第111話「祈るべきは……」

 ガラの悪い士官が帰ってからも、ワッハーブの船は二度、三度と臨検に遭った。

 いずれも無事に通ることができたが、シグはウェンドア沖で受けた最後の臨検が気になった。


 軍でも、役所でも、首都に近付くにつれて品性が良くなっていくものだ。

 ウェンドア沖を守る沿岸警備隊の士官は真面だった。

 彼は親書を見せろと凄んだりはしない。

 ただ、気になることを尋ねてきた。


「滞在中の宿はもう決まっているのか?」


 不思議なことを言う。

 帝国の使者なのだから、帝国の大使館を拠点にするに決まっているではないか。

 シグがそう告げると、


「……ならば急いだ方が良いだろう。遅くなると旧市街の外れの宿になってしまう」

「?」


 また、これだ。

 下品と上品の違いはあれど、帝国大使館に話が及ぶと皆、明言を避ける。


「問題なし。臨検を終了する!」


 と疑問だけ残して下船しようとするので、


「待ってくれ! 帝国大使館は——」


 大使館は無事なのか?

 と最後まで尋ねさせない。


「ウェンドアへようこそ。西方の御一行」


 と、士官は途中で遮り、質問を許さない。

 シグは静かに魔法艦を見送るしかなかった……


「自分の目で確認しろ、ということだろう」


 考え事に集中しすぎていたようだ。

 いつの間にか、ワッハーブが後ろに立っていたことに気付かなかった。


 彼の言う通りだ。

 奴らは沿岸警備隊であり、自国へ不審な者や物が入らないようにするのが務めだ。

 他国の使者に要らぬ情報を提供して揉め事を起こす係ではない。


 知りたいことは自分で知るしかない。

 もうすぐウェンドア港だ。



 ***



 大水門を越えて——

 ワッハーブの船は指定された船席に投錨した。

 これより下船するがその前に、シグは船長室に立ち寄った。


 コン、コン——


 と二回ノックの後、「入るぞ」と告げてから室内に入る。

 ワッハーブは机の左角に置いた鉄皿の上で紙を焼いていた。


 紙——

 これまで臨検で見せてきた乗員名簿だ。

 帝国人はシグ一名と記してあった。


 代わりに、右角にはそっくりな名簿があった。

 こちらにはシグ以下、交渉団一行が書き連ねてある。


「ワッハーブ、世話になった」


 これまでの渡航でも臨検はあった。

 しかし今回ほど悪質だと思ったことはなかった。

 親書を見せろと凄まれたり、賄賂を求められたり、問答無用で「帰れ!」と言い張られたり……

 ここまで厄介な船旅になるとは想像していなかった。

 それだけにすまなかった。


 対するワッハーブは苦笑いで首を横に振る。


「臨検は、帝国人の有無に関わらずあるよ」


 どんなに良い風を掴んでいても、奴らに「止まれ」と言われたら帆を畳まなければならない。

 それがセルーリアス海を往く船の定め。


 確かに帝国人がいなければ、臨検一回当たりの拘束時間は短かったかもしれない。

 しかしまた風を掴むところからやり直しだ。

 その労力は、帝国人の有無によって増えも減りもしない。


「だから気にするな。それに——」


 それに、セルーリアス海に奴らが居て悪いことばかりではない。

 今回、嫌な事が多かったが、海賊や大頭足などの海の脅威と遭遇しなかっただろう?

 奴らが〈庭〉の安全を守っているというのは本当だ。

 もし脅威の接近を魔法艦が探知したら、臨検中であっても針路を指示し避難させてくれる。


 だが……


「値が高騰しない内に、ウチも遠見の望遠鏡を揃えておかなきゃな」


 と白い歯を見せ、悪戯っぽく笑う。

 シグは一瞬何のことかわからなかったが、すぐに言わんとしていることに気付いた。


 遠見の望遠鏡が高騰する——

 それはリーベル海軍が〈庭〉を守れない時代になるという意味だ。

 当てにならない魔法艦を捨て、各自が見張りや自衛に努めていた時代に戻るのだ。

 その時代、より遠くを見渡せる遠見の望遠鏡は高騰するだろう。


 なぜそんな時代が?

 ……決まっているではないか。

〈ガネット〉が無敵艦隊を滅ぼすからだ。


 ワッハーブは〈集い〉の皆を信じている。

 シグを信じている。

 彼は、人間に決して心を開かないという森の闇を従わせることに成功した。

 ならば、きっと——


「必ずや〈妹〉さんを見つけてくる!」

「!」


 単なる偶然だ、

 しかし、いままさに心の中で思いかけたことをシグから告げられ、ワッハーブは驚いた。

 そして、


 ——ここまで大変だったが、彼らに協力して良かった。


 いまなら森の闇の気持ちがわかる。

 シグは金や大義で誤魔化さない。

 相手の求めから目を逸らさない。


 ワッハーブの願いは模神に吸われた妹の解放だ。

 シグはちゃんと覚えていてくれた。


「……武運を祈る」


 武運——

 戦わなくて済むように話し合いで解決しようというのが交渉団だ。

 交渉団に武運を祈るのはおかしいが、シグ以外はすべてダークエルフたちだ。

 その構成からして、祈るべきは交渉成立ではなく武運だろう?


 二人は固い握手を交わした。



 ***



 船長室を後にしたシグは真っ直ぐ甲板へ。


 甲板では、ウェンドア港の検査官が〈変身済みの交渉団〉を訝し気に見ているが、大丈夫だ。

 皆、上手に化けている。

 文官六名、護衛の武官三名。

 どこから見ても立派な交渉団御一行だ。


 本当はもっと大勢連れて来たかったが、怪しまれては元も子もない。

 不審がられないギリギリの数だといえる。


「船を下りよう、皆」

「はっ!」


 ネレブリンたちはともかく、シグは封鎖網解除の交渉で何度か来ている。

 それでも「ついに」と記したい。


 ついに辿り着いた。

 交渉相手国ではない。

 敵国の首都、ウェンドアへ。



 ***



 ウェンドアを久しぶりに見たシグの感想は……


「……変わりないようだな」


 もっと、街全体が対帝国に血走っているかと思っていた。

 しかし、帝国人一〇名が降り立った位では、騒ぐほどでもないようだった。


 ただ、全員が無関心というわけでもない。

 帝国大使館を目指す途上、子連れの婦人が「ブレシア人……!」と囁くのを聞き逃さなかった。

 やはりこの街には、帝国に関する異変があるようだ。


 異変の正体はすぐにわかった。

 婦人とすれ違ってからそれほど時間はかからない。

 一行は帝国大使館へ到着した。

 ……いや、大使館〈だった〉ところへ、というのが正しいか。


「……こ、これは……!」


 シグの脳裏に最後の臨検での士官の言葉が浮かぶ。


 ——遅くなると旧市街の外れの宿になってしまう——


 やっと意味がわかった。

 確かに滞在するのは無理だ。


 窓はすべて割れ、屋根も落ちている箇所がある。

 壁は所々崩れているだけでなく、小火のせいで黒ずんでいる箇所が複数……


 帝国大使館は、廃墟と化していた。


「……大使は? 職員たちは?」


 シグは呟きながら、その場に立ち尽くした。

 役人や軍人、あるいは市民の怒りを放置したのか。

 三者いずれであってもリーベル人の仕業であることは間違いない。


 他国の陰謀?

 必要あるまい。

 仲違いさせるまでもなく、リーベルは帝国へ積極的に敵対してきているのだから。


 正門でいくら待っても誰も出てこない。

 出てくるはずがない。

 襲撃や焼き討ちが頻発するところに人が住んでいるはずがなかった。


 ではリーベル大使たちはどこに?

 大使が帰国すれば「断交も辞さない」という意思表示になってしまう。

 帰還の話は聞いたことがないので、まだこの街に居ると思うが……

 一体どこに?


「まさか……」


 まさか、大使館襲撃犯たちによって殺害されてしまったのか⁉

 と、シグの中で悪い想像が膨らんでいる最中だった。


「シグ卿、あちらを」

「?」


 武官役のネレブリンに声を掛けられ、背後を見るよう促された。

 振り返ると、そこには一人の男が立っていた。


 何の変哲もない一人のリーベル人。

 しかし彼はただの市民ではなかった。


「帝国のリーベル大使のところへご案内します」

「大使のところ?」


 しかし二人がそれ以上会話を続けることはできなかった。

 武官に化けているネレブリンがシグの前に立つ。

 自分たちを棚に上げて恐縮だが、男はものすごく怪しい。


 御覧の通り、この街の人間は大使館にこれだけの乱暴を働けるのだ。

 何も知らずに海を渡ってきた帝国人など、赤子の手をひねるより簡単だろう。

 まだ和平交渉が始まらない内から、早速危機到来かもしれなかった。


「……頼もしい忠臣方で」


 誉め言葉だが、もちろん皮肉を込めてのこと。

 仕事を邪魔されていることへの嫌味だった。

 これでは案内することができない。


 まずは疑いを晴らさなければ。

 リーベル人はポケットから一枚の紙を取り出し、シグたちへ開いてみせた。


 ——!


 呪符か⁉

 いや……


 それは短剣の絵だった。

 着色はなし。

 ただの線画だ。

 だがシグにとってはただの絵ではない。

 短剣……シージヤ同盟!


 さらに、


「群島の御友人からシグ卿に伝言がございます」


 群島とはネイギアス連邦を指す。

 ならば御友人とは、トライシオスだ。


 短剣の絵を掲げながら、トライシオスをシグの友と呼称する。

 リーベル人はネイギアスの密偵だった。


「伝言……奴は何と?」

「御友人は——」


 トライシオスの伝言は以下の通り……


 先日は、せっかくのウェンドア土産が不評で残念だった。

 名誉挽回に君たちのウェンドア滞在中、〈火竜炒め〉をご馳走したいと思う。

〈料理人〉は新旧両市街だけでなく、宮殿内にも潜んでいる。

 甘口から激辛まで、君たちが置かれている状況に応じて提供するようにと伝えておいた。

〈宿〉では辛すぎると不評だったが、今度はうまいと言ってもらえるはずだ。

 和平交渉がうまくいくよう、群島から武運を祈っている。


「——とのことです」


 新旧両市街や宮殿内に潜んでいる〈料理人〉とは、目の前のリーベル人のような密偵たちのことだ。

 甘口から激辛まで様々な辛さで提供してくれる〈火竜炒め〉とは、彼らの様々な能力を提供してくれるということ。

 情報提供や流言飛語、文書の偽造等だ。


 伝言を聞き終えたシグは、


「! 団長⁉」


 構わず武官の前に進み出た。


 距離が近すぎる!

 これでは男の気が変わったら、シグ卿を仕留めることができてしまう。

 武官だけでなく文官にも緊張が走る。


 うまい話?

 そうかもしれないが、いまシグを殺して誰が得をするのだ?


 彼が生きていようが、いまいが、リーベルは帝国へ攻め込む。

 舌先三寸で止められないことは、これまで担当部として交渉してきた彼自身がよく知っている。

 彼の生死は、戦に何も影響しない。


 断言できる。

 目の前の密偵に殺害の意思はない。

 だからシグは、


「ありがたくご馳走になる。〈料理人〉殿」


 この密偵は宿屋号でのやり取りを語った。

 あの日、あの時、宿屋号に居た者しか知らないことだ。

 ゆえに正真正銘、奴からの伝言だと信じられる。


「普段、探ったり騙したりする仕事柄、頑なに信じていただけなかったらどうしようかと……」


 密偵は顔を少し綻ばせた後、先頭に立って歩き出した。

 続く一行。


 十分すぎる証拠を示されているのに、それでも信じなかったら用心深いとは言わない。

 頑迷なだけだ。


 シグは、頑迷ではなかった。

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