第99話「世話が焼ける友達」
夕日がセルーリアス海に沈む頃、ウェンドア会談の三日目が終わった。
同盟の条件について、未だ合意に至らない。
至る気配も感じられない。
当初の予定では二日目の話し合いで合意し、三日目は午前中から調印式。
その後は同盟締結の祝賀会になっていたはずなのに……
祝賀会は開けなかったが、せめて夕食会を開いて三国のさらなる親睦を深めようとしたら、あの若造め!
「申し訳ない。今日までの話し合いを一人で振り返りたい」
そんなことは夕食会が終わった後でも良いだろう!
大体、誰のせいで争いになっていると思っているのだ。
魔法艦隊が世界の海の安全を守るようになってから、いちいち航行許可を求めなくなったし、許可がないことを咎める国もない。
世界の国々はリーベルの軍艦が領海を航行することに不満はないのだ。
よって、本当は連邦に対しても許可を取る必要はない。
それでも重い腰を上げてウェンドアへ出向いてきたことに敬意を表し、許可という形にしてやっているのに!
しかもその許可は、帝国との戦が終わるまでという期限付きだ。
それすら我慢できないというのか。
何という我儘王子だ!
リーベル外務大臣の怒りが治まらない。
彼にしてみれば認められて当然のことであり、認められない場合など想定していなかった。
だが本当は魔法艦が自国領海内を好き勝手に行き来するのを心から許している国はない。
皆、見境の無い乱暴者に我慢しているだけなのだが、彼がそのことに気付くことはなかった。
いままでも、これからも、リーベルが自らの勘違いに気付くことはないだろう。
ずっと我儘がまかり通ってきたので、自分たちの常識が他国にとっても常識なのだ、とこれからも錯覚し続ける。
従って、トライシオスの異議は非常識極まりないものだということになる。
大臣は二日目に続いて今日も、連邦の非常識を諭そうと力を尽くした。
けれども、普段から無敵艦隊という力技に頼っているリーベルが〈老人たち〉に論戦で敵うはずがなかった。
悉く論破され、最後は夕食会を辞退されるという完敗を喫した。
連邦とフェイエルムの大使たちが去った大会議室に、歯軋りの音がバリバリと響く。
——何が執政だ! 忌々しいクソガキめっ!
さっきのやり取りを思い出しただけで、大臣の血管はいまにも切れそうだった。
***
会談中、大臣は言葉に窮してつい、
「年長者への敬意に欠ける!」
と、トライシオスという一人の若者の態度を攻撃してしまった。
すると、
「それは大変失礼しました」
と素直に頭を下げてきた。
何か言い返してくると構えていたので、思わず拍子抜けしてしまった。
だが、それで終わる若造ではなかった。
「若輩者と言われては返す言葉がありません。そういうことでしたら——」
ドンッ!
その後に続いたあのクソガキの言葉と薄ら笑いを思い返すと、大臣は堪えきれずに拳を机に叩き付けた。
叩けば埃しか出てこないネイギアスのくせに、よくも抜け抜けと!
ネイギアスのクソガキは宣う。
「そういうことでしたら、ロミンガン王家の墓から初代執政の頭骨を持ってくるべきでした」
若輩者では交渉の相手として不足なのだろう?
ならば連邦も年長者を連れてくるしかない。
リーベル側に満足してもらえそうな年長者は……
初代執政だ。
「ふざけるな!」
人形に話し掛けて遊ぶ幼子ではあるまいし、リーベルの重臣や官僚たちが代わる代わる物言わぬ骸骨とおしゃべりしろというのか?
「おのれ! 我らを愚弄するか!」
大臣だけでなく、部下たちも一斉に怒り出した。
連邦の代表に向かって若造呼ばわりは失礼だったが、反撃だとしてもやり過ぎだ。
……というのが常人の感覚だろう。
〈あの〉トライシオスだぞ?
骸骨のことは題名に過ぎない。
ここからが皮肉の本文だ。
リーベル側の剣幕に怯んだ振りをしながら、恐る恐る言い訳を述べた。
吹き出すのを必死に堪えながら。
「リーベルは世界一の魔法先進国だと連邦でも評判だ。ならば——」
ならば、リーベルの優れた神聖魔法等で故人の霊魂を呼び出して話ができるのではないか?
あるいは、遺骨から初代執政を蘇らせたり……
彼の言い訳は火に油を注いだ。
「連邦はリーベルを何だと思っているのだっ⁉」
「神聖魔法は妖術ではないぞ!」
「神聖魔法〈等〉とは何だ⁉ 他に何かあるのか⁉」
等——
トライシオスが〈等〉に込めた皮肉、それは死霊魔法だった。
己の欲望のためなら邪法も辞さない連中なのだから、死霊魔法で初代執政を蘇らせるくらい簡単だろう?
はっきり死霊魔法と言われたわけではない。
でもそれ以外〈等〉に該当するものが見当たらない。
間違いなかった。
この若造は面と向かって、リーベルを外法に手を出す最低な国だと貶したのだ。
彼の皮肉はリーベル側にしっかり伝わった。
意味を理解したリーベル側は額に青筋を浮き上がらせ、一斉に身を乗り出した。
「聞き捨てならん!」
「貴様らが我が国を非難できるのかっ⁉ 大体——」
大体、連邦だって世界各国から数々の外法の疑いがかけられているではないか!
と、罵詈雑言が止まらない。
「死霊魔法とは言っていない。貴国なら何か方法があるのではと思っただけだ」
必死に弁明するも、前日からイライラしていたリーベルの怒りは治まる気配がなかった。
さすがのトライシオスも己の窮地を悟り、狼狽するばかり……
と表面的には見えるだろう。
しかし内面は違う。
彼はリーベル側をわざと怒らせたのだ。
確かめたいことがあった。
密偵によれば、杖計画は限られた者たちで進められているという。
構成員は主に研究所の高位魔法使いたちだが、これほど大掛かりな計画は彼らの力だけでは進められない。
軍や宮廷の力が不可欠だ。
ならば関係部署には必ず構成員がいる。
この三国同盟は表向き対帝国軍事同盟と銘打っているが、中身は〈原料〉集めだ。
外務省に構成員がいないはずはない。
そこで〈等〉と投じてみた。
〈等〉を死霊魔法と解するか?
あるいは邪法と解するか?
結果は……
「子供ではあるまいし、口先で謝って済む問題か!」
「暴言の撤回と正式な謝罪を求める!」
どいつもこいつも皆、トライシオスの目を睨みつけながら思いつく限りの悪口雑言を浴びせてくる。
ただ一人、大臣を除いて。
「死霊魔法などと、言い掛かりも甚だしい!」
と部下に続いているが、明らかに剣幕が弱い。
——大臣か……
トライシオスは大臣の目が泳いでいるのを見逃さなかった。
〈等〉と聞いて、自分たちの邪法が思い浮かんでいるようだ。
構成員は大臣一人なのか、外務省内にもまだいるのか?
正確な数はわからない。
だが賢者たちに毒されている最高位者がわかれば十分だ。
外務大臣は外務省の頭だ。
頭が汚染されているのだから、首から下も汚染に従った行動を取る。
リーベル王国外務省は本人たちも知らぬ内に、賢者たちの手先と化していた。
***
大臣以外、人がいなくなった大会議室は静かだった。
もう歯軋りの音もしない。
連邦とのやり取りをいくら振り返っても怒りしか湧いてこない。
これ以上は時間と労力の無駄なのでやめた。
あのクソガキについては考えがある。
それよりも……
大臣はフェイエルムの席を睨んだ。
今日のフェイエルム大使はおかしかった。
盟友リーベルと連邦が口論になっているというのに、ただ横で眺めているだけ。
どうして会談二日目のように助け舟を出さなかった?
——連邦の戯言を真に受けているのか?
フェイエルムにも傭術という魔法があるが、リーベルや連邦の魔法とは異なるものだ。
学問というより妖術に近い。
だから学問の中には危険を伴うものがあることを理解できない。
例えば、だ。
人間には善人と悪人がいる。
ここで悪人をすべて拒絶するのがフェイエルムだが、人間はそんな単純なものではない。
悪人といってもいろいろな悪人がおり、大きく二種類に分けることができる。
一つは、世にも人にも仇をなすだけの純粋な悪人。
もう一つは、法で救えない人をそれでも救おうとした結果、法を破らざるを得なかった優しい悪人。
魔法だって同じだ。
世には有益な外法があるのだ。
もちろん、扱いを間違えれば災いになる。
それは事実だ。
否定はしない。
災いが怖いから、外法に一切触れるべきではない?
逆だ。
災いにならないよう、制御する術を研究しておくべきなのだ。
無学な魔法後進国はこの点を理解できていない。
大分断後、征西軍から追い立てられたモンスターに押されて傭術兵団を設立したが、それを切っ掛けにミスリル王国が魔法に目覚めることはなかった。
精強なブレシア騎兵で敵を蹴散らす。
堅固なミスリル歩兵で敵を弾き返す。
両者は互いに忌み嫌っているが、実は似た者同士なのだ。
問題が起きたら魔法ではなく、物理的な力で解決する。
このような考え方の下で魔法が発達するはずがなく、どちらも魔法後進国になるのは当然だったと言えるだろう。
だから魔法という学問に対して全く理解がないし、する気もない。
外法の話になったらどの後進国も同じ反応を示す。
もちろんフェイエルムも同じだ。
理由の如何を問わず、丸ごと全否定しておく。
盟友リーベルが皮肉られても助け舟を出さなかったのは、とにかく禁忌には触れないということだ。
友好国を悪く言いたくないが、頑迷すぎないか?
話をちゃんと聞いていればわかるはずだ。
連邦がリーベルを貶めようとしているだけなのだと。
「ふぅ……」
怒りのち溜め息。
——面倒だな……
大臣だけではない。
同席していた部下たちも面倒だった。
明日も執政の屁理屈に振り回されるに違いない。
心の中ではなく、声に出せば皆も賛同したことだろう。
ところが、彼が口にしたのは別の言葉だった。
「皆、下がって良い。明日に備えよ」
大臣は少し一人になって考えたいので残る。
「はっ、お先に失礼します」
誰も余計な詮索はしない。
何かご不明な点でも、と尋ねるまでもない。
屁理屈を並べ立てる執政。
空気と化しているフェイエルム。
この二日間、ご不明な点しかない。
部下たちは大臣を気遣い、静かに大会議室を去った。
***
大会議室に一人残った大臣は、懐から伝声筒を取り出した。
握りしめて少し待つ。
「……大臣」
通話の相手は〈賢者たち〉の一人だった。
「難航しているようだな」
「うむ……」
条件に拘らなければ、予定通りに調印を済ませることは可能だった。
連邦も中立を続けられないと観念したからこそ、執政自らウェンドアへやってきたのだし……
三国同盟が成立するのは確約されているといって良い。
でも杖計画にとっては同盟が成立することより、どのような条件になるかが重要だった。
南航路の復活がかかっている。
アレータ島は正直どうでも良い。
同島の領有権を同盟の条件に盛り込んだのは、対帝国戦の口実にするためだ。
フェイエルムと連邦がリーベルの領有を認めているのに、帝国が反対してくるということは〈庭〉への野心があるからだ、と各国に説明できる。
また、この条件を連邦に呑ませることで釘を差すことにもなる。
戦後、気軽にイスルード島へ来るな、と。
模神が完成するまで、連行されたブレシア人のその後を探られたくないのだ。
ゆえに本当はこの条件を連邦にだけ呑ませたかった。
しかしこれ見よがしに名指しては角が立つ。
そこで三国が同意すべき条件に広げたのだ。
あの岩島はリーベル王国と海軍にとって重要だし、杖計画にとっても有益ではある。
でも自由航行権には劣る。
アレータ泊地は〈原料〉確保後、落ち着いて模神を作るのに有益なものだが、自由航行権は〈原料〉確保に不可欠なものだ。
特にネイギアス海北部の航行権だけは絶対に認めさせたい。
それが認められるなら、岩島のことは条件から削ってもいい。
その場合、戦が始まってから魔法艦数隻を岩島へ派遣し、実効支配しておくつもりだ。
そして遠征を終えた艦隊を駐留させ、我が国の泊地であると宣言する。
戦後、若造がアレータ泊地を非難してくるだろうが、そのときは適当にあしらっておけば良い。
お得意の屁理屈をいくら並べ立てても、泊地に集結している魔法艦隊を追い払えはしない。
先に条件を呑ませておけば後々面倒が少ないのだが……
後からどうにでもなる岩島のことより、いまは南航路を復活させることに専念すべきだ。
ただ……
今日までの若造の剣幕からして、自由航行権を認めさせるのは不可能に思える。
まだ岩島の話の方が、脈があるだろう。
これではダメだ。
そこで、だ。
大臣が尋ねる。
「今日で四日目だ。そろそろ——」
「すでに出来上がっている。海軍にも連絡済みだ」
最後まで聞かずとも尋ねたいことはわかっている。
賢者は途中で遮り、大臣が尋ねようとしていたことの答えを述べた。
「さすがだな」
大会議室で一人、満足そうに頷く。
今日初めての笑顔だ。
機嫌が直った大臣へ今度は賢者が尋ねる。
「今夜やるか?」
「いや、明日もう少し突っ込んだ話をしてみる。それでもダメなら仕方がない」
やる?
何を?
二人のやり取りは肝心な単語が抜けているので要領を得ない。
ただ、杖計画の構成員が人払いして打ち合わせするようなことだ。
決して良いことではない。
わかったことは、その何かを今夜はやらないということだけ。
それから、トライシオスが対象であることも間違いなさそうだ。
まさか……
シグが心配していた通り〈原料〉に?
でもそれなら捕らえて〈浄化〉するだけで済むはずだ。
何かを完成させておく必要はない。
それに……海軍?
洋上で模神を作っているのか?
それで作業場の軍艦に〈原料〉を引き渡そうと?
おそらく違う。
模神作りは様々な魔法の奥義や外法をいくつも組み合わせる大掛かりな術式だ。
魔力が半減する海でやることではない。
巨大な詠唱陣を作ればできないことはないかもしれないが、陸上で不可視化の結界を張る方が現実的だろう。
よって〈原料〉の可能性は低いと思われるが、明日の結果次第でトライシオスに何らかの危害が加えられることは確かだ。
明日、大臣は突っ込んだ話を仕掛けるという。
だが連邦の全権大使として、それ位のことでは怯まない。
必ずや皮肉と毒舌で返り討ちにしようとするはずだ。
会談四日目も不調に終わる。
待ち受ける運命も知らず……
付け上がるから決して口にしないが、シグと女将は心の中で認めている。
トライシオスは天下の大器だ、と。
後世、子供たちは歴史の授業で彼のことを学ぶことになるだろう。
だが、大器というものは壊れやすいものでもある。
取るに足らない者のくだらない理由により、道半ばで砕かれる大器の何と多いことか。
世の中を舐め倒している友達から大袈裟だとからかわれたが……
シグがネレブリンたちを派遣したことは正解だった。
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