第105話「ネイギアス大使館爆破事件」

 しばらく人型を眺めていたが……

 トライシオスは大箱に蓋をして一階へ戻った。

 深夜までにすべての準備を整えなければ。


「皆、すぐに取り掛かってもらいたい」


 赤月と凶星を囲んでいた職員たちへ、指示を飛ばしていく。


「?」


 職員たちの正直な気持ちを言葉に表すとこうなる。

 指示された内容の一つ一つは簡単なことばかりだが、全体像がわからない。

 閣下の頭の中では一繋ぎになっているのかもしれないが……


 されど、今夜の襲撃を読んでいた閣下のご指示だ。

 何か深いお考えがあるに違いない、と疑問や不服を口にする者はいなかった。


 作業はテキパキと進んでいった。

 キュクメロが丸ごと入る程の箱と大量の塩を用意し、機密文書を密かに公船へ運ばせた。

 そして捕虜三人を閣下の客室へ運び、猿轡を噛ませてから扉を閉めた。

 最後に全職員が庭に避難し、作業は完了した。

 何とか、深夜前に終わった。


「皆、ご苦労だった。後は作戦通りに」

「はい!」


 彼らには後一つやってもらうことがあるが、それまでは庭で待機だ。

 トライシオスは別行動を取る。

 職員たちと別れ、館の外側をグルっと回り込んで裏側へ。


「待たせてすまない。重たかっただろう?」


 辿り着いた場所は、捕虜三人を置いてきた客室の真下だった。

 ネレブリンたちが先に着いていて、彼の到着を待っていた。

 重たかったというのは、足元に置かれている大箱のことだった。

 ここまで運んでおいてもらった。


 これから人型を加工するのだが、その様子を職員たちに見せたくない。

 ならばそのまま地下室でやれば良かったのにと突っ込まれそうだが、それでは少々都合が悪いのだ。

 加工が終わったら、誰かわからない状態にしたい。

 地下室ではダメなのだ。


 閣下の到着を合図に、中断していたネレブリンたちの作業が再開した。

 大箱から人型を引き出し始める。


 トライシオスはその作業を見守っていたのだが、ふと後ろを振り返った。

 後ろには大使館を囲む高い壁があり、見上げると隣に立つ高い鐘楼が見える。


 閣下の視線の先に気付いた一人が声を掛けた。


「一人、配置に着いております」


 夜闇と柱の影に隠れているためか、姿は見えない。

 だがそれでいい。

 ここから見えるようでは、通行人にも見つかってしまう。


「お待たせしました」


 人型を引き出す作業は三人掛かりだったため、それほど時間はかからなかった。

 すべての準備が整った。


「始めてくれ」

「はっ!」


 一人のネレブリンが魔法剣を鞘から抜いた。

 赤月から取り上げておいたものだ。


 魔法剣の鞘も呪物であり、剣に付与された魔法を鞘の中で維持する効果を持つ。

 露わになった剣身がぼんやりと光っている。

 付与された魔力は失われていない。


 赤月は大使館の者たちを皆殺しにしようとしていた。

 切れ味が落ちないようにしたい。

 だから剣に付与した魔法は〈斬撃強化〉だった。

 いまなら誰が振るっても、メインマストを滑らかに切り倒せるだろう。


 その剣を大上段に構えると、先程の凶星のように人型の首筋目掛けて振り下ろした。


 ザンッ!


 今度は、光精が邪魔しに来ない。


 本当に人間そっくりだ。

 斬首の後に噴き出す血の色まで……


 暫し離れて返り血を避ける一同。

 噴出が止まると、頭を拾ってきて正面を向くように置き、縦に両断した。


 ここで魔法剣を捨てた。

 もう用はない。


 そして開いた手で〈右半分〉を持ち上げ、滴らなくなってから用意しておいた箱に納めた。

 箱の中には塩が敷き詰められており、明朝まで保てるだろう。

〈左半分〉は少し離れたところに埋め、胴体は館の壁に寄りかからせておいた。


 人型に対する加工作業はこれにて終了。

 次へ移行する。


 ネレブリンたちは〈影〉を貼り付け合い、次々に変装していく。

 全員が別人に成りすますと、大使館の裏側から離れた。


「……ハッ……ハッ……ハッ……」


 息を弾ませながら、時々後ろを振り返る。

 十分に離れたかどうかを確かめていた。

 人型からではない。

 二階の部屋からだ。


 何度目かの振り返りで、トライシオスの足が止まった。

 十分だ。

 ここなら巻き込まれないだろう。


「もういいぞ、やれ!」


 やれ——

 誰かに何かをするよう命じる言葉。


 伝声筒で合図を送った相手は、鐘楼で待機しているネレブリンだった。

 では、ネレブリンに何をやれと?


 合図の後、鐘楼の最上階に赤々と光る何かが姿を現した。

 赤熱する大トカゲのような姿。

 火精サラマンダーだ。


 火精は召喚したネレブリンの指示に従い、斜め下を覗き込んだ。

 牙の間から漏れた炎が上顎へ流れる。

 いつからそうしているのか、口一杯に炎を溜め込んで顎下を膨らませていた。


 まさか小竜隊のように溜炎をさせるつもりか?

 だとしたら一体何に向かって?


 ネレブリンと火精が見つめる先は同じ。

 二つの視線を辿っていくと、合流したところにあったのは……

 閣下の御部屋!


 ボォッ!


 人差し指が御部屋目掛けて振り下ろされるのを合図に、火精の溜炎が放たれた。


 大使館は高い壁に囲まれているので、地上からは狙えない。

 どこか高い所はないかと探していたら、道一本隔てた隣が神殿だった。

 神殿には、当然高い鐘楼がある。


 ウェンドアは広い都市だ。

 大神殿の他、新旧市街に分神殿がいくつか建てられていた。

 その一つが偶然にもお隣だった。


 鐘楼に上る前、よくぞ狙撃されないものだと思ったが、実際に上ってみてわかった。

 客室の窓や扉の位置が悪く、室内の様子がわからない。

 ここから要人だけを狙撃するのは無理だった。


 しかし、今回は要人暗殺ではなく破壊だ。

 火球代わりの溜炎を撃ち込んで木端微塵にするには最適な場所だった。


 溜炎は狙い違わず二階の御部屋へ飛んでいった。

 壁を突き破り室内へ。


 ドカァァァンッ!!


 突如、湧き起こった轟音と爆発の衝撃波が、深夜のウェンドアを叩き起こした。

 それが合図だったかのように、庭から蜘蛛の子を散らすように四方八方へ散る職員たち。

 口々に助けを求めて泣き叫びながら、隣家の扉を叩いたり、酒場へ駆けこんだり……

 大使館周辺は大騒ぎになった。


 直ちに消火活動が始まり、街の治安を守るリーベル陸軍の歩兵隊もすぐに駆け付けてきた。

 皆、大火と混乱を鎮めようと懸命だった。


 だが火の勢いは凄まじく、二階から上を火の海に変えた後はジワジワと一階への侵食を始めた。

 ものすごい熱だ。

 これでは誰かが取り残されていたとしても、救助することは不可能だった。


 一度散った職員たちだったが、人が集まってきたので戻ってきて消火活動に加わっていた。

 その一人が気付いた。


「閣下? 執政閣下っ⁉」


 周囲を見渡すも、トライシオスの姿が見当たらない。


「閣下を最後に見た者は⁉」


 皆、ハッとして互いに顔を見合わせ確認し合うが、すべて首を横に振るばかり。

 お戻りになられた閣下に「夕食は済んでいるので、皆下がって良い」と申し付けられてから、誰もお姿を見ていないのだ。

 つまり、閣下は最初に爆発が起きた二階の御部屋で……


「閣下……」


 一人、二人、と館へ近付いて行く。

 二階から下りてきた火は一階を侵食し尽くしていた。

 館を囲む歩兵の横を通り過ぎようとするが、危険なので通すわけにはいかない。

 歩兵たちは槍を交差して職員たちを止める。


「おい、やめておけ! 気の毒だがもう……」

「閣下―っ! トライシオス閣下―っ!」


 歩兵に言われるまでもない。

 炎の中で人が生きていられるはずがない。

 それでも叫ばずにはいられなかった。



 ***



 深夜、突然始まったネイギアス大使館爆破事件。

 新市街の闇夜が明るく照らされているのを、旧市街からでも確認できたという。

 それほどの火災だったにも関わらず、職員たちに被害はなかった。

 彼らの居住空間が、正面玄関を挟んで大使や要人の客室とは反対側に位置していたことが幸いした。


 火が消えたのは早朝のこと。

 ウェンドアの安全は守られたが、トライシオスの安否はわからなかった……


 わからないことは他にもある。

 焼け跡からは三人の焼死体が見つかったが、大使館職員ではなかった。

 では、こいつらは誰だ?


 さらにわからないのが館の裏側で見つかったもう一体の焼死体だ。

 こちらは三人以上に不可解だった。

 死因が……


 死因が、焼死ではなかった。

 首から上がなくなっていて、断面が焼け焦げていた。

 つまり首を刎ねられたのは、火災の前だったということだ。


 焦げて顔がわからなくなる前に確保しておきたい大将首……

 考えられるのはトライシオス閣下だ。

 大使や職員たちの中に彼の姿はないし、この首無し焼死体こそが閣下で間違いないだろう。


 何者の仕業か?

 連邦を憎む者は大勢いたので、容疑者を絞り込むのが難航すると思われた。

 ところが、犯人はすぐにわかった。

 ただしわかっても役人たちの手に負えない相手だったが。

 ……魔法剣士だ。


 閣下と思しき遺体の傍らに、真っ黒になってしまった魔法剣が落ちていた。

 なぜ彼らが?

 そしてなぜ大切な魔法剣を捨てていった?


 この国にも他国同様、様々な派閥や勢力が存在するが、魔法使いたちは最大派閥だ。

 時には見て見ぬふりをしておかなければならないときもある。

 魔法剣のことだけなら目を瞑り、街のならず者を適当に見繕って暗殺犯に仕立て上げることもできた。

 しかし今回の件は上に報告せざるを得なかった。


 ウェンドアは深夜になっても起きている市民が大勢いる。

 全員とは言わないまでも、その中の決して少なくない人数が目撃していた。

 隣の鐘楼から大使館へ火球が撃ち込まれたところを。


 噂はもう広まり始めている。


「火災は魔法使いの仕業らしい」

「それどころか、執政閣下のご遺体の傍に魔法剣が刺さっていたらしい」

「魔法剣……では、海軍魔法兵団が?」


 こうなってしまっては、役人が揉み消すことはできなかった。

 いまから箝口令を出しても遅い。


 王国の求めに応じて三国同盟を結びに来たネイギアスの執政が、よりにもよってウェンドアで討たれた……


 王国側は必死に同盟反対派の仕業だと主張するが、誰も信じはしない。

 火球の目撃談と殺害現場に残された魔法剣。

 この二つの前では、王国が並べる言い訳は無力だった。


 真実は、権威が語り聞かせる〈お知らせ〉の中にはない。

 市民自らの目と耳で知り、事実だと信じたことが真実となっていく。


 もはやリーベル側の誰にもこの事態を収拾することはできなかった。

 大臣はもちろん、賢者たちでさえも。


 賢者たちに、この状況を打開する策はない。

 完全にお手上げだ。

 まさか〈海の魔法使い〉たちが執政と人型のすり替えにしくじるとは!


 これで連邦は敵に回る。

 同盟反対派の仕業だと訴えても無駄だ。

 連邦にとって、リーベルの者にやられたことに違いはない。

 少なくとも三国同盟締結は消えた……



 ***



 大臣と賢者たちが、仕出かしたことの重大さに青ざめていた頃——

 連邦公船の船室で彼らを救ってくれる者が起床した。

 といっても、何か救われるようなことをするつもりはない。

 姿を現すことによって、結果として救われることになるのだ。


 救世主の名はトライシオス。

 リーベル側が生存を知ったときはホッとするだろうが、直後にやはり歯軋りすることにもなるだろう。


 宮殿に行って姿を見せてやるが、こちらを殺そうとしてきた奴らに助け舟を出すためではない。

 リーベルというより、賢者たちにトドメを刺してやるためだ。


 昨夜、鐘楼のネレブリンに偽の火球攻撃を指示した後、再び〈変装〉して公船に戻っていた。

 市民と歩兵がごった返している状況では、別の暗殺者に襲われる危険があった。


 職員たちにも一芝居打ってもらった。

 迫真の演技だっただろう?

 あの慟哭を見たら市民も暗殺者も、執政は火に呑み込まれたのだと信じるに違いない。

 おかげで、誰かが公船へ探りにくることはなかった。


 トライシオスは身支度を整え、甲板に出た。

 本日の天気は快晴。

 太陽の高さから昼前のようだ。


「閣下、お待たせしました」


 水夫が馬車を借りてきてくれた。

 天井も幌もない。

 貴人用ではなく荷馬車だ。


「よろしいのですか?」


 一緒に甲板へ上がってきた〈文官〉に尋ねられた。

 一国の代表が荷馬車で宮殿へ?


「あれで良い。むしろ荷馬車を借りてくるようにと私が申し付けたのだ」


 いま新旧両市街は執政暗殺の噂で持ち切りだ。

 だから宮殿へ向かう道中、市民たちにしっかりと姿を見せてやるのだ。

 それには天井のない荷馬車が良い。


 市民たちは仰天するだろう。

「死んだはずの執政閣下が生きている!」といま以上の大騒ぎになる。


 さて、どうする?

 賢者たちよ。


 連邦の条件を呑んで三国同盟を締結するか?

 その場合、南航路は通さないが同盟は守るぞ。

 帝国の正規海軍は一隻たりともネイギアス海に入らせない。

 ……〈正規〉海軍はな。


 それとも偽者呼ばわりして追い返すか?

 偽者と調印しても意味がないので三国同盟は不成立。

 連邦は盟友でも何でもないのだから、公然とネイギアス海へ踏み込める。


 でも……

 偽者呼ばわりした瞬間、リーベルの執政殺しが確定してしまうが大丈夫か?


 あの首無し焼死体は、おそらく執政であろうと推定されている状態だ。

 誰も、間違いなく本人であると断定できずにいる。


 なのに、リーベルはどうして偽者だと断言できるのだ?

 断言できるのは昨夜、執政の首を刎ねた者だけだ。


 ウェンドア市民だけでなく、全世界がリーベルの野蛮さを知るだろう。

 フェイエルムも知る。

 盟友の本性を知りつつ、大陸でうまく陸海連携ができるかな?


 トライシオスと文官は荷馬車に乗り込んだ。

 水夫はそのまま御者を務める。


「さあ、答えを聞きに行こうか」


 彼の掛け声で荷馬車は走り始めた。

 港湾区域を出て大通りへ。

 後は宮殿まで真っ直ぐだ。


 道中、市民たちとすれ違う度に笑顔で右手を振る。

 昼の挨拶もしたが、残念ながら誰も返してはくれなかった。

 皆、仰天するか、絶句してしまい、挨拶どころではないらしい。


 本当は両手を元気一杯振って見せるべきだが、右手一本で許して欲しい。

 左手は塞がっているのだ。

 リーベルの大臣に渡す土産の箱で。

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