第106話「リーベルらしく!」

 ウェンドア会談五日目——


 この日、リーベルにとって喜ばしい出来事が二つ起きた。

 内心では苦々しいかもしれないが、無理にでも喜ぶべきだ。

 トライシオスが生きていた。

 昼前、自前の荷馬車で市民たちに手を振りながら宮殿へ姿を現した。


 昨夜は大使館ではなく、公船に戻っていたので難を逃れることができたのだという。

 悪運の強い男だ。


 ……いや、悪運とも言い切れないか?

 見た目は若いが、奴は歴とした〈老人たち〉だったのだ。

 だとすれば、リーベルは奴の掌の上で踊らされていたことになる。


 リーベルを非難し、交渉を打ち切りに来たか?

 結果としては無事だったが、命を狙われたことに違いはなく、大使館が燃え尽きたという事実は動かしようがない。

 しかし奴は大会議室へ入ってくるなり、


「諸君、今日こそ合意に至ろう!」


 と高らかに宣言した。

 交渉を続けるつもりらしい。


 嫌な予感はするが、連邦と敵対せずに済んだことは素直に喜ぶべきだろう。

 しかし次は無理だ。

 頭では喜ぶべきだとわかっているが、心からは喜べない。


 同盟が……

 三国同盟が成立してしまった。


 ?

 良かったではないか。

 おめでとう。


 ……などという呑気な発言は、やめておいた方が良い。

 賢者たちの前では特に。

 さもないと、彼らの機嫌がさらに悪化してしまうことだろう。



 ***



 三国同盟締結前、昼——


 事情を知らないフェイエルム大使は素直にトライシオスの無事を喜んだが、リーベルの大臣は笑顔が引き攣っていた。


 大臣や賢者たちは親玉だ。

 昨夜、子分たる魔法剣士たちに暗殺を命じた。

 一夜明け、仕留め損なった標的と対面するのは気不味かった。

 今日の会談は、昨日までとは比べ物にならないほど難航するに違いない。


 厄介だ。

 そんな厄介な奴は偽者として追い払いたかった。

 でも、それはできない。


 現れた執政を偽者だと断じた瞬間、自動的に首無し焼死体が本物の執政だということになってしまう。

 そうなれば、リーベル海軍や研究所の容疑を晴らすことはできなくなる。


 目の前のトライシオスを本物と認めて交渉を続けるしかあるまい、と不貞腐れながら大会議室へ向かっていた。

 だが、その途中で、


 ——いや、待てよ……この状況は……


 この状況はリーベルにとって順風かもしれないと思い直した。

 大臣の頭の中に一つの仮説が浮かんできた。


 奴のふざけた面構えを見て本物だと思ったが、案外、部下の意見が正しかったのかもしれない。


 こうは考えられないだろうか?

 実は〈大真珠の採取〉は密かに成功していた。


 ところが人型を運び込む途中で、同日同刻、闇討ちを計画していた同盟反対派と鉢合わせになった。

 おそらく反対派にも魔法剣士がいて、数で勝っていたのだろう。

 赤月たちは全滅し、本物と人型両方の首を奪われた。


 後は市民たちの目撃通りだ。

 同盟反対の意思表示のために大使館へ火球を撃ち込んだ。


 閣下のご遺体は火球の直撃により四散、焼滅。

 直撃を免れた赤月たちの遺体と首無し人型は黒焦げになった。

 ……というのが真相なのではないだろうか。


 尤もネイギアス大使にとっては、真相より事後処理の方が重要だ。

 連邦内外に対し、閣下が討たれたことを隠さなければ。

 影武者を出して会談と調印を滞りなく済ませ、可及的速やかに公船を帰国させたい……のだとしたら?


 大臣は自らの仮説を反芻している内に、段々と確信が深まっていった。

 本当に影武者なのではないか、と。


 あれほどの大事件だったのに、連邦はどうして何も責めずに交渉を続けようとするのか?

 答えは一つ。

 ややこしかったトライシオスがいなくなったからだ。


 災い転じて何とやら。

 いまなら、早く調印を済ませたくて、どんな条件でも呑むのではないか?

 アレータ島のことも、ネイギアス海全域自由航行権も。


 あれほど引き攣っていた大臣の顔が、いつの間にか晴れ晴れとした笑顔に変わっていた。



 ***



 影武者——


 重要人物を守るために身代わりとなる者。

 顔付き、背格好、声が似ているのは当たり前で、訓練を積んで趣味嗜好も似せていく。


 とはいえ、いくら努力しても真似できないものがある。

 才能だ。

 猛特訓を積んでもトライシオスの才能を真似ることはできない。


 だから、大臣の前に着席している影武者に昨日までの切れ味はない、と思っていた。

 ところが……


「一夜明け、連邦の海は連邦の手で守るべきとの思いが一層強まった。よって——」


 よって、同盟軍であってもネイギアス連邦の領海を好き勝手に航行することは許さない。

 またリーベル王国のアレータ島領有も賛同できない。


 会談五日目、連邦の主張が変わることはなかった。

 トライシオスは最後まで揺るがなかった。


 瞑目し、彼の主張に耳を傾けていた大臣は、


 ——まあ、そうであろうな……


 と心の中で呟きながら、静かに目を開いた。

 本当はトライシオス本人なのだが、まだ影武者の名演技だと思い込んでいた。


 上手い芝居だったが、ここは劇場ではない。

 会談の場だ。

 いつまでも観劇しているわけにはいかないのだ。


 ——フェイエルム大使の前で化けの皮を剥ぎ、一方的に条件を呑ませてやる!


 大臣の背中が椅子の背もたれから離れ、やや前のめりの姿勢に。

 さあ、ここからはリーベルの逆襲だ!

 ……となりかけたのだが、


「待たれよ! まだ続きがある」


 トライシオスは大臣に向かって右掌を突き出し、反撃開始を寸前で制した。


「……失礼した。続きを伺おう」


 大臣は奥歯を噛み締めつつも、途中で遮ってしまったことを詫びた。

 フェイエルム大使の前だ。


 それに、興味も湧いた。

 役者の要望など一つも叶える気はないが、主君不在の連邦が何を望むのか気になった。


「では——」


 二国の代表が注目する中、トライシオスが出したものは第三の要望ではなく、小脇に抱えてきた箱だった。


 宮殿の侍従が預かろうとしても断り、大会議室へ持ち込んできた謎の箱。

 一旦は机の中央に置いたが、何かが気に入らなかったらしく再び小脇に抱え、


「大臣、申し訳ないがあそこまで回り込んで来て頂きたい」


 指差した先は、いま三国の代表が着席している長机の端だった。

 大臣は、


「なぜだ? ここで開けば良かろう?」


 当然の疑問だ。

 だが、


「いや、これは海についてのもの……二国のみで見るべきものなのだ」


 海についてのものなのだから、海戦を担当する二国のみで見るべき。

 その代わり、帝国上陸後については陸戦に加わらない連邦は遠慮する。


 ……と言われてしまい、一緒に立ち上がりかけたフェイエルム大使は大人しく座り直すしかなかった。


「見た後、大使に伝えてしまえばコソコソした意味がなくなってしまうが?」

「それは構わない。大臣の判断に委ねる」


 どうあってもフェイエルムを除け者にしたいらしい。

 大臣と大使の目が合う。


(すまんが、ここに居てくれ)

(子供の我儘には敵いませんな)


 年長者同士での話がついた。


「いってらっしゃい」


 フェイエルム大使は両者へ、構わず行ってくるよう促した。


「……拝見しよう」


 除け者にされる大使が譲歩してくれているのに、大臣が反抗し続けるのもおかしい。

 渋々と指定された長机の端へ向かう。


 先に着いたトライシオスは箱の金具を外し始めている。


 ——クソガキめ、面倒をかけさせおって……


 影武者がどう足掻いたところで、トライシオスの代わりは務まらない。

 いまさら何をしようというのか。


 溜め息混じりでトライシオスの横に着いたときには金具が外し終わり、蓋に手を掛けていた。


「心の準備はよろしいか?」

「……もったいをつけるな」


 大臣は不機嫌そうだが、トライシオスは逆に面白くなってきた。

 プレゼントとはそういうものだろう?

 相手の反応を思い浮かべて、贈る者も楽しむ物だ。


 箱の中を見た大臣は赤くなるかな?

 それとも青くなるかな?


 ワクワクしながらトライシオスは蓋を開けた。



 ***



 海の話だというから控えたが、フェイエルム大使も本当は箱が気になっていた。

 隙間から見えないものかと、着席したまま首だけを動かしてみるが、箱は宝箱のような構造なので大使の位置からは蝶番と蓋しか見えない。


 だが良い物ではなさそうだ。

 大臣の様子が只事ではない。


「……左半分は?」


 どんな形をしているのかはわからないが、二つに分かれている物であり、箱に入っているのはその右半分らしい。

 大臣は声を抑えているつもりのようだが、大会議室は静かなので耳に全神経を集中させていれば小声を拾うことができた。

 普通の音量で話している執政の声も。


「もうウェンドアにはないよ」


 ではどこに?

 と当然疑問に思う。


 でも言葉は必要なかった。

 執政の視線が答えている。


 窓の向こう。

 遠くに見える大水門のさらに向こう。

 大海原だ。



 ***



 大会議室に妙な音が流れる。


 ガリ……バリ……


 音は大臣の口元から漏れていた。

 歯軋りの音だ。


 トライシオスの目は海を向いているので、耳は自然と大臣の方を向いている。

 だから歯軋りがよく聞こえた。


 喜んでもらえないのは覚悟していたが無反応は困る。

 プレゼントを贈る側としてその点だけが心配だったので、歯軋りの音が耳に心地良かった。


 異常な光景だ。

 フェイエルム大使の位置から見て、二人共様子がおかしい。

 拳を握りしめ、いまにも執政に殴りかかりそうな大臣と、歯牙にもかけず優雅に海を眺めている執政。


 海を見ているのだから、確かに海の話なのだと思うが……

 それだけで大臣が激怒しているのはなぜだ?


 プレゼントの箱に再び金具を掛けてその場に残し、執政だけが席に戻ってきた。

 大臣は箱を睨んだまま固まっている。


 帝国上陸後の話は、リーベルが連邦に声をかける前から散々してきた。

 この場でする議論はない。


 海の話とやらが終わったのなら、昨日の会談終了時に告げた通り、三国の言い分はすべて出揃ったと言える。

 後は大臣が戻ってくるだけだ。


 怒りの火を消すのに苦戦しているのか。

 一分程、その場から動けずにいた。

 一分は日常生活の中では短いが、会談の真っ最中に挟んだ待ち時間としては長い。


 大臣も二国の代表を待たせているのはわかっている。

 それでも……


 もう怒りはない。

 いまは敗北感で打ちのめされている最中だ。

 折れそうな心を立て直すのに必死だった。


 箱の中で塩漬けになっている〈右半分〉を見せられて、すべてを悟った。


 リーベルは……

 ウェンドア会談という戦に敗れたのだ。



 ***



 赤月たちを全滅させたのは同盟反対派ではない。

 連邦だ。

 彼らの動きは密偵に掴まれていた。


 世界一と評される諜報能力に加え、殺傷能力にも長けている連邦の密偵……

 大使館にも大勢いると予測して三人を送り込んだのだが、見積もりが甘かったか。


 数で優っていたとはいえ、海軍の魔法剣士二人を片付けた腕は見事だ。

 その凄さは素直に認めよう。


 また、凄いのは密偵だけではない。

 彼らを率いている執政も凄い。

 丸ごとではなく、半分しか持参してこなかった用心深さには舌を巻く。

 右半分だけでも昨夜、人型を確保したことが十分伝えられるし、左半分は帰路の安全確保に使える。


 若さに騙された。

 若造は間違いなく執政だった。

〈老人たち〉の筆頭だった。

 自分の命が狙われたというのに、逆手に取る策を立ててくるとは……


 もし帰国途上の連邦公船に何かあったら、世界のどこかで〈左半分〉が晒されてしまう。

 その〈どこか〉が何処の国かはもう調べようがない。

 毎日早朝から様々な国の船が続々と出航していく。

 いまはもう昼過ぎだ……


 待ち伏せの艦長には作戦中止を命じなければ。

 調印を終えた人型を連邦公船ごと始末するため、魔法艦をセルーリアス海で待機させていた。


 執政は箱を閉じると小声で、


「差し上げよう。こちらの条件をすべて呑んでもらう御礼だ」


 表情と物腰は柔らかいが、鋭い言葉を大臣に突き立ててから席へ戻った。


 大臣は箱の前に一人残された。

 時間にして一分ほど。

 その短い時の中で敗北感から立ち直り、そして決めた。


 外交は待ったなしだ。

 賢者たちには後で説明する。


 南航路の件を諦めよう。

 アレータ島領有の件も諦めよう。

 ……平和的に解決することを。


 認める。

 北と東を塞ぎ、南も塞げば大陸東岸でブレシア人を一網打尽にできるという横着心があった。


 横着なんて……

 リーベルらしくなかった。


 かつて海の三賢者は困難に打ち勝ち、リーベル王国繁栄の基礎を作った。

 死を恐れず、絶望に立ち向かったから勝利を掴めたのだ。


 困難に直面しても、折れない、逃げない、迂回しない。

 妨げるものは打ち負かし、予定通りの航路を往く。

 これが〈海の魔法〉だ。


 執政のおかげで目が覚めた。

 北と東から囲い込んでも〈原料〉が南へ逃げていくのが歯痒かったのだ。

 この困り事を、交渉で解決しようと考えたのが間違いだった。

 リーベルらしく、妨げは自分の力で排除すべきだった。


 条件など、もうどうでも良い。

 とにかく三国同盟は締結しておこう。


 連邦は普段から海賊を見逃しているだらしない国だ。

 戦が始まったら、南下してくるブレシア難民に対してもだらしないに違いない。


 よってリーベルは同盟に基づき、難民の引き渡しを連邦に求める。

 大人しく引き渡せば良し。

 拒むなら帝国の次は連邦だ。


 帝国と連邦がなくなれば、南航路は自然と復活する。

 アレータ島も戦が始まってから実力で支配してしまえば良い。


 それまでの間、模神作りは中断することになるが、賢者たちには理解してもらおう。

 これは計画中止ではなく、一時中断なのだ。

 すぐに再開できる。


 大臣は着席していた部下を手招きで呼び、箱を執務室へ運ぶよう命じた。

 正直、部下も中身が気になっていたのだが、尋常ではない様子も見ていた。


「かしこまりました」


 余計な詮索はしなかった。


 箱が目の前からなくなり、大臣の重荷が減ったようだ。

 表情からさっきまでの険しさが消えていた。

 しかし心が軽くなっても、口まで軽くなりはしなかった。


 大臣が席へ戻ってくると、すかさずフェイエルム大使が箱の中身について尋ねてきたが、


「海についての品だった」


 と、それ以上の詮索を許さなかった。


 知ってどうするのだ?

 箱の中に、陸戦と関わりのあるものはなかった。


 昨日、大使が言っていた通りだ。

 三国の議論はもう尽くされた。

 新たに話し合うことはない。


 あとは戦うのみだ。

 リーベルらしく!



 ***



 午後、五日間に及んだウェンドア会談が終わった。

 三国が合意に至った条件は以下の通り。


 対帝国戦の間、アレータ島はどの国にも属さない。

 ネイギアス連邦は包囲網南側を〈単独で〉担当する……


 トライシオスは〈漁場〉を守った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る