第116話「親不孝」

 レッシバルたちが帝都へやってきてから一〇日……

 滞在中に院長先生が帰ってくることはなかった。


 巣箱艦隊は予定通り出航。

 帝都沖で兵士たちを一人残らず巡洋艦へ移した後、ピスカータへの帰路に着いた。


 もし探検隊が「恩人は誰か?」と問われたら、迷わず答える。

 生んでくれた両親と育ててくれた院長先生だ、と。

 出撃したら生きて帰れるかわからない。

 最後に一目会いたかった……


 でもいまは、会えなくて良かったのかもしれないと気持ちを切り替えていた。

 院長先生は子供たちが正騎士になることに反対だったが、その他の兵士になることにも否定的だった。


「命を大切にしなさい」


 これが先生の口癖だった。

 レッシバルの準騎士とザルハンスの海軍行きに反対しなかったのは例外だったのだ。

 それも反対しなかっただけで、積極的に応援してくれたわけではなかった。


 そんな先生に「無敵艦隊を倒してくる」と告げたらどうなるか……


 会えなくて良かったのだ。

 帝都から遠ざかっていくにつれ、次第に薄れていった。

 三日もすれば、完全に頭の中は切り替わっていた。

 いまはもう東のことしか考えていない。


 だからピスカータに着いた時、驚いて声が出なかった。


 各艦から下ろされたボートで浜に近付くと、二人の人影が見えてきた。

 一人が手を振っている。

 留守を任せていたトトルだ。

 その隣に白髪の老人が立っている。


 誰だ?

 村に老人はいなかったはず。


 だが、ぼんやりした人影ではなく表情まで分かる位に近付くと、老人の正体がわかった。


「……どうして?」


 エシトスが呟くが、隣のレッシバルの耳には入っていなかった。

 それどころではない。

 老人が眼光鋭くこちらを睨みつけ、怒りの〈気〉が全身から立ち上っている。

 院長先生だった。



 ***



 ボートが次々と浜に着いた。

 竜騎士たちはすぐにそれぞれの小竜の様子を見に行く。

 騎竜の心配というより、隊長たち五人と老人の只事でない雰囲気を恐れて逃げた、というのが正しい。


 睨まれて下りにくいレッシバルたちは、自然と最後になってしまう。


「下りないのか? 仲間たちは皆下りたぞ」


 いつまで経っても下りてこないので、院長先生から声を掛けられてしまった。


 トトルによると、先生がやってきてから今日で二日目になる。

 皆が帰ってくるのを待っていてくれたのだ。


 会いたかった人に会えたのだ。

 喜ぶべき場面なのだが……


 五人は素直に喜べなかった。

 先生と会いたかったのは帝都の孤児院であり、小竜隊の基地と化しているピスカータではなかった。


 いまの五人の心境は、悪戯がバレて怒られる前の悪ガキに似ている。


 下りたくない。

 下りる足が重たい。

 足以上に気持ちが重たい。


 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。


「…………」


 観念した四人はボートから下り、トトルに続いて横一列に整列する。

 誰に指図されることもなく自然と横一列になったのは、さすが探検隊だといえよう。

 怒られ慣れている。


 ……いや、少し違う。


 確かに探検隊は多くの大人たちに怒られてきた。

 ただし孤児院で怒るのは先生たちだ。

 院長先生ではない。

 彼は、散々に怒られた子供を最後に教え諭す係だった。


 しかし、皆もう大人だ。

 悪戯などするはずがなく、わざわざ帝都から旅をしてまで怒られる覚えはなかった。


 しかもその怒りの中心人物はレッシバル……なのか?

 五人を一通り睨んだ後、怒りの視線が集中していた。


「あ、あの……先生……」


 恐る恐るラーダが尋ねた。

 とにかく何に怒っているのかを明らかにせねば。


 対する院長は、睨みつけるのをやめて村を見渡した。


「ピスカータは漁村だったと聞いていたが、漁業から小竜種の繁殖に切り替えたのか?」


 誰もはっきりと答えることはできない。

「いや」とか「まあ」と濁すばかり。


「…………」


 レッシバルは誤魔化しには加わらなかった。


「いや」の後には「違う」が続く。

 では何のために小竜の面倒を見ているのか、と質問が追加されてしまう。


「まあ」の後にはいろいろな言葉を繋げることができるが、どの組み合わせであっても嘘にしかならない。


 恩人に嘘は吐かない。

 レッシバルは黙るしかなかった。


 その沈黙が、院長にとっては返答となった。

 小竜種の繁殖業者になったのかという質問に対して「そうだ」とは答えずに沈黙した。

 答えは「違う」だ。


 ——そうか……やはり「違う」か……そうか。


 院長は宿屋号の贔屓客ではない。

 それでも真実の半分は解き明かしていた。

 半分とは〈ガネット〉と〈巣箱〉の正体についてだ。


 リーベルが何も掴めないのは相手を侮っているからだ。

 侮る気持ちがなく、預かっていた孤児の行く末を案じる院長にとって、さほど難しい謎解きではなかった。



 ***



 院長は〈ガネット〉と〈巣箱〉の正体について解き明かしていた。

〈ガネット〉とはこの村で飼育している小竜を指し、〈巣箱〉とはあの四隻の補給艦のことだ。


 謎解きの切っ掛けはレッシバルだった。

 ある日、知り合いから孤児院に報せが入ったのだ。

 彼が、騎竜を奪われた元竜騎士に夜な夜な殴られているらしい、と。


 レッシバルの身に何か良くないことが起きているのか?

 ならば親代わりとして救いたい。


 そう想った院長は、密偵を雇って調べることにした。

 大貴族なのでそれくらいの財力はあった。


 密偵といっても帝国人だ。

 ネイギアスの密偵のような常人離れした優秀さは期待できない。

 結局、殴られている直接の理由は掴めなかった。


 だが、失敗だったわけではない。

 気になる情報を持ち帰ってきてくれた。

 その情報とは、レッシバルが必死に訴え続けた言葉だった。


「一緒に、ガネットを捕獲しよう!」


 ガネット……

 帝都に流れている一つの噂話。

 都落ちした竜騎士が、海辺でガネットに巣箱を作ってやりながら暮らしているという。


 同じガネットという言葉がレッシバルの口から出た。

 孤児院を出るまで、鳥に興味がある子供には見えなかったが……


 竜騎士団を追放されてからガネットの保護に目覚め、仲間を募っているというのか?

 夜な夜な殴られてまで?


 院長はこのガネットという奇妙な一致が気になり、都落ちする竜騎士にも密偵をつけた。


 あとは簡単だった。

 ガネットが何を意味しているのかがわかれば、巣箱の意味もすぐにわかった。

 知ることさえできれば何も難しいことはない。


 それから、南部から帝都へ送られてくる孤児が急速に減った。

 南岸の村や街が海賊に襲われなくなったからだ。

 ……レッシバルたちのおかげだ。


 噂の内、〈ガネット〉については海賊退治のためだと理解した。

 わからないのは〈巣箱〉だ。

 陸軍の大型種には劣るが、小竜種の航続距離も短くはない。

 ピスカータを中心に小竜を飛ばした場合、南岸の帝国領をすべて守ることができる。

 海賊退治に〈巣箱〉は不要だ。


 なのに噂話からいつまで経っても〈巣箱〉が消えない。

 だから考え直してみた。

 巣箱が必要になる海賊退治以外の目的とは?


 馬より速く遠くへ飛んでいける〈ガネット〉の航続距離でも足りない遠隔地。

 それも〈巣箱〉で運ばなければならないほど遠くの海へ。

 ……セルーリアス海か?


「繁殖業者でもないのに小竜を集めているのは、敵と戦うため……」


 海賊退治ではない真の目的。

 それは東の大海から来襲する帝国の敵を倒すこと。


「敵は、無敵艦隊だな?」

「!」


 まさか院長先生がピスカータにやってくるとは!

 まさか院長先生に知られていたとは!


 皆の頭の中で「まさか」が溢れ、誰も真面に返事をすることができなかった。

 ある者は俯き、ある者は目を逸らした。

 だが、


「…………」


 レッシバルだけは目を逸らさなかった。

 意地がある。


 ネイギアスの執政と通謀。

 帝国政府に無断で創設した私設軍隊。

 南航路において繰り返された無許可の私掠行為……


 挙げれば帝国に対して悪いことばかりだ。

 だが、これしかなかった。

 無敵艦隊を倒すには奇襲しかない。

 奇襲は敵に知られたらおしまいだ。

 なのに、帝国のあらゆるところに密偵が入り込み、機密を他国へ売り渡す裏切者までいる。

 敵を欺く前に味方を欺くしかなかった。


 できれば、法も人命も両方守りたかった。

 でもどちらか一方しか選べないとしたら……


 レッシバルたちが選んだのは、人命だった。

 ブレシア人を守るには最善手だったという自負がある。


 怒られようが、殴られようが、目を逸らしはしない。

 海軍竜騎士団団長として正しいことをした。

 その意地がある。



 ***



 院長はレッシバルたちがしてきたことを肯定しない。

 大義名分があれば法を破っても許されるなら、法の存在意義が失われる。

 悪ガキたちの行いは違法だ。

 けれども遥々帝都からやってきたのは、糾弾するためではなかった。


〈ガネット〉について調べていくにつれ、院長もまた味方の酷さを知った。

 帝国で腐っているのは正騎士だけではなかった。

 貴族や市民たちの中にも裏切者がいる。

 機密というものは奴らにとって財宝と同義なのか?

 入手すると、すぐに他国へ売り渡す。


 ブレシア人全体がそうだというわけではない。

 しかし一部というには多すぎる。


 帝国はもうダメだ。

 今回のことを切り抜けたとしても、すぐに次の危急存亡の秋が降りかかるだろう。

 国が滅びるときというのはそういうものだ。


 だからお願いだ。

 終わりが近いこの国のために命を粗末にするな。

 レッシバルたちが命を賭ける価値はない。


 院長は立派に育った悪ガキたちに叫んだ。


「無敵艦隊に挑む!? 親にもらった命を何だと思っているんだっ!」



 ***



 院長先生には嫌いな言葉があった。

「一人前」だ。


 無神経な大人たちが孤児にこの言葉を掛けてくる。

「親がいないのだから、周囲より抜きん出た成果を上げないと一人前になれないぞ」と。


 注意すると大人たちは「励ましのつもりだった」と言い訳するが、無責任な励ましだ。

 そのせいで、正騎士になれないとわかった孤児は無茶をする。


 かかっているものは〈一人前〉の称号だ。

「命を大切にしなさい」などという弱い言葉では止まらない。


 征西軍で名を上げようと勇んだり、一攫千金を狙って小船で遥か遠くの国を目指したり……

 結局、その〈一人前〉とやらになれた子は一人もいない。

 命がいとも簡単に消えていく。


 そして今日もまた……

 院長の叫びは波音にも負けなかった。


「大人たちの〈一人前〉など聞き流せ! おまえたちは十分〈一人前〉だ!」


 一人前になったから、孤児院から巣立っていったのだ。

 ルキシオ港の検査官に。

 配達屋に。

 魔法使いに。


 ザルハンスの海軍行きを止めなかったのは、シグの次に思慮がある子だったからだ。

 窮地に自ら飛び込んでいく子ではないと信じていた。

 なのに、気が付いたら巣箱艦隊の司令官になっていた。

 窮地どころか、死地へ飛び込んでいるではないか!


 レッシバルについては後悔しかない。

 何かを感じさせる子ではあった。

 だから準騎士になりたいという夢を否定しなかった。

 ずっと血と税金を垂れ流し続けている征西を、この子が終わらせることができるかもしれないと思ったからだ。


 なのに……

 南方砦の司令になる夢はどうした?

 陸軍竜騎士団を追放された後、どうして〈ガネット〉と〈巣箱〉になってしまうのだ?


 レッシバルはこれまでに二回、病院送りになった。

 一回目、北一五戦隊では重傷だった。

 二回目、竜六戦隊では生死の境を彷徨った。

 回を追う毎に怪我が酷くなっていくではないか。


 もう十分だ。

 三回目、無敵艦隊と戦わなくていい。


「逃げて良いのだ!」

「…………」


 レッシバルは一切反論しなかった。

 院長先生が知っているのは追放の件まで。

 その後、いろいろあって巣箱艦隊に繋がるのだが、経緯を説明することはできない。

 杖計画にどうしても触れてしまう。


 かつてはリーベルの邪法を全世界に言いふらしてやれ、と思っていたが、宿屋号で説明されてから考えを改めた。


 世界に露見すれば、賢者たちが模神を起こしてしまうかもしれない。

 完成しなければ起動できないとは限らないのだ。

 五割なりに、六割なりに動けるものだとしたら、下手に追い詰めるのは危険かもしれなかった。


 院長先生は〈集い〉の部外者だ。

 竜騎士団追放から今日までの〈いろいろ〉を明かすことはできない。


 代わりに、レッシバルは懐から一枚の布を取り出した。

 青くはないので翔竜旗ではない。

 だが同じように折り畳まれた白い布を、院長に見せるように開いていく。


「それは?」

「孤児院を訪ねた後日、先生の一人が届けてくれました」


 白布は一枚の絵だった。

 上辺には太陽や雲が、下辺には花や楽しそうな子供たちが描かれている。

 中央に大きく描かれているのは一人の大人と……灰色の大蛇?

 大蛇からは脚が生え、大きな翼が生えている。

 ……灰色の大蛇はおそらく銀鱗の大火竜を表しているのだと推測する。


 観る者に推察力を要する作品だが仕方がなかった。

 作者は孤児院の幼い子供たちだった。


 どうやら探検隊が帰った後、古い先生たちから陸軍竜騎士だったことを知ったらしい。

 将来、竜騎士を目指している子供たちが力を合わせて描き上げた。

 自分たちも将来、レッシバルのような竜騎士になりたい、と。


 先生たちの伝え方がまずかったのか、それとも子供の早合点なのか、いまでも陸軍の竜騎士であると誤解されてしまっているようだ。

 従って、灰色の大蛇にまたがっている大人がレッシバルだ。


「……が逃……か……」


 胸の高さに掲げた白布に視線を落とし、何かを囁いている。

 だが、囁き声が波音に塗りつぶされてしまい、院長には聞き取れなかった箇所があった。


「よく聞こえなかった。いま何と?」


 レッシバルは顔を上げ、院長の目を直視する。

 ……もしここに女将がいたら気付いたことだろう。

 かつて彼女を圧倒した英雄の〈気〉が高まっていることに。


「誰が逃げるかぁっ!」


 竜騎士に憧れている孤児たちが将来の夢を描いているのに、その竜騎士が逃げられるかっ!


 白布を受け取った日、レッシバルはシグの気持ちがわかった。

 奥方と、息子の件で夫婦喧嘩になっても譲らなかった一つの思い。


 ——人として生き、人として死にたい——


 せっかく人として生まれて来たのに〈原料〉になどさせてたまるか。

 たとえ死ぬ運命が待っているのだとしても、竜騎士になりたかったのなら是非なるべきだ。


「帝国が終わる? 終わらせてたまるか!」


 終わったら、孤児たちが竜騎士になれないではないか。


 あの子たちが大人になったら竜騎士になれる。

 なれる世にする。

 正騎士と違い、竜騎士なら努力すればなれる。


 残念ながら竜騎士団にも〈正〉と〈準〉の問題はあったが、財の有無で道が最初から閉ざされている正騎士よりはマシだ。

 竜騎士になることはできる。


 陸軍で正竜騎士に騎竜を奪われたら、海の竜騎士になればいい。

 道はある。

 諦めさえしなければ!


 さっき院長先生から「どうして〈ガネット〉と〈巣箱〉になるのか?」と尋ねられた。

 模神のことを気にして沈黙していたが、よく考えたら模神退治と無敵艦隊の件は別だった。

 無敵艦隊についてならお答えできる。


 なぜ、〈ガネット〉と〈巣箱〉で戦いを挑もうと考えたのか?

 それは、リーベルが子供たちの夢をぶち壊しに来るからだ。

 そんな無敵艦隊は、


「俺たちがぶっ飛ばしてやる!」


 ……それっきり、双方の言葉は絶えた。

 ここまで戦う理由がはっきりしている者に、一体何を言えと?


 院長は悟った。

 悪ガキは、大人になっても悪ガキだったのだ、と。


 売られた喧嘩は買う。

 悪者はぶっ飛ばしてくる。


 リーベルが喧嘩を売った相手は、そんなとんでもない悪ガキだった。

 それだけだ。


 レッシバルたちに、命を粗末にするつもりはない。

 それどころか勝つつもりだ。

 勝つための準備を整えている。

 皆、戦士の顔だった。


 ——もう、水を差すようなことは言うまい……


 翌朝、院長は帝都へ帰っていった。

 馬を走らせると、あっという間にピスカータ村が小さくなった。

 あと少し走らせると見えなくなる。


 ここまで来れば、何を言っても皆には聞こえない。

 馬を止め、村を振り返った。


「皆の武運を祈っている。でも——」


 言いかけてやめてしまった。

 後に続ける言葉が、矛盾している気がしてしまったためだ。


 だが矛盾していたとして何の問題があろうか?

 聞いている者はいないのだ。

 思い直し、矛盾を構わず続けることにした。


「でも勝ち目がないとわかったら、躊躇わず逃げるのだぞ」


 帝国の、今日の苦境は陸軍偏重主義によるもの。

 正騎士たちの増長を許し、あらゆる備えを怠ってきた付けが回ってきただけだ。

 レッシバルたちが払うべき付けではない。


 成功を祈っている。

 だが、命は大切にしなさい。

 かわいい悪ガキたちよ。

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