第108話「ウェンドア土産」
ウェンドア、夜——
キュリシウスのお披露目の後、夕方から宮殿で祝賀会が開かれた。
ただし、そこにトライシオスの姿はない。
ネレブリンの一人がそっくりに変身し、彼のように振る舞っている。
では、本物はどこに?
……旧市街だ。
旧市街のとある商館の二階で、彼は待っていた。
ここは、リーベルにも連邦にも関係ない他国の商館だ。
連邦も彼個人も、様々な国や組織と探検隊のような付き合いをしており、その一つだった。
二階の一室で、お茶に口を付けていると、
「お客人——」
商館の者はトライシオスを閣下とは呼ばない。
お客人だ。
「どうぞ」
扉が開き、複数人が入ってきた。
まずは商館員が、続いて二人の男性が入ってきた。
「ようこそ」
トライシオスは席を立って笑顔で出迎えるが、
「……本物か?」
大変な失礼ではあるが、〈閣下〉はいまも宮殿にいるのだ。
だがここにも〈閣下〉がいる。
彼らが疑問に思うのも仕方がない。
気持ちはわかる。
だから怒りはしなかった。
笑顔で、
「もちろん本物だよ」
「…………」
しかしこれは無意味なやり取りだった。
本物だったとしても証明しようがない。
偽者だったとしても、これからする話は本物に伝えられる。
少し考えた後、
「我々は——」
リーベル王国陸軍魔法兵団の団長と魔法剣士だった。
トライシオス……いや、ネイギアスの毒蛇は強硬派に目を付けていた。
中でも陸軍魔法兵団に。
そこで会談の裏で、団長と話し合いができるよう密偵に命じておいた。
強硬派の考え方は簡潔だ。
『リーベルにとって良くないものは断固排除すべし』
これだけだ。
付け入る隙がない?
逆だ。
リーベルの敵を叩くと宣言しているが、それが他国とは限らない。
リーベルの敵はリーベルかもしれないのだ。
例えば、海軍や研究所の増長を許している国王とか。
海軍魔法兵団は強硬派以外にも、懐柔派や中立派に分かれているが、陸軍魔法兵団は強硬派で統一されていた。
トライシオスはまず彼らを説得することにした。
奴隷、ミスリル、研究所から出てこない海軍魔法兵……
初めは荒唐無稽と嗤っていたが、やがて薄ら笑いが消えていった。
彼らも異変を感じていた。
良いことではないが、奴隷船がウェンドアにあまり来なくなってしまった。
ミスリルも少なくなった。
そして、海軍魔法兵団所属だった彼らの身内が、研究所から帰ってこなくなっていた。
以前なら、休日になると帰ってきたのに……
「それで?」
陸軍魔法兵団に何をしろと?
「団長たちがイスルード島を統治するべきだ」
団長ではなく、団長〈たち〉……
トライシオスはついに〈議会制〉を提示した。
世界最強の海軍というが、ずっと艦上で暮らせるわけではない。
最後は地に下り立つ。
島に帰ってくるのだ。
その島を疎かにしすぎではないか?
島を守っている者たちを軽んじすぎてはいないか?
イスルード島は、イスルード島で暮している者〈たち〉が治めるべきだ。
国王の一存で全てが決まってしまうのではなく、皆で運営していく議会制によって。
「……フゥ」
団長は溜め息を吐いた。
海軍絡みの不審な点を指摘する執政の慧眼には目を見張ったが……
リーベルとネイギアスでは、国の成り立ちが違うのだ。
代々の国王陛下の判断は間違っていなかった。
海軍の力なくして島の繁栄はない。
団長は席を立った。
護衛の魔法剣士も続く。
「我々陸軍が連邦の目にどう映っているのか、それがわかったことは有意義だった」
ネイギアスで議会制が定着したのは、各島の勢力が拮抗していたからだ。
ロミンガン王国も小国群を統べる絶対王者とは言い難い。
小競り合いが延々と続き、すべてが力尽きた頃に他国から支配される。
かかる情勢下で連邦制を導入した、時のロミンガン国王は賢明だった。
対してリーベルは海軍の力が飛びぬけて強い。
さらに研究所が合流してからは最大の勢力となった。
王家、宮廷、海軍……
三者は決して仲良しではないが、対外的には三位一体だ。
これを崩すのは容易ではない。
また崩す必要もない。
他国の陸海軍は仲が悪いと聞くが、我が国は違う。
かつて実力が伯仲していた頃は小競り合いがあったというが、昔は昔、いまはいまだ。
いまのリーベル陸軍の務めは島を守ること。
海軍が後ろを気にせず前進し、外で〈海の魔法〉を遺憾なく発揮できるように……
***
陸軍の二人が居なくなると、部屋のあちこちからネレブリンが出てきた。
戸棚の影、部屋の隅、トライシオスの背後で、透明化して佇んでいた。
「陸軍とはいえ、リーベルの魔法兵団です。無理だったのでは?」
それほど取り付く島がなかった。
だが、トライシオスは首を横に振る。
「まだ〈海の魔法〉が健在だからな。でも——」
でも無敵艦隊が敗れ、レッシバルたちがウェンドアへ押し寄せて来たとき、この島の人間たちは知るだろう。
〈海の魔法〉が完全無欠ではないことを。
小竜隊は雷竜隊五騎、火竜隊一五騎だ。
僅か二〇騎——
いや、遠征軍迎撃戦を終えた後では五騎、あるいは半減しているかもしれない。
ウェンドア新旧両市街を焼くには数が足らない。
海軍も近海防衛用に多少残しているだろうが、ウェンドア防衛戦の主力はリーベル陸軍だ。
小竜二〇騎を丸ごと投入できたとしても、陸軍魔法兵団が展開している大障壁を崩壊させることはできない。
レッシバルたちなら突破できるかもしれないが、あくまでも一部分に過ぎない。
すぐに張り直されてしまい、その穴から次々に突入することはできないだろう。
残念だが、防衛戦は陸軍の勝利で終わる。
その後、どうなるかな?
海軍は常日頃から島を魔法艦隊で囲み、何者も通さない鉄壁の守りだと豪語していた。
まるで陸軍の守りなど不要だと言わんばかりに。
だが、首都は小竜の襲撃を受け、陸軍が退けた。
海軍はもう〈海の魔法〉だと威張っていられまい。
この事件を切っ掛けに、陸軍は次第に物申すようになっていく。
ウェンドアを小竜から守ったのは彼らだ。
海軍にとって発言力が増した陸軍は邪魔だ。
邪魔者は爆殺するか?
魔法剣士を差し向けて闇討ちするか?
どちらからともなく始まり、いつ終わるのかわからない応酬が続く。
国王はこれを止めなくてはならないが、おそらくどちらも止められないだろう。
海軍は増長していて言うことを聞かないし、陸軍は首都防衛という大手柄を立てている。
どちらも悪者にできない。
それでもどちらかを悪者にしなければならないとしたら、悩み抜いた末に陸軍を悪者に選ぶだろう。
現在のリーベル王国があるのは〈海の魔法〉のおかげ。
海洋魔法王国の王が海を裏切るわけにはいかない。
そのとき、今日の言葉が団長の中で蘇ってくる。
団長が煮え切らなければ、隣にいた魔法剣士が。
〈海の魔法〉は確かにリーベル王国の基本だった。
しかし小竜に敗れ去った。
なのに、いつまでも未練がましく振り返り、前を見ようとしない。
こんな奴らに国を任せておいてはならない。
王制を廃し〈議会制〉にすべし、と。
ネイギアスの猛毒は遅効性だ。
すぐに劇的な効果が出ることはない。
でも今日、確かに入った。
後は陰ながら支援を続けて行けば良い。
強硬派が〈議会派〉に変わる日まで。
「私にできることは、ここまでのようだな」
トライシオスは静かに席を立った。
戦力で劣る連邦を代表して大国リーベルに乗り込み、会談中は一切譲らなかった。
業を煮やしたリーベルが手荒な手段に出たら、それを逆手に取ってみせた。
そして今日は陸軍に〈議会制〉を示した。
……たった一週間で。
彼の言葉通りだ。
もうリーベルで彼がすべきことはない。
すべて為し終えた。
トライシオスはネレブリンに〈影〉を貼り付けてもらい、商館を後にした。
誰かに見られてはまずいので、商館の者たちの見送りはない。
「あ……」
商館を出て数分、何かを思い出して足が止まった。
まだ何かやり残しが?
「土産を、買えなかった……」
〈集い〉の皆に配るウェンドア土産だ。
調印式の後、夕方まで時間があったので土産選びにと思っていたのだが、キュリシウス型の演習で潰れてしまっていた。
ネレブリンたちから漏れる安堵の溜息。
一人がトライシオスを宥める。
「明朝、出航前に少し時間があります。土産はその時に」
「そうだな。あちこち見て回れないが仕方ないか……」
呑気にウェンドア土産など配ったりするから……
またシグや女将から「リーベルを舐め倒してきたのか」と誤解されるのだ。
わかっている。
それでも彼が土産を買うことをやめはしないだろう。
切羽詰まっているときに、土産を買える者はいない。
つまり、会談は土産を買えるくらい余裕だったという強がりだ。
それほど凝ったものである必要はない。
土産でありさえすれば良いのだ。
土産即ち、南航路の制海権確保に成功したという意味なのだから。
***
翌朝、トライシオスは限られた時間の中で土産を買った。
新旧両市街を見て回れなかったことが悔やまれる。
結局、近くの土産物店で買うしかなかったのだが、美的感覚を疑われると最後までぼやいていた。
それでもとにかく土産物を確保できたのだし、何より時間が迫っていた。
国王陛下へ帰国の挨拶をする時間だ。
仮大使館へ入るまではグダグダだったが、正装して出てきたときには見事に立ち直っていた。
謁見は無事に済んだ。
陛下からフェイエルム大使に対しては労いの言葉だけだったが、トライシオスに対しては大使館爆破の犯人を必ず捕らえると約束してくれた。
その犯人、陛下の目の前にいるのだが……
そして、いまは連邦公船の甲板にいる。
いよいよ出航だ。
錨を巻き上げると船が前に進み、その勢いを利用して速度が上がる。
音楽と群衆に見送られながら、トライシオスを乗せた公船が大水門へと近付く。
振り返ると、彼の位置からウェンドアの街並みがよく見える。
——さらば、ウェンドアよ。二度と訪れることはあるまい。
国王、皇帝、執政。
共通するのは一国の元首であるということだ。
気軽に海外旅行ができる立場ではない。
これらの方々の行動半径は意外に狭いのだ。
執政はもちろん、他の〈老人たち〉も滅多にロミンガンから出ない。
〈漁場〉が絡まなければ、リーベル派元老が何を言おうと、中立を決め込むところだった。
それに……
会談中、ずっと敵意を感じていた。
帝国の次は連邦の番だ、と。
その敵意から、実際に三人の殺し屋が差し向けられた。
もう訪れるべきではないだろう。
〈議会派〉への支援は密偵を通じて行える。
自分はもちろん、ネイギアス大使も関与する必要はない。
後は、革命が起きるのを遠くから見守っているだけだ。
次にウェンドアを訪れる機会があるとしたら、それはずっと先のことになりそうだ。
そのときには執政ではなく、ロミンガン国王の座に着いていると思う。
余計にロミンガンを離れにくい立場になっているが……
きっと、ウェンドアはいまの姿ではない。
国名も変わっているはずだ。
リーベル共和国、あるいはイスルード共和国か?
幾つもの戦乱や流血を経た、殺伐とした都になっていることだろう。
ゆえに栄華の姿を見るのはこれが最後だった。
その目に焼き付けた。
大水門を越えると、トライシオスは前を向いた。
もう振り返らない。
針路二五〇。
成功のウェンドア土産を持って、友が待つネイギアス海へ。
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