第100話「濡れ衣」

 ウェンドア会談四日目、午後——


 昨日は激論の熱気が大会議室に満ちていたが、今日は様子が違う。

 熱気どころか冷気に包まれ、人も雰囲気も話し合いさえも凍りついている。

 いま大会議室で動いているものは、お茶から立ち上る湯気と両国代表を往復するフェイエルム大使の視線だけだった。

 リーベルと連邦の睨み合いが続く……


 昼食が終わるまでは昨日と同じ展開だった。

 朝から元気に飛び交う執政の皮肉とリーベルの罵詈雑言の横で、大使は今日も暇そうだなと気を抜いていた。

 ところが……


 会談午後の部開始早々、昼食を挟んでもまだ室内に残っていた熱が一気に冷えた。


 このような状態に陥ることになったそもそもの発端は何だったのか?

 フェイエルム大使が時間を遡る。


 …………

 ……あった。


 昨日までとは異なる展開があった。


 昨日までなら……

 昼食を挟み、落ち着いたところで「どうだ? まだ気が変わらんか?」とリーベルが尋ねる。

 それを合図に午後の部が始まるのだ。


 もちろん連邦は拒む。

 拒むだけでなく「なぜそうまでして連邦領海に踏み込みたいのか?」と問い返す。


 質問されているのだからハッキリと答えれば良いのに、リーベルは曖昧に濁すばかり。

 納得しろという方が無理だろう。

 後は夕方まで論点のズレた喧嘩が続く……はずだった。


 ところが、今日は違った。

 執政の問いに対してリーベルが、


「貴国ネイギアス連邦が、我が国の通商路を封鎖している疑いがある」


 と自由航行権に執着する真の理由を明らかにした。


 リーベルによれば、ピスカータ沖とネイギアス海北部の間を通る通称〈南航路〉で最近異変が起きているという。

 南航路を通ってウェンドアへやってくるはずの西方の交易船が激減。

 これは帝国か連邦が封鎖しているために起きていることだ。

 他には考えられない。


 二人の容疑者、帝国と連邦。

 リーベルは、帝国より連邦の容疑が濃厚であると考えていた。


 いや、帝国かもしれないではないか?

 帝国にも海賊はいるし、セルーリアス海を封鎖されている仕返しに、南航路を封鎖するという話は筋が通っている。


 それでも連邦だと断言できる。

 なぜなら南航路を封鎖しても帝国に得はないからだ。

 せいぜい、リーベルに一矢報いてやったと気が晴れるくらいだろう。


 ところが連邦にはその得がある。

 西方の交易船がウェンドアに来なくなったので、その品々が不足し始めていた。

 かかる状況下では他国から仕入れるしかない。

 例えば、連邦から。


 南航路封鎖は連邦にとって商機だ。

 他から入ってこないなら、リーベルの市民たちはネイギアス商人の言い値で買うしかない。

 見よ、今日もネイギアス籍の交易船から西方の品々が荷揚げされている。


 また、西方の商人たちにとっても迷惑だ。

 西方では、ネイギアス海西部で海賊が増えていると噂になっているらしい。

 そのため南航路を通れず、大きく迂回しなければならない、と。


 これは何とかウェンドアへ辿り着いてくれた彼らからの証言だ。

 確かにそんな有り様では商売にならない。

 激減するのも無理はなかった。


 ゆえに連邦の容疑が濃厚なのだ。

 連邦にはリーベルと西方の交易を阻害する動機がある。


 とはいえ、これらは状況証拠に基づく推測だ。

 もし推測が正しかったときにはタダでは済まさないが、そんなことはないと信じている。

 いや、信じさせて欲しい。

 だから、


「連邦は自由航行権を認めてほしい」


 全域が無理なら北部だけでもいい。

 我が国と西方の海上交易路を守りたいだけなのだ。


 通商路の確保——

 これこそが昨夜、大臣と賢者が伝声筒で打ち合わせていた〈突っ込んだ話〉だった。

 模神のことを知らない者が聞いたら、至極真面な話に聞こえることだろう。


 ——なるほど、それでリーベルは自由航行権に拘り続けていたのか。


 フェイエルム大使も真面な話に聞こえた一人だった。

 イスルード島自体は莫大な富を生み出す島ではない。

 交易によって栄えているリーベルにとって、通商路は生命線だ。

 通商路に異常があるなら、自国の手で南航路の安全を確保したいという言い分はご尤もだった。


 アレータ島領有についても理解できる。

 南航路に睨みを利かせるのに、同島は絶好の位置にあった。

 行き来するリーベルと西方の交易船にとって、泊地は心強いことだろう。


 ——これは、ウェンドアで阿漕な商売をしようとした連邦に非があるのでは?


 大使の気持ちはリーベル側に傾いた。

 先日、連邦にも配慮しようと思ったが、それはリーベルの狙いが見えなかったからだ。

 交易路の安全確保という目的が明らかになったいま、連邦よりリーベルに配慮すべきだと思い始めていた。


 連邦は独力で掛けられた疑いを晴らすしかない。


 濡れ衣だと訴え、帝国を犯人に仕立て上げるか?

 その場合、最低でもネイギアス海北部については、盟友リーベルの要望を呑まざるを得ない。

 でなければ、やはりウェンドアで大儲けしたくて阿漕な真似をしたのだという疑いが強まる。


 魔法艦がネイギアス海を走り回っている光景は嫌かもしれないが、帝国の仕業だというなら仕方がないだろう。

 リーベルは自分の身は自分で守ると言っているだけだ。

 帝国船の侵入を阻止できなかった連邦に、リーベルの自衛を拒否する資格はない。


 潔白だというなら北部だけでも自由航行権を受け入れるしかないと思うが……

 大使は若き執政の回答に注目した。


 あの〈老人たち〉が言葉に窮して相手の要望を呑むところが見られるかもしれない。

 この二日間、リーベルを自在に料理する彼の屁理屈には舌を巻いたが、これはさすがに無理だろう。


 トライシオスは観念したのか、話の途中から俯き、膝の上で拳を握りしめている。

 大臣が「潔白の証として自由航行権を認めろ」と話を結んだ後もしばらく俯いたままだった。


 勝負あった。

 青二才の浅知恵では切り返す言葉が思い付かなかったか?

 ……とリーベル・フェイエルム両者が確信したときだった。


 トライシオスが右手を懐に差し入れた。


「盟友となる我が国を信じ、大人しく封鎖網南側を任せてくれれば、出さずに持ち帰るつもりだったのだが……」


 懐から引きぬいたその右手には——!



 ***



 リーベルの大臣から追い詰められたトライシオスは、懐から何かを引き抜いた。


 掌銃?

 投げナイフ?


 レッシバルではあるまいし、連邦評議会議長代理が暗殺などという野蛮な真似はしない。

 取り出した物は、綺麗に折り畳まれている一枚の紙だった。


 呪符?


 いや、それはある事柄についての一覧表だった。

 ただの紙なので、毒霧が立ち込めたり、爆発する危険はない。

 しかし無害とは言い難い。

 広げた紙面からは悪意が滲み出ていた。


 連邦側以外の全員が、一覧表を見ようと身を乗り出す。

 一体、何の表か?

 表には日付と名前、そして数字が記されていた。


 最後まで見終えたリーベル側の一人が、名前の特徴から何の表なのか気が付いた。


「商船の一覧表?」


『一攫千金』号とか、明らかに人間の名前ではなかった。

 だとすると、数字は乗組員か?


「商船が雇っていた用心棒の船も混ぜっているが細かいことには拘るまい。正解としよう」


 執政は正解だと認めた。


「?」


 リーベルだけでなくフェイエルムも首を傾げてしまった。

 いまは連邦が釈明をする場面だ。

 商船の一覧表と連邦の容疑に何の関係が?


 トライシオスも見せただけでわかってもらえるとは思っていない。

 賢者と繋がりがある大臣ならピンとくるかと思ったが、一隻一隻の名はご存知なかったようだ。


 大臣も含めてキョトンとしている一同のため、彼は説明を始めた。


「これは最近ネイギアス海で沈没した船の一覧表だ」


 近頃、連邦領海内で謎の沈没事件が多発していた。

 と、まだ説明が始まったばかりなのに、なぜか大臣がいきり立った。


「飼い犬の手綱をしっかり握っていないからだ!」


 ここ数日の鬱憤を晴らさんと、連邦とネイギアス海賊のことを皮肉った。

 ……何と幼稚な年長者か。


 トライシオスは勝ち誇る大臣をギロリと睨んだ後、中断させられた説明を続けた。


「海賊はどこの海にもいる。ネイギアス海にも、セルーリアス海東部にもな」


 と反論した上で、


「島々の浜に漂着した残骸は焼け焦げていたし、海賊の仕業と考えるのが自然だ。だから——」


 だから捜査した。

 海賊のアジトらしいという噂を掴めば内偵を放ち、海では警備艦を増やして哨戒を強化した。


 そうして捜査に励んでいる内に気付いたのだ。

 ネイギアス船の被害が桁違いに多いことに。


「それは大袈裟というものだろう。他国の商船だって……」

「ああ。他国船の被害もあった。でも——」


 でも、その数に変化はなかった。

 多くも少なくもない。

 それだけにネイギアス船被害の激増が目立つ。

 むしろ普段はネイギアス船の被害が殆どないために、海賊とネイギアス商人の癒着を疑われているくらいだ。


 そこで海賊と商人の仲間割れを疑い、内偵に探らせていた。

 結果——

 海賊はネイギアス船を特に狙っているわけではなく、商人も真っ当な商売を心掛けている者ばかりで、海賊との関与はなかった。


 犯人がネイギアス船を付け狙う理由がわからないまま、評議会を嘲笑うように増え続けるネイギアス船の沈没事件。


「私は犯人がどんな奴か想像してみた」


 トライシオスは自らの推理を披露した。


 商船には用心棒の船がついていた。

 そして船には伝声筒がある。

 誰かは所持している。

 どちらの船にも全くなかったということはあり得ない。


 通常、商船や客船が海賊に襲われたら、伝声筒で周囲へ救援を要請する。

 逃げながら「助けて!」と呼び掛け続ける。


 ところが、誰もその悲鳴を聞いていない。

 つまり商船と用心棒は気付かぬ内に攻撃され、悲鳴を上げる間もなく一瞬でやられたということだ。


 敵船が気付かないほど遠くからでも届く長射程。

 それほどの超長距離にも関わらず、確実に直撃させる精密さ。

 死に損なって泣き叫ばれないよう一瞬で仕留めることができる一撃必殺の破壊力。

 このような離れ業ができるのは……


「ま、待て! 我が海軍の仕業だと言いたいのか⁉」


 大臣の怒鳴り声は大きかったが、狼狽の音色が混じっていることはフェイエルム大使から見ても明らかだった。

 これでは大臣自ら若造の推理が正しいと認めているようなものではないか。


「……他に誰がいる?」


 トライシオスの声に〈老人たち〉の凄みが宿る。

 ……本当は自らの太腿をつねり、その痛みを堪えているだけなのだが。

 そうしないと我慢できない。

 いまにも吹き出してしまいそうだった。


 面白いことになった。


 リーベルは無実だ。

 そのことは他でもないトライシオスが知っている。


 真犯人はレッシバルたちだ。

〈巣箱〉にリーベル派の情報を伝え、〈ガネット〉が漁に出かける。

 リーベル派はリーベルに内通しているネイギアス海賊であり、彼らの船は当然ネイギアス籍だ。

 よってこれを退治すれば、ネイギアス船の沈没件数が増大することになる……というのが真相だった。


 もはや、敵射程外からの先制攻撃及び一撃必殺はリーベルだけのものではなくなったのだ。

 敵の不意を突けるのは、魔法艦の長射程だけではない。

 死角から急降下で襲い掛かる〈漁〉という方法がある。

〈ガネット〉の連撃にも瞬殺の威力がある。


 でも、知らない者は魔法艦が思い浮かぶだろう。

 大臣もだ。

 自分も魔法艦の仕業だとしか思えなかったから狼狽えたのだ。

 懸命に魔法艦以外の可能性を探っているようだが……


 ロレッタ卿から受け継いだ〈海の魔法〉、そして魔法艦は門外不出の奥義なのだろう?

 ならばリーベル以外の、どの国の仕業だというのか?


「~~~~っ」


 大臣も部下たちも、誰一人反論できなかった。

 全くの濡れ衣だ。

 でも、説明できない。


 何も言えない彼らに対して、執政はさらに畳みかけた。


「連邦では、リーベルが帝国を滅ぼした後、その矛先を連邦に向けてくるのではないかと懸念している」


 その前準備のため、魔法艦がすでに連邦領に入り込んでおり、うっかり近付いてしまったネイギアス船が沈められているのではないか?

 いま連邦内では密かにそんな声が上がっているのだ!


 ……トライシオスの頭の中で。



 ***



 大臣たちはいま頃になって、執政自らウェンドアへやってきた理由がわかった。


 条件について交渉し、調印するだけなら評議員でいい。

 評議員たちは都市国家の王子や王女だ。

 議長の代理として立派に務まる。


 にも関わらず執政がやってきたのは、リーベルを問い質すためだ。

 そして帝国滅亡後の遠征軍南下を阻止しに来たのだ。

 これは他人に任せられない。


 改めて一覧表を見ると気が付く。

 関係ない船も混ざってはいるが、ここには連絡が途絶えたリーベル派の船がすべて記されている。


 間違いない。

 何者かが、杖計画を妨害しようとしている。

 狙われているのはネイギアス船ではない。

 リーベル派だ。


「…………」


 しかしそのことを明かすことはできない……

 よって、濡れ衣を晴らすこともできない。


 こちらが黙っているのを良いことに、若造は話の最後に再び封鎖網南側を連邦へ一任するよう求めてきた。


 ——まあ、そうだろう……


 リーベルは信じられんが、同盟には参加せざるを得ないとしたら、連邦にとって当然の条件だ。


 それから……

 会談は膠着状態に陥った。


 フェイエルムから見て、議論は十分に尽くされたと思う。

 双方の目的は自国船の安全確保だ。

 ゆえに、ほどほどの安全で妥協するということはあり得ない。

 ほどほどの安全ということは、多少の危険はあるということだ。

 それはもう安全とは言えない。


 どちらの安全も諦めずに済む方法はないかと、三国で知恵を出し合ったがダメだった。


 リーベルにとって連邦は脅威。

 連邦にとってはリーベルが脅威。


 ならばこれ以上時間を掛けても無駄だろう。

 あとはどちらかが折れるしかない。


「…………」

「……………………」


 睨み合う両者から、譲る気配は微塵も感じられない。

 息が詰まるような重い沈黙が続く。


 結局、フェイエルムが居心地の悪いこの空間から解放されたのは夕日が沈む頃だった。

 大使が耐えていると、閉じられた扉の外から人の話し声が聞こえてきた。

 夕食の用意をしている料理人と扉の外に立つ番兵だ。


 料理人が準備を整えてお待ちしているのだが、いつまで経っても誰一人晩餐室へおいでになられない。

 そこで様子を伺いに来たのだった。


 早く食べに来いと急かしに来たのではない。

 もし晩餐室へ移動できないなら、何か手軽にお召し上がりいただけるものに変更しようという気遣いからだった。


 フェイエルム大使にとって、これは助け舟だった。

 ここで手軽に取れる食事など冗談ではない。


「それぞれの言い分が出揃ったことだし、我々は結論を出すべきだと思う。だから——」


 だから今日はこれで解散し、一晩ゆっくり考えよう。

 そして明朝、答えを出そう。

 それに、


「準備してくれている料理人たちに悪い」


 と最初に席を立ち、晩餐室へ移動するように大臣と執政を誘う。


 トライシオスにとってはありがたい誘いだった。

 一国の全権大使として、男として睨み合いで負けるわけにはいかなかったが、誰かが声を掛けてくれればやめることができる。

 成立しようが、決裂しようがどうでも良い同盟のために目が乾いて辛かった。


「連邦はフェイエルム大使に同意する」


 と席を立ち、一人先に晩餐室へ向かった。

 別に三人仲良く連れ添って向かう必要はあるまい?


「さあ、大臣も」


 大使の顔には苦笑いが浮かんでいる。

 苦笑いは「まったく、礼儀知らずの困った若造ですな」という大臣への共感か。


 そこまで気持ちに寄り添ってもらいながら、意固地に立たなければ大使の面目が丸潰れだ。

 あの若造のような真似はしない。


「リーベルも大使に同意する」


 こうして何も決まらないまま、会談四日目が終わった。

 二人が晩餐室へ着くと、執政は先に食前酒を始めていた。


「申し訳ない。喉が渇いていたのだ」


 後着の二人を見るや、すぐに詫びの言葉を述べてきたが……


 この若造はわざとやっているのか?

 リーベルに対してだけでなく、フェイエルムに対しても失礼だ。

 せっかく落ち着かせて晩餐室へ連れてきたのに!


 大使は不快感で絶句してしまった。

 けれどもその横で、リーベルの大臣は穏やかだった。

 怒りも憎しみもない。


 人間、〈心〉が決まれば、相手が何か仕出かしても大抵のことは許せるものだ。


 うまい酒だろう?

 よく味わうといい。

 貴様の人生最後の食前酒なのだから。

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