第103話「闇」

 凶星の刃がトライシオスの首筋に振り下ろされる!

 そのときだった。

 全開の窓から、小さくて淡い光の玉が飛び込んできた。

 一直線にこちらへ。


 ——蛍?


 にしては動きが速い。

 蛍はもっとフワフワと飛び回るものだ。

 うっかり目で追ってしまい、大上段に構えたまま剣が止まってしまった。


 光の玉はそのまま凶星の顔の前を横切っていくようだ。


 目を持つ生物の性か。

 光を見付けると、どうしても注目してしまう。

 とはいっても一秒か、二秒ほどだったが。


 すぐ近くまで来たのでよく見える。

 やはり蛍ではなかった。

 掌に収まるほど小さくて丸い光の塊。


 何だろう?

 どこかで見たような気がする。


 凶星は、一秒にも満たない短い時の中で、必死に記憶を掘り起こした。


 どこで見た?

 いつ見た?


 彼が記憶の発掘作業にかまけている間に、光の玉が正面に到達した。

 淡い光が彼の顔を照らす。

 次の瞬間、


 ——思い出した!


 あれは確か学生の頃だ。

 召喚士を目指していた友人に見せてもらったのだ。

 丸い光の玉を。

 確かその玉の名は……


 ——光精ウィル・オ・ウィスプ!



 ***



 凶星が光の正体に気付いたときは手遅れだった。

 光精は至近距離で弾けて強烈な光を撒き散らした。


「——っ!!」


〈暗視〉が効いている目に光の炸裂が焼き付く。

 彼は声にならない悲鳴を上げ、左掌で両目を蔽いながら後退りした。


 彼は精霊魔法の使い手ではない。

 それでも精霊が自らこの世界に現れることはなく、精霊あるところに召喚士あり、ということくらいは知っている。


 間違いない。

 これはネイギアスの召喚士による目潰しだ。

 つまり、今日の闇討ちは読まれていたのだ。


 常人なら恐慌に陥り、剣を出鱈目に振り回した挙句、勢い余って落としてしまうかもしれない。

 だが、彼は違った。

 さすがリーベルの精鋭、海軍魔法剣士というべきか。

 魔法剣を振り回さないし、手放すこともない。

 まだ冷静さを保っていた。


 常人と違い、彼らには視力を失っても周囲の様子を知る術がある。

 探知魔法だ。

 球形に展開すれば生物だけでなく、精霊や飛来する火球等の方位、距離、速度を把握できる。

 彼は後退りしながら、すでに詠唱を始めていた。

 ところが、


「…………!?」


 声が出ない!


 いや、違う。

 声を発しているのに、音にならない!


 これでは魔法を完成させることができない。


 読まれていたのは襲撃だけではなかったのだ。

 襲撃者が魔法の使い手であるということまで読まれていた。


 賢者たちが遣わす暗殺者だぞ?

 魔法使いの可能性を除外して考える方が不自然だろう。

 そして、遠くから艦船や拠点を破壊するなら魔法兵で良いが、今夜はできるだけ静かに始末したい。

 かかる条件下では、魔法兵より白兵戦に強い魔法剣士が適任だ。


 だからネレブリンたちは魔法剣士が来ると想定して待ち構えていた。


 彼らは昔、リアイエッタで魔法剣士を見たことがある。

 東の海を渡ってきたというその男は、細身で強そうには見えなかった。

 だが、すぐにその判断が間違いだったと思い知る。

 酒代を巻き上げようと絡んできた巨漢の酔っ払いを、男はほんの数分で半殺しにしてしまった。


 一方的だった。

 大男の拳は障壁に阻まれ、逆に魔法剣士の拳は一撃毎に大男の骨を粉砕していく。

 きっと、あの細い拳に何か物騒な魔法を付与していたに違いない。


 魔法剣士は詫びの言葉が出てくるまで殴り続けた。

 最初、大男は意地を張っていたが、途中から意識不明になってしまった。

 その場にいた者たちが「もう勘弁してやってくれ」と宥めなかったら、半殺しでは済まなかったかもしれない。


 あの日、ネレブリンたちは学んだ。

 並みの者では魔法剣士に敵わない。

 自由に呪文を唱えさせてはダメだ、と。


 だから風精シルフに命じて閣下のお部屋から音を奪わせておいた。

 扉一枚隔てた室内は無音の世界だ。


 また、奴らの探知円が館を舐めていったので、使用人たちを地下室へ避難させた上で、一階の音も奪わせた。

 これで〈風精の悪戯〉の範囲内に入った者は呪文を唱えることができない。


 だが、これくらいで力を封じられる魔法剣士ではなかった。

 魔法の修練が進むと、音声に頼らず心の中で術式を完成させられるようになる。


 凶星もその高みに達していたので室内の無音に気付くと、心の中での詠唱に切り替えようとした。


 ……ロレッタ女将はリーベルに否定的だが、彼らは彼らなりに頑張ってきたのだ。

 魔法使いが無音の空間に誘い込まれたら、普通は詰むだろう。

 諦めるだろう。

 でも、波や揺れを克服した彼らだ。

 無音如きで魔法を封じられはしない。


 ネレブリンたちは奴らをそこまでしぶとい連中だと思っていなかったが、連邦公船で閣下から認識の甘さを指摘された。

 ウェンドアに着いたときには、すでに考えを改めていた。


 声を封じても意識の中で詠唱を続けるなら……

 その意識、断ち切るしかあるまい。


 突然、眠っていたトライシオスが飛び起きた。

 賭け布団を跳ね除け、獲物に飛び掛かる肉食獣の素早さで凶星に迫る。


 その手にはネレブリンの小剣。

 暗殺者の首筋を狙う。


 凶星は未だ暗闇の只中にあった。

 無音の空間では探知魔法の詠唱もならず、心の中で念じようとしたが遅かった。

 トライシオスは正眼に構えている魔法剣の横を通り過ぎた。


「!」


 室内の音は奪われているが、空気の流れは奪われていない。

 物体が移動するときに生じる風圧を感じ取ることは可能だった。


 おかげで気付けた。

 敵が魔法剣のすぐ右にいること。

 そして——

 敵にそこまで接近されてしまっては、もう探知魔法は間に合わないことも。


「——っ!」


 凶星は苦し紛れに、魔法剣を右へ薙ぎ払った。

 艦船のメインマストを一薙ぎで切り倒す魔法剣の横薙ぎだ。

 腕、胴体、どこでも構わない。

 当たりさえすれば!


 彼のすべてを賭けた横薙ぎだったが……

 残念ながらトライシオスは魔法剣をずっと見ていたので、右手に力が入るのを見逃さなかった。

 素早い身のこなしで相手の腰より身を低くすると、魔法剣が髪の毛のすぐ上を吹き抜けていった。


 しゃがんだ姿勢のまま見上げると、そこにはがら空きになった首筋が!

 小剣を握る手に力が入る。


 すぐに立ち上がり、同じ横薙ぎで切り裂こうか?

 あるいは立ち上がる勢いを切っ先に込めて、顎下を貫こうか?


 どちらも可能だったが、目の端で凶星の右手が翻っているのが見えた。

 まだ諦めていない。

 左へ切り返してくるつもりだ。


 咄嗟に立ち上がるのを中止し、小剣を逆手に持ち替えて目の前にある足の甲へ突き立てた。

 その途端、


「~~~~っ!!」


 刺突の痛みとは明らかに違う悶絶。

 凶星は激しく痙攣した後、前のめりに倒れた。


 危うく上から潰されるところだったが、トライシオスは突き立てた小剣をそのまま手放し、横へ転がって避難していた。

 凶星が味わった苦痛を知っているからこその機転だった。


 起き上がると、暗殺者は泡を吹きながら気絶していた。

 しばらく意識が戻らないだろう。

 小剣に纏わらせておいた雷精の電撃を食らったのだから。


 敵が戦闘不能になったのを確認すると、棚からロープと手錠を取り出し、手際よく拘束した。


 この手錠は、ただの金属製拘束具ではない。

〈魔封じの手錠〉という呪物であり、これを魔法使いにかけることで魔法を封じることができる。


 トライシオスは、光精が飛び込んできた窓に向かって声を掛けた。

 だが、風精の悪戯がまだ効いている最中で音にならない。

 もどかしそうに窓から顔を出すと左右を見て、音にならなかった言葉をもう一度告げた。


「終わったぞ」


 窓枠の左右に一人ずつネレブリンが隠れていた。

 一人は風精を呼び出して部屋に〈悪戯〉を仕掛ける係。

 もう一人は光精を投げ込む係だった。


 探知円に館が舐められた後、二人は静かに屋根へ行き、鍵縄を使って外側から二階の窓まで下り、宙吊り状態で待機していた。

 どちらも大変だったが仕方がない。

 室内は無音になってしまうので、室外で召喚するしかなかったのだ。


 特に光精係は苦労した。

 光が漏れないよう、手をポケットに深く突っ込んだ状態で召喚しなければならなかった。


 でも苦労の甲斐はあった。

 見事、襲撃者を捕らえることができた。


 一階のネレブリンたちも赤月を捕らえていた。

 凶星が階段を上るべきか、下りて合流するべきかと悩んでいたとき、赤月はすでに無音の一階で感電して泡を吹いていたのだった。


 後は同じだ。

 魔封じの手錠を掛けられ、ロープで縛り上げられた。


 暫しの平穏。

 賢者たちが差し向けた殺し屋は二人だけだ。

 両方捕らえたのに……暫し?


 そう、〈暫し〉で間違ってはいない。

 まだ終わってはいなかった。


 一足先に赤月を捕らえたネレブリンたちは二手に分かれた。

 一組は館に残って赤月を見張りながら、いつでも二階を援護できるように備えておく。

 もう一組はあるものを探しに、大使館の外へ出た。


 会談三日目、閣下は宮殿からお戻りになられると、


「少々、怒らせてしまったかもしれない」


 だから今晩か明晩、賢者たちが嫌がらせを仕掛けてくるかもしれない、と仰せになられた。

 ……嫌がらせどころか、暗殺だったが。


 嫌がらせを計画するのは賢者たちだが、実行役は部下の研究員か、海軍から派遣されている魔法兵にさせるつもりだろう。

 リーベル、特に海軍は拠点に対して遠近両面から攻撃することを基本としている。

 遠距離の魔法艦、近距離の魔法剣士隊だ。


 ということは、魔法兵が大使館で騒ぎを起こしている間、大使館の外にも別の魔法兵がいて、仲間の支援を行っているに違いない。

 よって、大使館で騒いでいる魔法兵を捕らえつつ、外に潜んでいる魔法兵も捕らえよ、とのご命令だった。


 外を探索する係が風精を周囲に放ってみたところ、やはり魔法兵がいた。

 大使館の裏側、凶星が潜んでいた物陰とは別の物陰に潜んでいた。

 こちらは難なく捕らえることができた。


 大使館に戻ってきた探索係のネレブリンは真っ直ぐ二階へ報せに来たのだが、室内は悪戯がまだ効いていた。

 そこで閣下の肩を叩いて気付かせ、廊下で魔法兵を捕らえてきたことを報告した。


 森の闇はリーベルの闇に勝った。

 早く戦果をご報告したい。


 探索係と共に一階へ下りたトライシオスは、そのまま正面玄関から外に出た。

 一階もまだ悪戯の効力が残っており、ここでは話ができない。


 外に出ると懐から伝声筒を取り出した。

 握りしめていると、すぐに相手の伝声筒と繋がった。


「閣下、終わりました……はい、もちろんです。すでに捕らえてあります」


 閣下?

 トライシオス閣下が通話の相手に向かって「閣下」と。

 訳が分からない。


 しかし、そのことを誰も突っ込まなかった。

 ネレブリンの仲間たちも、地下室から出てきた使用人たちも。


 皆、知っている。

 今日、ここに閣下はいないことを。


 伝声筒で任務達成を伝えながら、トライシオスだった者から闇精の〈影〉が剥がれて消えた。

 彼はトライシオスに変装していたネレブリンだった。


 伝声筒の向こうで報告を受けている閣下こそが本物のトライシオスだ。

 本物はどこに?


 大使館から西へ。

 港湾区域へ辿り着いてもさらに西へ。

 やがて沢山の船が係留されているのが見えてくるので、連邦公船を探そう。

 公船が見つかったら、一番立派な船室へ。

 そこに、本物のトライシオスがいる。


 難を避けられた執政閣下は、夜のお茶を楽しまれている。

 香りが良く、心が安らぐ。



 ***



 トライシオスは無事だった。

 かすり傷一つ負っていない。


 あのとき馬車に降ってきたのは、魔法剣士の別動隊ではなく三人のネレブリンたちだった。

 大使館は危険なので、馬車を止めに来たのだ。


 御者も生きている。

 手刀で気絶させられただけだ。

 気の毒だが、彼は建物の影に寄りかからせて置いてきた。

 大使館へ連れて帰ったら、襲撃の巻き添えを食らう虞がある。


 トライシオスは扉の窓に現れたのがネレブリンだったので安堵したが、事情を知ると馬車を下りた。

 大使館は危険だ。


 だが、馬車が遅れたら魔法剣士たちから怪しまれる。

 そこで報せに来てくれた三人が、それぞれトライシオス、文官、御者に化け、何事もなかったように馬車で大使館へ帰ったのだった。


 本物のトライシオスは同伴のネレブリンが呼び出した闇精によって水夫に変えられ、徒歩で公船に向かった。


 つまり、賢者たちの暗殺作戦はとっくに失敗していたのだ。

 その上、リーベル側がダークエルフに気付いていなかったことも痛い……


 これが試合なら、彼らが束になっても海軍魔法剣士たちの圧勝だったかもしれない。

 しかし大使館は試合場ではない。

 戦場だ。


 試合ではなく実戦なのだから、ネレブリンたちが名乗り出る必要は全くない。

 敵が自分たちの存在に気付いていないなら、その有利を最大限に活かすだけだ。

 相手の正体を知らないまま、戦いを挑んだリーベル側が悪い。


 こうして執政暗殺事件は未遂に終わった。

 だがこれですべてが終わったわけではなかった。


 報告を受けた後、トライシオスは再び変装を施され、護衛と共に大使館へ戻った。

 そこで彼を待っていたものは……


 リーベルの闇より深い、賢者たちの闇だった。

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