第93話「隠れ里へ」

 ネレブリンの少女を保護してから二日目——

 シグは小勢を引き連れて森へ入った。

 彼女を集落へ送り届ける。


 出発するまで大変だった……


 森は危険な場所だ。

 モンスターや大型肉食獣の生息地だからというのもあるが、これらの敵対生物抜きでも、見渡す限りの木々のせいで方角を見失う。

 森と共存してきたリアイエッタの住人でも奥地へ踏み込もうとは思わない。

 そのため、配下の者たちは出発の準備を整えていたシグを止めた。


「シグ様が危険を冒す必要はありません。森の猟師を道先案内に使者を向かわせましょう」

「リアイエッタへやって来てまだ日が浅いのに、奥地へ分け入るのは危険です」


 妻も同意見だった。

 少女を故郷へ帰すことには賛成だが、どうして夫自ら?


 少女はダークエルフだ。

 森で迷う事はないだろう。

 だから往路は心配ない。

 問題は復路だ。

 送り届けるのだから、帰りは人間だけでリアイエッタを目指すことになる。

 深い森で迷ったらどうするのだ。


 何もかも他人任せの貴族様に比べれば立派な心掛けだと思うが、森の奥地へ分け入るというのは行き過ぎだ。

 皆が領主の無鉄砲を諫めた。


 対するシグは「心配してくれるのは嬉しいが……」と歯切れが悪い。

 いつもの理路整然は鳴りを潜めてしまった。


 口籠ってしまうのも無理はない。

 決して無鉄砲ではなく考えあってのことなのだが、それを説明することはできない。


 暫し瞑目。

 竜騎士集めで生傷が絶えなかったレッシバルを思う。

 帝都で真相を明かすことはできない。

 誰が盗み聞きしているかわからないし、仲間に入ってくれた後でなければ何も教えられない。

 だから肝心なことを何も語れないまま、一方的に殴られ、罵られ……

 素晴らしい忍耐力だったと感心する。


 少女を領主自ら集落へ送り届ける理由——

 それは、ネレブリン族と手を組むためだった。


 執務室で少女の変身を見たときから考えていた。

 彼らを味方にすることができれば、連邦並みの諜報能力が手に入るのではないか?


 ぜひ彼らの信頼を得たい。

 そのためには代わりの者ではダメだ。

 自らが赴かないと。


 シグはレッシバルに続き、宿屋号で初めてトライシオスと会った日のことを思う。


 あいつは執政ではあるが、先代執政の父親から座を引き継いだばかりで年若く、〈老人たち〉からの信任がまだ薄い。

 信任を得たければ、彼らが納得する大手柄を見せるしかない。


 とはいえ、新米執政にできることは少ない。

〈老人たち〉は一応当代執政に従っているが、発揮してくれる力は建前の域を出ない。

 その程度の助力では到底、大手柄など立てられそうにない。


〈老人たち〉を納得させ得る大手柄を立てるのに〈老人たち〉の協力が必要という矛盾……

 新米いびりなのだとしても、随分と理不尽な試練を与えるものだ。


 この矛盾を解決するには一から自前の味方を作るしかない。

 それもできるだけ有能な味方を。

 だが裏切りと駆け引きの国では、これもまた難しい。


 だからあの日、宿屋号で探検隊の二人を待っていたのだ。

 猟犬ザルハンスに斬られるかもしれない危険を承知の上で。

 自国内が難しいなら、外で〈友人〉を作るしかない。


 レッシバルの忍耐とトライシオスの試練に比べれば深い森くらい!

 シグは恐れずネレブリンの集落を目指した。



 ***



 シグ一行がリアイエッタを出発してから三日目の昼になった。

 一行には猟師が同伴していたが、もうここがどこかわからないと泣きべそをかいている。

 大森林は豊かなので、すぐ獲物に出会える。

 ここまで深く分け入る必要がなかった。


 それに対して少女はさすがネレブリンだった。

 大木が乱立する深い森の中にあっても方向を見失っていなかった。

 二日目の午後までは猟師を先頭に進んでいたのだが、今朝からは少女に一行が案内されている有様だ。


「皆頑張って、あと少しだから!」


 情けない……

 これでは一行が少女を護衛しているのか、少女が一行を遭難しないように守ってくれているのかわからない。


 しかし弱音は吐かない。

 野生の小竜を捕獲しなければならなかったレッシバルたちの苦労に比べれば、これ位のこと!

 自らを奮い立たせ、一定間隔で復路のためのリボンを枝に結び付けていく。


 やがて、


「皆、止まれ!」


 シグが右手を上げてその場に止まった。

 霧だ。

 急に立ち込めてきて、一行が包まれてしまった。

 このまま進むとはぐれる虞がある。


 その場で点呼が始まった。

 幸い、まだ誰もはぐれてはいなかった。


 少女はあと少しだと言うが、どんどん濃くなっていく。

 これでは進めない。


 一行はしばらくこの場から動かず、様子を見ることになった。

 霧が晴れなければ今日はここで野宿ということも……


「こんな不自然な霧は初めてだ……気味が悪い……」


 猟師が怯えている。

 本当に彼の言う通りだ。

 突然目の前に現れ、あっという間に飲み込まれてしまった。

 なんというか、霧に意思があるというか……

 何者かの意思に操られているというか……


 一行の中で平然としているのは少女だけだった。

 霧の前に立ち、何かを呟き始める。


 呟きが、湿ったそよ風に乗ってシグの耳まで届く。

 最初は聞き慣れない言葉で、その後は自分たちにもわかる言葉で「ただいま」とか「大丈夫、心配いらない」とか。

 やがて、


「シグ様、霧が……!」


 後ろにいた騎士が驚いて声を上げた。

 前方の霧だけが急速に左右に分かれ、一本道のようになった。


 足取り軽く、先行する少女。

 しかしすぐに立ち止まり、呆けて付いて来ない一行を振り返る。


 どうやら、霧はネレブリンたちによる精霊魔法の霧だったらしい。

 少女がずっと言い続けていた「あと少し」というのは本当だった。

 道の先に薄っすらと集落が見える。

 一行は我に返り、慌てて後を追った。


 正確な現在地はわからないが、ここはリアイエッタ西方のどこかだ。

 おそらく小火竜の縄張りに入っている。

 そこで高空から見つからないように集落の周囲を霧で包み、ひっそりと暮しているのだろう。


 敵は小竜だけではない。

 宝探しの冒険者一行も危険だ。

 例の森林のどこかに眠るという古代都市の噂に騙されて、秘境も厭わず奥地へ分け入る。


 森林周辺の村が「遺跡などないから帰れ」と伝えても、却って宝を隠していると誤解する。

 水場を確保するのも難しい秘境で都市など作れるはずがない、と道理を説いても通じない。

 結局、誰の諫めにも耳を貸さず、森へ入って行く。


 熱意は素晴らしいが、ない物はないのだ。

 途中で諦めて退却するか。

 往生際悪く奥へ奥へと進んでいって全滅するか。

 あるいは、運良く原住民の集落に辿り着き、「こいつらが古代都市の末裔たちだ!」と決めつけて略奪するか。


 この霧は、小竜や冒険者から集落を守る〈壁〉だ。

 ネレブリンは外部者が近付くことを歓迎していない。

 ということは……


 シグは少女の後ろを付いて行きながら、そっと上を見渡してみた。

 そこにはやはり……


「皆、静かに上を見てみろ。声は出すなよ」

「はっ……上?」


 注意を守り、静かに上を見る。


「……なっ⁉」


 一行の左右には大木が並んでいるのだが、枝のあちこちに弓を手にしたネレブリンが立っていた。

 少女がさっき話していた相手はこいつらだったようだ。


 霧の中に道を作ってくれたのだから、集落に入ることは許されたと解釈して良いだろう。

 でも歓迎されているとは思わない方が良い。

 頭上のネレブリンたちは弓を引き絞ってはいないが、矢は番えたままだ。


 ダークエルフを含め、エルフ族は精霊魔法だけでなく弓も上手い。

 手練れの弓兵隊に包囲されているようなものだ。

 下手な動きを見せれば手練れの矢が降り注ぐだろう。


 一触即発の緊張感の只中ではあるが……

 一行は旅の目的地、ネレブリン族の隠れ里に辿り着いた。



 ***



 ネレブリン族の隠れ里は人間が作る集落に似ていた。

 中央に広場を作り、各住居がその広場を円形に囲む。

 考えてみれば、エルフも人間と同じく二足歩行の生物であり、道具を使うための手が発達している。

 ならば住処の作り方や暮らし方が似ていても何ら不思議はない。


 だが違う点もある。

 人間の集落にあって、ここにないもの。

 それは生活音だ。

 あるのは、ついさっきまで何か作業をしていた形跡だけ。

 住人の気配が全くしない……


 人間が来ると知って作業を中断し、急いで森へ隠れたか?

 人間にとってはモンスターと肉食獣が敵対生物だったが、ここでは人間も敵対生物らしい。


 弁解の余地はない。

 孤児院時代、帝都の闇市場で鎖に繋がれたエルフを見たことがある。

 人間が敵対生物だと思われても仕方がない。


 一行は中央広場で止まり、荷を下ろすことにした。

 皆はこの場で休憩し、シグはここの代表者に会ってくる。


「わかっていると思うが変な真似はするなよ。特に彼らの前で——」


 彼らの前でこれ見よがしに盾を装備しようとするな、と騎士たちに注意した。


 盾は斬撃や射撃を防ぐもの。

 ネレブリンたちの矢を防ごうとするということは、戦闘の意思ありという誤解を与えかねない。


「はっ!」


 命令は直ちに実行され、盾は枝のネレブリンたちからよく見える位置に集められた。

 敵意はない、と彼らに伝わると良いが……


 シグは少女の案内で集落一大きな屋敷へ向かった。

 屋敷の入口に門番の姿はない。

 代わりに出迎えの者もいない。

 人間を歓迎はしないが、同族を救ってくれた者を拒絶はしないということか?


 門の前で大きな深呼吸を一つ。


 ——ここが正念場だ。俺にとっても、〈集い〉にとっても。


 トライシオスの言葉を思い出す。

 宿屋号であいつはぼやいていた。

 研究所は警備が厳重で、連邦の密偵でも容易に潜入できるところではない、と。


 宮殿も、研究所ほどではないにしても魔法使いだらけの厄介なところに違いない。

 魔法の心得がない我々にとって難攻不落の要塞のようなもの。

 そんなところへ陸軍の筋肉自慢を連れて行っても、宮殿内に入れてもらえないだろう。

 別室へ案内され、使者と切り離される。


 反抗しても無駄だ。

 頭を鍛える代わりに筋肉を鍛えてきた連中に、魔法はよく効くだろう。

 魔法で眠らされるか、あるいは精神を支配されて大人しくさせられるか。

 これでは護衛として役に立たない。


 だから、か弱そうに見える細身の手練れを探していた。

 魔法使いたちの警戒心を和らげ、宮殿内に迎え入れてもらえそうな者を。


 ネレブリン族なら何の問題もない。

 細身だし、生まれつき変身能力がある。

 そして一人一人が精霊魔法の使い手だ。

 魔法使い共に対抗できる。


 それに、得意なのは弓矢だけではないだろう。

 おそらくは投剣も。

 彼らなら、例えば丸腰でウェンドアに入ってから武器を調達することもできるのだ。

 釘やペーパーナイフ、食器のナイフやフォーク等、人間の居住空間を見渡すと鋭く尖った物は意外に多い。


 まさに正念場だった。

 賢者たちを捕えるにせよ、大臣や国王陛下にご助力いただくにせよ、彼らの力が不可欠だ。

 レッシバルたちが小竜を味方にしたように、シグも今日これからネレブリン族を味方にする。


 深呼吸をしている間に、また少女との距離が開いてしまった。

 歩みを止めて振り返り、追い付くのを待ってくれている。


「ああ、すまない。いま行く」


 シグは門を通り、屋敷の中へ入って行った。

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