第85話「敗因」

捕獲隊の作戦は図に当たった。

空中班が小火竜たちから空を奪い、地上班が巣に肉薄することで炎も封じた。

そして巧みな槍術で牙も封じた。


こうなってしまった以上、小火竜側は早く降参した方が良い。

意地を張った分だけ、稚竜たちの苦しみが長引くことになる。


だが、ボスの戦意は全く衰えていなかった。

決闘は、まだまだ続く。


人と竜の戦いは、互角の攻防が続いている。

非力な人間に過ぎないエシトスはよく戦っていた。


巣を囲んでいる竜騎士たちも彼の凄さに舌を巻いていた。

さすがは〈配達屋の槍〉だ、と。


森林へ出発する前、彼らはエシトスに請われて槍術の訓練に協力した。

そのときに知ったのだ。

軍人の槍と配達屋の槍の違いに。


軍人は敵に勝利するのが仕事だ。

勝利は己の前に立つ敵を負かすことで手に入るもの。

それも早ければ早いほど良い。

ゆえに一刻も早い勝利を目指し、軍人は前進するのだ。

前のめりに体重をかけ、踏み込む突進力も加えて突く。


対して配達屋は後退する。

配達屋の仕事は荷を無事に届けることだ。

勝利より安全が第一だ。

勝利は前進して対戦相手を倒すことで手に入るが、安全は後退することで手に入る。

つまり逃げれば良い。

遠ざかれば良い。


……というのが理屈だ。

だが現実は、理屈通りにはいかない。

ここが配達屋という仕事の悩みどころだった。


どうせ辺境へ行くなら、同一方向の依頼を纏めて受けた方が得だ。

でも依頼の数だけ荷が増えて、馬が遅くなる。

馬が遅いと、モンスターや盗賊に襲われたとき、逃げきれなくなってしまう。


襲撃者から逃れられないと判断したら、荷を捨てて軽くなるしかない。

後で荷主に怒られるが……


一応、契約時に荷を捨てる場合があることは説明してあるし、承諾も得ている。

だから責任を追及されることはないし、されても応じる義務はない。

されど、評判は残る。

失敗ばかりしていると、やがて誰も依頼しなくなってしまうだろう。


だから長く続いている配達屋は、稼ぎと重量の丁度良い妥協点を心得ている。

だが、そんな熟練者たちでも荷を捨てざるを得ないし、誰もが銃や槍で武装している。

なるべく待ち伏せが少なそうな配達路を選ぶが、それでも全く襲撃を受けないというのは無理だからだ。


仕方あるまい。

荷を積んでいる馬と何も積んでいない馬が競争したら、絶対に後者が速い。

身軽な馬より速いモンスターだっている。

結局、依頼で野外に出れば、襲撃者との交戦は避けられないのだ。


馬を全速で走らせながら、応戦する配達屋。

そのとき彼らが心掛けることは、襲撃者を仕留めることではない。

相手が追撃を諦めるまで凌ぎ続けることだ。


……馬を全速で走らせる点以外、配達屋の日常といまの状況は似ていると思わないか?

つまり、エシトスは今回のような長丁場の戦いの中で生きてきたのだ。


配達屋は基本的に単独行だ。

救援の当てはない。

捕まったら死ぬ。

諦めたら死ぬ。


そうすると、自然と遠ざかりながら突き放すような攻撃法になる。

体重も突進力も乗らない配達屋の槍には、軍人の槍のような威力はない。

代わりに、敵の攻撃をいなす巧さと、攻撃一辺倒の敵が見せる僅かな隙を逃がさない、針仕事のような精密さがあった。


そもそもはエシトスに頼まれて始まった訓練だったが、終わる頃には皆、彼の力を認めていた。

訓練中、誰も彼から一本をとることができなかった。

逆に、深入りしすぎて返り討ちの一突きをもらってしまった者がいたくらいだ。


彼ならやれる。

〈隊長〉なら!

皆、エシトスを信じていた。


ならば地上班の仕事は、火竜の子分たちに圧力をかけ続けることだ。

さっきから、隙あらば親分に助太刀しようという素振りを見せている。

だから巣を攻撃する振りで、奴らを牽制するのだ。

隊長が、ボスに集中できるように。



***



決闘を見守っていたのは、竜騎士たちだけではなかった。

神も、遥か天空の彼方から見下ろしていた。


「…………」


既述の通り、神はリーベルの邪法を阻止したい。

それも、何とか人間自身の手で。


とはいえ、知らなければ阻止しようがない。

杖計画は、魔法使い自身が所属しているリーベル王国にも秘匿していた極秘中の極秘だ。

これを他国人であるピスカータ探検隊に、自力で知れというのは酷というもの。

シグですら、トライシオスとの出会いがなければ、海上封鎖の理由がわからないままだったのに。


人間世界の問題は、人間自身に解決させる——

これが神の原則だ。

でも原則に拘る余り、人間の気付きに任せておいたら、模神が完成してしまう。


模神が完成したら世界は終わる。

いまは頑なに原則を守るのではなく、例外を認めていくべき状況だ。


だから、神はレッシバルたちを宿屋号へ導いた。

人と人の〈縁〉という形で彼らを支援することにした。


いまもそうだ。

助太刀はしないが、エシトスを応援している。

ただし、一観戦者として。


これは決して冷たく傍観しているのではない。

エシトスの気持ちを尊重するが故だ。


彼には、自身が気にしていたように、レッシバルやザルハンスのような武功がない。

執政や亡き父の励ましにより、火竜隊の隊長になろうと決心したものの、やはり武功のことは気掛かりだった。


火竜隊は軍隊だ。

軍隊はピスカータ探検隊とは違う。

隊を率いる資格のある者が隊長になるべきだ。


その資格とは、誰の目にも明らかなものでなければならない。

執政が「凄腕の配達屋だから、火竜隊の隊長も務まる」と素養を保証してくれたが、それでは資格たり得ない。


素養は、目に見えるものではない。

必要なのは素養についてのお墨付きではなく、実際に「やり遂げた」という目に見える実績だった。


その実績作りのためにも、エシトスが単騎でボスを下す、もしくは手懐ける必要があるのだ。

竜騎士たちが見ている前で。


この決闘は小火竜を屈服させるためのものだが、同時に「火竜隊隊長はエシトスで間違いない!」と、竜騎士及び彼自身が確認するためのものでもあった。


ならば、求められない限り、神も竜騎士たちも手を出すべきではないのだ。

何人も、勇者エシトスの決意に水を差してはならない。

と思って、静観していたのだが……


神の目から見て、この戦い……

このままでは、残念ながら捕獲隊の負けだ。



***



捕獲隊は敗北する。

具体的な日時もわかっている。

早ければ明日の早朝、遅くとも午前中には敗れる。


馬鹿な……

作戦は順調だ。

空陸両面から巣を包囲し、兵糧攻めで追い詰めている最中だ。

なのに、なぜ敗れる?

どこに敗因が?


「…………」


この先に待っている敗北を知っているだけに、見下ろしている神の表情は険しかった。


餌に困っていない小火竜に、岩場のときのような小細工は通用しない。

だから力尽くで制圧するしかないのだが、怪我は最小限に抑えたい。

二つの目的が相反している難しい作戦だった。


神は知っている。

彼らが何日も知恵を絞り合っていたことを。

そうして決まったのが、兵糧攻めで苦しめつつ、餌を受け取らせるという作戦だった。


練りに練った作戦だったと思う。

レッシバルたちは最善を尽くしたと認めよう。

それでも捕獲作戦は失敗に終わるのだ。


敗因は、その兵糧攻めだ。

実に人間らしい。


確かに人間同士の戦では、城や街を包囲されて食料が尽きたら降参するしかない。

あるいは自決するか。


降参か自決。

この二つが、人間世界の兵糧攻めで敗れた者が採り得る選択肢だ。


しかし自然は違う。

自然は、野性動物たちに第三の選択肢を与えている。

〈やり直し〉だ。


え?

初日からやり直すということか?


違う。

〈やり直し〉とは、新たな土地でやり直すという意味だ。

すべてを諦め、成竜と付いて来ることができる若竜だけで森を去る。


すべて……

卵や稚竜、未熟な若竜もその〈すべて〉に含まれている。

付いて来られないものは、置いて行く。


兵糧攻めは功を奏し、竜たちは包囲を破れないまま三日目を迎えた。

今晩か明日、追い詰められた竜たちは決断するだろう。


その結果、四日目は地獄と化す。

〈すべて〉を捨てた小火竜はまず炎を解禁し、エシトスたち地上班を焼き払う。

群れが去った後、ここは侵入者共の縄張りになるのだ。

奪われた森がどうなろうと……


炎の封印が解けたら、次は空だ。

ボスたち雄竜だけでなく、雌竜と若竜も加わって死に物狂いで上がってくる。


……いかに軍竜といえど、僅か五騎。

死兵と化している大群を止める力はない。


こうしてエシトスたちを失い、何も得るものがないまま捕獲作戦は失敗に終わる。


レッシバルは征西で、エシトスは配達で、野外に身を置くことが多かった。

だが、竜たちのように野外で暮らしているわけではない。

人里で暮らしている者が、一時的に野外へ出ているにすぎない。


対して、竜は違う。

一生を野外で暮らし続ける。


どちらがより深く自然というものを心得ているかは、言うまでもない。

自然界では、生存のために仔を捨てる場合があるのだ。

レッシバルたちが立てた作戦は素晴らしかったが、自然の残酷さを読み違えていた。


「うーん……どうしたものか……」


神は腕組みをして悩んでしまった。


これが、ただ森を切り拓いて耕作地を拡大したいということなら、残酷だろうと、凄惨だろうと、成り行きに任せておくのだが……


一見、エシトス優勢に見えるが、あと少しで形勢が逆転する。

やはり、人間が竜と何日も戦い続けるのは無理だった。

肩で息をし、汗が止まらない。


食事と休息をとっているとはいえ、疲労が確実に積み重なっていた。

いまは優勢で勢いに乗っているから、自分の状態がわからなくなっているだけだ。


気合いが身体を突き動かすということはあるが、無限に動き続けられるわけではない。

あと少しで限界を超える。

そのとき、彼の身体は否応なしに戦いをやめるだろう。

もって、今日の日暮れまで……


対するボスにも疲労はある。

三日間、空と炎を封じられ、不自由な戦いを強いられてきたのだから。


とはいえ竜だ。

人と竜では、体力の桁が違う。

ボスは困っているだけであり、弱っているわけではないのだ。

まだまだ元気だった。

それに、稚竜を庇いながらの戦いは大変だったが、明日からは楽に戦える。


神は瞑目し、上を向いて考え込んでしまった。


…………


その間も、地上の攻防は続く。


…………


しばらくして、上を仰いだままゆっくりと目を開いた。


「やむを得ん……か」


神はエシトスに手を貸すことにした。

手を貸すだけだ。

力は貸さない。


……手を貸すということは、力を貸すことではないのか?


ややこしくて恐縮だが、本作戦の間だけ、手と力は異なるものと解釈してほしい。

この場面における〈手〉とは手段や方法を意味し、〈力〉とは神が地上へ下りて直接助太刀することを意味する。


神が貸す〈手〉とは?


エシトス対ボス竜の戦いは一方の勝利によってのみ決着する。

他の決着方法はない。

……と、人も竜も思い込んでいるが、実はもう一つあった。

和睦だ。


しかし、ボスはまだ古竜になるような歳ではない。

人語はわからないし、エシトスは敵だ。

人と竜の絆どころではない。


だから両者をここへ呼ぶ。

時を止め、双方の霊魂だけを招いて和平交渉させる。

ここ、天界で。


三日間の戦いで、ボスもよくわかったはずだ。

エシトスが、その背を許すに値する勇者であると。


非力な人間でありながら、竜を相手に恐れず、退かず、単騎で立ち向かい続けた。

力と勇気は示された。


ならばもう、槍と牙を激突させる必要はない。

互いに納得し合い、戦いを終わらせるべきだ。

霊魂同士なら、言葉に依らず意思を通じ合わせることができる。

言葉の違いも種族の違いも問題にならない。


さらに、ボスには判断材料として二つの未来も見せてやろう。

あとはエシトスの交渉次第。


神が手を貸すのはここまで。

本当はこれも理に反する行いなのだが、少しくらい構わないだろう。

世界を破壊しかねないリーベル人の違反に比べれば、かわいいものだ。


心が決まった神は、遙か眼下の森を見下ろした。

次の瞬間、


「…………」

「…………」


世界が、止まった。

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