一瞬で失い、その動揺から立ち直れない内に無敵艦隊は壊滅するだろう。

 その後、巣箱艦隊をイスルード島西岸沖へ進めることができる。

 シグが待つ、リーベルへ。


「ふざけるな! こんな滅茶苦茶な作戦があるかっ!」

「落ち着けよ、レッシバル!」


 ——滅茶苦茶な作戦……


 どうすればキュリシウス型の精霊を一種類に固定できるか。

 同時に、皆の生存率も高めたい。

 この二つを満たす奇策は、三国同盟を締結したトライシオスが帰国途上で何日も悩み抜いて生み出したものだった。


 それを、いとも簡単に滅茶苦茶な作戦と……


 僅かでも不愉快さを感じなかったといえば嘘になる。

 しかし彼はレッシバルを咎めはしなかった。

 最初から探検隊に物分かりの良さは求めていない。

 そういうものが欲しかったら〈老人たち〉と仲良くしている。


 だが〈老人たち〉は物が分かりすぎて、人間味が感じられない。

 敵だけでなく、味方に対しても非情すぎる。

 だからいつ〈切り捨て〉られるか、背後が心配でネイギアスの将兵は前面の敵に集中できない。


 作戦遂行には非情さが必要だが、勝つには非情さだけでは足りない。

 信頼が必要なのだ。


 信頼は絆と言い換えることもできる。

 絆は味方同士の連携に欠かせない。

 一人一人は弱小でも連携できれば大きな力となり、無敵艦隊にだって勝てる!


 絆がなければどんな作戦も成立しない。

 ゆえに探検隊の絆は絶対に必要だった。


 レッシバルは怒っているが、絆を捨てろとは一言も言っていない。

 ただ、絆だけでなく非情さも併せ持ってくれとお願いしているだけなのだが……


 トライシオスは知恵を巡らす。

 シグ不在のこの状況で、どうやって理解してもらおうか。

 どんな言葉なら理解できるのか、と。


 だが、助け舟は思いがけないところから出た。


「滅茶苦茶……か……」


 腕組みをして、考え込んでいたエシトスだった。



 ***



 エシトスの声は丁度、レッシバルたちの怒鳴り声と怒鳴り声の間だったので、皆の耳に入った。


 腕組みを解き、取っ組み合ったまま動きが止まった四人の方を向く。


「配達屋という仕事は——」


 エシトスは配達屋の仕事について語り出した。


 配達屋は大変な仕事だ。

 辺境へ届けるのも大変だが、帝都では似たような家々から配達先を見付けるのが大変だ。


 それでも配達先があれば良い。

 時には病死等で配達先がなくなっている場合もあり、依頼人へ荷を返しに戻らなければならない。

 無駄足を踏ませてしまったと労ってくれる者もいるが、依頼が完遂されなかったことを詰る者の方が多い。

 ……過酷な仕事だ。


 そして、ただでさえ過酷な仕事をさらに過酷にするのが、速達依頼だ。


 速達依頼の報酬は多いが、滅茶苦茶な期日を指定される危険な仕事……

 知らない者は、断れば良いのにと思うかもしれないが、仕事を選べるほど余裕のある配達屋はいない。


 速達の期日を守るには近道を通るしかない。

 人が通わぬ獣道を。

 そのような場所はモンスターの狩場だったり、山賊の縄張りだったりする。


 領域へ踏み入れば、配達屋と捕食者の鬼ごっこがすぐに始まる。

 日が暮れるまで。

 夜が明けるまで。

 配達屋が諦めるか、捕食者が飽きるまで地獄の鬼ごっこが続く。

 これが、速達依頼だ。


 配達屋エシトスは〈滅茶苦茶〉が日常だった。

 滅茶苦茶な鬼ごっこを生き抜いてきた。

 だからレッシバルほど悲観的ではなかった。


「俺はイルシルトとの〈漁〉でわかったことがある」


 船は山賊のように馬の速力で追いかけてこない。

 船と竜が速さを比べたら竜の圧勝だ。

 なるべく高空へ逃れるなというが、小竜の速さを以ってすれば水平飛行でも十分に凌げると思っている。


 そして甲板だ。

 砲撃に耐えられるように舷側は頑丈だが、甲板があれほど脆いとは思わなかった。

 真上から撃たれることを全く想定していない。

 つまり、


「俺たちなら勝てるぞ、レッシバル!」


 エシトスは作戦に賛成だった。

 レッシバルに拳を突き出してみせる。

 賛同を求める意だ。


「〜〜〜〜っ」


 降りかかる危険を過小評価しているわけではない。

 戦士が危険を正しく理解した上で作戦に賛成しているのだ。

 これ以上異議を唱えることは出来なかった。


 レッシバルも拳を握り締め、エシトスの拳に合わせた。

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