第95話「命の値段」

 族長たちはシグの話を最後まで聞き終えた。

 途中で咳払い一つせず、静かに。


 どうやら、領主殿を誤解していたようだ。

 宮廷内での勢力争いに敗れ、都落ちしてきたのだと解釈していた。

 それでいつか都へ返り咲きたくて、政敵についての情報収集を頼みに来たのだとばかり。


 領主殿は「何か質問があれば答えたい」と爺様、重役の順に顔を見ていくが、わかりやすく纏められていたので質問はなかった。

 ただあまりにも話の規模が大きすぎて、受け止めきれずにいる。


「爺様……」


 少女だけでなく、重役たちも族長を爺様と呼ぶらしい。

 皆、爺様に任せたいようだ。

 族長が最終的な決定権者だからというのもあるが、こんな大事をどう判断して良いかわからないというのが大きい。


「…………」


 俯き、腕組みしたまま動かない爺様。

 名を呼ばれても反応がない。


 ——まさか居眠りをしているのか?


 もしそうなら、領主の正面で居眠りというのはさすがにまずい。

 重役の一人が揺り起こそうと手を伸ばした。


 しかし爺様は考え込んでいただけだった。

 重役の手が届くより先に、顔が上がった。


「では、お言葉に甘えてワシから質問させてもらう」


 その短剣作戦についてはよくわかった。

 作戦が成功すれば帝国だけでなく、世界も救われるだろう。

 だが、


「なぜワシらだけが命を賭けなければならんのだ?」


 世界が滅ぶかもしれないというなら、世界中が団結してリーベル王国に対抗すべきだ。

 どうして限られた者たちだけで解決しようとする?

 やはり手柄を立てて都で復権したいだけなのではないか?

 それとも、


「人間お得意の『大義』という奴か?」


 だとしたら頼む相手を間違えている。

 人間の大義は人間社会のものだ。

 エルフ族には関係ない。


「どうなのだ? シグ卿」


 そのリーベルの賢者たちは人間。

 侵略を受ける帝国も人間。

 所詮は人間同士の諍いだ。

 その戦いに加わることで我々に何の得があるのか?


 得……

 爺様の言はご尤もだった。

 帝都の正騎士はもちろん、集落中央の広場で待機している護衛の準騎士たちも、いまの話を聞いたら不快感を露わにしたことだろう。

 館へ、シグ一人でやってきたことは正解だった。


 騎士たちの気持ちはわかる。

 かつては探検隊全員が正騎士を目指していた位だし、レッシバルは実際に準騎士だった。

 帝国の男の子は皆、正義の味方になりたいのだ。

 何よりも名誉を大切にする。

 だから得の話など、到底受け入れられるものではない。


 だが探検隊はピスカータ村民でもあったので、辺境に暮らす者の気持ちも理解できてしまう。

 正義、大義、名誉……

 これらは都や大きな街に暮らす者たちの理屈だ。

 衣食住が足りているからこそ嗜める道楽に近い。


 辺境は貧しい。

 そしてモンスターや盗賊の脅威と隣り合う過酷な世界だ。

 道楽に興じている余裕はない。


 爺様の言う通りだ。

 過酷な世界を生き延びるのに必要なのは理屈ではない。

 得の有無。

 それだけだ。


 ネレブリン族は辺境の民。

 味方に付けたいなら、彼らが満足できる得を示さなければならない。

 それも命を賭けるに値する得を。

 でなければ彼らの心は得られないだろう。


 ここへは塩や調味料、金属製品等を土産に持参した。

 普段の彼らがリアイエッタで求める品々だ。

 会談の前に渡したかったのだが、少女のせいで出しそびれてしまった。


 彼女はさっき退出したが、まだ出すわけにはいかない。

 いま出せば土産ではなく、命の対価と受け取られかねない。


 これらはあくまでも訪問の土産だ。

 彼らが命を賭けるに値する得は、別に持参してきた。

 順番が前後してしまったがやむを得ない。

 土産より先に、


「どうか私を信じて付いてきてほしい。ネレブリン族の信頼が得られるなら——」


 シグは得を提示した。



 ***



 おそらく、シグと共に海を渡るネレブリンたちは森へ帰ってこられない。

 初めから死ぬつもりで行くわけではないが、結局はそうなってしまうだろう。

 敵の本拠地で模神の現在地を吐かせようというのだ。

 必ず荒れる。


 何とか模神の居場所が判明し、イスルード島近海へ到着したレッシバルたちへ知らせた後、シグたちはどうやって脱出すれば良い?


 国王陛下を人質にとっても無駄だ。

 外国へ連れて行かれるくらいなら、陛下諸共……となりそうだ。

 いろいろ考えてみたのだが、生還は望めそうにない。


 だからこれは〈森の闇〉に付けた命の値段でもあった。

 リアイエッタ伯として出せる最高額だと自負している。

 足りると良いが……


 対するネレブリン側は、


「…………」


 テーブルに置かれた得に目が釘付けになった。

 重役たちはもちろん、爺様さえも。


「……し、正気か?」


 ようやく重役の一人が呻いた。

 それほど奇想天外だった。


 得は、金貨ではなかった。

 宝石や高価な織物でもない。


 得は——

 一枚の誓約書だった。

 その内容は……


 ネレブリン族を人間と同じくリアイエッタ領民と認める。

 集落の自治を認め、これを侵す者には人間に対して行った場合と同じ罰を与える。

 領内を自由に往来し、居住する権利を認める。

 商売の自由を認め、人間と同じ税率を適用する。

 希望者には人間と同じ試験を受けさせ、合格者は役人や士官として登用する。


 領内限定ではあるものの、そこには今日までの人間側の態度を改め、ネレブリンは自分たちと同じ〈人〉であると記してあった。


 命を賭けるに値する得——

 それは人としての自由と権利だった。



 ***



 夜、集落の広場で宴が催された。

 交渉成立の宴だ。

 シグ一行の前に森で獲れた鹿や猪、山菜の料理が並べられ、酒が振る舞われた。


 なぜわざわざ〈酒〉と強調するのかというと、やはり御伽噺のエルフと違っていたからだ。

 御伽噺のエルフは肉を食わないだけでなく、酒も飲まないとされていた。

 ところが目の前にいるエルフ族は酒を造るし、飲んでいる。

 彼らは人間と同じく酒を楽しむ〈人〉だった。


 会談後、シグは広場で待機していた配下たちに、爺様は村人たちに誓約書の内容と盟約が成立したことを告げた。


 反発は当然あった。

 どちらかというと、ネレブリン側に。

 見ると、爺様のところでは数人の若者が声を荒げている。


 対するシグの配下たちは、驚いただけで反発はしなかった。

 表情を見るに、騎士たちも決して心から同意しているわけではない。

 それでも不快感を表に出さずにいてくれて助かる。


 盟約が成立したとき、人間側では同行の騎士たちが最初に知ることになる。

 あちらで声が上がり、こちらもそれに応じたら喧嘩になってしまうだろう。

 そこで、護衛の騎士を武勇よりも冷静さで選んできたのだった。


 騒ぎはしばらく続いていたが、やがて静かになった。

 爺様の説得が成功した。

 シグが行って、彼らに頭を下げたのも効いたのかもしれない。


「今日、すべてが水に流れるとは思っていない。でもいつか流してもらえるようにこれから努めていく」

「~~~~っ」


 爺様が組むと決めたことだし、伯爵にこう出られては、それ以上難癖をつけることはできなかった。


 そして夕方から宴が始まった。


 酒の力は素晴らしい。

 宴が始まったときは騎士と若者の睨み合いが少しあったが、いまは和やかだ。

 弓の腕前を自慢し合ったり、これまでに仕留めてきた大物を比べ合ったり……


「シグ卿、杯が空になっているぞ」


 爺様が酒瓶を向け、おかわりを促す。


「美味いな、この酒」

「うむ、水が良いからのう」


 これは旅人を歓迎する宴だが、同時に盟約成立を祝う宴でもあった。

 なので、シグと爺様は宴の主役として二人並んで座っていた。

 空になった杯に気付いたのも隣り合っていたためだった。


 酒瓶を掴む手を傾け、杯へおかわりを注いでいく。


「ところで、もう一つ教えてくれぬか?」

「何だ?」


 注ぎながら爺様が尋ねる。


 ネレブリンもブレシア人もすべて大陸に暮らす人。

 そう言ってくれるのは嬉しいが、格に拘る人間にとってはネレブリンと同格など屈辱なのではないか?

 騎士たちの反応から見るに、人間たちへの説得は街へ帰ってからだろう。


 後に振り返って正しいことだったのだとしても、性急すぎる君主は家来や民衆から嫌われることがある。

 反発が予想されるが大丈夫か?


「……そのことなら心配ない」


 確かに人間にとって格は大事だ。

 格に基づく差別が大好物だ。

 しかし人間世界にはその差別意識をねじ伏せる力がある。

 金だ。


〈集い〉結成後、トトル商会経由でトライシオスからかなりの資金を提供された。

 情報を買う、もしくは噂を流す。

 そのための資金だ。

 しかし、海上封鎖によって入港する船が減り続けている帝都では、金を使っても大した情報は得られない。

 ゆえに今日まで温存してきた。


 その金を使う。

 金の力で配下や領民たちを納得させる。

 帝都で又聞きの又聞きの、更に又聞きのような胡散臭い伝聞に大金を投じるより、遥かに有意義な使い道だ。


「〈集い〉の金をワシらのために……どうしてそこまで?」


 爺様は質問が二つになってしまっていることに気付いていない。

 シグは気付いていたが、別に構わなかった。

 疑問があるなら、可能な限り答える。

 質問が二つになっても、三つになっても構わない。


「どうして……か」


 ポツリと呟いた直後、おかわりの酒を一気に呷った。


「うぅっ!」


 強い酒ではないが、一気に飲み込むとさすがにきつい。

 直後に襲い来る猛烈な酔いに、思わず呻いた。

 だがこれで良い。


 ネレブリンのためにどうしてそこまで本気になれるのか?


 この問いに答えるのは難しい。

 普段考えないようにしている事柄に触れるので、素面では答えられない。


 レッシバルのようにはならないが、穏やかな気持ちでは語れそうにない。

 だから酒の力で怒りを少しでも麻痺させなければ。

 酔いで呂律がおかしくなるかもしれないが、代わりに理性を保てる。


 飲み干した杯を置き、爺様の問いに答える。

 それは杖計画を知った日から今日まで続き、これからも変わることがないシグの行動原理。

〈人として生き、人として死にたい〉という信念だった。


 巣箱艦隊の敗北、もしくは無敵艦隊に勝利できても肝心の模神退治をしくじったら、


「爺様……私たち人間も、あんたたちも皆〈原料〉になるんだよ」


 原料に、貴族も平民も関係ない。

 人間もネレブリンもない。

 生きとし生けるすべてのものが一つにされてしまうのだ。


「格など馬鹿々々しい!」


 残念ながら爺様がはっきりと聞き取れたのはそこまでだった。

 一気に呷ったせいで、酒が急激に回ってしまったらしい。

 呂律が酷くて何を言っているのかわからない。

 辛うじて「邪法」と「リンネ」という単語は判別できたが、一体何のことやら……

 散々、何かを喚き散らした後、そのまま潰れてしまった。


 宴はまだ続いているが仕方ない。

 主役の一人として爺様まで退場するわけにはいかないので、若者たちに館へ運んでもらうことにした。


 担がれていくその背に向かって、


「よくわかったよ、シグ卿……あんたのことを信じよう」


 彼は、送り届けてくれた少女の半分も生きていない人間だが、きっと地獄を見てきたのだろう。

 そのような者にとって、人間世界の格など何の意味もない。

 ネレブリンの協力を得るという目的のためなら、人間の拘りなど彼にとって一考の価値もない。


 やると決めたら絶対にやる——

 呂律が回ってなかったが、彼の言葉にはその凄みがあった。

 彼が健在である限り、あの誓約書は必ず守られる。


 爺様は村を挙げてシグに仕えることを決めた。

 肝心の主は先に酔い潰れてしまったが……


 だが、仕えることを決めたのは信頼だけではない。

 潰れてしまったので語れず終いになってしまったが、もう一つ理由があった。


 これは彼だけでなく重役たちもなのだが、数日前から不気味なことが続いていた。

 皆が同じ夢を見るのだ。


 夢は二部構成になっていて、第一部では東からやってきた真っ白な巨人に村を踏み潰されてしまう。


 もちろん抵抗する。

 村の老若男女が総出で抵抗した。

 それぞれが呼び出せる最高の精霊を召喚し、矢もあるだけ射った。


 でもダメだった。

 村人も精霊も、一溜りもなかった……


 そして、悪夢の第一部にうなされながら、問答無用で第二部へ。


 第二部は海の真ん中から始まる。

 森の戦士たちが船で東へ向かい、後から沢山の竜たちも東へ。

 そして、遥か東の島で眠っている巨人を襲い、目覚める前に滅ぼしてしまうという夢だ。


 この数日間、毎晩同じ夢が繰り返されるので、重役たちと気味が悪いと話していたところだった。

 そこへ、シグ卿たちがやってきた。


 世界を支配せんと企むリーベル王国の魔法使いたち。

 彼らによって作られている「模神」という巨大なミスリルゴーレム。

 この邪悪な計画を阻止する切り札、小竜隊。

 森の戦士たちがイスルード島で模神を探し、小竜隊が滅ぼすという作戦。


 ……悉く、夢と一致している。


 ネレブリン族は人間のカミサマとやらを信じてはいない。

 だが天というものはあると思っている。

 時々、天の配剤としか思えないことが起きる。

 今回がそうだったのだ。


 ならば素直に従った方が良い。

 シグ卿は信じるに足る人物だし、集落が踏み潰される未来を回避できる。


 それに……

 シグ卿はウェンドアへ行ったら生きて帰れないと思い込んでいるようだが、そんなことにはならない。

 彼は本懐を遂げることができれば満足かもしれないが、そこで死なれてはワシらが困る。

 戦が終わった後も、生きて誓約書を守ってもらわねば。


 模神を探し出し、〈集い〉の作戦を成功させる。

 シグ卿も村の戦士たちも、誰一人欠けることなく帰国する。


 森の闇の誇りにかけて!

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