第113話「宣戦布告」

 シグが帝国大使を送り出してから……


 夜更けになると密偵に掲示物を貼ってきてもらい、昼にはリーベル外務省の帝国担当部へ通う。

 夜は研究所の襲撃を避け、頻繁に宿所を変える。

 そんな暮らしが続いていた。


 マルジオは大使の部屋を引き続き使って良いと言ってくれたが遠慮した。

 大使と違って、大人しくしているつもりはない。

 厄介者の潜伏先が酒場の二階だとバレたら、火球が飛んで来るかもしれない。

 どこに居るのかわからないよう、転々としているべきだ。


 すべてネイギアスの密偵たちのおかげだ。

 この島で起きている情報はすぐにシグへ齎され、次の宿も用意してくれる。


 一行の前に姿を現す〈担当〉は例の密偵一人だが、裏でどれだけの密偵たちが動いているか見当がつかない。

 彼らの仕事ぶりを見て、シグは改めて自国の甘さを思い知った。


 さて、今日は……

 リーベル側の担当官との話し合いだ。

 散々、〈庭〉への野心と封鎖の話をしてきた間柄なので、お互いの顔を見ただけでうんざりする。

 だから新たな議題を追加した。


 新たな議題は三国同盟について。

 誰の目にも対帝国軍事同盟であることは明らかだが、どこかにそう書いてあるわけではない。

 対外的には「セルーリアス海の敵に対し、三国は一致団結して対応する」というのが同盟の主旨だ。


 主旨のどこにも、その敵がブレシア帝国だとは書いていない。

 セルーリアス海に接する国の一つとして、帝国も含めた四ヶ国で敵とやらに対応しても良いのだ。


 ゆえに今回から、帝国も同盟に加えてくれるよう要望している。

 結果は、まあ……


 なぜ帝国を仲間に入れてくれないのかと問えば、予想通り、〈庭〉への野心を理由に挙げてくる。

 だからこそ同盟に加えてくれと頼んでいるのだ。

 加盟すれば野心はなかったことの証になるではないか。


 加盟後、セルーリアス海の一部でも帝国領海だと主張したら、同盟の敵だと名乗ることと同義だ。

 リーベルは戦わずして安心が手に入る。


 安心の何が不満なのか、リーベルの担当官殿は頑としてシグ案を受け入れない。

 理由は教えてくれないまま、とにかくダメらしい。


 昔のシグならここで食い下がるところだが、いまは大人しく引き下がる。

 引き下がるが、翌日やってきてまた同じ話をする。


 ——ちっ、毎日毎日飽きもせず……


 担当官は無表情の裏で舌打ちが止まらない。

 彼にとってシグは鬱陶しい男だった。

 だが、門前払いにはできない。

 追い払おうものなら……


 毎日毎日煩わしかったので、担当官は一度だけ、会わずに追い返したことがあった。

 すると、


「ウェンドアの諸君!」


 と、シグは新市街の大通りで演説を始めた。

 内容はもちろん担当官とするはずだった同盟の話だ。


 驚いて軍に通報したが、兵が到着したときにはすでに引き上げた後だった。


 これに懲りた担当官は、門前払いだけはやめた。

 でないと、市民に言いふらされる。


 ——それにしても……


 同じ話に付き合う日々の中で、担当官は疑問に思うことがあった。

 野心の件も同盟の件も、通用しない話だとわかるだろうに。

 なのにこの男、シグはどうして無駄なことを続けるのだろう?


 初めは愚かになったのだと思った。

 以前、ウェンドアへ来たときは平民の一担当官だったが、現在は貴族になり、担当部部長だという。

 大出世だ。

 平民からいきなり伯爵に叙せられたというが、破格だとは思わない。

 この男にはそれだけの才があると思う。


 しかし、だからこそ嵌る落とし穴がある。

 才を認められて出世したからこそ、力量以上の難題に挑んでしまう。

 足りない力は強引な手段や不正で補うしかなく、その結果、才も評判も地に落ち、一代で滅びる。


 部下を従えて、主人公気取りになってしまったのだろう。

 貴族になった途端、調子に乗って落とし穴に嵌っている愚か者だと見ていた。


 だが、どうも様子がおかしい。

 担当官は心の中で首を傾げていた。


 口では平和的解決を求めつつも、奴の目は逆のことを語っている。

 戦が回避できるとは思っていない、と。


 才気走った大手柄が目当てではないようだ。

 平和を求めて来ているのでもない。

 だったら、何だ?

 リーベルに矛を収めてもらう以外、帝国が生き延びる道はないはずだが……


 担当官は得体が知れないと思っているが、シグには関係なかった。

 何か、こちらの腹を探っているようだが、別に何もない。

 トライシオスがしてくれたように、自分も時間を稼いでいるだけだ。

 時間稼ぎにはややこしい話が一番であり、それが同盟の話だった。


 小竜隊完成の報は受けたが、レッシバルたちは無敵艦隊と模神退治という大きな戦を連続ですることになる。

 編成も作戦もじっくりと練らなければ。

 軍人ではない一外交官にできることはその時間を稼ぐことだった。


 一日、また一日と時間が経過していく。

 巣箱艦隊のための時間稼ぎは、三国同盟にとっての時間稼ぎにもなった。


 その間に、フェイエルム軍は征東軍の編成を完了した。

 いつでも出航できる。


 リーベル軍は少々手間が掛かった。

 封鎖艦隊やイスルード島周辺に展開していた艦隊をウェンドアへ呼び戻し、遠征軍を編成しつつ待った。


 待つ?

 何を?


 キュリシウス型四番艦の完成を、だ。



 ***



 シグが担当官に嫌がらせを始めてから一カ月……

 リーベル海軍はついに、予定していたキュリシウス型四隻を揃えることができた。

 これで遠征軍が完成する。


 遠征軍はセルーリアス艦隊だけではない。

 他の海域からも集められた。

 ウェンドア沖を埋め尽くす魔法艦の群れは港からもよく見えた。


 市民たちが囁き合う。

 いくら何でもやりすぎでは、と。

 それほどの威容だった。


 ウェンドア沖に集められた魔法艦は、前衛艦隊と本艦隊に分けられた。

 前衛艦隊は単一型魔法艦二〇隻。

 本艦隊は単一型魔法艦四〇隻と可変型四隻。


 市民たちはやりすぎだと言うが、遠征軍の敵は帝国海軍ではない。

 帝国陸軍及び竜騎士団だ。


 この遠征は、史上初の魔法艦対大火竜の戦いでもある。

 魔法艦は竜に勝ることを世界に示すため、また剣王の初陣を勝利で飾るため、手加減など以ての外だった。


 遠征の準備は整った。

 フェイエルムの征東軍、ネイギアスによる大陸南岸の封鎖、そして四隻の剣王たちが完成し、リーベル艦隊の編成も終わった。


 あとは、帝国からやってきたシグという担当部部長を見つけて、読み上げるのみ。

 宣戦布告状を。



 ***



 ウェンドア新市街、朝——


 いつも通り、大通りを外務省へ向かっていたシグは、前方で待ち構えている一団に気付いた。


 一団は宮殿からやってきた。

 帝国の担当部部長が毎日大通りを歩いてくるので、待ち構えていたのだ。

 その中には担当官もいるが、濡れ衣や同盟の話をしようという空気ではない。


 彼らは……

 宣戦布告の使者たちだった。


「ブレシア帝国に告ぐ——」


 立ち尽くすシグに、容赦なく宣戦布告状が読み上げられていく。


 ——長いな。


 シグは驚きもせず、静かに聞いていた。

 頭も心も冷静だ。

 それだけに長さが気になり、愚痴りたい気持ちだった。


 でも仕方がないのだ。

 正式な文章とは長く、仰々しく、難しいもの。

 外交官なのだから、最後まで大人しく聞いていなければ。


 さて、どんな内容かというと……

 全文をそのまま記すことは避け、ここまでを要約しよう。


 かねてより帝国船がアレータ島に出没しており、その頻度は他国船に比して異常に多い。

 これは帝国が同島を領有しようとする意思によるものであり、同島の領有はセルーリアス海を我が物にせんとする帝国の野心を証明するものである。

 よってリーベル王国、フェイエルム王国、ネイギアス連邦は貴国ブレシア帝国に宣戦布告する。


 ……だそうな。


 他国船に比べて多いというが、帝国の航海術が他国より遅れているのは有名だ。

 東を目指す船がルキシオ港を出たら、目印となる島を目指すのは仕方があるまい。


 公海上の島だし、上陸して帝国旗を掲げたわけでもないのに、相変わらずの言いがかりだ。


 だが、シグが噛み付くことはなかった。

 帝国がいつアレータ島の領有を主張したのかと首を傾げるが、とにかく静かに聞いていた。


 いまさら指摘しても仕方がない。

 言い分が矛盾していようがいまいが、相手は武力で解決を図ると言っているのだ。

 帝国が取るべき態度は降伏か応戦か、あるいは……


 降伏はない。

 降伏したら、ブレシア人という一つの民族が戦わずして〈原料〉にされる。


 応戦もない。

 正騎士が知ったら、なぜ受けて立たなかったのかと怒りそうだが、文句は内陸の避難先ではなく大陸東岸で言え。


 降伏も応戦も嫌ならば、取るべき態度は一つ。


 朝市目当てだった市民たちが、騒ぎに気付いてリーベル・帝国双方を囲んでいる。

 シグは使者の一団だけでなくその輪にもよく聞こえるよう、大きな声で宣言した。


「我々は和平を望む!」


 ……やっと言えた。

 これで〈集い〉の仕事に取り掛かることができる、と胸を撫で下ろす。

 そもそも和平交渉団として海を渡ってきたのだから。


 この日はそれで終わった。

 いつものリーベル側担当部への嫌がらせもなしだ。


 翌日、シグは部下たちを連れて宮殿へ向かった。

 謁見の間に通され、リーベル国王に親書を渡すことができた。


 その場にて、セルーリアス海に野心はないことをお伝えしたのだが、陛下は何だか困っているようだった。

 左右に視線を送り、目が合った重臣が答えるという有様だ。

 その重臣も「詳しい話は明日以降の和平交渉の席で」としか言わないが。


 陛下の困惑を言葉にすると〈想定外〉か。

 帝国は野心に燃えている悪い国だと聞かされていたのだろう。

 疑いの言葉を投げかけられたので、これまでリーベル側担当部と繰り返してきた話を手短に説明した。


「魔法兵不在の帝国海軍では——」


 大頭足を狩ることも探知することもできない。

 よって我が海軍ではリーベル海軍の代わりは務まらない。

 そんな有様で「セルーリアス海は帝国の領海だ!」と宣言しても、世界中から笑われるだけだ。


 すると、陛下は困り顔になり、重臣たちに視線を送り始めたのだった。

 まるで視線の会話だ。


(おい、尤もな話ではないか! どこが悪の帝国なのだ?)

(騙されてはなりません!)


 やり取りを見るに、どうやら陛下は〈賢者たち〉ではないようだ。

 だが重臣たちはどうだろう?


 こちらはネレブリンを九人しか連れてきていない。

 全員を尋問するのは不可能だ。

 賢者たちと繋がっている者をうまく見抜けると良いが……


 ウェンドア沖の大艦隊は、和平交渉の結果が出るまで留まっていてはくれない。

 予定通りに出撃するだろう。


 遥か西で、レッシバルたちは無敵艦隊と戦い、勝つ。

 たぶん、おそらく……いいや、絶対に勝つ!


 勝利したら、レッシバルたちが模神退治にやって来る。

 時間は少ない。

 それまでに模神の現在地を特定しておかなければ!


 明日から宮殿で和平交渉が行われるが……

 その裏で、シグは密かに模神を探さねばならなかった。

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