第104話「柩」
大使館までの帰り道、先導するネレブリンに付いて行きながら、トライシオスは考えていた。
奴らが頭に来ているのは知っている。
だから大使館に嫌がらせや脅迫くらいはあるかもしれないと想定していた。
それがまさかの暗殺……
もし成功していたら、明朝、いくら待っても連邦代表は会談の席に現れない。
街では大使館を訪れた市民が皆殺しに気付いて大騒ぎになり、宮殿にもすぐに届く。
——リーベルは明日からどうするつもりだったのだろう?
ウェンドアで連邦の全権大使が討たれたとあっては、もはや三国同盟どころではない。
フェイエルム大使にはどう説明する?
いくら頭に来ていたからといって、早まった真似をしたものだ。
暗殺は失敗。
逆にこちらは捕虜を得た。
明日、捕虜たちを引き連れて宮殿へ乗り込んだら、大臣たちの顔は赤くなるだろうか?
それとも青くなるのだろうか?
明日のリーベル一同の反応を想像すると、トライシオスはいまから楽しみで仕方がなかった。
***
嫌がらせではなく暗殺だったのだから、加えられる危害の程度は読み違えていたが、リーベル側が仕掛けてくるという予想は的中した。
そして前もって警戒していたので不意を突かれることもなく、ネレブリンたちの力で返り討ちにできた。
作戦は見事、図に当たった。
夜道を歩くトライシオスの顔が綻ぶのも無理はなかった。
しかし、笑っていられるのはいまの内だ。
大使館に着いたら笑えなくなる。
外に出たネレブリンたちは隠れていた魔法兵を捕えたが、そのとき、傍らにあった大きな箱も確保していた。
一人引きの荷車に乗せられた、大人一人が足を伸ばせる程の大きな箱。
まるで棺桶のような……
***
襲撃者たちを捕えてから少しして、トライシオスたちが大使館へ戻ってきた。
「おかえりなさいませ」
職員たちは正面玄関に整列し、改めて執政閣下を出迎えた。
先程、馬車でお戻りになられた閣下はネレブリン。
いま、徒歩でお戻りになられたのが本物の閣下だ。
出迎えは職員たちだけではない。
館の一階では、縛り上げられた赤月と凶星が、正面玄関を向いて座らされていた。
二人共、悔しそうに彼を睨みつけている。
トライシオスは彼らを順に眺めていき、横に立っているネレブリンに尋ねた。
「身分が分かりそうな物は……当然なかったのだろうね」
「はい、魔法剣も闇市で買ったとしか……」
閣下がお帰りになるまでの間、意識を取り戻した二人を穏便に尋問していたのだが……
二人共、自らを一市民だと言い張っていた。
以前から連邦の同盟参加に反対で、賛成派の目を覚ましてやりたいと考えていた。
そこへ執政が調印に来ると知り、今日の襲撃を企てたのだという。
「ふむ、なるほど」
真っ赤な嘘だ。
誇張ではあるが、魔法剣士は死んでも魔法剣を手放さないというくらいだ。
彼らの魂ともいうべき魔法剣を、闇市で手に入れられるはずがない。
一人のネレブリンがトライシオスにそっと耳打ちする。
「……身体に尋ねますか?」
「いや、不要だ」
決して慈悲や寛大から出た言葉ではない。
その証拠に表情は穏やかだが、目の光が冷たい。
魔法剣士は魔法兵とは違う。
魔法兵は純粋な魔法使いだが、魔法剣士は魔法使いであるのと同時に武人でもある。
武人を痛めつけても容易には口を割らないし、その前に息絶えるだろう。
時間と労力の無駄だ。
それよりも、
「土産が見たい。どこだ?」
「こちらです」
探索班だったネレブリンが案内を申し出た。
「待て! トライ……うぐっ!」
ふてぶてしくも冷静だった自称市民が急に慌てだした。
トライシオス!と叫びながら、縛られた身体で体当たりを試みるも、衛兵やネレブリンの反応が早い。
顔から床にねじ伏せられた。
土産の大箱……余程見られたくない物らしい。
何とかしてこの場に引き留めたかったようだが、怒鳴り声だけでは足止めにならない。
トライシオスにとって、この二人は何の意味もない人間だった。
拷問しても口を割らせることができそうにない。
それ以前に、杖計画とは無関係な者たちだろう。
もし計画の関係者だったら、捕らえられる可能性がある暗殺任務などには使わないはずだ。
断言できる。
二人は何の情報も持っていない。
ゆえに用はない。
一応尋ねてみただけで、身分についてもさほど興味があったわけではない。
一市民だというなら、別にそれで構わなかった。
それより箱だ。
喚き声を聞き流し、ネレブリンの案内に付いて行く。
「こちらです」
着いた先は、使用人たちが避難していた地下室だった。
いまは入れ替わりに、後から捕まえてきた魔法兵が転がされている。
その傍らに、件の大箱はあった。
「中身はもう見たのか?」
「はっ……」
何気なく尋ねただけなのに、ただならぬ様子。
見てはならぬものを見てしまった、と言わんばかりの表情だ。
「では——」
閣下にご覧いただこうと、ネレブリンが開封作業に取り掛かった。
運搬中、揺れや段差の衝撃で蓋が外れないようにするためか、縦長の箱には長辺に二つずつ、短辺に一つずつ、計六個の金具が付いていた。
その金具を一つ一つ外していき、あと一つ外せば蓋が開くというときだった。
最後の一つを外す手が止まった。
「どうした?」
「……蓋を開けますが、どうかお心を確かに」
一足先に中身を見ているがゆえの心配だった。
それほどショックな中身だった。
しかしトライシオスに怯える様子はない。
「心配無用だ。察しはついている」
ロミンガンの執政室に座っていると、良くも悪くも情報が集まってくる。
リーベルからも反吐が出るような情報が日々入ってくる。
他国につける因縁の内容、キュリシウス型、杖計画……
その他にも大小様々な外法についての情報が入ってくる。
だから、
「…………」
だから、トライシオスは開いた箱の中に〈自分〉がいても驚きはしなかった。
***
賢者たちは唐突に模神を作ろうと思ったわけではない。
魔法、呪術、妖術、祈り……
この世界にある様々な〈力〉の扱い方を研究し、積み重ねてきた知識と経験を基に、作れると判断したのだ。
神を作るのは初めてだが、それ以外の大抵の物は作ってきた。
魔力砲を始めとする強力な呪物兵器、世界最強の魔法艦、等々。
もちろんこれらは研究所の魔法使いが心から目指しているものではない。
彼らの目標は生命を作り出すことだ。
理解できれば、〈殺奪〉しかできない人間を超越し、〈生与〉が可能な神になれる。
そのために日々、魔法の研究に明け暮れていた。
魔法——
〈気〉を集めて望みの現象を引き起こせる超常の力。
日々、そのような大それた力に携わっているから、人間を作ることも可能なのでは、と勘違いしてしまうのだ。
彼らは模神作りの前に、人間作りという過ちを犯していた。
様々な魔法や技術を組み合わせて形作った人によく似た紛いモノ。
紛いモノは〈人型〉という。
***
トライシオスが覗き込む大箱の中で、彼と瓜二つの人型が眠っていた。
まじまじと眺めた後、
「自分の葬儀に参列している気分だな」
見上げたものだ。
棺桶のような大箱に詰められた自分そっくりの何かを見せられているというのに、軽口が鈍らない。
相変わらずの余裕……というわけでもない。
内心では動揺していた。
それでもネレブリンや魔法兵の前で狼狽えなかったのは、知っていたからだ。
優秀な密偵たちのおかげだ。
彼は人型のことを以前から知っていた。
完成度の低さも知っている。
自分で考えて行動することはできず、魔法使いが操らなければならない。
これでは操り人形と変わらない。
操る糸が魔力に置き換わっただけだ。
人間と呼ぶには程遠い。
覗き込みながら視線だけ魔法兵に向けると、向こうもこちらを見ていたようで、目が合った。
「…………」
「…………」
睨み合う両者。
視線の激突に気付いたネレブリンが尋ねる。
「……身体に尋ねますか?」
「いや、不要だ」
一階でも同じやり取りをしたような気がする。
しかし不要とする理由が違う。
一階の魔法剣士たちは口を割りそうにないし、大した情報もない。
対して魔法兵は大箱と一緒にいた。
人形使いならぬ、人型使いであることは疑いない。
武人ではない魔法兵を尋問すれば、いろいろなことがわかるかもしれない。
にも関わらず、トライシオスは尋問を止めた。
人型を見て理解できたのだ。
もう知りたいことはない。
賢者たちの企みがわかった。
***
ここ数日の交渉で、リーベルは連邦から譲歩を引き出せなかった。
四日目が終わった時、交渉という論戦は連邦の勝利で終わったのだ。
よってトライシオスは明朝、容赦なく最後通牒を突き付けるつもりだった。
封鎖網南側は連邦に一任すること。
連邦軍最高司令官である評議会議長の公式な要請がない限り、他軍は連邦の管轄に一切干渉しないこと。
これらが拒絶された場合、連邦は同盟に加わらない。
まだ彼の腹案だ。
でも、大会議室にいた者や様子を伝え聞いた者なら容易に想像できるだろう。
だから賢者たちは魔法剣士たちを差し向けてきたのだ。
暗殺は失敗に終わった。
いくら魔法剣士とはいえ、二人ではさすがに少なすぎたか?
いや、そうでもない。
もし館にいたのが密偵と衛兵だけだったら、皆殺しにされていたことだろう。
ネレブリン抜きで考えれば、魔法剣士二人というのは十分な人数だったと言える。
つまり賢者たちは本気だったのだ。
脅しという穏便な手段ではなく、魔法剣士による口封じという確実な手段をとった。
だが、これでは明朝大騒ぎになってしまう。
もはや調印どころではない。
連邦はリーベルの敵になる。
ここが賢者たちにとっての難所だ。
執政の最後通牒など聞きたくない。
そのためには口封じが一番だが、穏便に調印も済ませたい。
リーベル側の条件を連邦が全面的に呑む形で。
そこで人型だ。
真っ当に交渉していては通らない話だというなら、外法尽くでまかり通せば良い。
本物のトライシオスを暗殺し、人型のトライシオスと交代してもらう。
明朝、これまでの流れから一転、連邦はリーベル側の条件をすべて吞み、会談は合意に至るだろう。
フェイエルム大使は不審に思うかもしれないが、調印後の祝賀会くらいは人型をうまく操って誤魔化す。
問題は連邦だ。
人型を帰国させるわけにはいかない。
さすがにバレる。
ウェンドアから十分遠ざかったところで、人型諸共公船を沈めるつもりだろう。
イスルード島から遠く離れた洋上でやれば、大頭足のせいにできる。
公船も一応武装してはいるが……
装甲板がネイギアス製でも、肝心の大砲が魔力砲ではない。
こんな有様では、魔法艦に襲われたら一溜まりもない。
こうして誰も悪者にならず、リーベルは望み通りの権利を手に入れる。
そのとき、調印済みの連邦は唇を噛んで見ているしかない。
ネイギアス海全域で、リーベルの旗がヒラヒラとはためいている様を。
***
トライシオスは魔法兵との睨み合いを止め、再び人型に視線を落としながらポツリと呟いた。
「神を作ろうという連中だからな……人を作るくらい朝飯前か……」
まるで自分自身を教え諭すかのよう。
人型を一目見ただけでわかったのだ。
魔法剣士に用はなかったが、魔法兵にも用がなくなった。
すべてわかったのにこれ以上、何を尋ねろというのか?
海軍についても読みが的中していた。
いま頃、賢者たちの命を受けた魔法艦数隻がセルーリアス海で公船を待ち伏せていることだろう。
このままでは帰国できない。
人型を静かに見つめるトライシオス。
表情からは胸中を窺い知ることができない。
でも、彼を良く知る者なら気が付くだろう。
怒っている、と。
よく怒りは炎に喩えられるが、〈老人たち〉は違う。
怒れば怒るほど冷たくなっていく。
炎のような怒りは理性を失わせるが、氷のような怒りは人間味を失わせる。
「ちょっといいか?」
「はっ」
トライシオスは部屋の隅へネレブリンを誘い、魔法兵に背を向けてヒソヒソ話を始めた。
「……を呼び出して……は可能か?」
「はい、簡単です。そのように命じるだけなので」
肝心な部分がよく聞こえなかったが、精霊を呼び出して何かさせるつもりらしい。
しかもそれは簡単にできるという。
良い返事を聞けて、執政閣下はご満悦だ。
賢者は文字の通り、賢い者だ。
しかし今夜は愚か者だったと言わざるを得ない。
〈老人たち〉へ謀略を仕掛けた挙句、途中で失敗し、その上〈タネ〉まで見られてしまった。
やられたら、やり返す——
トライシオスは人型を見ている内に、一つの計略を思いついていた。
ヒソヒソ話が終わり、大箱の前に戻ってきて中身を嬉しそうに眺める。
さっきまで気持ち悪いだけだったのに、使い道が浮かんだ途端、大切に思えてくるから不思議だ。
魔法兵は気味が悪そうにその様子を見ていた。
自分の人型に向かって本人が微笑みかけている光景は、確かに不気味だった。
顔は笑っているが……
トライシオスの目の奥に宿る残忍な氷が、冷たい光を増していた。
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