第110話「秘めた意図」

 帝都から人気が減っているものの、それでも取引はまだあった。

 商魂逞しい他国の商人たちが、帝国の品を船に積んで出航していく。


 お目当ては何といってもブレシア馬だ。

 力強く、持久力もある。

 耕作に、荷馬に、長距離の伝令用にと需要がある。


 いまもブレシア馬を積んだ交易船が帝都を出航した。

 船長の名はワッハーブという。

 西方の商人、そして〈集い〉の一員だ。


 甲板に立つ彼の背後に、一人の帝国外交官が近付いてきた。

 シグだ。


「馬の取引はどうだった?」

「思ったほど値切れなかったよ。まあ仕方がない」


 ワッハーブは後ろを振り返り、苦笑いしながら首を横に振る。


 まあ仕方がない……

 何とも商人らしくない台詞だ。

 安く仕入れ、高く売るのが仕事だろうに。


 でも本当に仕方がないのだ。

 帝国は出処不明の品々が流通しているために、そこまで困ってはいなかった。

 トトルとワッハーブの仕業だ。

 おかげで、ブレシア馬を薄利で売り渡すような事態に陥っていなかった。


 だからだ。

 自業自得の意味を込めて「まあ仕方がない」と。


 その代わり、


「船から下ろすときは、たっぷりと吹っ掛けてやるさ!」


 と笑顔を見せた。


 安く仕入れるのに失敗した分、より高く売って帳尻を合わせる。

 彼はやはり商人だった。


 シグは自分に向けられる笑顔に、すまない気持ちになった。

 思えば、苦労を掛けっぱなしだ……


 ずっと採算度外視で帝国を支えてくれていた。

「帝国での損は他所で稼ぐ」と言ってくれたが、今日まで楽ではなかったはずだ。


 すべては彼の妹を解放するため。

 そのために商人として苦しい道を文句一つ言わず……


 今回の航海だってそうだ。

 ウェンドアを経由する必要はないのに、シグを運ぶためだけに立ち寄ってくれるのだ。

 予定になかったブレシア馬を仕入れて、忌まわしい記憶残るリーベルに。


「すまないな。他に当てがないもので……」


 渡航許可証は、無事にシグと随伴するネレブリンたちの分が手に入った。

 が、そこで行き詰ってしまった。

 どうやって渡航する?


 帝国船では封鎖網を通ることはできない。

 フォルバレント号ではダメだ。

 他国の船を探す必要がある。

 だが……


 帝都を訪れる船はあるが、先に「商魂逞しい」と述べた通りだ。

 彼らは商売のために帝都を訪れているだけなのだ。

 封鎖網を正面突破し、ウェンドアに寄ってくれる船はなかった。


 これには困り、やむを得ず〈集い〉の力を借りた。

 それがワッハーブだった。

 できれば彼やトトルに危険が及ばないよう、表で関わりたくなかったのだが……


「いや、むしろ適任だったと思うよ」


 適任……

 なぜ自らをそう評したのか。

 それは船を東へ一日か二日走らせれば、すぐにわかる。


 帝都を出航してから丸一日が経過した頃、真っ直ぐこちらへ向かって来る船が現れた。

 海賊船か?

 いや、ここはリーベルの〈庭〉だ。

 現れるのは……


「前方で光!」


 見張り台から甲板へ報せが飛ぶ。

 船首が高くなっているので、船中央からはその光を見ることはできない。

 シグは欄干から上半身を乗り出して前方を見た。


 波の向こう、一隻の帆船が船首でこちらへ太陽光を反射していた。

 信号だ。

 しかし、シグにはわからない。


「我、リーベル海軍——」


 後ろから信号を読む声がして振り返ると、ワッハーブだった。


 信号の内容は、その場に停船せよ、というもの。

 魔法艦による臨検だ。


 帝都を出て真っ直ぐ東へ進んできた。

 対帝国包囲網へ向かって真っ直ぐ……

〈庭〉にいるのは封鎖艦隊の魔法艦だった。


「……隠れていようか?」


 高い帆桁に上って隠れたネレブリンたちを見習い、シグも船倉に隠れようかと申し出た。

 面倒は避けたい。


「いや、このままでいい」


 こちらからも魔法艦の姿が見えるということは、すでに探知魔法で甲板も船倉も不審物の確認は済んでいる。

 ……人数の確認も。


 臨検はあくまでも目視による最終確認のために行われる。

 いまさら隠れても遅いし、むしろ怪しまれる。

 というのがワッハーブの主張だった。


「正式な使節なのだから、堂々としていた方がいい」


 帆桁のネレブリンたちは褐色の肌だが、この船の水夫も似たようなもので、うまく紛れている。

 長い耳も水夫と同じく頭に巻いた布が耳を隠している。

 彼らはたぶん大丈夫だ。


「そうだな、確かに」


 堂々と——

 シグは指摘されて我に返った。


 リーベルは、ブレシア人の往来を公に禁止しているわけではない。

 ならば〈庭〉を通るのに何人の許可も要らないはずだ。

 セルーリアス海は公海なのだから。



 ***



 ワッハーブの船はゆっくりと減速していき、やがて停船した。

 その船首前方で、丁字になるように魔法艦が停船する。

 丁度良い位置につけるものだ。

 さすがはリーベル。

 セルーリアス海を自分たちの〈庭〉と称するだけある。


 魔法艦から下ろされたボートがこちらへやってくる。


 公海上で、リーベルと敵対関係にない国の船が臨検を受ける義務はない。

 ないが、船首を狙う魔力砲が砲口の奥で赤く光っているので拒めない。

 事実上、停船せよと言われたら大人しく従うしかない。


 ボートがこちらに接舷したので縄梯子を下ろしてやると、数人の男たちが上ってくる。

 甲板に現れたのは士官一名、魔法兵一名、水兵三名。

 検査官御一行だ。


「セルーリアス海の安全のため、これより臨検を行う!」


 ——セルーリアス海というより、自分たちの〈庭〉の安全のためだろうに!


 シグが心の中で毒づいている間に、否応なく作業が進んでいく。


 ワッハーブに問題はない。

 次の寄港先がウェンドアであることも問題ない。

 問題どころか、品薄が続く西方の交易船がリーベルに来てくれることは大歓迎だった。


 先程の「むしろ適任だ」というのは本当だった。

 西方の交易船なら、リーベルは喜んで通してくれる。


 問題はシグだ。

 乗員名簿を確認していた水兵が見つけた。

 帝国人が乗船している、と。


 名簿を見せられた士官は船首から船尾を見渡しながら、


「シグとは? 名乗り出よ!」


 帝都を発つとき、名簿に「リアイエッタ伯シグ」と記した。

 他国の、しかも限りなく敵に近い帝国人に「卿」を付けろとは思わないが、「殿」も付けずに名前を呼び捨て……


 不快に思うが、ここはワッハーブの船だ。

 不要な面倒は避けたい。


「私だ」


 と挙手するも、


「さっさと名乗り出ぬか!」


 怒鳴られるほど遅くはなかったと思うが……

 しかも呼びつけておきながら、シグを放って水夫と名簿の確認だ。

 いつまでもダラダラと。


 リーベルの臨検は時間が掛かると悪評だったが、どうやら嫌がらせではなかったらしい。

 この無能さで嫌がらせまでやっていたら、日が暮れる。


「帝国の伯爵殿がリーベルに何の用だ?」


 ようやく名簿の確認作業が終わったらしい。

 やれやれだが、これから質問だ。


 どこの国の酒場にもいる絡む気満々の不良のような男だ。

 きっと頭の悪い質問が続くに違いない。

 シグは、つまらない言葉に心が揺らがぬよう気を引き締めた。


「リーベル王国との和平交渉に向かう」

「わへい……こうしょう……?」


 復唱の後、士官と水夫が嘲笑する。

 一頻り嗤った後、


「それは大変なお仕事だな。まだ起きてもいない戦争の和平交渉のために、海を渡らなければならないとは……クックック」


 余程ツボに嵌ったのか、まだ笑いが止まらない。


「…………」


 経緯はどうあれ、いまのシグは歴とした帝国貴族だ。

 その貴族が和平交渉に向かうと言っただけで、そんなに面白いだろうか?


 こいつらは、正式にはセルーリアス艦隊というらしい。

 母港はウェンドアだ。


 ——ウェンドアに何かあるな。


 帝国に関する何かが。

 和平交渉という言葉だけでは面白くないが、帝国と絡めて聞くと途端に面白くなる何かが。


 シグはしばらく待ち、笑いが治まってから続けた。

 まだ起きてもいない戦争というが、起きるのは確実ではないか。

 ならば、


「まだ通れる内にウェンドアへ渡っておきたい」

「ウ、ウェンドアへ……クッ」


 今度は「ウェンドア」が面白かったらしい。

 再び嘲笑。


「…………」


 間違いない。

 ウェンドアで帝国に関するもの。

 真っ先に思い浮かぶのは……帝国大使館!


 それなら嘲笑の説明が付く。

 こいつらは母港へ帰る度に大使館を見ている。

 だから帝国人が何も知らずに目指している様が面白いのだ。


 リーベルが帝国大使館に何を仕出かしているのか、いますぐに問い質してやりたい。

 でも、いま問い質されているのはこちらだ。

 胸倉を掴みたい衝動を抑え、二度目の笑いが治まるのを待った。


「クックック……まあ、いいだろう」


 と言いつつ、掌を上にしてシグへ差し出す。


 ——何だ?


 シグがわからずに困っていると、


「親書だ。確認させてもらおう」


 帝国の使者だというなら皇帝陛下の親書を持っているだろう。

 士官はそれをこの場で確認すると言い出した。

 確認というのは、外側から眺めるだけではない。

 開封して内容を確認するという意味だ。


「……リーベルの国王陛下へ宛てた親書を、なぜ貴官が開封する?」

「後で再封印すれば良かろう。つべこべうるさいと——」


 親指で船首方向を指差す。

 が、指し示しているのはこの船の船首ではない。

 さらに先、砲口の奥で赤く光っている魔力砲だ。


「ズドン! だぞ?」

「!」


 シグは驚きで、すぐに言葉が出なかった。


 驚いたのは、魔力砲で脅されたことではない。

 しばらくリアイエッタで暮らしている間に、セルーリアス海は随分とガラの悪い海に変わっていたようだ。

 その様変わりに驚いていた。


 相手を嘲り、武器で脅し、理不尽を通す。

 まるで海賊ではないか。


 親書——

 国家元首から相手国の国家元首へ出す文書だ。

 皇帝陛下が海賊のような不良士官へ出した文書ではない!


「……断る」

「は? 何だって?」


 ヘラヘラと、水兵を相手に無駄口を叩いていたので、士官は聞き逃してしまった。


 ……聞こえなかったというなら、もう一度言ってやる。

 もっと大きな声で言ってやる。


「断るっ!」


 魔力砲で脅してくれたが、撃つかどうか決めるのは艦長だ。

 そして親書を見せなかったからといって、おそらくは撃ってこない。

 一艦の艦長は目の前の士官ほど頭が軽くない。

 リーベルを目指していた西方の交易船を撃沈したら、その理由をどう説明する?


 また、仮に艦長が同類のクズだったとしても撃たないだろう。

 なぜなら、この士官は艦内において重要な人間ではないからだ。

 人質に取られても惜しくない人物だから、臨検に差し向けてきた。

 クズ艦長が、要らない奴のために西方の交易船を砲撃することはない。


 しかし、これらは希望的観測かもしれない。

 もしかしたらあまり深く考えずに撃たれるかもしれない。


 それでも、シグは引くわけにはいかなかった。

 親書だけは、決して……



 ***



 どうしてもリーベルへ行ってくれる船が見つからず、シグはワッハーブに助けを求めた。

 引き受けてもらえたのは良かったが、帝都まで少しかかる。

 彼の船が来るのを待つ間、義父に連れられて皇帝陛下に拝謁した。


 拝謁といっても謁見の間ではない。

 陛下の書斎だ。

 和平交渉団というからには陛下の親書が必要になる。


 シグ一人なら時間が掛かったかもしれないが、いまは外務大臣と一緒だ。

 それほど時を要せずにお目通りが叶った。


「面を上げよ」とのお言葉に従い、片膝をついたまま顔だけ上げると、窓を背に一人の若者が座していた。

 ブレシア帝国皇帝、テアルード七世だ。


 ——若いな。


 若いといっても、君主にしては若いという意味だ。

 トライシオスと同じ位に見える。


 用向きはすでに伝えてあるが、陛下の前で義父上が改めてリーベルとの和平交渉について説明する。

 陛下は最後まで聞き終えた後、親書をしたためた。

 決められた通りに。


 シグはその間、静かに控えていた。

 別に語ることもない。

 彼としては、必要な書類をもらいに来ただけだ。

 しかし、したためた親書に封蝋を施している最中のことだった。


「……シグ、と申したな」

「は? は、はい!」


 陛下と外務大臣の間で話が済んでしまったので、油断していた。

 まさか名を呼ばれるとは。


「そなた、子は居るか?」

「はい、居ります」


 まだ幼い娘と息子のことを話す。

 すると陛下も続き、一人息子の皇子のことを嬉しそうに話す。

 三人は年齢が近く、皇子が最年長者らしかった。


 ただの世間話だろうか?

 いや、違う。


「せっかく生まれてきたのだ。三人共、生かしてやりたいものだ……」


 さっきまでの嬉しそうな表情が一転。

 沈痛な面持ちになった。


「シグよ」


 そこで一旦言葉を区切った。


 陛下には尋ねたいことがあった。

 不安に思っていることを尋ねたい。

 しかし尋ねたら、言葉にしたら、普段張っている虚勢が消えてなくなりそうな恐ろしさがある。


 でも、もう呼びかけてしまった後だ。

 言わねば……


 深呼吸の後、


「紙切れ一つで、リーベルが止まるとは思えんのだが……」


 紙切れ——

 親書という名の紙切れを持ったシグがウェンドアで弁舌を振るっても、リーベルが心変わりすることはないのではないか?

 ……という比喩だった。


 だからこそ手が必要だ。

 無手でリーベルに行っても何にもならない。


「何か、手はあるのか?」


 陛下から尋ねられているのだから、早く答えなければ。

 だが、シグはすぐに言葉が出なかった。


 ……相手は無敵艦隊だ。

 誰も勝ったことがない絶望的な相手だ。


 でも、レッシバルはリーベル派から生を勝ち取り、フォルバレント号を生還させた。

 偶然ではない。

 執政と女将が、偶然ではないと保証している。


 そのレッシバルが馬車旅の途中で報せてきた。

 海軍小竜隊が完成した、と。


 手はある。

 伝えれば安堵してもらえる。

 しかしここでは誰が聞いているかわからない。

 シグは問われたことに答えることができなかった。

 代わりに、


「誠心誠意、奴らの〈庭〉に野心がないことを訴えて参ります!」

「…………」


 陛下は沈黙だった。

 不満の沈黙だ。


 当然だろう。

 質問は「何か手はあるのか?」だ。

 答えは、「ある」か「ない」だろう。

「頑張ってきます!」では質問に対応した答えになっていない。


 それでもシグとしては精一杯の答えだった。

「手はあるのか?」という問いに対して「ない」とは答えなかった。

 つまり「ある」のだ。

 ……そこまで読んでくれと願うのは酷かもしれないが。


 陛下は少し考えた後、僅かに表情が明るくなった。


「……乾いたようだ」


 親書の封蝋だ。

 これでリーベル国王以外、誰も中を見ることはできなくなった。

 完成した親書をシグへ差し出す。


「頑張ってきてくれ、シグ卿」

「はっ」


 両手で受け取ろうとするので、距離が近付いた。

 そのとき陛下は小声で、


「卿を信じる。どうか帝国を救ってくれ」

「はっ!」


 何も伝えられなかった……

 何一つ、信じるに足る材料を示せなかったのに、陛下は「頑張ってきます!」に秘めた意図を読み取って下さった。


 だからだ。

 こんな、海の真ん中で親書を開封させるわけにはいかない。

 一魔法艦の、一士官如きに開封させるわけにはいかないのだ!


「控えよ! リーベル国王陛下宛ての親書を臣下が開封するか!」



 ***



 シグに一喝され……

「ちっ、生意気な……!」などと悪態をつきつつも、士官は引き下がった。


 親書は、絶対に確認しなければならないものではなかった。

 士官の単なる好奇心だった。

 如何なるものか中身を見たかっただけだ。


 いや、弱い者いじめが楽しかったという方が正確か。

 交易船なんて、魔力砲を向ければ何でも言うことを聞くから、ちょっとからかってやったのだ。

 まさか紙切れ一つに、ここまで頑なに拒絶されるとは。


 これ以上はまずい。

 しつこく食らい付けば揉め事になり、このシグという使者は引き下がりそうにない。

 そうなれば、撃沈するか否かの決断をこちらが迫られることになってしまう。


 リーベルでは西方の交易船を待ち望んでいる。

 それを沈めたとあれば、正当な理由を報告書に記載しなければならない。

 帝国船の場合のようにはいかない。

 面倒だ。


 結局、シグは親書と渡航許可証を携えた帝国の正式な使者であると認め、臨検の御一行は魔法艦へと帰っていった。

 間もなく艦も動き出し、水平線の向こうへ。


 難は去り、ワッハーブの船に安堵が満ちた。

 これよりすべての帆を張り、航行を再開する。

 操帆手の邪魔にならないよう、帆桁に潜んでいたネレブリンたちも下りてきた。

 ……掌に忍ばせていた投げナイフをそっとしまいながら。

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