第98話「ミスリル王国の不安」

 宴の翌朝、ウェンドア宮殿内大会議室——


 リーベル、フェイエルム、ネイギアスが三国同盟を結ぶための会談が始まった。

 トライシオスの滞在は二日目だが、会談としては初日だ。


 彼が供を連れて大会議室へ入ると、リーベル側はすでに着席して待っていた。


「こちらへお掛けください」


 長いテーブルの中央ではなく、リーベル側から見て右側へ掛けるよう促された。

 空いている左側は?


 答えはすぐにわかった。

 左側は、フェイエルム側の席だった。

 ネイギアス側が着席してすぐ、大使と供が大会議室に入ってきた。


 早朝に着いたのか?

 だとしたら今日はフェイエルム一行の歓迎になるはずだが、港も市内も平常時の喧騒に戻っている。

 つまり、昨日からなのか、もっと前からなのかは不明だが、彼らはネイギアス一行到着前からすでに居たということだ。


 居たのに宴を欠席するとは、何とも感じの悪い連中だ。


 しかしトライシオスは怒らず、穏やかに朝の挨拶を述べた。


 フェイエルムと帝国ほどではないが、フェイエルムと連邦の仲も良くはない。

 不和の原因は、金だ。

 リーベル製より安価で且つ十分な性能を持つネイギアス製呪物のせいで、自国の商人や職人が打撃を受けているらしい。


 ……知るか。

 値を下げるか、性能を向上させれば良いのにどちらもせず、八つ当たりで宴を欠席したわけだ。


 類は友を呼ぶというのは本当だった。

 リーベルもフェイエルムもおつむの程度は同じ位だ。

 ムキになって怒るような相手ではない。


 大使の仏頂面に対して、トライシオスの表情はどこまでも爽やかだった。



 ***



 ややギクシャクしたものの、トライシオスがフェイエルムの失礼を受け流してくれたおかげで〈ウェンドア会談〉は無事に始まった。


 会談初日——

 あまり込み入った話はしない。

 三国が同盟を必要としていることを確認し合うのだが、これが長い……


 リーベルは最近〈庭〉に増えてきている帝国船が目障りなので駆逐したい。

 フェイエルムは昔からブレシア人が大嫌いなので現帝国領から追い出したい。

 連邦は正当な利益を帝国から阿漕呼ばわりされたので撤回させたい。


 各国の事情をまとめるとたったこれだけだ。

 一国当たり一〇秒もかからない。

 皆、わかっていることなのだから、さっさと本題の交渉に入れば良いのに。


 ところが〈公式〉という奴は難しい。

 会談は作業ではない。

 感情を持つ人と人の話し合いなのだ。

 作業なら無駄を省き、時間を短縮することは良いことだが、話し合いにおいては悪い結果に繋がる虞がある。

 特に信頼関係がない間柄の場合、費やす時間が無駄だから省略されたのだと受け取られかねない。


 トライシオスは心の中で突っこみつつも、文句を言わずに静聴していた。

 言い掛かりと逆恨みに満ちたリーベルとフェイエルムの言い分を。


 最も長かったのはリーベルだった。

 帝国船に対して危害を加えていたのは魔法艦隊だろうに、加害者と被害者をすりかえて自国の被害を訴える。

 昼飯時まで。


「悪逆非道の帝国海軍にセルーリアス海を渡してはならない!」


 だから三国で力を合わせて自由の海を取り返そう、と叫ぶが……

 リーベルの交易船団には魔法艦が護衛に付いている。

 船団が襲われている間、護衛は何をしていたのだ?

 お船遊びの帝国海軍に恐れをなし、救援要請もせずに船団を見捨てて逃げたのか?

 あるいは駆け付けた援軍も纏めてやられたのか?

 そんな様でよく遠征しようと考えたものだ。


 昼食後のフェイエルムも次いで長かった。

 食後の睡魔と戦いながらだったので、細部についてはよく覚えていない。

 前後から推測するに、帝国軍によるフェイエルム領侵略の歴史について語っていたようだ。


「帝国は不倶戴天の敵!」


 爺さんの爺さんの爺さんの仇を討つことが、孫の孫の孫の務めだと叫んでいるが……

 その考え方に立つと、連邦とリーベルは同盟を組めないのでは?


 だって、連邦は爺さんの……(中略)……爺さんの時代にコタブレナをリーベルに滅ぼされている。

 なのにリーベルと同盟を結んでしまったら、孫の……(中略)……孫の務めを果たせなくなるのではないか?


 歴史は、故きを温ねて新しきを知ることにその真髄がある。

 つまり前例を基に未来を予測するものなのだ。

 過去に囚われ、未来に目を向けられないなら歴史などない方が良い。


 爺さんの……(中略)……の爺さんを人殺しの大義名分に使うな。

 この罰当たりな孫共め。


 声にしたら首を刎ねられそうな突っ込みの数々だが、うんうんと頷きながら聞いている振りをしているので、誰もトライシオスの心中を知らない。


 突っ込み所しかない話を黙って聞いていなければならないのは辛いものだ。

 彼の苦行は夕方まで続いた。


 大会議室に西日が差し込んできた頃、ようやく連邦の番がやってきた。

 朝から阿呆らしい話を延々と聞かされて疲労困憊だが、役目は果たさなければならない。

 トライシオスは大きく息を吸うと、


「帝国は連邦の商売敵になりつつある!」


 と二国に倣い、不当な関税の撤回と大陸東岸沖の安全な航行を望むと叫んだ。

 不要な形容詞を付け足し、少しでも長くなるように述べたが、それでも一番短かった。


 仕方があるまい。

 元々、連邦には関係ない同盟なのだから。

 これでもやっと捻りだした参加理由なのだ。


 他人に指摘されるまでもなく、自分でもわかっている。

 帝国が滅べば関税について正当も不当もなくなるし、帝国海軍の臨検が鬱陶しいならアレータ海を経由して東や北へ向かえば良い。

 わざわざ大陸東岸沖を通る必要はないのだ。


 だから、どうか突っ込んでくれるな。

 反論は用意していないので、突っ込まれたら連邦が同盟に参加する理由が消滅する。


 トライシオスにとってウェンドアは敵陣だ。

 昨日からずっと居心地が悪くて仕方がない。

 交渉が決裂すれば即日帰国するだろう。


 彼の祈りが通じたのか。

 あるいは自分たちも長時間で疲れたのか。

 二国からの突っ込みはなかった。

 連邦の立場に共感の意が表され、続きは翌朝からとなった。


 これにて会談初日は終了。

 大会議室の扉が開かれ、一同は解散した。


 不思議だ。

 会議中、あれほどトライシオスを苦しめていた睡魔が、終わった途端どこかへ退散した。



 ***



 会談二日目——


 初日は挨拶会のようなもの。

 二日目からが本番だ。

 早速揉めた。

 原因はリーベルが出した二つの要望だ。


 一つは、リーベル王国によるアレータ島領有。

 もう一つは、同海軍艦艇がネイギアス海全域を自由に航行する権利。


 トライシオスは真っ向から反対した。

 どう宥めても全く折れない。


 困った二国は小休止を挟んだ後、妥協案を提示した。

 リーベルのアレータ島領有を認める代わりに、連邦は南部沿岸地域の一部を割譲してもらうという案だ。


 フェイエルムは現帝国領全域を支配したかった。

 そこを折れ、アレータ島より広い土地を譲ろうと申し出てくれたのだ。

 これは大きな譲歩だった。


 だが、トライシオスは一顧だにしなかった。


 アレータ島はコタブレナ王国のすぐ隣だ。

 同国とリーベルは戦争中であり、現在は休戦状態が続いているにすぎない。

 もしリーベルが同島に軍を駐留させるなら、コタブレナへの攻撃再開の意思有りと見做し、援軍を派遣しなければならない。


「辺境の僅かな土地と引き替えに、連邦加盟国を見捨てることはできん!」

「~~~~っ」


 リーベル側は奥歯を噛みしめた。

 まさかここでコタブレナの話が出てくるとは……

 確かにあの戦は〈不幸な事故〉により勝利と敗北という形では終結しなかったが、大昔のことではないか。


「いっ…………いや、何でもない……」


 本当は「いっ」の後は「いや」ではなく「一体」と続くはずだった。

「一体、いつの話をしておるのだ!」と怒鳴りつけてやりたかったが、フェイエルムの大使が目の端に入り、グッと言葉を飲み込んだ。


 昨日、フェイエルムが帝国との因縁について語ったとき、リーベルは共感と賛同を示した。

 もちろん社交辞令なのだが、そんな理屈はこの若造には通用しない。

 コタブレナのことを持ち出してくる位だ。

 矛盾として突っ込んで来るだろう。


 ——さすがに見抜かれているか。


 リーベル側は心の中で舌打ちした。


 アレータ島を欲する理由は、帝国との戦争の口実にしたいというのが一つ。

 もう一つは、島を海軍の泊地とすることで連邦に睨みを利かせるためでもあった。


 連邦はコタブレナへの攻撃再開を危惧しているというが、妖魔だらけの封鎖海域を欲しがる奴がどこにいるのだ?

 自分たちだって、加盟国と言っておきながら近付かないではないか。


 でも、これらをそのまま伝えることはできない。

 一言でも妖魔の話に触れたら、


「ならばリーベルに問う! コタブレナはなぜ妖魔だらけになってしまったのか?」


 と余計ややこしくなる。


 どうしたものかとリーベル側が悩んでいると、再びフェイエルムから助け船が出た。


「話し合いはまだ始まったばかり。この件はまた考えることにして他の案件を先に片付けないか?」


 別に何の解決にもなっていないのだが、熱くなっていると碌な結論にならない。

 双方、頭を冷やし、後で冷静になってから話し合った方が良いというのはご尤もだった。



 ***



 アレータ島の問題は一旦保留とし、三国はもう一つの案件、ネイギアス海全域の自由航行権について話し合うことになった。


 ところが、この案件も揉め事になってしまった。

 剣幕はアレータ島の件以上だ。


 リーベルにとって連邦は商売敵であり、連邦にとってリーベルはコタブレナを滅ぼした敵だった。

 互いに信用できない。


 その不信感から、互いの船に対して臨検が厳しい。

 最終的には通すが、領海に入ってきてほしくないという意思表示に他ならない。


 普段からこれほど険悪なのだ。

 同盟を口実に、ネイギアス海全域を〈庭〉のように航行させろというリーベルの要望が通るわけがなかった。


 フェイエルム大使はまた仲裁に入りかけたのだが、急に気が変わってやめた。

 双方の喧嘩を注視する。


 リーベル側は要望を呑むよう迫り、連邦側は優しく宥めているが、肝心の要望に対しては一切折れない。

 心なしか、執政の微笑みが薄ら笑いに見える。


「…………」


 大使は両国の喧嘩を見ている内に、ずっと不思議に思っていたことを思い出していた。


 本遠征において、フェイエルムの征東軍は陸戦を担当する。

 大陸北岸に上陸した征東軍が進撃するのは南岸までだ。

 海には出ない。


 海戦についてはリーベル軍の好きにやれば良い。

 無敵艦隊単独で戦うも良し。

 他国海軍と共同で戦うも良し。


 連邦と同盟を結ぶも、結ばぬもリーベルの自由だ。

 フェイエルムとしては沿岸都市攻略時に艦砲射撃で支援してもらえれば文句はない。


 だからアレータ島についても口出しするつもりはなかった。

 コタブレナを巡る両国の因縁に関わる気も全くない。


 ただ、不思議に思う。


 目の前の喧嘩は収まる気配がない。

 これほど気に入らない連邦を、リーベルはどうして同盟に引き入れたいのだろう?

 そもそも連邦抜きで達成できる作戦なのに。


 フェイエルムの作戦目標は現帝国領を得ることだ。

 目標達成のためなら憎きブレシア人がどれだけ犠牲になろうと構わないが、最初から皆殺しを予定しているわけではない。

 要は土地を明け渡して他所へ行ってくれれば良いのだ。

 逃げる者を追い詰めて皆殺しにしたいとは思っていない。


 なのに、どうして連邦を同盟に加えて、帝国を袋の鼠にしようとする?

 東西南北全てを封鎖したら、帝国は徹底抗戦するぞ。

 逃げ道を一つ残しておいてやった方が良い。


 南岸からの脱出は見逃してやるべきだ。

 その方が損害少なく占領できる。

 と、リーベルから同盟に誘われた当初からずっと提案し続けているのだが、あくまでも袋の鼠にしたいらしい。


 ということは皆殺し希望ということなのか?

 そう解釈したフェイエルムはこれについても協力を申し出た。

 面倒ではあるが……


 そこまでしなくても〈庭〉から帝国船を駆逐することはできるが、人にも国にも感情というものがある。

 同じく帝国を憎む者同士、〈庭〉を汚された復讐を手伝ってやろう、と考えたのだ。


 ところが、せっかくの申し出を断られてしまった。

 それどころか、可能な限り生け捕りにしてリーベルに引き渡してくれと頼まれた。


 捕虜の食費など負担したくないので喜んで引き渡すが、リーベルの真意が掴めずに困惑している。

 袋の鼠にしたいと言ったり、生け捕りにしたいと言ったり……


 考えられるのは奴隷だが……

 一つの民族なんて、いくら何でも大量すぎないか?


 いわゆる遅れている国ではいまでも大量の奴隷を必要としているが、それは何もかもを人力でやらなければならないからだ。

 魔法先進国のリーベルに大量の奴隷は必要ないだろう。


 捕らえたブレシア人の用途——

 何度か尋ねてみたが、今日まで教えてもらえず終いだ。

 最初は素朴な疑問だったのだが、いつまでもはっきりしないままだと疑問は不信に育つ。

 最近、〈庭〉から帝国船を駆逐したいという話を信じられなくなってきた。


 加えて、提供したミスリルの用途も不明だ。


 リーベルから求められたときは、武具や軍艦の装甲板に用いるのかと思っていたのだが、どこにも見当たらない。

 フェイエルム軍の長距離砲のように、ミスリル製の魔力砲でも作っているのかというと、そうでもなさそうだ。


 大量のミスリルがただ忽然と消えている。

 鋼鉄を上回る硬さと強度を誇る素材で、一体、何を作ろうとしているのか?


 大使も本国もリーベルに対して不安を抱いていた。

 現帝国領を餌に、フェイエルムは良からぬ企み事に巻き込まれているのではないか、と。


 下火になってきた喧嘩を眺めながら、大使は方針を改めた。

 三国同盟には反対しないが、同盟の条件については賛同しかねる。

 いままで海のことはリーベルに一任していたが、明日からは連邦の立場にも〈配慮〉することにしよう。


 大量のブレシア人奴隷とミスリルの用途がわからないまま、リーベルに付いて行くのは怖い。

 連邦にはリーベルの牽制役になってもらう。


 以後、フェイエルム大使の方針転換によって交渉は難航することになった。


 別に難しいことは何もなかったのに、ネイギアス海自由航行権など主張するからややこしくなってしまったのだ。


 賢者たちはリーベル王国を通して南航路の安全を確保しなければならない。

 説明内容はこれだけだ。

 何も難しくない。


 けれども説明することは難しい。

 説明したら杖計画が世界に露見し、賢者たちもリーベルも破滅する。


 リーベルが理路整然と奴隷とミスリルの用途を説明することはできなかった。

 しかしその口籠る姿を見て、それでも信じようという者はいない。

 フェイエルムが疑念を抱いてしまうのもまた無理からぬことだった。


 リーベルはアレータ島を領有したい。

 また、封鎖網を完成させるために魔法艦の連邦領海内の自由な航行を許可してもらいたい。


 対する連邦は、アレータ島を公海上の岩島のままにしておけと主張する。

 ネイギアス海自由航行権についても、連邦の海は連邦に任せておけと言って譲らない。


 両国の主張は真っ向から対立してしまった。

 リーベルに対して不信感を抱いたフェイエルムは、いままでのような仲裁には入らない。


 この会談、果たして纏まるのか?

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