第97話「正しい猛毒」
執政閣下のウェンドア滞在記、はじまりはじまり。
リーベルの重臣たちにとってはイライラ被害録なのに、書き方次第で楽し気になるから不思議だ。
連邦公船から下りた一行は、そのままネイギアス大使館に入った。
ここが滞在中の宿になる。
暫し休息。
とはいえ、当のトライシオスに船旅の疲れはなかった。
このまま宮殿へ直行でも良いのだが、リーベル側にも段取りがある。
それをかき乱しては客として礼を失する。
苦しめてやりたいのはリーベル王国だ。
接遇役に任命されている役人ではない。
トライシオスは大使館で一時間ほど過ごしてから、リーベル側が用意した馬車に乗り込んだ。
馬車は最終的に宮殿へ向かうが、その前に市内各地を寄り道する。
宮殿で歓迎の宴が催されるのは夕方からだ。
まだ日が高い。
そこで宴の前に市民との親善やら講演やら……面倒な式典をこなさなければならなかった。
市民の歓待で旅の疲れを癒してもらうというが……
夕方まで市内各地を引っ張り回したら却って疲れるのでは、と誰も突っ込まないのだろうか?
いささかの疑問は感じるが、これも役目だ。
彼は真面目に茶番を演じた。
市民が披露してくれた芸には笑顔で拍手を送り、大学の講演会では、ネイギアスとリーベル両国の親善がセルーリアス海に平和を齎すと力説してきた。
演説に感動している学生を直視するのは辛かった。
感動に潤んだ眼をこっちに向けるなと言いたい。
こちらは親善どころか滅ぼしてやろうと思っているのに、心にもない嘘で感動の総立ちなど面白すぎるだろう。
笑ったら演技が台無しになってしまうので何とか堪えたが……
ここまでが茶番の第一幕。
ウェンドア市民との心温まる交流を終えたトライシオスは再び馬車へ。
第二幕の舞台、宮殿へ移動する。
移動中、馬車に同乗していた大使から「よくぞ吹き出さずにご辛抱なされました」と褒められたのが少し嬉しかった。
***
夕刻、ウェンドア宮殿——
謁見の間に通されたトライシオスはリーベル国王と対面した。
茶番第二幕の開演だ。
国王と互いに声が聞こえる距離まで近付くと軽く一礼し、
「お初にお目にかかります、陛下」
続いて自己紹介。
「ネイギアス連邦評議会議員のトライシオスです。此度は評議会議長の代理で参りました」
もしこの場に探検隊がいたら、シグ以外は首を傾げたかもしれない。
評議会議員というより執政と名乗るべきなのではないか?
だが、ここは公式の場だ。
通称は用いず、正式に名乗らなければならない。
宿屋号でザルハンスを前に「元老院議員」と名乗ったのは、細々とした説明を省くことができて効率的だったからだ。
公式の場では正しく名乗る。
元老院は評議会と議長の諮問機関であり、元老院議員は正式には評議会議員だ。
そして連邦の元首は評議会議長であり、執政は諮問機関の長に過ぎない。
内実はどうあれ、これが元老や執政の形式的立場だ。
だからトライシオスの自己紹介は間違っていない。
挨拶を終えた連邦の一議員に対し、陛下も儀礼用の笑顔で歓迎の意を伝える。
表面上は和やかな式典だ。
けれど、左右に整列している重臣たちは息を呑んで一議員に注目していた。
一議員?
議長の代理?
そんな口上を真に受ける者はいない。
この若者こそが生身の〈老人たち〉だ。
年の頃、自分たちの息子と同じ位だろうか?
そう思うと重臣たちはつい気が緩みそうになるが、すぐに引き締め直す。
先頃、ロミンガン国王退位によって執政の代替わりがあった。
新しい執政の名はトライシオス。
父の即位により皇太子と執政の座を引き継いだ若き連邦の王。
ネイギアスでは元老の子は元老になれるし、執政についても同様だ。
執政を務めてきたロミンガン元老が即位する際には、当然我が子に元老と執政の座を譲る。
よって、基本的にロミンガン元老が代々、執政に就任する。
そう、〈基本的に〉は……だ。
ということは例外があるということだ。
ネイギアスでは時々、ロミンガン以外の元老が執政の座に着くことがある。
若さゆえの未熟が許されるのは就任直後だけ。
いつまでも不甲斐ないと、受け継いだばかりの執政の座から引き摺り下ろされてしまう。
聡明だったとしても、元老たちが口裏を合わせて箱入り王子様に仕立て上げることがあり得る。
暗君でも座り続けることができる王座と違い、執政の座は厳しいのだ。
目の前にいる若き執政はその座に着いてから数年が経つ。
未だに失脚していないということは、箱入りでも未熟者でもないことを意味している。
品定め中の重臣たちの前では、一枚の書状がトライシオスから侍従へ、さらに陛下へと渡された。
議長の委任状だ。
リーベル王国との同盟締結について、全権をトライシオス議員に委ねると記されている。
連邦評議会議長——
リーベルを含めた各国は議長について、形式的には国家元首だが執政に実権を握られている〈お飾り〉と認識している。
だが、議長もネイギアス人だ。
首輪に繋がれて大人しくしているような忠犬ではない。
一筋縄ではいかない食わせ者だ。
各国王の指名でなれる評議会議員と違い、議長は選挙で当選しなければならない。
議員たちの支持を集めようと日夜駆け引きに明け暮れ、最も優勢だった者が議長になれるのだ。
食わせ者でなければ議長にはなれないと言っても過言ではない。
そのような食わせ者が、議長に就任して心掛けることはただ一つ。
味方の人選を間違えないこと。
各都市国家が奔放に振舞うので元老院が出来てしまったのだが、議長にしてみれば目の上のたん瘤だ。
駆け引き上手で議長にはなれたが、そのおかげで出身都市の力が増すわけではない。
引き続き、ロミンガンを初めとする元老院を構成する有力都市には敵わないままだ。
弱きを助け、強気を挫くというのは理想だ。
議長にそんな力はない。
執政に実権を握られ、暇な日々。
出来ることと言えば、祈ることだけだった。
どうか議会と元老院が互いに潰し合ってくれますように、と。
だから執政が元老院で浮き上がっていると知ったら、議長はここぞとばかりに嫌がらせをする。
例えば今回のような件では委任状の発行を拒否したり、書くには書いても誤った内容や誤字脱字を意図的に含めたり……
しかし今回の委任状にそのような嫌がらせはなかった。
丁寧な文字で筆記されている完全な委任状だった。
この若き執政が議長の手綱をしっかりと握っている証拠だ。
リーベル側は、トライシオスをネイギアスの全権大使と認めた。
***
挨拶の儀が終わると、すぐに歓迎の宴となった。
さすがは大都市ウェンドアだ。
世界各地から集まるのは交易品だけではない。
文化も集まる。
次から次へと見事な余興が続くので、全く飽きない。
トライシオスは心の中で彼らの素晴らしい芸に一〇〇点満点を付けた。
しかし、宴全体の評価は五〇点だった。
この宴には、せっかくの一〇〇点を半減させる要素がある。
リーベル側の列席者たちだ。
わかっていたことだが、この国に親連邦派はいない。
すべて反連邦で統一されている。
ただ、連邦への対応については意見の違いがあるようだ。
懐柔しておいて後で滅ぼそうと企んでいる派。
嫌味や皮肉を浴びせ、いますぐ事を荒立てようとしてくる派。
仮に前者を懐柔派、後者を強硬派とするが、両方合わせて五〇点の減点だった。
懐柔派は鬱陶しいし、強硬派は国賓に対して失礼だ。
はっきり言って、どちらも不愉快だ。
ただ、不愉快という点については他国だって似たようなものだ。
リーベルだけ厳しく採点したわけではない。
それでも五〇点減とした理由は、両派の頭があまりにも悪かったからだ。
懐柔派は下手すぎる。
「ロミンガンでは海賊をどれ位飼っているのか?」
場を和ます冗談のつもりらしいが、これは挑発と受け取られても仕方がない失言だ。
こちらは「我が都市及び連邦は海賊を飼っていない」と失言を聞き流してやろうとしているのに、嬲れる弱みだと勘違いしていてしつこい。
懐柔して情報を引き出したいのではなかったのか?
だとしたら、相手を怒らせてどうする。
世の中には挑発すれば望む情報を喋ってくれる者がいるが、それならもっと上手に挑発しないとダメだ。
下手をすれば懐柔どころか、本題の同盟締結にもケチが付きかねない。
強硬派は記憶力が弱い。
同盟参加を要請していたのはリーベルだろう。
忘れたのか?
てっきり、連邦との同盟を望むという方針でリーベル国内の意見が纏まっていると勘違いしていた。
だとしたら、ロミンガンに何度も届いたリーベルの親書は偽物だったということになる。
リーベル側が望んでいないというなら、同盟締結はやめておいた方が良いだろう。
連邦とトライシオス個人に異議はない。
杖計画のことがなければ、中立でいたかったのだから。
同盟について話し合わないなら、この訪問はただのウェンドア旅行になる。
旅行なら委任状は不要だ。
今夜大使館に戻ったらすぐに破棄し、翌朝、探検隊の皆にウェンドア土産を買って帰国する。
いま強硬派が浴びせている嫌味と皮肉は、今後の対ネイギアス外交に深刻な問題を齎すことになるのだが……
懐柔派以上に弱そうなおつむでは難しかったか?
けれども、トライシオスは怒って宴席を立とうとはしなかった。
同盟の成立を望んで我慢しているのではない。
ここへは元老院に蔓延るリーベル派がうるさいから、同盟締結に向けて尽力したという外形を作りに来ただけだ。
彼個人は同盟が成立しようが、しまいが、どちらでも良い。
同盟が成立したらネイギアス海全域は連邦に一任してもらい、不成立ならいままで通りだ。
魔法艦隊が連邦領海を航行するには、事前の申請と許可が要る。
どちらであっても巣箱艦隊を隠せるのだ。
にも関わらず我慢し続けている理由は、彼個人の都合による。
もう少しだけウェンドアに逗留していたい。
彼は毒蛇として見極めなければならなかった。
懐柔派と強硬派。
より毒が効きやすいのはどちらなのかを。
いまにも息の根を止められそうだというのに吞気なものだ。
懐柔派の鬱陶しさと強硬派の侮辱は止む気配がない。
見兼ねた陛下が両者を嗜めるとしばらくは静かになるが、ほとぼりが冷めればどちらからともなくまた……
まるで聞き分けの悪い子供だ。
——これが、リーベルか……
トライシオスは両派の相手をしながら心の中で嘲笑っていた。
レッシバルが竜騎士勧誘で生傷が絶えなかった頃、ウェンドアに潜入させている密偵から一つの報告があった。
「貴族に騎竜を奪われた平民竜騎士が、いまは田舎で海鳥の世話をして暮らしているらしい」
この噂がウェンドア市内でも流れ始めたという。
そのときはまだ小火程度だったので、できれば小さい内に消火しておきたかったが……
噂の内容は没落者を嗤うだけの、世にいくらでもある他愛のない話だった。
あまり躍起になっても、却って注目を集めてしまう虞がある。
この問題についてシグとよく相談した。
お互い、不安な気持ちは同じだ。
そして問題に対して出した答えも同じだった。
全く噂が流れていないのも変だ。
海鳥の正体について憶測が飛び交うほど盛り上がらない限り、手を出すのはやめておこう、と。
連邦の執政と帝国の執政の一致した見解だ。
お互いに異議はなかった。
ただ、やはり気は休まらず、二人で随分と気を揉んだものだ。
でも全くの杞憂だった。
シグにも見せてやりたい。
こいつらは街の不良と一緒だ。
何事も力に訴え、知恵を絞って解決することを知らない。
使わない頭は日々退化していく。
これだけ頭が悪ければ大丈夫だ。
噂を鵜吞みにし、裏などまるで疑っていない。
その証拠に、強硬派の一人が竜騎士のことを哀れだ、無様だと嘲り始めた。
竜騎士……
貴族に騎竜を奪われた帝国陸軍の平民竜騎士のことだ。
「かわいそうに、いまは海鳥に巣箱を作ってやりながら寂しく余生をおくっているらしい」
「なんとっ!? 天空の勇者が随分と落ちぶれたものよ!」
そして強硬派だけでなく、懐柔派からもドッと哄笑が沸き起こる。
先程と違い、陛下は窘めなかった。
盟友になってもらう連邦とは違い、これから戦う帝国のことなら、どのように口汚く罵っても構わないということだ。
トライシオスも哄笑の輪に混ざった。
外見的には一緒に帝国を嗤っているように見える。
だが内心は違う。
哄笑の対象はリーベル国王及び重臣たちだった。
下劣な王よ、頭の悪い重臣共よ、と。
嗤いながら、ネイギアスの毒蛇は狙いを定めた。
猛毒は、強硬派に注入する。
***
強硬派は連邦への敵対心を露わにしていたが、それだけ愛国心が強いということでもある。
彼らにとって、リーベルのためにならないものはすべて敵だ。
連邦を敵視するその目は正しい。
ならばそのときがやってきたら、曇りなき正義の目で見定めてもらおうではないか。
リーベルの本当の敵が誰なのかを。
そのときとは、〈海の魔法〉の権威が完全に失墜したとき……
〈庭〉の覇権を賭けた喧嘩に負けた後なら、多少は物事を冷静に見ることができるようになるだろう。
誰が無敵艦隊を増長させ、敗北へ導いたのか?
誰が邪法を許し、リーベルの権威を失墜させたのか?
敗北したということは〈海の魔法〉が間違っていた?
自分たちの都合通りに捻じ曲げておいて何を言う。
実際に邪法を行っていた賢者たちが悪い?
だから、あいつらが邪法を行える環境を整えてくれた奴は誰かと尋ねている。
強硬派が、その破邪顕正の目で見れば一目瞭然のはず。
リーベルのためにならない敵は……
王だろう?
王が〈海の魔法〉を神聖視するから、無敵艦隊が油断しきって壊滅することになるのだ。
王がきちんと首に縄をつけておかないから、賢者たちが飼い主の目を盗んで邪法に手を出したのだ。
王と一族に悪政の責任をとってもらえ。
そして大切なリーベルを正しき者たちの手に!
ネイギアスはその手助けを惜しまない。
トライシオスはイスルード島へ同盟を結びに来た。
それは本当だ。
でも、シグと巻貝で交わした会話から、リーベル王国との同盟が見せかけであることは明らかだった。
では、誰と?
〈議員〉とだ。
議員と同盟を結びに来た。
いや、リーベルは〈王国〉だ。
内実はともかく、国王が政治を直接執っている形式の国に議員はいない。
だからこれから議員になってもらうのだ。
強硬派が〈議会派〉になるよう焚き付け、王政を打倒させる。
その活動を陰から支えるために、彼自ら密盟を結びに来たのだ。
王政を滅ぼした後は、議員たちによる新しい国が始まる。
きっと新しい王を立てるのではなく、議会制の国になるだろう。
ネイギアスのように。
国名はリーベル連邦?
いや、ネイギアスのようにとは言ったが、イスルード島は大きな一つの島だ。
ネイギアスのような群島とは違う。
おそらく『リーベル共和国』と称するのではないだろうか。
まあ、国名はどうでも良い。
どうせ、建国早々滅んでもらう国だ。
懐柔派は信用ならないが、頭の悪い強硬派とも長く付き合うつもりはない。
愛国心が聞いて呆れる。
我々の思惑に乗せられ、主家を滅ぼすような謀反人は信用できない。
王に悪政の責任を取らせた後は、自らも謀反の責任を取るが良い。
これがトライシオスの猛毒。
〈議会制〉だ。
国王という一人の人間の一存ですべてが決まってしまう王政ではなく、議員たちが話し合って国を運営していく。
正しいだろう?
だから恐ろしい。
間違っていることや悪いことなら改善できるが、正しいことは改善できない。
ゆえに、この正しい猛毒に対する解毒剤はなかった。
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