第91話「伯爵」
レッシバル一行が小火竜捕獲作戦に出立する少し前、シグは現帝国領南西部の街リアイエッタとその一帯を領地として与えられ、伯爵に叙せられた。
〈現〉帝国領とは妙な表現だが、単に帝国領と言ってしまうと旧帝都があった大陸中央部及び中西部まで含まれてしまう。
人間の支配が及んでいるのは、大陸東岸と内陸部東側の僅かな地域のみだ。
いつしか人は〈現〉の一文字を付けることで、帝国政府による支配が及んでいる地域と危険地帯を区別していた。
人間の世界は内陸部東側の一部まで。
つまり、リアイエッタはモンスターの世界と隣り合っている辺境の地だった。
それでも、仲間が領地持ちの貴族になれたことに違いはない。
ピスカータは喜びに沸いた。
〈集い〉の内、喜ばなかったのは三人のみ。
まず二人。
先に知らせた女将とトライシオスだ。
それぞれ巻貝を通して「おめでとう」と祝ってくれたが、気遣いや同情の響きを含んでいた。
あと一人は、いまピスカータに巻貝で伝えているシグ本人だが、いつも冷静沈着だったのが災いした。
浮かれ騒いでいる最中のレッシバルたちには、冷静なのか、冷めているのか区別がつかなかった。
「シグ卿!」
「リアイエッタ伯!」
お祭り騒ぎが止まらない。
巻貝で祝いの言葉を伝えただけでは物足りないので、出立を延期し、これから帝都へ祝いに行くと言い出した。
しかしシグは固く断り、
「いまは小火竜のことに集中しろ」
と予定通りに出発させた。
皆、不服そうだったが「捕獲作戦成功と一緒に祝いたい」と言われては引き下がらざるを得なかった。
彼らの気持ちは嬉しい。
でもこの出世は祝い事ではないのだ。
喜ばしい点は一つもないのだから、捕獲作戦を延期すべきではない。
大出世が祝い事ではない?
そう。
今回の大出世には不可解な点があった。
——リーベルとの戦は絶対に避けられない。
宿屋号でそう悟った日から、目立つような動きと発言を控えてきた。
下手に動けば〈集い〉の尻尾を掴まれる虞があると思ったからだ。
どうせもうすぐ最後通牒やら宣戦布告やらで、眠る暇もなくなるほど忙しくなる。
それまでの間、彼は労力の節約に努め、仕事がうまくいかなくて不貞腐れている不良役人の振りを続けると決めていた。
思惑通り、上司や同僚たちからの評価は下がった。
そんなやる気のない男がいきなり伯爵に。
「リーベル王国との交渉に尽力してきた功績を称え——」と言うが……
確かに以前はリーベルとの和解に尽力していたが、向こうの担当官にはぐらかされ、ずっと空回りしていたのだから功績はなかった。
さらに最近は尽力するのをやめたのだから、称えられるような功績は全くない。
だからこの出世は、吉事ではなく凶事なのだ。
良からぬ思惑によるものなのだ。
侯爵でも子爵でもなく、伯爵というところからも帝国宮廷の意図が汲み取れる。
帝国滅亡の瀬戸際でも改まらない、浅はかで卑怯な自己保身の意図が……
***
帝国が漁村出身の孤児院上がりを伯爵にした理由。
それは〈身代わり〉にするためだった。
〈集い〉の中で気付いているのはシグ、女将、トライシオスの三名のみ。
レッシバルたちが知ったら激怒するので「作戦成功と併せて祝う」という流れに持っていったのだ。
後でトライシオスから「私の仕業ではないよ」と潔白を告げられたが心配無用だ。
シグはわかっていた。
帝国の大貴族たちの仕業だ。
彼らが自分たちの身代わりに彼を選んだのだ。
おそらく今後の展開はこのようになる。
〈集い〉の時間稼ぎにも限界がある。
そろそろリーベルから宣戦布告されるだろう。
開戦後、担当部の仕事は戦争回避から休戦・終戦の交渉に切り替わる。
双方の交渉団が第三国で話し合うことになる。
ところが、リーベルは出てこない。
やっと大規模な〈原料〉調達ができるというのに、第三国で和平交渉など論外だろう。
リーベルが和平を望まないなら、帝国側が公明正大にウェンドアへ出向くしかない。
〈庭〉の覇権を賭けた決闘ではなく、一方的な侵略であることを各国へ訴えるためにも。
さて……
誰が行く?
交渉は開戦後だ。
双方気が立っている。
使者の首を刎ねて従者に持ち帰らせ、継戦の意思表示とするという展開もあり得る。
ただし、これは普通の戦の場合だ。
リーベルとの戦は普通ではない。
〈原料〉獲得という奴らの目的からすると斬首ではなく、問答無用で全員〈浄化〉いうことも……
斬首にせよ、〈浄化〉にせよ、帝国側交渉団は一人も帰れない可能性が高いのだ。
〈模神〉のことは知らないかもしれないが、帝国の大貴族たちも何らかの危険を感じ取ってはいるのだろう。
貴族は正騎士になり、本陣で指揮を執る。
平民は準騎士になり、危険な前線で敵と斬り結ぶ。
帝国の伝統だ。
シグは伝統に則り、準騎士役に選ばれたのだ。
大貴族たちの代わりに首を刎ねられる役に。
大貴族たちにとって彼は最適な人物だった。
辺境の漁村出身の孤児院上がり。
……惜しむような人物ではない。
後日、担当部部長にも任命されるように手を打つ。
開戦後は担当部部長が交渉団団長になるからだ。
いまの部長も斬首は嫌だから喜んで退くだろうし、後任者は伯爵なのだから格について何の問題もあるまい?
名ばかりと言われないよう辺境ではあるが領地も付けた。
破格だ、異例だと騒ぐ者もいるが口を慎め。
彼は一応、外務大臣の娘婿なのだ。
大臣の御身内に対して失礼だし、どうせすぐに……
ともかく、これで彼も歴とした帝国貴族の一員だ。
皇族に連なる血筋でもないのに、公爵や侯爵にするのは無理だし大袈裟すぎる。
伯爵なら個人の才覚でなれる最高位だし、交渉団団長の格が備わっていないとは言われないだろう。
***
レッシバルたちが真相を知ったのは捕獲作戦成功後、ピスカータへ帰還してからのことだった。
まだ暇だったのと、帝都では密偵に盗み聞きされる虞があったので、シグは墓参りと称して帰郷し、一行を待っていた。
レッシバルは出世した友の姿を見るなり、
「お出迎え恐縮でございます、シグ卿」
とふざけていたのだが、真相を知るや、
「ふざけるな、大貴族共! 俺たちのシグを何だと思ってやがる!」
といつも通りの呼び捨てに戻ってしまった。
レッシバルの怒りは大貴族共に対してのものだったが、途中からシグへ矛先が変わっていった。
「おまえがいなくなったら、奥さんや子供たちはどうするんだ⁉」
ピスカータが炎に包まれた日、探検隊は家族を失った。
シグだって一緒に涙していたではないか。
なのに……!
どうして父親自ら我が子たちに同じ悲しみを味わわせようとする?
どうして身代わりなどというふざけた役目を引き受けた?
「レッシバル……」
「何だ?」
忘れられるはずがないではないか。
目を閉じれば鮮明に浮かんでくる。
炎のピスカータとあちこちに横たわる家族や村人たちが。
あんな思いを我が子に味わわせたくない。
だから行かなければならないのだ。
「どういうことだ?」
いまは怒りで頭に血が上っているが、平静時のレッシバルでも理解に苦しんだことだろう。
難解すぎる。
シグもこれだけで理解してもらえるとは思っていない。
話を続ける。
「妻は——」
妻は息子が竜騎士を目指すことに大反対だ。
夫婦二人のとき、一緒に息子を説得しないことを詰られてもいた。
彼女には申し訳ないと思っている。
だが、これからも説得することはないだろう。
いいではないか。
彼女が危惧している通りのことが起きてしまうかもしれないが、そのときは竜騎士として死ねる。
〈原料〉にされるより遥かにマシではないか。
我が子を含めたこれからの子供たちが好きなものを目指し、信じるもののために死ねる。
そんな真っ当な未来を守るためにウェンドアへ行きたいのだ。
できれば巣箱艦隊の出撃前からウェンドアにいたい。
可能な限り少人数で。
何かうまい方法はないかと考えていたとき、貴族共の白羽の矢が立った。
まさに天の助けではないか。
自分が交渉団団長になれば、連れて行く人間を選ぶことができる。
「少人数? 天の助け? おい、ウェンドアで何をする気だ!?」
「…………」
シグの中で僅かな躊躇が生まれた。
こいつらに知られると大騒ぎになるので、胸に秘めたまま行くつもりだったのだが……
どうやら、天は仲間に対する隠し事を許してくれないらしい。
観念の溜息を一つ吐いた後、
「レッシバルだけでなく皆にも考えてもらいたい。俺たちの目標は何だ?」
いまさら?
この場にいる者は全員、杖計画のことを知っている。
計画を阻止するために集まったのだ。
口々に「杖計画を阻止することだ」と返す。
「その通りだ。では、どうすれば阻止できる?」
再び、いまさらな質問だった。
互いに顔を見合せ、首を傾げる。
その中で、レッシバルだけはシグを正面から見据えていた。
どこにも視線を反らさず、皆のように互いの答えが同じかどうかを確かめ合ったりしない。
どうすれば阻止できるかなんて、決まっているではないか。
「無敵艦隊を倒し、帝国市民の強制連行を阻——」
「違う」
シグは途中で遮った。
思わずレッシバルの片眉が下がった。
不愉快ではなく、不可解ゆえに。
「何が違うんだ? シグ」
人攫いが海からやってくるなら、上陸させなければ良い。
そのための小竜隊なのではなかったか?
理に適った作戦だと納得していたのだが、何がどう違うのか?
皆も困惑している。
無理もない。
シグも当初は無敵艦隊を叩くことに主眼を置いていた。
御自慢の〈海の魔法〉を打ち負かしてみせれば、奴らも真面目に和平交渉の席へ着くだろう。
そうすれば〈原料〉の供給が断たれた杖計画は自然消滅すると考えていた。
しかし考えが甘かった。
恥ずかしながら、女将とトライシオスに指摘されてその甘さに気が付いた。
無敵艦隊を倒すことと、杖計画を阻止することは別なのだ。
遠征軍は模神を運んでくるわけではない。
模神は海戦の間ずっと、イスルード島のどこかで目覚めの日を夢見ている。
つまり、無敵艦隊を撃破しても模神を撃破したことにはならないのだ。
それでも真面目な交渉の結果、賢者たちはブレシア人を諦めるかもしれないが、標的を他の国に変更するだけだ。
杖計画がなくなりはしない。
世界が模神に滅ぼされる日が、少し延期されたに過ぎないのだ。
市民たちを守るため、遠征軍を小竜隊で返り討ちにする。
でも、それだけでは目標の半分だ。
ここからは巣箱艦隊が勝ったという前提の話になるが、無敵艦隊撃破後はそのままイスルード島へ向かう。
「目標の残り半分、模神退治だな?」
「ああ。ただ……」
ここでシグの言葉から幾分、力が弱まった。
「ただ、模神の居場所がわからない」
「え? いや、ワッハーブが……」
その通り。
ワッハーブは模神の作業場から逃げてきた。
彼に何とか思い出してもらい、記憶の断片を繋ぎ合わせれば……
「それはトライシオスがすでにやっていたよ。俺たちと知り合う前から」
土地勘がない島を無我夢中で逃げてきた少年時の記憶ではあったが、ネイギアスの密偵たちは場所の特定に成功していた。
ところが……
「そこに何かがあった痕跡は残っていたが、模神はもちろん、ミスリルも〈浄化〉の魔法陣もなかったそうだ」
ワッハーブを取り逃がしたので引っ越したのか?
あるいは転々と移動しながら作っているのか?
どちらなのかわからないが、現在、模神の所在は不明だ。
いまも諦めずに探っているが、密偵たちは正直お手上げだそうだ。
そこで、シグが伯爵であることが光ってくるのだ。
***
模神探しにシグが交渉団団長であることが役立つ?
皆に遅れて、とうとうレッシバルまでもが首を傾げてしまった。
少人数で、というのは犠牲者を減らしたいということなのだろう。
伯爵の話を受けたのは、交渉団団長になるため。
……わかったのはここまでだ。
その先がわからない。
交渉団団長と模神に何の関係があるのだ?
「おまえを見習うことにしたんだよ。レッシバル」
「お、俺?」
行いについて突っ込まれることはあっても、見習われる覚えはなかった。
目が丸くなってしまったレッシバルのために、シグは作戦を説明した。
要するに、宿屋号での執政暗殺を部分的に模倣するということだ。
レッシバルは回りくどいことをしない。
女将がいなかったらトライシオスは今頃いないし、帝国も滅んでいたかもしれない。
思い出すと、いまでも冷や汗が流れる。
でも、最近考えが変わってきた。
確かに短絡的なのだが、相手が魔法使いの場合には有効かもしれない。
物騒な幼馴染を見習い、シグも回りくどいことはやめることにしたのだ。
わからないことは知っている者に教えてもらえば良い。
模神の居場所は、賢者たちに尋ねれば良い。
もしくは高い地位にあるお方に杖計画を明かし、ご協力頂けば良い。
大臣や宰相閣下、あるいは国王陛下に。
ラーダによれば、リーベルには『味方かどうかわからない者に接近を許してはならない』という教えがあるそうだ。
敵が近いと詠唱を潰されてしまうから用心しろということだろう。
だから交渉団に偽装した精鋭を引き連れて宮殿に入ってしまえば、尋問も協力要請も思いのままだ。
精鋭は少数で良いが、細身の腕利きでなければならない。
陸軍でよく見かける筋肉自慢をゾロゾロ連れて行ったら怪しまれる。
この条件に合致する者は多くないが、何とか間に合わせるつもりだ。
そして開戦後、彼らを率いてウェンドアへ入るが、そのとき、事情を知らない者を連れて行きたくない。
作戦決行は巣箱艦隊がイスルード島近海へ到着してからになる。
直ちに賢者を尋問し、〈ガネット〉に模神の現在地を知らせる。
近海到着前では〈ガネット〉の現在地到着が遅れ、異変を察知した現場の魔法使いによって模神が運び出されてしまうかもしれない。
近海に到着しているのに情報が遅れた場合、〈巣箱艦隊〉が待機せざるを得なくなり、ウェンドア防衛に残っていた魔法艦に攻撃される虞がある。
タイミングが命だ。
それまでは時間を稼がなければならない。
一週間か、あるいはそれ以上。
無駄な駆け引きを繰り返したり、済んだ話を蒸し返してみたり……
だからその間、話が食い違ったり、挙動不審な態度を見咎められたら困るのだ。
シグが団長になれれば全て解決する。
部外者を排除し、必要な者だけを連れて行ける。
「シ、シグ……おまえ……」
レッシバルは絶句し、言葉が続かなかった。
どうして伯爵になると模神の居場所を知ることに繋がるのかは理解できた。
でも危険すぎる。
ようやく言葉が出るようになった一同も口々に反対を唱えたが、誰もその理由を論理的に説明できなかった。
「俺のことは構うな。おまえらは〈漁〉に専念しろ」
論戦はシグの勝利に終わった。
負けたレッシバルたちは、領地へ赴く彼を大人しく見送るしかなかった……
以後、彼は〈集い〉と家族を除く全ての人々から、リアイエッタ伯もしくはシグ卿と呼ばれることになった。
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