第94話「勇敢と無謀」

 ネレブリン族の隠れ里——


 シグが案内された屋敷は族長の館だった。

 そのまま広間へ。


 館は人間社会になぞらえるなら宮殿に相当する場所だ。

 ならば広間は謁見の間といったところか?

 謁見を許されたのは嬉しいが、国王たる族長がいない。


「爺様、どこ? 爺様!」


 少女はシグを残して探しに行った。


 爺様というのだから、族長は男性の老エルフらしい。

 エルフは一〇〇〇年以上生きるというが、探している爺様は何歳くらいだろう?

 そんなことを考えながら、一人になったシグは周囲を見渡した。


「……普通だな」


 謁見の間というには狭く、普段は生活空間として使われているようだ。

 部屋の中央には少し大きめのテーブルと数脚の椅子。

 きっと族長一家がここで食事をとっているのだろう。


 壁にはテーブルを囲むように棚が配置されており、どの棚もよくわからない葉や実でいっぱいだ。

 薬効のある植物なのだろうか?

 あるいは……毒草?


 現実のエルフの家は、子供の頃に空想していたものとは全く違っていた。

 棚に薬草が干してあったり、梁に干し肉が吊るしてあったり、と人間の山村に似ている。


 ピスカータで暮らしていた頃、エルフたちは植物のように日向ぼっこをし、水と陽光があれば生きていける……と思っていた。

 集落には小さな妖精が飛びかい、森の動物たちと心を通わせながら暮らしているとも。


 ……奇天烈すぎるだろう。

 どんな種族だ?

 心を通わせるどころか、干し肉が吊るしてあるぞ。

 自分も含めて、探検隊は頭が悪かったと認めざるを得ない。


「これ、売り物かな?」


 シグは干し肉を見つめながら、出発前にリアイエッタで聞いた有力者たちの話を思い返した。


 ネレブリン族は狩猟や採集中心の生活だが、人間に変身してリアイエッタを訪れるときがある。

 塩や金属製品等、森で不足する品の調達だ。


 しかし物を買うには金が要る。

 そこで干し肉や毛皮、人間が容易に入れない奥地の薬草や茸を売り、その金で必要な品を買う。

 あるいは人間からの依頼を達成した報酬で。


 彼らは人間にきちんと対価を支払う。

 透明になればいくらでも盗めるし、変身能力や精霊魔法を以てすれば人間を晦ますことなど容易いだろうに。


 それに引き替え人間は……

 人間の中には、国を挙げて人攫いに勤しむ悪魔共や、大切に育てた竜を奪った挙句、陸軍からも追放する人でなし共がいる。

 ネレブリンの方が遥かに人間らしい。


 彼らは人間とは異なる種族だ。

 でも人だ。

 同じ、この世界に住む人であることに違いはない。



 ***



「シグ様、ずっと立ってたんですか?」


 干し肉を眺めながら考え事をしていたシグは、後ろから声を掛けられて我に返った。

 少女だ。

 爺様探しから帰ってきていた。


「爺様、ちょっと時間が掛かるみたいだから、座って待ちましょう」


 促されて席に着く。


「何か大事な作業を?」

「いや……その……」


 彼女は苦笑いで遮る。


「?」

「えっと……ほら、大事な作業というか、大きな用というか……」


 そこまで言われてようやくわかった。

 こんな秘境だ。

 訪れる者は滅多にいない。

 安心して〈用〉を足している最中だったらしい。

 ……大きい方の。


「……なるほど」


 平和だった頃のピスカータでも、毎度苦労している年寄りたちがいた。

 人間もエルフもその点については共通だろう。

 だから急かしてくるという少女を止めた。


「私たちは予定にない不意の訪問者だ。族長の日常に割りこんできた挙句、急かしては失礼にあたる」


 ……これは建前だ。

 この交渉に模神探しの成否がかかっているのだ。

 その成否が、族長の〈大きい方の用〉が快適だったか不快だったかで決するなど、あってはならない。

 早まった真似をしてくれるな、というのが本音だった。


 それからさらに待つこと一〇分——

 族長は集落の重役数名を伴って、広間に現れた。


「お待たせしてすまなかった、領主殿」


 長い白髪と白髭。

 如何にも族長という雰囲気の老エルフだ。


「いや、こちらこそ使者も立てず、急に押しかけて申し訳ない」


 席を立って族長たちを出迎えたシグは、逆に相手の予定も確かめずに訪問したことを詫びた。


「!」


 重役たちは驚き、互いに目を合わせる。

 意外だった。


 領主は貴族という支配階級の人間だ。

 その貴族が詫びている。

 人間から「森の闇」と蔑まれている我々に……


 族長も内心驚いていたに違いない。

 されど後ろの重役たちと違って動じず、ニッコリと微笑んだ。


「椅子があるのに立ち話も変だ。皆、掛けようではないか」


 確かに。

 族長に促され、一同が席に着く。

 シグと少女は並んで着席し、向き合うように族長たちも腰掛けた。



 ***



 シグとネレブリン族との会談が始まった。


 初めは少女の話から。

 集落から旅立ったのはつい最近だったらしい。

 それがもうお戻りだ。

 説明を求められるのは当然だった。


 彼女は集落を出てからの事を順に説明していった。

 ネレブリンたちはしばらく静かに聞いていたが、定期船が海賊に拿捕された件で怒り出した。


「ほら見たことか!」

「だからまだ早いと言ったではないか!」


 どうやら集落の大人たちは彼女の冒険に大反対だったらしい。

 シグも親なので反対する気持ちはわかる。

 同時に探検隊でもあるので、彼女が密かに集落を飛び出した気持ちも理解できた。


 かつての自分たちも同じ行動をとっていたはずだ。

 親たちの反対など何の妨げにもならない。

 問答無用でピスカータを飛び出し、帝都で正騎士を目指す。


 彼女による説明会は、あっという間に彼女への説教会へと変わっていった。

 大人たちの非難が続く。


「おまえは勇敢な冒険者なんかじゃない! 真の冒険者は無謀な真似はしない!」


 いま行われている口論についてシグは無関係なので、口を出すつもりはない。

 だが、重役が発した勇敢と無謀という言葉が胸に刺さった。


 勇敢と無謀——

 重役の言う通りだ。

 成功して初めて勇敢だったと認められるのだ。

 失敗すれば、それは慎重さに欠ける無謀な行いだったことになる。


 彼女も無計画に飛び出していったわけではない。

 道中の何気ない話から、彼女の利発さが窺えた。

 後先考えずに飛び出していくお転婆娘ではない。


 しかし彼女の冒険は失敗し、何をどう取り繕おうとも重役たちの「無謀だった」という主張を破ることはできない。

 完璧だと思える計画や作戦だったとしても、失敗したということは盲点があったということだ。

 だとしたら勇敢か無謀かは、結果によって決するといえる。


 少女がいくら反論しても無駄だ。

 捕らえられたという事実が、冒険は無謀だったと証明している。

 弁解の言はすべて戯言としか受け取られない。

 どれほど熱弁を振っても重役たちの心には何も響かないだろう。


 それよりも失敗の原因を探し、解決しておく方が有益なのではないか?

 彼女の剣幕から察するに、次の冒険を全く諦めてはいないのだろうから。


 とはいえ、口論の最中にそんな冷静な思考を持つのは難しいので、シグは代わりに考えてみた。

 彼女の失敗の原因は……


 第一に、リーベル派の脅威について無知だった。

 リアイエッタで情報収集していたそうだが、全くの無駄だ。

 山賊やモンスターの勢力圏についての話ばかりで、リーベル派どころか海の話自体がない。


 第二に、能力が不足していた。

 森での野営時、彼女に小さな火精や光精を呼び出してもらった。

 ネレブリンの基準では半人前かもしれないが、人間の召喚士なら一人前だと思う。

 それでも能力不足だ。


 レッシバルによれば、少女には何の外傷もなかったという。

 つまり抵抗らしい抵抗ができないまま捕らえられたということだ。


 別に不思議なことではない。

 初めて海に出た森育ちの召喚士が、波と揺れに晒されながらどうやって精霊を呼び出すのだ?

〈海の魔法使い〉でもないのに。


 少女には次がある。

 今回は失敗だったが、改善すれば次の冒険はきっと成功する。


 だが〈集い〉にはその次がない。

 相手は〈賢者たち〉と無敵艦隊だ。

 たとえ針の穴ほど小さくても、地力で劣っている我が方の落ち度は一切見逃されないだろう。


 いくら準備しても足りる気がしない。

 普段は考えないようにしているが、連想する出来事を前にすると否応なく不安が込み上げてくるのだ。


 トライシオスはよくヘラヘラと笑っていられる。

 自分のような凡人は、奴のように笑えない……

 きっとこれが執政と凡人の違いなのだろう。


 でも、一緒にヘラヘラしたい。

 短剣作戦を勇敢なものとするため、そして奴のように根拠を伴ってヘラヘラするため、何としてもネレブリン族の協力を得たい!


 少女と重役たちの応酬の横で、シグの決心は益々強まっていった。



 ***



 族長たちと少女の話は、レッシバルたちによる救出劇に移っていった。

「すごかった!」とか「かっこ良かった!」と少女は目を輝かせながら目撃した〈漁〉の様子を語る。


「…………」


 シグは一人、緊張が高まっていく。

 巣箱艦隊のことがネレブリンたちにバレてしまった。

 しかし慌てはしない。

 少女が話さなかったら、自分が話すつもりだったから。


 かつて翔竜旗の件で、濡れ衣のザルハンスを非難しておきながら今日は自ら秘密を漏らす。

 他人に厳しく、自分に甘いとんでもない奴だ。

 シグ自身もそう思う。

 でも、旗の場合と今回は違うのだ。


 旗のときは誤魔化す余地が残っていた。

 ザルハンスの能力で可能かどうかはともかく。


 対して今回は誤魔化す余地がないのだ。

 仮にすべてを秘密にしたまま、ネレブリンたちをウェンドアへ連れて行けたとする。

 だがそこで作戦が頓挫することになる。

 探す対象がわからないまま、どうやって模神の現在地を調べるのだ?


 ゆえに、ここで杖計画について話すつもりだった。

 だから少女が巣箱艦隊についてバラしてしまったことは問題ない。

 ……正直、冷や汗はかいたが。


 模神の脅威は人間だけでなく、この世界に生きるすべての種族にとっての問題だ。

 協力してもらう相手に隠し事はしない。


 そんなことを考えていたときだった。

 シグは族長たちの変化に気が付いた。


 大人たちは会談冒頭から少女に対して怒ってはいたが、どこか安心した表情でもあった。

 危ない目には遭ったが、こうして無事に生還できたのだから。


 ところが、小竜隊の件で一変した。

 重役たちは驚き、族長は腕組みして目を瞑ってしまった。


 少女も異変に気付いて首を傾げる。

 何かいけないことを言っただろうか、と。


 隣のシグも心の中で首を傾げた。

 とはいえ、彼女とは傾げる理由が違う。

 口論に参加せず、傍観していたので気付けた。

 彼らの様子が変わったのは、少女の口から「沢山の小竜たちが——」と飛び出したときからだ。


 ——小竜に何かあるのか?


 心当たりを探る。

 すると、一つあった。


 この辺りは小火竜の縄張りだ。

 ずっと警戒しながら暮らしていたに違いない。

 霧は人間だけでなく、小竜からも集落を隠すためのものだったのだ。


 いまはレッシバルたちによって餌場ではなくなったのだが、ネレブリンたちはそのことを知らない。

 集落にとって小竜は脅威だ。

 その小竜が少女の話の中に登場してきたので驚いた。

 ……ということなのかもしれない。


 族長は少女が途中で黙ってしまったことに気付き、瞑っていた目を開いて続きを促した。


「その竜騎士たちに海で助けてもらって、それから?」

「う、うん」


 少女は話を続けた。

 トトル商会の馬車でリアイエッタへ送ってもらい、今日、領主様と一緒に集落へ帰ってきた、と。


「そして、いまはワシの家で皆から怒られているというわけだな?」

「うん……その……ごめん……なさい」


 以上が彼女の冒険譚だ。

 最後は詫びの言葉で締めくくられた。


 族長は腕組みを解き、シグに頭を下げた。


「村の者を救ってくれてありがとう」


 併せて、村の入口で男たちが警戒の目を向けた無礼について詫びた。


 シグは、別に無礼とは思っていなかった。

 集落の脅威は小竜だけではない。

 宝目当ての冒険者一行も脅威だ。

 自分も同じ人間という種族なのだから、警戒の対象と見做されても仕方がない。

 別に威嚇射撃を受けたわけでもないのだし、謝ってもらうようなことは何もなかった。


 そう返すと、小竜の話から厳しかった族長の顔が少し和らいだ。


「話はよくわかった。おまえはもう下がって休みなさい」

「え? う、うん……」


 若いといっても、人間なら長老と呼ばれるような年齢だ。

 それだけ長い時間を生きていると、同じ位の人間の娘より機微がわかるらしい。

 少女は広間に漂う緊張感を察し、シグにここまでの礼を述べて大人しく退室した。



 ***



 説教会が終わり、静けさが戻った広間。

 空気がピーンと引き締まっている。

 前置きが終わり、本題について話し合う空気だ。


「さて、用件を伺おう。シグ卿」

「!」


 族長は驚くシグに笑みを返す。

 リアイエッタは、ネレブリン族にとっても重要な街だ。

 新しい領主が何という名で、どのくらい横暴な人物なのかを調べるのは当然の事だ。


 最初は「平穏を乱す」と街の人間たちからの評判が悪かったが、新しい統治が始まれば不慣れな者たちから不平が出るのは当然だ。

 それで直ちに暴君とは判定しない。


 施策開始当初に不平不満の声が上がるのは、暴君も名君も共通だ。

 しかし時の経過と共に違いが目に見えて表れる。


 どれほど時が経過しても苦しみが減らないし、何なら増えていくのが暴君。

 やがて施策の効果が表れ、苦しみが減っていくのが名君だ。


 両者の違いは、異種族に対する態度にも表れる。

 同じ人間からの評判が悪い人物は、異種族を迫害する。

 逆に人間からの評判が良い人物は、異種族にも公平だ。


 調査の結果、族長はシグを名君と認めた。

 だから霧を解いて集落へ迎え入れたのだ。


「娘一人送り届けるだけなら、配下の者に任せれば済むことだ。だが——」


 だが領主直々にやってきたということは、それだけ大きな仕事を依頼したいということだろう。


 依頼の対象は帝都の大貴族か?

 それとも征西軍を退けたという西側同盟か?

 族長はどちらでも問題ないと豪語する。


 人間がネレブリンに頼む仕事は大体同じだ。

 主に諜報、次いで誰かの成り済まし、後は要人暗さ……いや、まあこれは……

 いずれの用も前向きに検討しようではないか。


 シグは複雑な心境だった。

 やってもらう作業内容についてはその通りだが、依頼の対象について誤解がある。


 これは帝都で権力を握るための依頼ではないのだ。

 帝国が大陸の覇権を握るためでもない。

 そんな小さな話ではない。


 静かに目を瞑り、深呼吸を一つ。


「…………」


 全く落ち着かない。

 落ち着くはずがない。

 これから族長の想定を大きく超えた無理難題を吹っ掛けるのだ。

 話し終えたとき、彼らの怒りは説教会の比ではないだろう。

 依頼というより、世界を救うためにこの村から決死隊を出してくれというお願いなのだから。


「話が早くて助かる。仰る通り、私はあなた方の力を借りに来た。その内容についてだが——」


 シグは覚悟を決め、一つずつ語り始めた。

 少女を攫った海賊のこと、小竜隊のこと、そして杖計画のことを。


 族長たちは説教会の時と違い、話を遮らずに静聴している。

 その表情は怒っているようにも、ただ真剣なようにも見える。

 一体、どちらだろう?

 語りながら不安が増大していく。


 人は重圧や強い緊張に晒されると、身体から水分が蒸発していく。

 たとえ本人に自覚がなくとも、身体は正直だ。


 シグの唇は、カサカサに乾いていた。

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