第81話「一五引く六は八?」
小火竜の別動隊三頭。
だが空中班にとっては、別動隊ではなく群れからはぐれた三頭だ。
右手を高々と掲げながら、レッシバルたちが迫る。
竜騎士たちにとっては標的だが、当の三頭はこの瞬間も自分たちこそが狩る側だと思っている。
だから上昇してくる敵が何者なのかわかったとき、怒り心頭に発した。
誰かと思ったら、森から追い払った弱虫共ではないか!
縄張りでコソコソ狩りをしているだけでも許せないのに、今日は戦いを挑んでくるとは。
二度と逆らおうという気が起こらないよう、息の根を止めてやる!
……といったところか?
あの膨れっ面を見れば、弱虫共への怒りがよくわかる。
口の中に炎を溜めすぎて、冬支度のリスのようだ。
直撃したら一瞬で蒸発してしまうだろう。
ただし……
直撃させることができれば、だ。
レッシバルは右手を振り下ろした。
それを合図に、雷竜小隊は一斉に急降下。
一秒後、
ゴォォォッ!
小隊が立ち退いた空間を、業火が吹き抜けた。
しかし、そこに弱虫共の姿はない。
(消えた⁉)
対象を一瞬で焼き尽くすというのは比喩だ。
命中すれば炎の飛沫が少しは生じる。
ところが、炎は何にも当たらず、真っ直ぐ伸びていった。
放射前方にはいない。
弱虫共は、一体どこへ?
長々と、その場で滞空しながら考え込んでいたわけではない。
一秒にも満たない僅かな時間だった。
それでもフラダーカたちを相手に、考え事の時間が長すぎたと言わざるを得ない。
小火竜にとって、昨日までのシグ竜たちは確かに弱虫共だったかもしれない。
だが、今日は背に見慣れぬ人間を乗せてきた。
その変化に気付き、直ちに認識を改めるべきだった。
彼らは弱虫共ではない。
帝国海軍竜騎士団雷竜小隊だ。
ここへは、小雷竜が縄張りを取り返しに来たのではない。
雷竜小隊が野生の小火竜を制圧しにきたのだ。
従って、弱点を突くし、道具も使う。
降下最後尾の五番騎は、置き土産とばかりに閃光弾を上へ放った。
カッ!
太陽に比べれば小さな光だ。
しかし火竜たちの鼻先で弾けた閃光は、彼らの視力を奪った。
怯んで空中停止した先頭に後続二頭が突っ込み、三頭は大混乱に陥った。
回避に成功した雷竜小隊はその隙に急降下から緩上昇へ。
三頭の上に回り込んだ。
目が眩んでいる三頭は、ぶつかってきたのは弱虫共だと思い込み、激しい同士討ちの最中だ。
力比べなら視力回復を待つということもあり得るが、制圧しにきた軍隊はこの隙を見逃がさない。
「二番から四番、先頭から順にかかれ!」
「了解!」
レッシバルの命を受けた三騎は、それぞれが狙いを定めた火竜に襲い掛かった。
狙うは、火竜の肩と首。
雷竜は火竜の背へ飛び乗るのと同時に、両脚の爪を肩へ食い込ませ、首に噛み付いた。
「グォアアアァァァッ!」
「ギャアアアァンンンッ!」
言いたいことはわかる。
たぶん「放せ!」とか「やめろ!」と訴えているのだと思う。
しかし、せっかく取り押さえた敵を「放せ」という言葉一つで解放する者はいない。
火竜たちは力尽くで振り払うしかなかった。
だが、両肩を押さえられた火竜は羽ばたくことができず、高度がどんどん下がっていく。
身をよじって逃れようと試みるも、首を上から噛まれて身動きを封じられている。
このままでは、腹から地に叩きつけられてしまう。
自力脱出は不可能。
あとは本隊に助けてもらう道しか残されていなかった。
もう、すぐそこまで来ているはず。
ところが……
…………
いつまで経っても、救いに来ない。
手空きのレッシバル騎と五番騎が本隊へ向かい、彼らの鼻先へ牽制の炸裂弾をばら撒いていたからだ。
バァン!
バァン、バンッ!
「ガォッ!」
「ゴッ!」
連続する爆発音と、本隊の竜たちが上げる警戒の声。
炸裂弾の大きさは拳大だ。
小竜に致命傷を与えるほどではないが、爆発の衝撃で翼が破れるかもしれない。
受ける箇所が悪ければ、気絶して墜落するかもしれない。
怯んだ本隊前衛は後退しようとするが、急な変更に後衛は反応できない。
そのまま前進し続け、両者は中央で揉みくちゃになってしまった。
……これで、救援の可能性は潰えた。
火竜と雷竜と竜騎士が一塊となり、降下角六〇度で空を降る。
やがて視界前方に、叩きつける予定の地面が見えてきた。
捕らえられた見張り三頭は逃れようと足掻き続けているが、もはや望みはない。
勝ったか?
いや……
いまは雷竜が優勢というだけだ。
そしてこの優勢はいとも簡単に覆る。
暴れ狂う火竜に振り回され、直前で天地が逆転してしまえば、地に叩きつけられるのは雷竜と竜騎士だ。
五対三の数的有利も工夫して作り出したものだ。
この後も一々、工夫しなければならない。
小隊は、未だ劣勢の中にある。
……と、慢心を戒める必要はないのかもしれない。
確実に、火竜を地へ叩きつける!
その一点に、竜騎士も雷竜も集中していた。
雷竜は、小刻みに翼の向きを変えながら姿勢を制御し続けている。
竜騎士は、〈そのとき〉を見逃すまいと迫る地面を凝視していた。
そのとき?
火竜だけを勢いよく投下し、急降下から上昇に転じる〈とき〉だ。
早すぎれば火竜も空に逃れ、遅すぎれば火竜と一緒に墜落する。
竜騎士は手綱を握り直す。
——もう少し……!
雷竜は竜騎士が手綱を引かない限り、上昇には転じない。
村で、そのように訓練してきた。
だから早すぎず、遅すぎず、完璧なタイミングで手綱を引かなければならなかった。
***
漁は、竜騎士にも難しかった。
レッシバルの言う通り、小竜は陸軍の大型竜とは勝手が違うものだった。
通常飛行は大型も小型も大差ないが、問題は〈ガネット〉らしい飛行のときだ。
急旋回、急停止、急降下……
〈ガネット〉らしい動きの一つ一つには「急」の字が必ず付く。
あまりにも過激すぎる。
……初めて漁に出た日、不覚にも吐いてしまった。
竜騎士が竜に酔って嘔吐する。
何という醜態か。
でも、挫けはしなかった。
挫けるどころか、朝食を全て吐き戻して胃の中が空っぽになった後、心の中は却って期待で一杯になった。
これならリーベルの魔法使い共に勝てるかもしれない、と。
最初はしがみついているしかなかった竜騎士も、身体が慣れていくにつれ、的確な指示を出せるようになった。
漁を通して培ってきた信頼と技は、水面が地面に変わっても通用する。
いまこそ訓練の成果を発揮するとき!
竜騎士は手綱を強く引いた。
——!
瞬時に反応した雷竜が、火竜を蹴って上昇に転じる。
「くっ……!」
下向きに働いていた加速の重圧が竜騎士に襲い掛かる。
この頃の小竜隊は、まだ急上昇へ転じることができずにいた。
だから今回も緩上昇なのだが、それでも苦しい。
一方、火竜がこれから味わう苦しみはそれ以上だ。
雷竜が姿勢制御のために翼を開いていたし、火竜も足掻いていた。
翼を畳む漁のときに比べれば、降下速度は遅かったといえるだろう。
とはいえ、天空の彼方から墜落してきたのだ。
叩きつけるための加速は十分だった。
フワッと着地したければ、地表に向かって強く羽ばたいて減速するしかない。
それには高度の余裕が必要なのだが……
地面はもう、すぐそこだった。
さらに、雷竜は解放直前で火竜の背を足場にして上へ飛び上がった。
その、下向きの力も追加された。
ドォォォンッ!
ドオオォォォンッ!
ドゴォォォンッ……!
火竜は一切減速できないまま、腹から大地に激突した。
激突音は合計三つ。
別働隊三頭は、すべて地に落とされた。
〈小〉というのは山岳地帯の大型竜に比べれば小型という意味だ。
小竜は歴とした大型生物だ。
それほど大きなものが空から落ちてきたら、森にとっては隕石が降ってきたのと変わらない。
墜落の衝撃波が若木をなぎ倒し、土煙は木々の先端より高く舞い上がった。
土煙が収まった後には、白目を剥いて横たわる火竜が三頭。
火竜にとって、今日は厄日か?
弱虫と侮ってきた雷竜にコテンパンにやられてしまった。
酷い一日だった……
待て。
「だった」と過去形にするな。
まだ終わっていない。
むしろこれからが本番だ。
さすがに竜は強靭だった。
すぐに意識を取り戻した。
とはいえ全身を強打しており、身体が言うことを聞かない。
目も霞む。
「グルル……?」
ボンヤリとした視界の中で、こちらに近付いてくる影に気が付いた。
一つ、二つ、三つ、もっとだ。
火竜にとって危険な影だった。
しかし墜落の衝撃で頭が回らない。
ただ「あの影は一体何だろう?」と眺めているだけだ。
相手を視認できているが、危険なものだと認識できない。
敵だと認識できていないのだから、炎や尾で追い払おうという気が起こらない。
これは生物として、非常に危険な状態だった。
されど影たちにとっては好機。
この機を逃してはならじと影の一人が叫んだ。
「かかれーっ!」
影は地上班だった。
空中班が小火竜を地に落としてくれるのを待ち構えていたのだ。
——逃がしはしない!
彼らによって網をかけられ、火竜は動きを封じられてしまった。
これでもう、空に戻ることはできない。
まずは三頭の捕獲に成功した。
こうやって空から火竜を減らしていくのだ。
全部いなくなったとき、小隊の制空権確保が成る。
***
緒戦に勝利した三騎はレッシバルたちと合流した。
次に取り掛かる。
さっきは見張りの別動隊だったので、最初から分断されている状態だったが、これからは群れから分断する作業が必要になる。
総員、カイリーを取り出した。
大人の肩から指先程もある長大なカイリー。
当たれば、硬い鱗を持つ小竜といえども無傷では済まない。
でもカイリーで狙うより、手投げ弾をお見舞いした方が効率的なのではないか?
手投げ弾は、さっきの牽制で尽きてしまったのか?
いや、閃光弾や炸裂弾はまだまだあるが、無闇に投げることはできない。
投げ方によっては、閃光や爆風をこちらが受ける虞がある。
自爆を避けるためのカイリーだった。
合流のために距離を取っていた小隊は、斜線陣で再び火竜群に正対した。
だが、正面突破するつもりはない。
危ないし、もし反対側へ突き抜けることができなければ袋叩きに遭う。
双方、激突まであと少し。
……と、もし観戦している者がいたら身を乗り出す場面だ。
だから先に謝る。
楽しみにしているところを申し訳ないが、レッシバルたちの突撃はあくまでも見せかけだ。
正面から突撃すると見せかければ、火竜群も迎え撃とうと突っ込んでくる。
真っ直ぐに。
それが狙いだ。
真っ直ぐ来てくれれば、カイリーで狙いやすい。
ギリギリまで引き付けてから投擲し、その後すぐに左へ流れて群れの突撃を躱す。
「カイリー投擲後、一〇時下方へ回避する!」
レッシバルの指示が四騎へ飛ぶ。
同時に、握っていたカイリーを振りかぶった。
後続四騎も同様に、思い思いの火竜に狙いを定める。
投擲用意良し。
正面では、竜が炎を漏らしながら全速力でこちらへ突っ込んでくる。
皆、忿怒の形相だ。
恐ろしい……
けれど、レッシバルは恐れなかった。
恐れず冷静に、
「……欲張りめ」
もう竜炎の射程距離に入っているのだから、さっさと放射すればよいものを……
火竜たちの気持ちはわかる。
奪った住処だったとしても、いまは自分の家と思って暮らしている縄張りだ。
侵入者が強引に踏み込んで来たら、誰だって頭にくる。
そして、その侵入者が弱虫共だと知ったら……
最大威力をお見舞いして一撃で葬りたい!
……竜の自由意思に任せたら、そうなってしまう。
本能の命じるままに。
それでも冷静になろうとしたら、理性で本能を抑え込むしかないのだが、野性の竜には無理だ。
対する雷竜たちは、本能という点においては火竜と大差ない。
しかし火竜のように、本能の命じるままに行動することはない。
岩場にいたときと違い、いまは人が乗っている。
人間は、理性を備えている。
ゆえに、雷竜たちは理性に基づいた行動ができる。
これは大きな違いだった。
火竜は相手の力を見誤った。
そして、戦い方も間違えた。
一般的に、火竜は力に優れ、雷竜は速さに優れているという。
しかも、小雷竜の中でも〈ガネット〉の速さはずば抜けている。
現役の竜騎士が嘔吐するほどに。
そんな速いものに、どうやって火炎放射を当てるのだ?
近距離放射で一撃必殺を狙うなど、欲張り過ぎだ。
出し惜しみせず射程に入り次第、四方八方へ撒き散らすべきだったのだ。
運が良ければ、軽い火傷くらいなら負わせることができたかもしれないのに。
頭に血が上った火竜の負けだ。
間違いを重ねた火竜たちへ、レッシバルの右手が振り下ろされた。
「放てぇっ!」
号令を受け、五本のカイリーが一斉に火竜目掛けて飛んでいった。
投擲が完了した小隊は、すぐに左へ急旋回。
斜線陣から単縦陣へ。
隊形を変えながら群れの下方へ流れていく。
「——っ⁉」
火竜たちは驚いた。
まさにいま、炎を浴びせてやろうと身構えていたのに、弱虫共がものすごい速さで右下方へ流れていった。
慌てて放射し、炎で追うが間に合わない。
目で追うのがやっとだった。
……目で追ってしまった。
火竜の目は、右下方をすり抜けていく弱虫共に釘付けになっている。
正面は、見えていない。
ブン、ブン、ブン……
右下方を向いている火竜の左側、つまり正面から次第に大きくなっていく不思議な音が聞えてくる。
空では聞き慣れない音だった。
不審に思い、正面を向く。
——?
目の前には、カイリーが迫っていた。
経験がないというのは恐ろしい。
彼らはこの投擲武器を見るのも受けるのも、今日が初めてだった。
過去に痛みを経験していれば、咄嗟に身を捻ろうとしたかもしれないが……
火竜はまた間違いを犯した。
一体何だろうと考えてしまった。
時は、彼らの理解を待ってはくれなかった。
ガッ!
ゴツッ!
ガンッ!
鈍い音が三つ連なった。
一つは正面を向いた火竜の顔面を、残りは右下方を向いたままだった二頭の左側頭を捉えた。
投擲した五本の内、三本が命中した。
「…………」
頭を強打された三頭は、力なく墜落していった。
どうやらうまく気絶してくれたようだ。
カイリーは当たり所によっては獣を即死させ得る武器だが、竜を即死させる威力はない。
ゆえに丁度良かった。
あとは地上班に任せ、空中班は次を狙いに行く。
ここまでに三頭が捕獲済み。
さらにいま三頭を追加した。
合計六頭。
火竜小隊に必要な数は全部で一五頭だから、残り九頭。
レッシバルたちはあと八頭、地に落さなければならないという勘定になる。
八頭?
残り九頭ではないのか?
差の一頭は何だ?
余りが出るのはおかしい。
いや、わかっている。
勘定を間違えたわけではない。
本作戦において、空中班は制空権を取らなければならない。
だから結局は全部叩き落すことになると思う。
ただ、空中班が落すべき必要最小数がいくつかを求めるなら、その数は残り八頭だと言っているだけだ。
差の一頭は——
エシトスがねじ伏せなければならない小火竜のボスだ。
レッシバルの見たところ、群れの中にボスはいないようだった。
群れが、たった五騎に翻弄され続けているのはそのためだ。
子分たちの手に負えないと判断すれば、ボスの重い腰が上がるだろう。
それまで、子分たちを叩き落す作業を続け、森のどこかに潜んでいるボスを誘き出す。
空中班は次のカイリーを取り出した。
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