第107話「宿題」

 トライシオスがウェンドアにやってきてから七日目——


 リーベル、フェイエルム、ネイギアスは本日、調印式を迎えた。


 ここまで大変だった……


 リーベル・ネイギアス両国の対立。

 執政爆殺未遂事件。


 調印どころか、二国同盟、帝国、連邦の三竦みの戦になっていてもおかしくなかった。

 よくぞこの日を迎えることができたと感心する。

 外形だけでも喜んでみせるべきだ。


 そう……

 残念ながら三国は心から意気投合しているわけではない。

 三国それぞれに不満が残った。


 合意に最も不満なのはリーベルだ。

 連邦に呑ませたかった条件は何一つ通らなかった。


 次に不満だったのがフェイエルムだ。

 大量のブレシア人奴隷とミスリルの用途。

 あの箱の中身。

 すべてが謎のままだ。


 主張通りになったはずの連邦にも不満はある。

 連邦にとって何の利益もない同盟なのに、参加する以上は領海北部に艦隊を展開しなければならない。

 余計な出費だ。


 トライシオスも不満だ。

 リーベルに命を狙われ、大使館を焼かれた。


 大使館はただの建物ではない。

 両国友好の証だ。

 これを焼く意味は重い。


 ……友好の証という高尚な言葉は、リーベルに難しかったか?

 ならば、その低い知能に合わせてやろう。


 大使館はネイギアスの城も同然だ。

 リーベルは城を焼いたのだ。

 タダでは済まない。



 ***



 昼前、調印式は大広場で執り行われた。

 式については特に記すことはない。

 平穏無事に終わった。


 普段、ウェンドアの警備は陸軍が務めているのだが、一昨日、大使館爆破事件が起きてしまった。

 陸軍にとっては大失態だ。


 この上、調印式まで妨害されては、陸軍だけでなくリーベル王国の面子が丸潰れだ。

 陸軍は非番だった者を全員呼び出し、海軍も上陸中の兵を警備に参加させた。


 これだけの厳戒態勢を敷けば、さすがの反対派も隙を突くことはできなかったようだ。

 ……本物の反対派は調印式妨害どころか、執政爆殺も企んでいなかったのだが。


 さて、調印式を終えたトライシオスは大広場を後にしようとしていた。

 同盟締結を祝う会は夕方からだ。

 大使が仮の大使館として空きの館を借りていたので、夕方までそこで時間を潰すつもりだった。


 フェイエルム大使も自分たちの大使館に戻るつもりだったようだ。


 ところが、リーベル側に呼び止められた。

 祝賀会の前に余興を見せたいと。


 トライシオスと大使は思わず顔を見合わせた。


(どうする?)

(どうしようか?)


 双方、夕方まで用事はない。

 強いて言うなら、トライシオスが探検隊のお土産を求めて街へ出るくらいだ。

 彼個人にとっては大事な用事だが、執政としてはリーベルの余興を優先するべきだろう。


「せっかくのお誘いだ。私は拝見したいと思う。大使は?」

「もちろん私も拝見したい」


 ここに来て両大使の抹殺はないだろう。

 むしろ抹殺されないように、陸海軍が街の至る所で目を光らせているくらいだ。


 二人は大臣の後を付いて行くことにした。

 馬車に乗り、大広場から軍港区域へ。


 港に着くと輸送艦に乗り換えて出航。

 大水門を抜け……


 艦が止まったのは、港からそれほど遠くないウェンドア沖だった。


 ——ここで何を?


 トライシオスが見渡す限り、気になるものはない。

 概ね晴れている空と穏やかな海。

 あとは輸送艦よりさらに沖合に浮かぶ沿岸警備隊の魔法艦群。


 大臣はその警備隊の方を見るよう促した。

 すると、警備隊の影から一隻の魔法艦が進み出てきた。


「あれは……」


 トライシオスの目が釘付けになった。

 隣ではフェイエルム大使が呑気に「新しい魔法艦ですかな?」と大臣に尋ねているが、答えてもらうまでもない。


 あれは『剣王』だ。

 警備隊とは明らかに雰囲気が違う。


〈箱〉の件に続き、今日も街で留守番などさせたらフェイエルム大使が怒り出す。

 それでリーベルは「三人一緒に海へ」ということにしたのだが、剣王を真に見せたい相手はトライシオスだった。


 ——何が余興だ!


 何とか平静を保っていたが、彼の心の中では危険を報せる警鐘が鳴り止まない。

 想定していたより完成が早い。


「紹介しよう!」


 大臣が声高らかに披露する。

 我が海軍の最新鋭艦。

 そして世界初の可変精霊艦。


「キュリシウス型一番艦『キュリシウス』だ!」


 まるで会談での屈辱を海で晴らすかのようだが、それは誤解だ。

 決して仕返しのためではない。

 前々から調印式の日に披露すると決まっていたのだ。


 すべては……

 連邦に見せつけるため。


 リーベルは謀において連邦に及ばなかった。

 そのことは素直に認める。

 仕方がない。

 リーベルは魔法の専門家であって、謀の専門家ではないのだ。

 口喧嘩では連邦に敵わない。


 しかし、口喧嘩というものが口頭のみで終わることは少なく、大体はその後、殴り合いや殺し合いに繋がりやすい。

 そこまで発展しなかったとしてもゲンコツの威力を見せつけ、相手を屈服させることはあり得る。


 野蛮?

 卑怯?

 これが討論会や弁論大会なら、そう詰られても甘んじて受けるしかない。


 ところが外交においては、野蛮も卑怯も切り札の一枚に過ぎない。

 なるべく出さずに済ませたいが、話が望まぬ流れに進んだら躊躇わずその札を切る。


 会談は単なる意見交換の場ではない。

 互いに言葉を撃ち合う戦場なのだ。

 実際の戦闘と違って敗れた側が直ちに死ぬわけではないが、ジワジワと不利に追い込まれ、やがては破滅に導かれる。


 王国が滅べば多くの民が犠牲になるだろう。

 言葉の戦と比喩するが、犠牲者が出る以上は比喩ではなく本当に戦なのだ。


 戦に臨んで、野蛮や卑怯との誹りを恐れていてはいけない。

 だからキュリシウス型をこの日に間に合わせた。


 執政は勝ったつもりかもしれないが、あくまでも机上の勝利に過ぎない。

 策で敵の勢いを削ぐことはできても、丸ごと消滅させることはできないのだ。

 最後は実際の戦いが待っている。


 さあ、どうする?

〈老人たち〉よ。

 舌先三寸では剣王を消すことも、力を削ぐこともできないぞ。

 しかもこれ一隻で終わりではない。

 いまも工廠で二番艦以降を建造中だ。


 かつてコタブレナに落とされたゲンコツの痛みを忘れたというなら、剣王と警備隊の演習を見て思い出してもらおう。


 これはいわばゲンコツの素振りのようなもの。

 素振りで威力を思い出し、態度が改まれば良し。

 どうしても痛みを思い出せないというなら、そのときは直に味わってもらうしかない。

 帝国を滅ぼした後は連邦だ。


「始めよ!」


 大臣は伝声筒で目の前の魔法艦たちに演習開始を命じた。



 ***



 剣王対警備隊の演習。


 リーベルはこれを祝賀会までの余興だという。

 遠征に投入する新兵器をここで披露すれば「同盟の勝利は間違いなし」と盟友たちに安心感を与えることにもなる。


 だが、本当の狙いは別にあった。

 これはリーベルから連邦に対して出された宿題だ。


【問題】

 戦が始まったら、リーベルは約束を無視してアレータ島を占領する。

 では、同盟の条件に違反するリーベルに対し、戦力で劣る連邦が取り得る対抗措置を挙げよ。


 ——これは難しい。


 あまりの難しさに、望遠鏡で演習を眺めるトライシオスから薄ら笑いが消えた。

 レッシバルたちなら勝てると確信していたのだが……


 剣王を見て、考えを改めた。

 死角から襲い掛かれば必ず勝てると思っていたが、このままでは勝ち目がない。



 ***



 演習は、標的艦を撃沈するという一般的な内容だった。

 ただし、単縦陣に並んだ警備隊が剣王の往く手を阻む。


 警備隊は単一精霊艦で構成されており、通常は核室に火精を装填して出航する。

 だが今日は可変精霊艦キュリシウスのために火精、水精、雷精……と、各種精霊を核室に装填してきた。


 演習が始まると警備隊全艦、各々の力を魔力砲に込め、突っ込んでくる剣王に狙いを定めた。


 大臣によると、演習なので威力を抑えているというが……

 他国の艦船なら、魔法艦の舷側に向かって突撃など恐ろしくて絶対にできない。


 しかし剣王は軽快に距離を詰めていく。


 船足が速いのは順風を受けているからだ。

 それはわかっている。

 でもその場で見ている者には、艦型名の由来となった豪傑キュリシウスの魂が乗り移っているかのように感じた。


 トライシオスたちが見守る中、散歩のような軽やかさで剣王が警備隊の射程に入った。

 それを見た先頭艦は直ちに発砲。


 ボォゥッ!

 ゴォォォッ!

 ボゥゥゥンッ!


 砲口から次々と火球が飛び出していく。

 先頭艦は通常通りの火精艦だった


 剣王は直ちに水精艦に変化し、水幕を展開した。

 火には水だ。


 火球は全弾命中。

 されど水幕を突破できず、全弾掻き消された。


 間を置かず二番艦の砲撃。

 こちらは雷精艦だった。

 雷球の群れが剣王目掛けて飛んでいく。


 直後、フェイエルム大使から、


「早すぎる!」


 と危惧の声が上がった。

 先の火球から次の雷球まで間隔が短すぎる。


 見れば剣王はまだ水精艦のままだ。

 艦全体が水の〈気〉で包まれている。

 弱装力の雷球とはいえ、少しでも擦れば艦内隈無く電撃が走る。

 水には雷だ。


 水幕に雷球が迫る!

 新たな力を執政に見せつけてやる演習だったのに、リーベルは会談に続き海でも敗れるのか?


 いや……


 古の豪傑キュリシウスは瞬時に魔法を付与し直すことができたという。

 揺れる甲板はもちろん、僅かな隙が死に直結する斬り合いの真っ最中でも。


 リーベルはそんな彼にあやかりたくて、艦型名にその名を付けた。

 彼の様に変幻自在であれ。

 そして彼の様に——

 即時即応であれ。


 雷が土に落ちても、水のように伝っていくことはできない。

 洞穴に避難した旅人を穿つことはできない。

 雷には土だ。


 可変精霊艦キュリシウスは、素早く土精艦に変化した。

 その途端、水幕は消え、艦前方に土壁が表れた。


 バシィィィッ!

 バチィッ!


 警備隊から剣王を隠す土の大盾を、雷の魔法弾では貫くことができなかった。

 激突した雷球は何もできないまま四散した。


 その後も風や水等、各種魔法弾が撃ち込まれたが、結果は同じだった。

 剣王は相手の攻撃を悉く無力化し続けた。


「大臣、一つ質問してもよろしいか?」


 トライシオスは剣王に向けていた望遠鏡を下げながら、余裕顔の大臣に尋ねた。


 相手の属性に合わせて変化するキュリシウス型はすごい。

 でも、必要か?


 海で魔法攻撃ができるのはリーベル海軍だけだ。

 これほど様々な魔法攻撃を海上で仕掛けられる敵がどこにいる?


「帝国海軍相手に大袈裟すぎないか?」

「帝国海軍……」


 余程意外な名だったのか、大臣は呆気にとられていたが、すぐに誤解されていると気付いた。


「はっはっはっはっはっ……ご冗談を、トライシオス閣下」


 これが笑わずにいられようか。

 世界の海に睨みを利かせてきたリーベル海軍が、魔法と無縁のガレー海軍をやっつけるためにキュリシウス型を投入する?

 面白い冗談だ。


 帝国海軍など、初めから敵の数には入っていない。

 あんなものは見つけ次第、遠くから魔力砲を撃っていれば殲滅できる。

 キュリシウスの敵は、


「帝国陸軍だ!」



 ***



 帝国海軍は〈海軍ごっこ〉と揶揄されるほど弱いが、征西で鍛えられてきた騎士団と陸軍竜騎士団を擁する帝国陸軍は強い。

 また上陸を阻止するため、砲兵隊の他に魔法使いの傭兵がいるかもしれない。


 これらに対処しつつ、魔法剣士隊の上陸を助けるのがキュリシウス型の仕事だ。

 搭載している精霊を素早く切り替えられる剣王なら、相手の攻撃に応じた最適な防御と反撃ができる。


「…………」


 会談中、大臣の揚げ足を取ってきたトライシオスだったが、いまの説明に突っ込むべき点は見つからなかった。


 確かに帝国海軍では足止めにもならないだろう。

 遠征軍はすぐに大陸東岸に押し寄せる。


 いくら最強の海軍でも、上陸戦は危険を伴う。

 水際で上陸部隊に集中する火線を減らさなければならない。

 特に魔法攻撃を。


 もし上陸部隊の護衛を従来の魔法艦にさせたら、無傷とはいかないだろう。


 沿岸は波と揺れに妨げられないので、魔法が本来の威力で飛んでくる。

 しかも火球とは限らない。

 意表を突いて氷の矢かもしれない。


 よって障壁を対火から対氷に展開し直したいが、敵は核室の精霊入れ替えが終わるまで待っていてはくれない。

 敵の前で一旦無防備になるくらいなら、艦体が多少焦げても、通常の障壁のみで耐える方が現実的だ。


 その点、剣王の切り替えの早さなら何の問題もない。

 時間が掛かる精霊入れ替えなどせずとも、切り替えるだけで火と雷を防いだ。


 ここは海だが……

 警備隊の単縦陣が模しているのは、帝国陸軍砲兵隊や魔法使いが沿岸で迎え撃つ態勢だった。

 だとすれば、剣王は見事凌いでみせたことになる。


 次は攻撃だ。

 味方の上陸を助けるため、敵防衛部隊を叩く。


 剣王は面舵転舵して砲列並ぶ左舷側を警備隊に向けた。

 砲撃準備はすでに完了。

 狙いは警備隊の向こう、標的艦だ。


 ゴォォォッ!

 ボゥゥゥッ!


 装填されていたのは付与弾ではなく、火精の魔法弾だった。

 全弾、誘導射撃によって緩やかな弧を描き、警備隊を躱す。

 隊列を抜き去れば、もう味方誤射の心配はない。

 火球の群れが標的艦へ獰猛に襲い掛かる!


 ドガァァァンッ!


 マストはへし折れ、粉々になった甲板や欄干が宙へ飛び散る。

 標的艦は大破した。


 ところが、これで終わりではなかった。

 火力弾発射後も面舵転舵を続けていたため、あと少しで右舷側が標的艦に正対する。

 砲口から稲妻を漏れ走らせながら。


 精霊切り替えが早いのは防御時だけではない。

 攻撃においてもだ。

 剣王はこの僅かな間に火精艦から雷精艦へ変身していた。

 右舷魔力砲への装填もすでに完了。


 標的艦を再び正面に捉えた。

 キュリシウス号の砲術長が、勢い良く指揮刀を振り下ろす。


 ヴァンッ!

 ヴァンンンッ!


 右舷砲列より放たれた雷球の群れも警備隊を躱すように飛んでいき、大破炎上中の標的艦を砕いた。

 木端微塵だ。


 本当はさらに精霊を切り替えながらの砲撃を予定していたのだが……

 水面に浮かぶ板切れを撃っても仕方がない。

 演習は終了した。


 港への帰り道、大臣は標的艦にした帆船の脆さを嘆いていた。

 防盾艦にしておくべきだった、と。

 でも、連邦に対する脅しとしては十分だった。


「いやいや、面白い余興だった」


 と笑顔で大臣に返すトライシオスだったが、内心では激しく動揺していた。


 剣王は相手に合わせて精霊を切り替えられるが、〈ガネット〉はそうはいかない。

 フラダーカは雷竜のままだし、イルシルトは火竜のままだ。


 どうすればいい?

 あんなに目紛しく変化されると、溜炎と溜雷のどちらで攻撃すべきかわからなくなる。


 ——何か、手を考えなければ……


 笑顔の裏で、トライシオスは宿題の難しさに頭を抱えてしまった。

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