第90話「もう一人の執政ともう一人の探検隊」

 ネイギアス連邦が、対帝国包囲網に加わる。


 衝撃的な告知だ。

 これで帝国の命運は尽きることになる。

 シグから苛烈に罵られても仕方がない。

 ところが、


「そうか」


 近頃忙しさが戻ってきた帝国外務省リーベル担当官は、意外にもあっさりとしていた。

 遠くロミンガンの桟橋で、トライシオスの目が丸くなる。


「怒らないのか? 裏切者呼ばわりされると覚悟していたのだが……」

「裏切者というなら、関税問題で揉めている帝国の人間とつるんでいる時点で、おまえはすでに元老院の裏切者だろう」


 シグはいつも通りだった。

 いつもと変わらず嫌そうな声で通信に応じ、トライシオスのふざけた話に突っ込みを入れる。


 しかしこの後が普段の流れと違っていた。

 突っ込みの後に続いたのは感謝の言葉だった。


「……今日まで時間を稼いでくれてありがとう。おかげで——」


 おかげで、小竜隊を作ることができた。

 海賊に手も足も出なかった俺たちが、魔法兵同伴の海賊船を狩れるまでになれた。

 あと少し訓練を積めば、無敵艦隊と戦う準備が整う。


「その時間を稼ぎ、訓練の様子を誰にも覗かせないようにするため、おまえは包囲網参加を決断したのだろう?」

「——っ!」


 世界一の謀略集団〈老人たち〉の筆頭が、不覚にも図星を突かれて息を呑んだ。


 包囲網参加の話は、さっき大通りを歩きながら決めたことだ。

 ゆえに、誰もその理由を知らない。

 いまも参加するという結論を伝えただけだ。

 たったそれだけで、シグは参加の真意を汲み取った。


「…………」


 トライシオスは確信した。

 シグは〈友達〉だ。


 宿屋号で探検隊全員と握手して友人になったのではなかったか?

 当然シグとも。


 もちろんだ。

 ただ、友人という言葉は非常に多義的で、彼の中で探検隊は〈盟友〉だった。

 同盟の仲間だ。


 トライシオスにとっての〈友達〉とは、同じものが見えている者のことを指す。

 この意味において、彼はずっと独りぼっちだった。

 自称親友とやらは山ほどいたが、同じものが見えていない者とどう親しくしろと?


 トライシオスが喜ぶのも無理はなかった。

 宿屋号でシグと初めて会ったとき、化ける男だと見込んでいたが想像以上だった。

 まさか〈友達〉に化けるとは!


 執政と友達になれるのは、執政と同等の者だけだ。

 いまのシグは、もう一人の執政といえる存在だった。


 そんな友達に向かって「怒らないのか?」などと……

 トライシオスは愚問を恥じた。

〈友達〉に対して失礼だった。



 ***



 包囲網参加の理由は、〈友達〉の明察通りだ。


 賢者たちは、魔法王国における〈老人たち〉のような存在だ。

 奴らが南航路の異変について、連邦を疑い始めたということは、王国政府も連動するということだ。

 それもかなり強引に。


 このままではネイギアス海北部国境海域に魔法艦隊がやってくる。

 艦隊派遣の理由は、南方友好国の船が海域で沈められているとか何とか。

 せっかく遮断したのに、この艦隊が作った回廊によって南航路が復活するだろう。


 これを阻止するには、連邦も包囲網に参加するしかない。

 リーベルと盟友になり、かねてより求められていた包囲網南側を担当する。

 以後、ネイギアス海のことはすべて連邦に一任してもらう。


「うん。君の言う通りだ」


 トライシオスは上機嫌だった。

 まるでもう一人の自分と会話しているようだ。

 夫婦でもここまで話が合うことは少ないだろう。

 だからつい、どこまで同じか確かめたくなった。


「シグ、もう一ついいかい?」

「何だ?」


 連邦がリーベルの同盟に加入することで、魔法艦隊のネイギアス海航行は阻止できるだろう。

 だがピスカータ沖での艦隊展開は阻止できない。

 帝国に対する領海侵犯ではあるが、帝国海軍に阻止する力はなく、他国も咎めることはできない。

 盟友たる連邦も異議を唱えることはできない。


 そこで問う。

 かかる仕儀になってしまった場合、君たちはどうするのか?


「なるほど。そういうことも起こりそうだな……そのときは——」


 ピスカータ沖は帝国の領海だ。

 なのに白昼堂々、領海侵犯されたらさすがの帝国海軍も黙っていない。

 特に、大陸東岸を警備してきた第二艦隊はすぐにやってきて、魔法艦隊との睨み合いが始まる。


 よってそのときは〈巣箱艦隊〉を西へ移動する。

 南航路西側の出入口へ。

 ここを塞がれたら、魔法艦隊が作ってくれたピスカータ沖の回廊も無意味となる。

 だがその新たな〈漁場〉は連邦領だ。

 いくら無敵艦隊でも、盟友の領海へ踏み込むには理由が要る。

 果たしてリーベル〈側〉は、理由をうまく説明できるかな?


 トライシオスは桟橋で一人、うんうんと頷いていた。

 ロミンガンの王子に生まれつき、孤独を定められていた男にも志を共にできる友達がいた。

 世界は大丈夫だ。

 もし自分の身に何かあっても、シグがいる。


「自分の身に何か? おい、何をする気だ⁉」


 つい漏らした声を巻貝が拾ってしまった。

 驚いたシグが食いつく。


 リーベルとの同盟締結案にはまだ続きがあった。


 明日、〈老人たち〉にも同盟参加の意向を伝える。

 散々はぐらかしてきたのに、急な方針転換。

〈リーベル派元老〉は訝しむだろうが、嫌だとは言うまい。

 残りの元老たちも賛成するだろう。

 リーベルと積極的に組みたくはないが、これ以上焦らせるのは得策ではないと考えているのだから。

 評議会も元老院の決定に異議を唱えることはない。


 問題はその後だ。

 ロミンガンで〈ガネット〉について探られたくないので、こちらから全権大使をリーベルへ送る。


 そこで、だ。

 誰が行く?


 いま連邦には二種類の人間しかいない。

 まずは杖計画に一枚噛んでいる者。

 それとネイギアスの損得のみで判断する者。


 前者は喜んで魔法艦隊をネイギアス海へ迎え入れる。

 後者もリーベル側の条件を大人しく呑んでしまいそうだ。

 連邦に損害が出る話でもない限り、難癖をつけてリーベルの機嫌を損ねることはない。

 結局、前者と同じだ。

 ネイギアス海北部と西部、下手をすれば全域の自由航行権を認めてしまいかねない。


 巣箱艦隊を西へ隠すという判断は正しいが、それだけでは不十分だった。

 魔法艦が西へ行けないようにしなければ。


 同盟には参加する。

 だが包囲網南側は連邦に一任してもらう。

 魔法艦の連邦領への立ち入りは固くお断りする。

 この条件で話を纏められる人間は、トライシオスしかいなかった。


「だからって、単身で乗り込むのは危険すぎる」

「いや、連邦のリーベル担当官や護衛も連れて行くから全くの一人旅というわけでは……」

「そういう話をしているんじゃない! ふざけている場合か!」


 シグはウェンドア行に猛反対した。

 賢者たちはブレシア人を欲し、彼らに操られているリーベル王国は何も疑問に思うことなく帝国との戦を決めた。

 もはや理不尽も矛盾も気にならない状態なのだろう。


 そんな気が狂っている野獣共のところへ執政がノコノコと現れたら、「どうぞ人質にしてください」と言っているようなものではないか。


 探検隊の中で、シグが彼と最も多く言葉を交わしてきた。

 だからこそわかる。

 こいつは誰が何を言おうと、行きたいと思ったらヘラヘラ笑いながら行ってくる。

 敵陣だろうと、帯剣しているザルハンスの前だろうとお構いなしに。

 世の中をナメきっているのだ。


 でも、ナメるということは余裕の裏返しでもある。

 根拠のない余裕は却って不安になるが、奴の余裕は違う。

 正確無比な密偵の情報を元に編み出した深謀遠慮によるものだ。

 ……付け上がるから伝えたことはないが、その余裕に何度勇気づけられたことか。


 奴はロミンガンの王太子。

 こちらは帝国の平民。

 しかし奴が身分を鼻にかけたことは一度もない。

 世の中に対しては不実な男だが、探検隊に対しては誠実だった。


 探検隊も帝国も、彼に散々助けられてきたのだ。

 なのに〈老人たち〉だ、といつまでも一線を引いていたら、それこそ不実ではないか。


 おそらく一生口にすることはない。

 それでも心の中では認めている。

 生まれた場所は違うが、奴は——

 トライシオスは探検隊の仲間だ。


 その仲間がレッシバルたちを隠すために、単身リーベルへ乗り込むという。

 こちらの心配に対して大丈夫の一点張りだが、そうはいかない。


 聞けば、連れていく護衛は剣の腕前に優れた近衛兵だという。

 魔法の心得はない。

 もし交渉が決裂し、魔法を仕掛けられたら一溜りもないではないか。


 不用心だと指摘しても、「どうせそこいら中、魔法使いだらけだから半端な術士を連れて行っても仕方がない」と返ってくる。


「~~~~っ!」


 これだ。

 この「ああ言えば、こう返してくる」ところがイライラするのだ。


 巻貝の向こうで「どうせ奴らは何もできはしない」と豪語しているが、何もかもが〈老人たち〉の思い通りに運ぶと思ったら大間違いだ。

 賢者たちは原料の供給が途絶えて困っているのだ。

 後先考えずにいきなり捕らえられ、ワッハーブの妹のように〈浄化〉されたらどうする!?


 何とか他の者を派遣しろという懸命な説得も空しく、トライシオスの気持ちは変わらなかった。

 黙ってしまったシグの巻貝に戯言が流れてくる。


「ウェンドアで土産を買ってこよう。欲しい物があれば遠慮なく言ってくれ」

「…………」


 機嫌を取ろうというつもりなのだろうが、却って逆効果だった。

 凄みのある声で、


「トライシオス……」

「う、うむ、何がいい?」


 自分の命が危ういかもしれないというのに、この期に及んでもまだ土産の話……

 シグはもう突っ込むのに疲れた。

 深い溜息の後、


「土産はいらん。その代わり——」


 ピスカータ沖でフォルバレントと合流してほしい。


「フォルバレント号? なぜだい?」


 護衛を付けるためだ。

 洋上で連邦の船に乗り移らせる。

 魔法王国に乗り込むというのに、魔法の心得がある護衛を連れて行かなくてどうする。


「…………」


 トライシオスは首を傾げた。

 ネイギアスもリーベルに次ぐ魔法の国だ。

 どうしてもとあらば、魔法後進国の帝国に護衛を出してもらわなくても……


 ごもっともだ。

 大体、帝国はネイギアス製の鋼化装甲板を提供してもらっている有様なのに、魔法のことでとやかく言える立場ではない。

 それでもシグが危惧しているのは、リーベルとネイギアスが得意とする魔法の違いについてだった。


 二大魔法王国、リーベルとネイギアス。

 コタブレナの戦い以降、リーベルの魔法は攻撃重視で発達し、ネイギアスは索敵や能力の強化・補助に力を注いできた。

 つまり抗魔弾や〈遠見〉の望遠鏡に代表される呪物作りが発達した。


 リーベルは魔法で戦う〈戦士〉の国。

 対するネイギアスは呪物を作る〈職人〉の国。

 だからシグが言う「魔法の心得がある護衛」とは戦闘向きの魔法使いのことを指していた。


「なるほど。耳が痛いね」


 トライシオスは素直に両国の〈質〉の違いを認めた。

 友達の言う通りだ。

 職人が戦士と喧嘩したら勝ち目は薄いだろう。


「そこで、君が〈戦士〉の護衛を貸してくれるというわけか?」

「ああ。〈腕利き〉をな」



 ***



 セルーリアス海、連邦公船——


 トライシオスの背後に並ぶダークエルフたち。

 彼らがシグに派遣された〈腕利き〉の護衛たちだった。

 ネレブリン族という。


 元々、森林の奥地で暮らしていたが、山岳地帯から下ってきた小竜を避けるために東へ移住してきた。

 帝国が南部森林地帯と呼んでいる一帯だ。


 ネレブリンは大陸の言葉で「森の闇」という。

 闇……

 人間世界において、良い意味では用いられない文言だ。


 ダークエルフは耳が尖り、肌色は黒や茶褐色、中には青に近い者もいる。

 明らかに人間とは異なる。

 一部の変わり者を除いて、人間が自発的に異質な存在を受け入れることはない。

 闇という言葉には、人間側の拒絶が込められていた。


 人間は何と狭量なのだろう……

 ここで終わったらそう思われても仕方がない。


 だが人間は、見た目の違いだけで彼らを拒絶している訳ではなかった。

 ネレブリンが人間から拒絶される真の理由——

 それは彼らが生まれつき恐ろしい能力を持っているからだった。


 エルフなので生まれつき精霊との親和性が高く、大人になる頃には各種の精霊魔法を自在に操る。

 また時間制限があるものの、変身能力や透明になる能力もある。


 魔法、透明、変身……

 これらから連想するものは諜報や暗殺だ。

 実際、彼らの一部は人間から闇仕事を請けていた。


 大半のネレブリンは基本的に人間社会と距離を保って暮らしている。

 森から抜けてすぐのところに、リアイエッタという帝国の街があるが滅多に近付かない。

 どうしても用があるときは人間に化け、長居はしない。


 しかし、一部の悪評が全体の評価になってしまうことは、人間世界でもよくあることだ。

 ゆえに人間は、闇稼業のネレブリンと無害なネレブリンを区別しない。

 纏めて「森の闇」と呼ぶ。


 シグは巻貝で同盟締結の話を聞いた後、すぐにネレブリン族の中から腕利きを選抜し、トライシオスの護衛を命じた。


 人間の彼が、一体どうやってネレブリン族を従えたのか?

 それを知るには少し時を遡る必要がある。

 南航路の封鎖が始まった頃まで……

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