第86話「静かな炎」

 白一色の世界。

 気が付くと、ボス竜はその空間に佇んでいた。

 慌てて振り返るが、そこに稚竜たちの姿はない。


 いや、いないのは稚竜たちだけではない。

 雌竜もいないし、子分たちの姿も見えない。

 それどころか、ここは森ですらない。


 ——ここはどこだ?


 困惑し、状況が飲み込めないのだが、群れから切り離されたことは確かだった。

 ボスに緊張が走る。


 群れで行動する生物が孤立するというのは、非常にまずいことだ。

 孤立していると、普段なら楽勝の相手にも後れを取る虞がある。

 こんなだだっ広いところであの侵入者共に見つかったら、袋叩きにされる。

 一刻も早く仲間と合流しなければ。


 空を見上げると、あれほど鬱陶しかった雷竜共の姿はなかった。

 この真っ白な地上を見渡す限り、騎兵共の姿もない。

 どうやら、いますぐ袋叩きに遭う危険はなさそうだ。


 どちらへ進めば森へ帰れるのかわからないが、ボスは何となく前へ進むことにした。

 飛行ではなく歩行で。


 いまのところ敵の姿は見えないが、この後すぐに現れるかもしれない。

 飛行などしたら、遠くからでも見つかってしまう。


「…………」


 ボスは黙々と歩きながら、さっきまで戦っていた決闘相手のことを思い返した。

 あの騎兵……

 何とも不思議な強敵だった。


 槍の使い手と戦ったのは、今回が初めてではない。

 時々、森へ迷い込んでくる人間がおり、その中には槍の使い手もいた。

 そのときに見た槍はもっと積極的に相手を倒そうと、前へ、前へと突っ込んでくる槍だった。

 噛み付くのに丁度良い間合いへ、人間の方から飛び込んできてくれる。


 だが今回の決闘相手は違う。

 何となく、間合いが遠い。

 離れていると他の槍使いと同じ位に見えるのだが、接近すると遠くなる……ように見える。

 仕方なく強引に距離を詰めていくと、すかさず瞼や鼻孔目掛けて鋭い突きが飛んでくる。

 致命傷にはならないが、我慢して突っ込むには痛い。

 あの遠い槍で何度、突進を止められたことか。

 不思議な槍だし、強敵だ。


 そしてゴブリンも熊も、我の一咆えで退散するというのに、あいつは一切動じない。

 勇者……という奴なのか?


 だとしたら、子分たちだけでは心許ない。

 次第に自分の身の安全より、巣が心配になってきた。

 焦りが竜の歩行を速めていく。

 そのときだった。


 ——?


 突然、目の前に森林の光景が広がった。

 自分たちがいま暮らしている森ではない。

 どこか他所の森のようだ。


 白い空間。

 どこかの森の光景。

 すべては神の仕業だった。


 力と勇気を示すための決闘だったが、本当に決着するまでやってはダメだ。

 エシトスとボスは、レッシバルとフラダーカのように組むべきなのだ。

 だからボスに、二つの未来を見せる。

 でないと、話が噛み合わない。


 ボス前方の空間に映し出されたのは、一つ目の未来。

 巣を捨てて、エシトスたちを返り討ちにできた場合の未来だ。



 ***



 一つ目の未来の中で、群れは火の海と化した森林を後にする。

 獲物を狩りながら大陸を西へ、西へ。

 やがて同じような深い森へ辿り着く。

 先住の獣やモンスターはいるが、小竜の敵ではない。

 群れは新しい縄張りで〈やり直し〉を始めた。


 卵が次々と孵っていき、稚竜はスクスクと育っていく。

 かつての賑やかさが戻るのに、それほど時間はかからなかった。

 ところが……


 ——っ⁉


 群れが、一頭残らず食われた。

 光り輝く白い巨人に。

 ……模神だ。


 巨人は東からやってきた。

 日差しの中に隠れている偵察係が直ちに警告音を発し、光景の中の〈ボス〉は子分たちを率いて迎撃に上がった。


 でも、ダメだった。

 竜炎をいくら放射しても全く燃えない。

 むしろ、浴びせられた炎を吸収して大きくなっていく。


 炎が効かないなら、近接攻撃で!

〈ボスたち〉は一斉に突撃し、蹴りを食らわせた。


 観戦している現実のボスも〈ボス〉の行動に賛成だ。

 その場にいたら同じ決断をする。


 だが巨人には実体がないのか、何も手応えがないまま、ただ白い光の中へ飛び込んでいくだけだった。

 その後、飛び込んだ竜たちが出てくることはなかった。


 決死の飛び蹴りだったのに……

 飛び込んだ竜の数だけ、巨人が育った。


 雄竜たちを自らの一部へ変えた巨人は巣へ向かう。

 仔を守ろうと飛び掛かる雌竜たちを食らい、巣に残る卵と稚竜も食らう。

 若竜は逃げようと試みるが、無駄だった。

 巨人の長大な腕からは逃げられない。

 すぐに捕まり、口の中へポイッと。


 群れは、全滅した。



 ***



 一つ目の光景は、巨人が群れを完食したところで終わった。

 もちろんその後も巨人による惨劇は続くのだが、天界にいるボスが知る必要はない。


 知ってもらいたかったのは、このまま人間と共闘しなかった場合の未来だ。

 巨人のその後ではない。


「…………」


 光景はもう消えたが、ボスの目はついさっきまで光景があった空間に釘付けになっている。


 衝撃的な内容だった。

 でも、これで良かったのかもしれない。

 良い問題提起になった。


 では、解決策の提示だ。

 神は、一つ目が退いた空間に、二つ目の未来を映し出した。



 ***



 二つ目の未来、それは海から始まった。

 どこの海かはわからない。

 群れはその海を飛んでいた。

 この未来の中では、ボスも子分たちも健在だ。

 だが、


「グルルルル……!」


 静かに見ていたボスが突如、低く唸り出した。

 怒るのも当然だ。

 光景の中で、子分たちの背に人間が乗っている。

 森に潜んでいた騎兵共だ。

 しかもボスの背には、あの決闘相手が乗っている!


 なぜ!?

 どうして!?

 奴らに負けて、我々が屈服したとでも言うのか?

 絶対にあり得ないことだ!


 いますぐこの光景の中に入って、自分や子分たちの背中から人間共を海へ叩き落としてやりたい!


 だが、幻影に向かって突っ込んで行っても反対側にすり抜けるだけだ。

 何も手出しできないもどかしさに、苛立ちの唸り声を上げながら右往左往。

 されど、目は光景に向けたままなので、光景の続きはちゃんと見ている。


 頭に血が上り、うっかり見落としていたが、よく見ると忌々しい雷竜共も一緒らしい。

 少し離れた高空から群れに付いてきている。


 飛行生物は上をとった者が優位に立つ。

 ということは、自分たち火竜より雷竜が格上ということではないか!


 再び激昂しかけるが、何とか堪えた。

 なぜそうなったのか?

 その理由を知りたくなっていた。


 ボスは咆えるのをやめ、静かに光景の推移を見守ることにした。

 根拠はないのだが、光景の中でその理由が明かされるような気がする……


 人間を乗せた〈自分たち〉と雷竜は、ただ飛んでいるわけではなかった。

 先頭を飛ぶ人間の導きで、どこかへ向かっているようだ。

〈ボス〉と決闘相手は、二番手の位置につけている。


「——っ⁉」


 雷竜と人間に負けただけでなく、ボスの座も奪われているのか?

 一瞬、不安と動揺が走るが、心配はいらない。


 後に知るが、先頭はラーダ騎だ。

 敵の位置を知るという役目のために、先頭を飛んでいるだけだった。

 程なくして、お目当ての敵が見つかったのか、子分は先頭を〈ボス〉に返して後方へ下がった。


 群れ内部の順位に、変更があったわけではなかったようだ。

 安堵したボスは観戦を続けた。

 最後まで。


 光景はすべてを映し終えると、スゥーッと消えた。

 残されたボスは考え込んでしまった。


 竜は知能が高い生物だ。

 若い内は人語がわからないというだけで、知能は人間並みか、それ以上の個体もいる。

 だから二つの光景の意味を理解できた。


 白い巨人は東の彼方から海を越えてやってくる。

 新しい巣で時を無為に過ごしている間に、あの巨人は大陸東岸の人間共を食らう。

 その結果、巣がどうなるかは一つ目の光景の通りだ。

 天を衝くほど大きく成長してしまってからでは遅いのだ。


 叩くなら、人間を食らう前だ。

 東岸に上陸させてはダメだ。

 でも、炎を食らう化け物をどうやって?


 答えは、溜炎だ。

 先頭だった子分が後方へ下がった後、雷竜・火竜連合軍は軍艦の群れと戦闘になった。

 その戦闘において、〈ボス〉と子分たちは火の玉を吐き、悉く消滅させていった。


 すごい威力だ。

 まるで大型火竜並みの威力だ。


 炎は対象へ放射し、引火させる攻撃法だ。

 遠くから放射すれば反撃を受けにくいが、代わりに引火しにくい。

 近ければ引火させやすいが、反撃も受けやすい。

 ずっと、そういうものだと思っていたのだが……


 口の中で固めた火の玉は、反撃を受けにくい遠くから発射でき、命中すると、圧縮状態から一気に解放された炎が船を包んだ。

 加えて、人間もただ乗っかっているだけでなく、あの爆発したり光ったりする玉を投げている。


「…………」


 人間や雷竜と馴れあうのは気に食わんが、いまより強くなれるというのは悪くない。


 ただ、それでも白い巨人には通じないと思う。

 放射しようが、固めて撃ち出そうが、火は火だ。

 どちらであっても巨人が食らって終わり。

 打つ手なしだ。


 竜の彼我戦力分析は正しい。

 しかし、神は首を横に振る。


 打つ手なら、ある。


 一つ目と違い、二つ目の光景において、巨人はまだ完成していない。

 完成していないから、軍艦が大陸へ向かっているのだ。

 巨人を育てる〈餌〉を得るために。


 ならば……

 巨人が完成したら誰にも止められないというなら、完成させなければ良い。


 軍艦と巨人の関係は、親竜と稚竜に置き換えるとわかりやすい。

 親竜たる軍艦は餌捕りに来たのだ。

 餌は大陸東岸の人間共。

 親竜が餌捕りに成功したら、巣へ持ち帰って稚竜たる巨人に食わせる。

 立派な成竜になれるように。


 ボスは、この光景を見せている奴の意図が読めてきた。

 要するにこう言いたいのだろう。

「稚竜の成長を阻止したいなら、親竜を潰せ」と。


 だから炎が通用しない巨人ではなく、巨人を育てようとしている軍艦を溜炎で叩け。

 軍艦共は世界最強だが、火も雷も通用する。

 少なくとも巨人と戦うよりはマシだ。


 勝ちたければ人間から溜炎を習い、雷竜とも協力しろ。

 ムカつくだろうが、我慢しろ。

 子供たちのためだ。


 二つの光景が伝えたかったことは、おそらくそういうことなのではないだろうか。


 ボスの望みは群れの安泰だ。

 ゆえに、縄張りへ近付く者は侵入者と見做して戦うしかなかった。


 対して、人間たちの望みは共存だった。

 縄張りを奪いに来たのではない。


 安泰と共存。

 厳密には意味が異なる二つだが、「巨人に食われたくない」という点で、両者の願いは共通していると言えるだろう。

 ならばもう、戦う理由がない。


 火竜は危険が去ったと安心できるまで、決して種火を絶やさないものだ。

 いつでも火炎放射を行えるように。


 その種火がいま、ボスの中で消えた。



 ***



 二つ目の光景が消えると、向こうからやってくる人影があった。

 エシトスだ。


 ようやく、人と竜を出会わせることができた。

 一仕事終えた神は、安堵の溜め息を吐く。


 両者はずっと決闘していたのだから、すでに会っているといえば会っている。

 でも、敵意剥き出しではダメなのだ。

 それでは出会いではなく、単なる会敵になってしまう。


 野生動物にとって、縄張りに入ってくる者はすべて敵だ。

 理由の如何を問わず、すべて排除する。

 これでは話し合いにならない。


 そこで竜の魂に直接理解させた。

 まもなく、地上でも戦うことをやめるだろう。

 あとはエシトス次第だ。


 ボスは戦闘態勢を解除し、聞く耳を持つ状態にある。

 とはいえ、話の展開次第では交渉決裂もあり得るが……

 たぶん大丈夫だろう。

 決闘を通して、ボスもエシトスが勇者だとわかったはずだ。


 炎を封じているとはいえ、生身の人間が竜の牙の前に立つ……

 それがどれほど恐ろしいことか、想像してみるがいい。

 彼はそんな恐ろしい戦いを三日も続けてきた。

 並みの人間にできることではない。

 それこそ——

 勇者でなければ。


 二人の邪魔にならないよう姿を消し、少し離れたところで見守っていると、ついに話し合いが始まった。

 ボスに未来を見せている間、エシトスにも同じものを見せておいた。

 話が食い違うことはないだろう。


 結果については何も心配していない。

 エシトスは元々、小火竜を手懐けに来たのだから問題ない。

 問題はボスだが、滅びたくなければ組むしかあるまい。


 …………


 ……話はついたようだ。

 止めていた時を動かそう。



 ***



 レッシバルは、巣の上空を旋回しながら決闘を見守っていた。

 始まる前、絶対に手を出すなと言われていたが、勝ち目がないと判断したらすぐに救助する。


 ボスを一人で下すのは、群れを従えるためだけではない。

 竜騎士たちを率いるのに必要な実績でもあった。

 だから単独で勝利しなければ意味がない、というエシトスの話はわかる。

 わかるが、目的に拘り過ぎて死んでしまったら何にもならない。

 上から見ていて、ダメだと感じたら躊躇しない。

 決闘に割って入る。


 いまのところ、エシトス優勢だ。

 騎兵槍術仕込みの配達屋の槍でよく凌いできた。


 しかし、やはり体格差というものは如何ともし難い……

 ボスはまだまだ元気なのだが、友の呼吸は荒かった。


 レッシバルはもう、友の勝利を信じて見守るというより、救助に割って入るタイミングを見計らうようになっていた。

 作戦は失敗に終わるが、改めて出直してくれば良い。


 そのときだった。


「何だ?」


 エシトスとボスが戦いをやめた。

 理由はわからない。

 槍の穂先が下がり、竜の唸り声が止んだ。


 なぜ?


 意味がわからないのは、空中班だけではなかった。

 地上班と子分たちもだ。

 互いに顔を見合わせるが、誰もわからない。


 果たして静止の意味は……

 どちらかが勝ったのか?

 あるいは引き分けたのか?


 注目の中、エシトスは下馬した。

 そのまま徒歩でどこかへ。


 不可解な行動だが、ボスにとっては好機到来!

 戦闘中に下馬する奴が悪いのだ。

 その愚かな頭を一噛みで粉々に……


 粉々にしなかった。

 鼻先を通る決闘相手をそのまま見送った。

 ボスの行動もまた不可解だった。


 エシトスの行き先はそれほど遠くない。

 さっき雌竜に弾き飛ばされた肉塊を拾いに行っただけだ。


「クルルルルッ!」


 ボスが勝った後ありつけるはずだったのに、肉を持って行かれてしまう!

 腹ペコの稚竜たちが、涙目で抗議の鳴き声を上げる。


「…………」


 エシトスは稚竜たちを一瞥したが、肉塊を投げてやりはしなかった。

 鬼か?


 いや、心が痛まなかったわけではない。

 ただ、物事には順番があるのだ。

 かわいそうだが、すぐに終わるからあと少しだけ我慢してほしい。


 明日以降は直接与えても問題ないが、今日はダメだ。

 いまは子供の涙より〈形〉を優先すべき場面だった。


 形——

 儀式と言い換えればわかりやすいか。

 ボスが勇者エシトスの騎乗を許す儀式だ。


 ボスの前に戻ってきたエシトスは、拾ってきた肉塊を差し出した。

 これを受け取ったとき、エシトスとボスの主従関係が始まる。

 同時に小火竜の群れは火竜隊となる。


 ボスは、


「…………」


 二つ目の未来を選んだ。



 ***



 後日、エシトスはボスに名を付けた。

 ボスの名は、イルシルト。

 フラダーカと同じく大陸南部の方言、〈イル〉と〈シルト〉を組み合わせた。


 イルは〈炎〉、シルトは〈静かな〉や〈穏やかな〉という意味の形容詞だ。

 合わせると〈静かな炎〉という意味の名になる。


 イルシルトのおかげで、森も稚竜も焼けずに済んだ。

 人と竜の戦いが穏やかに終わった。

〈静かな炎〉と呼ぶに相応しい。

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