第89話「元老院」
リーベルと帝国の戦が近い……
大分前から世界にそんな空気が漂っていたが、いよいよ濃くなってきた。
そんなある日のこと。
トライシオスは、セルーリアス海を東へ往く連邦公船の甲板に立っていた。
目的地はウェンドアだ。
あれから——
シージヤ同盟による通商破壊が始まってから、リーベル国内で連邦に対する反感が高まり出した。
研究所が音を上げ始めた証拠だ。
まさか奴らが自分の口で言うわけにもいかないので、代わりの者たちが宮廷と市井で喚いているらしい。
密偵からの報告書によると反感の噂は、
「セルーリアス海は連邦にとっても大事な海——」
と始まり、
「その海を支配しようと企む帝国を共に成敗しようと言っているのに、どうして加わらない?」
と続き、
「もしかすると関税問題は芝居で、本当は裏で帝国と繋がっているのではないか⁉」
と結ぶ。
かなり強引な話だ。
だが、一人が叫び始めると周囲に次々と賛同者が現れ、傍観していた他の市民たちも徐々に賛同しつつあるという。
「……ぷっ」
トライシオスは出発前に見た報告書を思い出し、つい吹いてしまった。
——何が賢者だ。
世界最高の知恵者たちが名案を出し合った結果が、偽客を使って市民を扇動することなのか?
連邦の子供たちの方がうまい策を考える。
戦が終わった後に命があったら、子供たちにおつむの使い方を教えてもらうがよい。
「そなたたちも滑稽だと思わぬか?」
笑いながらすぐ後ろを振り返る。
そこには目深にフードを被った数人の男たちが控えていた。
その内の一人が、
「はい。連邦と帝国が組んでいるなどと妄想が過ぎます」
と答えると、妄想という言葉がツボにはまったらしい。
「そなたの言う通り妄想だな。毎日暗い部屋で変な研究ばかりしているから幻覚が見えるようになってしまったのだろう」
研究所は、連邦にとってもトライシオス個人にとっても敵だ。
向こうへ着くまで、言いたい放題の日々が続きそうだ。
それにしても……
フードの男たちは一体何者なのか?
***
連邦の公船がロミンガンを発ったとき、フードの男たちはいなかった。
彼らは後から乗船してきた追加の船客だ。
ほんの一時間程前、〈ガネット〉の縄張りで乗り移ってきた。
乗り移ってきた?
そう。
彼らは国境で待機していた帝国籍の商船から乗り移ってきた。
帝国はまだ正式な敵ではないが、リーベルが滅ぼそうとしている国だ。
関われば連邦にも火の粉が飛んできかねない。
船長は驚いて、戦闘態勢をとろうとした。
ところが執政閣下に止められた上、帝国船の近くで停船せよと命じられた。
これには船長だけでなく他の船員たちも反発した。
帝国にだって海賊はいるし、商船の振りをして獲物に近付くのは海賊の基本だ。
ネイギアスに生きる者なら子供でも知っている常識だ。
もし執政閣下の御身に万が一のことがあったら大変だ!
船長以下総員一歩も譲らず、閣下を囲んで「できません!」と「思い留まりください!」の大合唱になってしまった。
心配してくれるのはありがたいのだが……
トライシオスは困ってしまった。
あの帝国船に襲われることは絶対にないと断言できる。
なぜなら、メインマストに帝国の旗と翔竜旗がはためいているから。
何より、特徴的なあの高い見張り台。
船は、フォルバレント号だった。
だが、どうしてフォルバレント号だと安心できるのかを説明できない。
苦しくなったトライシオスは「元老院の極秘作戦だ!」と誤魔化した。
ネイギアスにおいて元老院は絶対だ。
異議を唱えることも、疑問に思うことも許されない。
騒ぎはとりあえず収まった。
「お待ちしておりました。閣下」
ボートから公船の甲板に上がってきたフードの男たちは礼儀正しかった。
執政閣下も「よろしく頼む」と歓迎している。
ならば船長たちがとやかく言うことではないのだが、それでも未知に対する不安が消えなかった。
あれから一時間が経過した。
その間、連中はずっと閣下の後に控えている。
そしていまはリーベルの研究所の話で談笑中だ。
最初は殺し屋かと疑ったが、ボートでゾロゾロやってくるのはおかしいし、標的の真後ろで控えているのもおかしい。
帝国から向けられた殺し屋ではなさそうだ。
かといって、帝国海軍の兵士には見えないし、冒険者一行という感じでもない。
「構うな」と閣下から命じられている以上、詮索することは許されない。
でも、やはり正体が気になる。
船長たちは通常業務に戻りながらも目を離さなかった。
皆の思いが天に通じたのか、不意に一陣の強い風が吹き、彼らのフードを跳ね上げた。
「——っ⁉」
フードの中から現れたのは、尖った耳と褐色の肌。
ダークエルフだ。
彼らはシグの家来だ。
トライシオスがウェンドアに行くと聞き、主命により護衛として参上したのだった。
シグがダークエルフを?
驚くべきことだが、いまはウェンドア行の話の方が大事だ。
ダークエルフについては後述することにし、先にトライシオスが海を渡ることになった経緯について述べる。
***
一〇日前——
元老院での会議を終えたトライシオスは執政室へは戻らず、そのまま外出した。
外の空気を吸いたかったというのが半分。
もう半分はシグたちに報告することがあった。
執政室では話せないので、まっすぐ港へ向かう。
現在の元老院において、彼は最年少者だった。
それも一歳や二歳程度ではなく、他の〈老人たち〉とは親子程も歳が離れている。
だからどうしても会議とは名ばかりの説教会になってしまう。
説教会の内容は毎回同じだ。
探検隊との密盟についての不満だ。
大きく二つ。
勝手に始めず、まずは我々に諮るべきだった。
密盟に連邦の金を注ぎ込んでいるようだが、本当に信用できる連中なのか?
我々も確かめたいので、密盟の参加者をすべて明らかにせよ。
宿屋号でシグたちと握手した日から、ロミンガンで聞かされ続けてきた小言だ。
全員、そろそろ初孫に対面できそうな歳なので口うるさい。
事前に諮れというが……
そう叱っている彼らも逐一元老院に諮っているわけではない。
策には機というものがある。
議決を待っていたらその機を逃してしまう場合がある。
だから深く詮索はしない。
適切なときに報告する、というのが元老院の慣例だったはずなのだが……
若造がやるのは許せんということなのか。
面白くはないが、実際、若造なのだから仕方がないと諦め、「以後、気をつける」と謝ってきた。
詫びの言葉を聞けば彼らは満足するし、本来の議題が始まる。
そうやって執政就任以来、元老院の平穏を保ってきたのに、最近、詫びだけでは済まなくなってきた。
特に今日は激しかった。
小言というより尋問に近い。
独断専行の件ではなく、密盟参加者についてだ。
鬼の形相で、
「今日こそは何が何でも話してもらう!」
鬼は数人ほどなのだが、あまりの剣幕に他の〈老人たち〉が驚いて黙ってしまった。
〈老人たち〉も人間だ。
変態的嗜好の一つや二つはある。
他人の秘密を暴き立ててやるのは快感だろう。
それが彼らの嗜好なのだと理解し、今日まであまり深く受け止めてこなかったのだが……
今日の尋問は聞き捨てならなかった。
「リーベル」という単語が何度も出てきた。
リーベルに目を付けられたらどうするのか?
リーベルから誘われている同盟を断るつもりなのか?
リーベルが……
リーベルと……
リーベルを……
もう、自分で名乗っているようなものではないか。
リーベル派は元老院の中にもいたのだ。
奴らは自分たちの都市海軍で、北の国境海域の警備を強化するとまで言い出した。
最近、当該海域が不穏だからというのが警備強化の理由だ。
真面な船乗りたちから被害に遭ったという届けは出ていない。
なのに、どうして不穏だと思ったのか?
……いろいろと疑問に感じる申し出だったが、快く了承した。
まさか若造が快諾するとは思っていなかったらしく、〈リーベル派たち〉は驚いていたが、何を驚くことがある?
国境の安全とやらを守りたいのだろう?
行けば良いではないか。
ただし、一つ注意点がある。
リーベル派元老の剣幕が凄くて言い出せなかったのだが、海域は〈ガネット〉の縄張りだ。
侵入者に対しては情け容赦ないので、頭上に気を付けて。
後日、「もっと早く言え!」と怒られそうだが、年長者の話が始まったら静聴せねばなるまい?
終わったら謝罪の言葉以外受け付けないと凄まれたら、言いかけたガネットの話を飲み込むしかないではないか。
年長者たちは失念していた。
年は若いかもしれないが、彼も歴とした〈老人たち〉なのだ。
怒られながらも情報を提供してくれるようなお人好しではない。
情報を得たいなら、相手の話を遮らず、謙虚に耳を傾けるべきだった。
老若男女に拘らず、得た情報を皆で共有し、様々な角度から検討して最善策を打ち出す。
本来、元老院とはそういう場所だったはずだ。
トライシオスは怒っていた。
元老がリーベルと繋がっていること自体は別に構わない。
要はネイギアスの利益になれば良いのだから。
ゆえに問う。
杖計画に協力することが、どう連邦の利益になるのか?
模神による支配が始まった世界で、我が国も統治する側に加わらせてもらえるのか?
もしくは手を組んでいた元老たちだけが保証されているのか?
愚かな……
そんな約束、律義に守る連中か?
密偵によれば、研究所にいる魔法使い全員が計画に参加しているわけではないという。
つまり、模神完成までに計画に参加できなかった魔法使いたちも支配される側になるということだ。
身内でさえその有様なのに、〈老人たち〉が迎え入れてもらえるはずがないではないか。
ネイギアスのため、世界のため、杖計画は潰すしかないのだ。
そのために賢者たちを欺こうと、付き合っている振りをしているだけなら良かったのに……
きっと賢者たちから頼まれたのだろう。
南航路の異変の原因を探ってくれ、と。
彼らはもはや〈老人たち〉ではなくなった。
リーベル派だ。
いずれ粛……する。
別に奴らが元老であり続ける必要はないのだ。
所属元の都市には大きな息子や娘がいるし、年の近い兄弟だっている。
その中から新たな元老を選出してもらえば良い。
親としての内心はともかく、国王としては何の問題もあるまい。
王子が仕出かした謀反の責任を都市には問わない、という元老院の温情なのだから。
***
元老院の会議室を出て、大通りを真っ直ぐ進む。
やがて街並みが途切れ、青い海と沢山のマストが若き執政を迎える。
トライシオスは港に着いた。
すぐに無人の桟橋を見つけ、座りながら巻貝を握りしめる。
シグに報告することが二つあった。
一つは警備艦隊のこと。
もう一つは……
巻貝から流れていた細波の音が途絶えた。
「やあ、シグ」
「トライシオス……」
なぜだろう?
いつも変わらない友の嫌そうな声を聞くと安心感を覚える。
友人らしく他愛ない世間話でもしたいところだが、これ以上嫌われたくないので本題に入った。
まずは警備艦隊の件について。
彼らは何も知らされずに任務を全うしているだけなのだが、奴隷船団を安全にセルーリアス海へ逃がしてもらっては困る。
容赦せず、リーベル派諸共沈めるようにと伝えた。
シグは了承。
〈巣箱〉へはこの通信の後、彼から伝えてもらうことになった。
一つ目の話はこれで良し。
次は二つ目の話だ。
「シグ、君も知っての通り——」
連邦はリーベルからずっと催促され続けてきた。
フェイエルムと一緒に対帝国包囲網に加われ、と。
今日までのらりくらりと躱してきたが、もう限界だ。
評議会どころか、元老院の中にまで回し者が潜んでいた。
よって、誠に不本意ながら、
「ネイギアス連邦は、対帝国包囲網に加わることにしたよ」
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