第76話「例外」

 風雲急を告げるシグ邸。

 危うく竜将と猟犬の二回戦になりかけた。

 前回、シグは止める側だったが、今回はレッシバル側だ。

 二回戦を止める者は誰もいない。


 罪名は機密漏洩罪。

 しかし、これは濡れ衣だった。

 ザルハンスは誰にも漏らしていない。

 最後まで聞いてもらえれば難しい話ではないのだが、そんな雰囲気ではない。


「~~~~っ」


 苦し紛れに、ザルハンスは首から掛けている巻貝を胸元から引き出し、二人に向かって掲げた。


「……〈巻貝〉がどうかしたのか?」

「〈巻貝〉なんて、俺たちにとって珍しい物ではないだろう?」


 二人共、努めて冷静に話そうとするが、どうしても声に凄みが籠ってしまう。


 こういう切迫した状況下では、さっさと要点を述べた方が良い。

 シグはともかく、レッシバルがいまにも飛び掛かりそうだ。


 長々と説明できる猶予はない。

 ザルハンスは結論を叫んだ。


「ウチの提督も持っていたんだよ!」


 …………


「……は?」

「だから! 提督は俺たちよりも古い〈客〉だったんだよ!」


 巻貝と〈客〉——

 この二つが示すものは宿屋号だ。


「…………」


 怒号が止み、室内に静寂が戻った。

 シグたちは言葉が出ない。


 ——どうしてここで宿屋号が登場する?


 驚きで言葉が出ないというより、混乱して何をどう尋ねてよいかわからずにいた。


 対するザルハンスも、言葉を続けることができずにいる。

 沈黙が解けた後の二人がどういう反応を示すかわからなかった。

 迂闊なことを言えば、余計に誤解されかねない。


 一分にも満たない短い時、しかし三人にとっては長い時間の後、ようやくシグが混乱から抜け出した。


「客って……〈宿〉の?」

「そうだ。提督はあの宿の馴染み客だったんだ!」


 まだ濡れ衣が晴れたわけではない。

 混乱で、怒りの炎が下火になっているだけだ。

 それでも結果としては落ち着いてくれた。


「一昨日、俺は——」


 ザルハンスは語り始めた。

 彼が提督から翔竜旗を受け取った経緯を。



 ***



 帝国に対する海上封鎖は世界中が知っている。

 濡れ衣だと主張しているのは、リーベル王国だけだ。

 だから帝国船は何も気にせず、セルーリアス海を通行して良いのだ。

 もし大洋の真ん中で何者かに攻撃されたら、返り討ちにしても良いのだ。


 濡れ衣なのだろう?

 何が起きようと、リーベル海軍は無関係なのだろう?

 お望み通りにしてくれようぞ!

 ……とできたら、スッキリするのに。


「ちっ、何が〈庭〉の守護者だ……忌々しい!」


 帝国第二艦隊の提督は、提督室の窓から見えるセルーリアス海に向かって毒突いた。


 第二艦隊は現在、艦艇の大半が母港ルキシオにて停泊中。

 別命あるまで待機だ。


 全艦ではなく大半というのは、補給艦が沿岸輸送の任に着いており、その護衛として随伴する艦が必要だからだ。

 だが、交代で護衛に付いた艦以外は、帝都で朝から晩までプカプカしているしかない。


 気持ちは、いますぐにでも東へ出撃して、忌々しい魔法艦共を蹴散らしてやりたい。

 でも、東と北へ向かえば全滅する。

 南へ向かえば、ネイギアスとの関税問題について奮戦している外務省の邪魔になる。

 もっとも、邪魔しなくても決裂寸前らしいが……


 おそらく帝国が滅びる日まで、第二艦隊に別命が下る日はやってこないだろう。

 ガレー主体の第二艦隊では、魔法艦に敵わない。

 以前、北で全滅した艦隊と同じ目に遭うだけだ。


 第二艦隊だけではない。

 帝国海軍自体が、ずっとガレー主体だった。

 敵が、ネイギアス海から北上してくる海賊共だったからだ。


 大陸南東岸から少し南へ進めばすぐにネイギアス海に入る。

 海流はそれほど強くないし、波も穏やかだ。

 そういう海では、帆船よりガレーの方が有利だったのだ。


 海賊は、貧乏だ。

 貧乏だから海賊になるのだ。


 不漁続きで餓死が確定した漁村や、終戦によって契約を打ち切られた傭兵団……

 他にも様々あるが、要するに稼げなくなったので一か八か海賊へ転向したという経緯の者が多い。


 だからこいつらに、軍艦と撃ち合える金はない。

 砲戦は金がかかるし、終わった後は船の修理代がかかる。

 これでは割に合わない。


 そこで奴らはギリギリまで商船の振りをして近付き、接弦可能だと確信したら一気に突っ込んでくる。

 白兵戦にすべてを賭ける。


 奴らは必死だ。

 獲物を仕留められなければ奴らに明日はない。

 歴とした死兵だ。

 ゆえに帆船軍艦の一斉射撃では止められないかもしれない。


 退治するには、リーベルのように射程の外から叩くか、あるいは白兵戦になることを最初から覚悟しておき、奴らを上回る武装と兵数を用意しておくしかない。


 リーベルの真似はできないので、帝国は必然的に後者を選んだ。

 後者にもっとも適した艦種が、ガレーだった。


 今日まで、それで何も問題なかった。

 東のリーベルとは和し、南に注力する。

 それが帝国の基本方針だった。

 なのに、まさかリーベルが敵に回る日がやって来ようとは……


 提督室の窓からセルーリアス海がよく見える。

 封鎖が始まってから、多くの帝国船と乗組員たちの命が呑み込まれていった……


 しかし窓から見える大洋は穏やかで、とてもそんな恐ろしい海には見えない。

 当然だ。

 敵は、水平線の向こうにいるのだから。


「この穏やかさもいつまで続くか……」


 提督は独り言ちる。


 いま、帝国はガレーだらけだった艦隊を帆船軍艦に置き換えている。

 所詮、無駄な足掻きなのだが……

 あの水平線に遠征軍が現れたとき、ガレーも帆船軍艦も、帝都さえも、すべてが灰燼に帰している。


 我が祖国こそが世界一などと恥ずかしいことは言わない。

 帝国にもいろいろと問題はあった。

 無益な征西軍派遣、民にも国にも有害な正騎士共……

 欠点を挙げればいくらでも出てくる。


 それでも、愛すべき祖国だ。

 このまま滅んでほしくはない。

 ゆえに、提督室へ来るよう命じた。

 そろそろ来るはずなのだが……


 コンコン。


 待ち人が来た。


「入れ」


「失礼します」の声と共に扉が開き、大柄な海軍士官が入ってきた。

 ザルハンスだ。

 踵を合わせ、窓辺に立つ提督へ敬礼する。


「お呼びでしょうか、提督」

「うむ、おまえたちに渡したい物があってな」


 提督は入口付近に立つ部下を手招きし、机の前まで来るよう促しながら、窓に日除けをかけた。

 これで外から室内を覗き見ることはできない。


「職人に作らせていた物がようやく出来上がってな。半舷上陸前で良かった」


 部下に声をかけながら、提督はしゃがみ込んで机の一番下の引き出しを探る。


「はっ」


 上官に対して返事をしたものの、ザルハンスは心の中で首を傾げた。

 職人に作らせていたということは、さぞや金がかかったことだろう。

 最近、高価な褒美を貰えるような手柄を立てた覚えはないのだが……


 猟犬ザルハンスともあろう者が、武功を挙げられないとは情けない。

 でも、仕方がなかった。


 リーベルとの交渉が絶望的で、後は連邦との交渉をうまく纏めるしかない……ことになっている。

 かかる状況下で南へ艦隊を展開させ、海賊退治をするわけにはいくまい。

「仲直りしよう」と右手で握手を求めながら、左手では相手の飼い犬を棒で打ち据えているようなものだ。


 連邦との交渉が続く限り、第二艦隊が海賊退治へ出撃することはないし、補給艦ソヒアムが随伴することもない。

 大体、戦闘になったら補給艦は後方へ下がるのだから、どちらにしても武功を挙げることはできなかった。


 謎だ。

 どう考えても、褒美をもらえる理由がない。

 それに、妙だ。

 提督は「おまえたちに渡したい物——」と仰った。

〈たち〉とは?


 考えていると、提督が立ち上がった。

 探し物が見つかったらしい。

 手には折りたたまれている空色の布が。


「気に入ってくれると良いが……」


 反応に困っている部下の前で、机の上に布を広げていく。

 四隅を張り、皺を伸ばす。

 それは一枚の旗だった。


 魔法使いの黒杖が倒され、銀糸の竜が晴天を翔ける意匠。

〈事情〉を知らない者が見たら、職人の腕の見事さに驚くだけだ。

 しかし〈事情〉を知る者は旗の内容に驚く。

 ザルハンスは驚き、顔から血の気が引いた。


「提督……これは、何の旗ですか?」


 何とか平静を装い、知らない振りをしたが、提督には通じなかった。

 下手な芝居で誤魔化そうとしている部下へのトドメ、


「何って……小竜隊の旗だが?」


 提督にとってザルハンスはずっと目をかけてきたお気に入りの部下だ。

 芝居が下手なところも気に入っている。


 かわいそうに……

 愛すべき我が猟犬は、顔面が白くなったり、青くなったりして忙しそうだ。

 頭の中は「なぜ⁉ どうして⁉」で埋め尽くされていることだろう。


 なぜ、小竜隊のことを知っているのか?

 提督は種明かしをすることにした。

 驚く顔を、十分堪能できたことだし。


「ザルハンスよ、ワシは——」


 机の引き出しの次は自らの懐をゴソゴソと探る。

 何でも無造作に放り込んでいる引き出しと違い、懐の探し物はすぐに取り出せた。

 よく見えるように、部下へ向かって真っ直ぐ掲げる。


「ワシは、おまえ〈たち〉より古い馴染み〈客〉なのだよ」


 提督の右手が掴む革紐の先、白い巻貝が小さく揺れていた。

 ロレッタ女将が、宿屋号の贔屓客に相応しいと認めた人物だけに授ける遠音の巻貝だ。


 彼はすべて知っている。

 帝国に内緒で〈良からぬ友人〉と付き合っていること。

 杖計画のこと。

 同郷の幼馴染が小型雷竜で〈海の魔法〉を撃破したこと。

 幼馴染の名はレッシバル。

 彼の勝利を切っ掛けに、おまえ〈たち〉が遥か遠くの海でも戦える〈ガネット〉の隊を組織しようとしていること。


 あの日、二度目の会談の日、女将が自らの巻貝と提督の巻貝を繋いだままにしておいてくれたおかげだ。

 レッシバルによる執政暗殺未遂も知っている。


「女将が……」


 ザルハンスの呻きに不快感が籠る。

 皆で秘密にしていることをバラされていると知ったら、気分が悪いのは当然だ。


「おっと、彼女を悪く思うなよ?」


 提督は部下の呻き声が一段低くなっているのを感じ取り、女将を庇った。


 普段の彼女は、客から知り得た情報を決して口外しない。

 どんな要人が宿屋号の贔屓客になっているのかも明かさない。

 これは彼女の信念だ。

 たとえ脅されても口を割ることはない。

 そもそも、常人の力で彼女の口を割らせることは不可能なのだが……


 だとすると、トライシオスにシグたちを引き合わせたのも、会談を提督に聞かせたのも、彼女らしくない例外だったといえる。


 彼女も所詮は人間だったか?

 三賢者の主神といえど、常人と何ら変わらない人間らしい例外があった。

 と、心ない者は蔑むかもしれない。


 でも、杖計画だぞ?

 有効な手を打たなければ、世界が滅ぶ。

 これは本来、世界の国々が団結して解決すべき問題だ。

 一民間人に過ぎない彼女の手に余る。

 彼女は単独で一軍に匹敵する強力な魔女だが、所詮は個人なのだ。

 各国に命令し、従わせる力はない。


 それでも世界を救いたい、杖計画を阻止したいと思ったら、信念に拘ってなどいられない。

 計画阻止に役立つことなら何でもしようと思うだろう。

 事の重大さが彼女の信念を上回ったのだ。


「大体、これからどうするつもりだったのだ?」

「はっ……申し訳ございません、『どう』とは?」


 ザルハンスには〈巣箱〉の指揮を執るという大事な仕事がある。

 帝都でぼんやりと待機している場合ではない。

 ピスカータで幼馴染たちと合流し、訓練に励まなければ。


 だが、いまの彼は第二艦隊所属だ。

 無許可で艦隊から離れれば軍規違反になる。

 許可を得るには理由を説明する必要がある。


 それに、改造が済んだ〈巣箱〉を移動させるのにも理由が必要だ。

 理由もなく海軍の船を回航させることはできない。


 提督はこれらについて、〈ガネット〉と〈巣箱〉のことを伏せたまま、どうやって納得のいく説明をするつもりだったのか、と尋ねているのだった。


「…………」


 即答できない。

 補給艦改造の進捗ばかり気にしていて、いま指摘されるまで考えていなかった。


 提督の仰る通りだ。

 このままでは、完成した〈巣箱〉をピスカータへ届けることができない。

 自分もレッシバルたちと合流できない。


 己の甘さを悔みつつ、大してない知恵を必死に振り絞る。


「……いざとなったら海軍を……」


 海軍を抜けて、自由の身になって村へ帰る。

 やっと出たのがこれだった。

 しかしこれでは……


「なるほど、それならおまえだけは村へ帰れるな。でも——」


 でも、〈巣箱〉はどうする?

 誰が村へ回航させる?

 ……〈友人〉の力を借りるか?


 軍人だから不可解な命令であっても、正式な命令である以上、大人しく〈巣箱〉を運ぶ。

 運ぶが、疑いは残る。


 金は人の心も買えるが、疑いを消し去ることはできないのだ。

 疑いは海軍や憲兵団に通報され、おまえ〈たち〉のことが露見する。


〈ガネット〉は、無敵艦隊を暗殺するための大事な〈短剣〉だ。

 リーベル側に、暗器が〈ある〉と知られてはならない。

 ゆえに〈短剣作戦〉の成功には金だけでなく、帝国側の理解者・協力者も必要だった。


 どうか、第二艦隊の力で彼らを守ってほしい——

 それが女将の願いだった。


「敵を欺くにはまず味方から」というが、作戦決行の日まで第二艦隊を欺き続けるというのは現実的ではない。

 南の〈良からぬ友人〉でも難しいだろう。

 ザルハンスは全く無理だ。

 彼女もそう思ったから、提督に事情を明かしたのだ。


 猟犬が、下手な嘘を吐かずに済むように……

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