第109話「斜陽」

 トライシオスがロミンガンに帰ってからしばらくの間……

 何も起きなかった。

 三国同盟が成り、リーベルはいつでも宣戦布告できる状態にあるというのに。


 そうしなかったのは、一つに剣王の二番艦以降の完成があと少しかかるということ。

 もう一つは、フェイエルムの用意が整うのを待っていた。


 ミスリル歩兵隊、傭術兵団、輜重隊……


 フェイエルム王国首都ケイクロイには、続々と征東軍の兵と船が集められていた。

 征東軍はケイクロイを出航したら大陸北岸に沿って東へ進み、帝都の北西に上陸する。

 かつて準騎士レッシバルが漂着した浜だ。


 もちろん帝国軍は易々とさせる気はない。

 水際で叩きたい。

 砲兵隊を配置し、集中砲火を浴びせてやれ。

 ……といけたら良かったのに。


 砲兵隊は東岸に集められてしまい、北岸に回す余裕はなかった。

 ならば陸軍の竜騎士団をと思うが、これも叶わなかった。

 理由は砲兵隊と同じだ。

 大砲も竜も、東の海より現れる無敵艦隊に備えなければ。


 水際で叩けない理由は他にもある。

 上陸部隊には魔法艦の護衛が付いていた。

 北一五戦隊を全滅させた艦隊だ。

 これでは魔法艦の砲撃が届かない内陸で迎撃するしかない。


 征東軍迎撃には騎兵隊が当たることになった。

 竜はなし。

 歩兵隊もなし。

 昔の征西軍の編成だ。


 征東軍はかなりの大軍だと思うが、歩兵は歩兵だ。

 騎馬の俊足を活かし、こちらから先制攻撃を仕掛ける。


 ミスリル歩兵とブレシア騎兵の戦いだけならこれで良い。

 気がかりなのは傭術兵団だ。


 傭術という使役魔法の使い手たち……

 前征西では、竜六戦隊レッシバルの騎竜が傭術兵に操られて苦戦させられた。


 竜騎士団の援護がないのは辛いが、纏めて操られる危険を考えれば、東岸迎撃に回したことは賢明かもしれない。

 無敵艦隊に使役魔法の使い手はいない。

 海では必要ない魔法……のはずだ。


 南も不穏だ。

 三国同盟締結後、ネイギアス海北部を巡回する連邦艦が増えてきた。

 国境を越えてくることはないが、スレスレを通ったり、しばらく停泊したりと挑発が酷い。

 これに対しては帝国第二艦隊から戦隊を派遣し、領海侵犯を許さない。


 しかし、これで良しとはいかないのが連邦だ。

 連邦艦隊の挑発と併せて関税撤廃を吹っ掛けてきた。

 北と東を塞がれているのを知っているから足元を見ているのだ。

 ……どこからどう見ても三国同盟に連動している真面目な盟友に見えるだろう。


 かかる状況下で、リアイエッタ伯シグに命が下ったのだった。

 リーベル担当部部長に任ずる。

 速やかに帝都へ上れ、と。



 ***



 リアイエッタ、朝——


 シグが帝都へ上がる日、館の者たちが整列して見送ってくれた。

 皆、特に変わった様子はない。

 こんな田舎に長居する貴族はいないし、いつかはシグ卿も帝都へ帰ると思っていた。


 だから奥方の目が赤いことに皆首を傾げていた。

 仲の良い夫婦なのだから、寂しいなら一緒に帝都へ付いて行けば良いのに。


 しかし付いて行くわけにはいかなかった。

 この中で彼女だけが夫の昇進の意味を理解していた。

 夫の仕事を邪魔するわけにはいかない。


 いや、実はもう邪魔していた。

 昨夜、散々泣き腫らした。

 随分と酷いことも言ったように思う。

 だが夫は「すまない」と「努力する」としか返さなかった。


 夫はレッシバルさんを言うが、彼女からみれば夫も似たようなものだ。

 こうすると決めたら絶対に曲げない。


 だから詫びの言葉を聞いている内に諦めたのだった。

 あぁ、この人はもう決めてしまっているのだ、と。


 一夜明け、そんな彼女に少し困り顔で微笑んだ後、シグは片膝をついて小さい息子と視線を合わせた。


「どうしても竜騎士になりたいのか?」

「うん!」


 良いお返事だ。

 誰にも遠慮することなどない。

 自分の人生なのだから。


「なりたいものになればいい。応援しているぞ。ずっと」


 ずっと……

 ウェンドアで倒れ、先に天へ上った後もずっと。


「うん!」


 幼さゆえに父の語る「ずっと」の意味がわからない。

 父に応援してもらえたことだけが嬉しくて満面の笑みだ。


 ここで割って入るのが普段の母だが、今日は涙で視界が滲んでしまい、それどころではなかった。


 笑顔と涙に見送られ、シグを乗せた馬車は動き出した。



 ***



 帝都を目指すシグの馬車。

 その車中に人影が現れた。

 一つ、二つ……

 透明化していたネレブリンだ。


「シグ卿」

「ん?」


 彼らも館でのやり取りを聞いていた。


「死ぬおつもりですか?」

「…………」


 死にに行くつもりはない。

 ないが、どうしても生きて帰れる気がしなかった。


「爺様も申しておりましたが、生還してもらわねば困ります」


 生還してもらわねば、誰があの誓約書を守ってくれるのか。

 皆、隠れ里を発つときに、爺様からくれぐれもと言い付けられていた。

 シグ卿が捨て身になりそうな気配を感じたら止めるように、と。


「……難しいことを言う」


 だが、考えてみよう。

 交戦中の相手国首都で、さらに宮殿内で暴れてもなお生きて帰れる方法を。


 …………

 ……やっぱり無理な気がする。


 でも、トライシオスは命を狙われてもちゃんと生きて帰ってきた。

 レッシバルとフラダーカは諦めずにリーベル派に勝った。

 少年だったワッハーブも生きようと必死に藻掻いたから今日まで生があった。


 彼らに共通しているのは生きようという意思があったことだ。

 生きて帰れないと諦めるのは早いかもしれない。

 シグは馬車旅の道中、生きて帰る方法を模索し始めた。


 いくつかの朝と夜を越え……

 昼、帝都に着いたシグは驚いていた。


 大分断以来途絶えてしまったが、その昔、大陸を横断する大交易路があり、ルキシオは東側の終着点だった。

 大分断後は内陸の物品の集積場、そしてセルーリアス海への玄関として栄えた。

 帝都に選ばれたから栄えたというが、栄えていたから帝都に選ばれたともいえる。


 その繁栄の都から活気が感じられなかった。


 リアイエッタにいた僅かな間に、戦の気配が街の活気を士気に変えていた。

 日常たる民の市場が規模を縮小した分だけ、非日常たる陸軍が街に蔓延っている。


 帝都は軍都と化していた。


 シグの馬車は大砲を積んだ砲兵隊の馬車とすれ違いながら、外務大臣の館を目指す。


 気の早い避難民たちは毎日西門へ殺到しているようだ。

 そのおかげで、いつもなら露店が並んでいて通れない近道を通ることができた。


 やがて館の正門に降り立った。

 妻に引っ張られて義父上にご挨拶をしに来たのは随分前だが、あの頃から変わりない。

 ただ一点、人の気配がしないことを除いて。


「まさか……」


 シグの嫌な予感が増大する。

 大臣や将軍はギリギリまで帝都に残っていると思っていたが、まさか義父上はとっくに避難済みなのか?

 民や兵を残して?


 そのときだった。


「シグ様?」


 正門脇の守衛所から老人が出てきた。

 覚えている。

 義父上の先代から仕えている老守衛だ。

 彼がいるということは、館を放棄して逃げたのではないことを意味していた。


「おかえりなさいませ!」


 相変わらず元気の良い老人だ。

 シグも挨拶を返し、館から人気が感じられないことについて尋ねると、やはり大半の者たちはすでに避難していた。

 とはいえ、まだ僅かな者たちが残っている。

 主が残っているので。


「義父上が!」


 朗報だった。

 軍にせよ、役所にせよ、国が危ういときにその部署の長がいるのは当たり前だと思うが、帝国に生きる者たちはそれが当たり前ではないことを知っている。

 帝国では立派なことだった。


 老守衛によれば、主は午後まで宮殿に出仕しているという。

 ならばここに用はない。

 シグは彼に別れを告げ、再び馬車で宮殿を目指した。


 角を曲がり、大通りに出る。

 後は真っ直ぐ進むだけ。


 外務大臣の館を後にしたシグ一行はルキシオ宮殿に着いた。

 さすがに門番はいたが、やはり人気が少ないように思う。

 以前はもっとザワザワと。


 シグは一人で宮殿へ入っていった。

 本当はネレブリン三名を従えているのだが、透明化しているので姿は見えない。


 さて、目指す義父上はどこに?

 会議室か執務室だと思うが……

 すると、


「婿殿?」


 背後から呼び掛けられて振り向く。

 そこには、


「義父上!」


 両手に書類を抱えた外務大臣がいた。

 会議を終え、執務室へ戻る途中、懐かしい顔を見付けたので声を掛けたのだった。


 見れば一人だ。

 鞄や書類等、雑多な物を持つ従者はどうしたのか?

 シグは見兼ねて、


「お持ちします」

「いやいや、担当部部長を従者扱いするわけには——」


 遠慮の言葉が続いたが、構わず書類束を持った。

 ズシリと重たい……


 大臣は頭を掻きながら、


「やれやれ、娘に見られたら何と言われるか……」

「心配ありません。彼女はリアイエッタです」


 二人共それほど大声ではないのだが、廊下が無人ゆえに笑い声が響く。

 前を大臣が、その後ろにシグが続いて執務室を目指す。

 途中、


「⁉」


 リーベル担当部室が目に入ったが、よく見ると室名札が外されている。

 思わず立ち止ってしまった婿殿に大臣は、


「三国同盟が締結されてから……早かったよ」


 リーベル、フェイエルム、ネイギアスの三国同盟の報は世界を駆け巡った。

 敵国たるブレシア帝国にも。


 すぐに帝国沿岸部から内陸部への疎開の流れが起きた。

 当然、帝都からも人が出て行く。

 裕福な者から先に出て行った。

 豪商が、大貴族が、そして……

 リーベル担当部も。


「……担当部……も?」


 シグはドアノブを回した。


「…………」


 扉の向こう、室内に誰もいなかった。


 リーベルとの関係は帝国にとって最重要だった。

 ゆえに他の担当部と比べて優秀な人材を揃えていた。

 出自が良くなくても才に秀でた者、国内外に顔が利く有力貴族の出……


 いや、違う。

 出自が良くない者はシグだけだった。

 舅殿の七光りだ。

 後は皆、家柄が良い者ばかりだった。


「彼らだけではない」


 大臣は唖然としている婿殿に後ろから声を掛けた。

 有力貴族で帝都に残っているのは僅かだ。

 正騎士も西へ向かった。

 西といっても、正確には南西だ。

 フェイエルム軍が上陸する北西ではない。


「それじゃあ、いま帝都にいるのは……」

「凡そ、平民軍人だ」


 事前に知ってはいたが、家族を疎開させた形になってしまったのは平民のシグが先だ。

 リアイエッタ伯に叙せられたのは三国同盟締結前だが、そんな理屈は通じない。

 きっと担当部の皆が去った一因であったことは想像に難くない。


 大臣からは婿殿の背中が落胆しているように見える。

 しかし、


「……手間が省けた」


 シグはほくそ笑んでいた。

 もし残って職務を遂行している者がいたら、なったばかりの担当部部長権限で、すぐに西門から去るよう申し渡そうと思っていた。

 自分以外は有力貴族の出なのだ。

「死ぬのは平民だけでいい」と言えば、大人しく疎開してくれるだろう。

 誰もいない方がやりやすい。



 ***



 無人の担当部を後にするシグと外務大臣。

 もうその後は、どこにも寄り道せずに外務大臣執務室へ向かう。


 外務省は、何だかガランとしていた。

 聞けば、帝都を離れたいと希望する者を引き留めなかったからだという。

 よって、いまは何でも大臣自らやらなければならない。


 大臣はシグを執務室へ入れると、棚からカップを二つ取った。

 お茶を淹れる手付きが慣れている。


「義父上」


 大臣が淹れてくれたお茶に一口つけた後、早速切り出した。


「和平交渉団全員分の渡航許可証を発行してください」

「⁉」


 婿殿は異なことを言う。

 大臣の目が困惑で僅かに丸くなった。


「全員分とは?」


 リーベル担当部は戦が始まったら、そのまま和平交渉団になる。

 ところが、さっき見た通りだ。

 担当部は、開店休業状態から本当に開店休業になってしまった。


 かかる状況下で、リーベルに行くのはシグ一人だけだ。

 全員分など要らない。

 和平交渉団ではなく和平の使者なのだから、渡航許可証は一通で良い。

 それも発行するつもりはないが。


 もう戦になるのは確実なのだ。

 散々、交渉を続けてきたのに、リーベルは何が何でも戦に持ち込もうとしている。

 結局、戦の理由はいまでもよくわからないままだ。

 そんな国へ一人で赴いて何になる?

 渡航許可証は地獄行きの船券だ。

 二つ返事で発行したと知られたら、娘と孫たちに恨まれる。


「そなたはどこへも行く必要はない。逃げ支度だけ整えて帝都に居れ」


 リアイエッタから帝都へ上れというのが命令内容であろう?

 だから帝都へやってきた。

 それで良いではないか。

 リーベルになど行かずとも、ずっと居れば良いのだ。

 担当部部長が交渉団団長になっても。


 娘がシグを連れてきた日、大臣は会う前から結婚に反対だった。

 当然だろう。

 海賊に滅ぼされた漁村出身の孤児院上がりなんて……

 娘には相応しい候補を幾人か見繕っていた。


 だが、一目会って考えが変わった。

 二度会って確信に変わった。

 三度目には、結婚を許した。


 彼を見ていない者たちから悉く反対されたが、頑として賛成で押し通した。

 娘から絶縁すると脅されたとか、女たらしの噂が事実無根だったとか……

 巷では色々言われたが、どれも決め手ではない。


 一目見てわかった。

 この若者は、いつか王になる。

 王が無理ならば強大な勢力の主になり、大貴族たちも無視できない存在になる。

 斯様な才を他家で発揮させてはならない。

 だから結婚を許した。


 それを単身リーベルへ行かせようなどと馬鹿げている。

 自分も大貴族の一人だが、帝国の悪い癖で潰して良い才能ではない。


「そなたは正直すぎる。命令という奴は明らかに違反していなければ良いのだ」


 いまの帝国の風景は、魔力砲で徹底的に破壊される。

 帝国の市民たちは西へ西へと逃げていくので、彼らを守る帝国軍は逃げながら戦うことになる。


 ミスリル歩兵と魔法兵の連合軍は手強いが、内陸の平原では騎兵が有利だ。

 時間は掛かるが何とか追い返せるだろう。


 だからだ。

 こんなところで死んではならない。

 やつらが去った後は沿岸へ戻って復興が待っている。

 そのときこそ、婿殿の本領が発揮されるときだ。


「死んで来いと言わんばかりの命令に従っていては、命がいくつあっても足らんぞ」


 シグはすぐに返事することができなかった。

 命を惜しんでくれるのは嬉しいが、そうではない。

 自分は一つも正直者ではないのだ。


「…………」


 舅殿にも帝国の全住人にも隠していることがある。

 話せば納得してもらえると思うが言えない。

 言う訳にはいかない。


 馬車旅の途中、巻貝に連絡があった。

「ガネットは魚を獲り尽くした。いまこそ東へ漁場を移すとき」と。


 前段の「ガネットは魚を獲り尽くした」は……

 小竜隊は何も知らずに南航路を通ろうとする〈魚〉、リーベル派の海賊船団を悉く退治し尽くした。


 三国同盟締結の報が帝国南部に届いた日、ロミンガン海軍からの通報が途絶えた。

 いない獲物の情報は伝えようがない。

 しばらく待ってみても、獲物が現れることはなかった。


 後段の「いまこそ東へ漁場を移すとき」も文字通りの意味だ。

 南航路に〈魚〉がいなくなってしまったから、沢山居そうな海域へ移ろう。

 東へ。

 セルーリアス海へ。


 ……これをそのまま伝えることはできない。

 どうしようかと暫く悩んだシグは、


「現れよ」


 すると、


「なっ⁉」


 大臣の目の前で、婿殿を囲むように三人組が現れた。

 何者か、と尋ねるまでもない。

 褐色の肌に尖った耳。


「ダークエルフ……!」


 と呻いた後、「いや」と自ら前言を撤回する。


「森の闇か!」


 ただのダークエルフではない。

 婿殿の命令で姿を現した。

 リアイエッタ伯の命令で。


 どうやったのかは知らないが、婿殿は人間嫌いで深い森の奥に隠れ住んでいるというネレブリン族を手懐けていた。


「……というわけで、全員分の許可証が欲しいのです」


 対する大臣は、


「はっはっはっはっは……そうか、そうよな」


 余計な心配だった。

 無茶な婿殿だが、無鉄砲ではない。

 森の闇を味方に付け、ちゃんと無茶をするだけの備えをしていた。


 ……婿殿と森の闇が行った位でこの戦が収まるとは思えない。

 そのことは百も承知だろう。

 それでも行きたいと言っているのだ。

 行かせてやるべきだろう。


 大臣は全員分の渡航許可証を発行した。

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