第74話「リーベルの剣王」

 人間側代表レッシバルと、小雷竜側代表シグ竜との間で話がついた。

 これから共に生きていく。


 いや、それは人間側の都合の良い解釈だろう。

 竜たちがそう言ったのか?

 互いの言葉が通じないのに、どうやって意思を確認したのだ?


 確かに、人間同士なら互いに言葉で確認する必要があるだろう。

 互いの心を目視できない以上、相手の発する言葉から推知するしかない。


 しかし、彼らには必要ないだろう。

 シグ竜は群れを代表して魚を受け取った。

 意思確認としてはこれで十分だ。


 これより装鞍に取り掛かる。

 コツは警戒心を抱かせないことだ。


 竜たちは「魚を捕まえたければ、新しいボスのように人間と共存するしかないのか……」と妥協し始めたばかりだ。

 どの竜も不安そうにしている。


 もし竜騎士たちが一斉に群がって装鞍を始めたら、竜たちが恐慌に陥り、人間対小雷竜の二回戦が始まってしまう。

 まずは不安を取り除かなければ。


 そこでレッシバルはフラダーカから降り、入れ替わりにエシトスが乗った。


「——!」


 竜たちの目が釘付けになった。

 ボスに乗っている人間が、交代した⁉

 つまり、後から乗った人間もボスが認める勇者だということだ。


 竜たちが注目する中、エシトスとフラダーカは空高く飛んでいき、さっきの地点から少し離れた海の一点目掛けて急降下。


 ドオォォォンンンッ!


 再現される轟音と水柱。

 エシトス組も見事、一匹目と同じくらいの大物を持ち帰った。


「…………」

「…………」


 エシトスも急降下漁のコツなどわからない。

 フラダーカの邪魔にならないよう、大人しく乗っているだけだ。


 でも表情を見るに、芝居は成功したようだ。

 竜たちは皆、驚いている。

 きっと人間を乗せると漁が成功すると勘違いしたに違いない。


 騙して申し訳ないが、こちらも小竜隊を組織するのに必死なのだ。

 訓練を兼ねて漁もやる予定なので、コツはフラダーカから習ってくれ。


 戻ってきたエシトスは手綱をレッシバルに返すと、小竜たちの前で竜騎士たちと親しい様子を見せた。

 人間からは、わざとらしいと嗤われるかもしれないが……


 新ボスのフラダーカがレッシバル以外にその背を許すエシトス。

 そのエシトスと互角対等の竜騎士たち。

 狙い通り、小竜たちは同格だと勘違いしてくれた。


 もし竜騎士たちがエシトスに続いてフラダーカに騎乗したら、振り落とされないまでも不快がったことだろう。

 ゆえに一芝居打つ必要があった。


 芝居の効果は覿面だ。

 小竜たちは装鞍と初騎乗を受け入れてくれた。

 多少の抵抗はあったが……


 多少は仕方がない。

 フラダーカでさえ、レッシバルが初めて騎乗したら嫌がったのだから。


 対する竜騎士は、さすがというべきか。

 皆、稚竜から育て上げた経験者たちだ。

 装鞍も初騎乗も経験している。

 小竜が魚を咥えた隙に素早く跨り、安定した姿勢をとって落ち着くまで堪える。


 しばらく抵抗が続いた。

 その間にレッシバル組は漁へ。

 あと二尾必要だ。


 大物を咥えて戻る頃にはシグ竜ともう一頭が、〈二頭〉から〈二騎〉へ転換していた。

 その後、三頭目、四頭目と続き、誰一人振り落とされることなく騎竜にすることができた。


 やっぱり最初にシグ竜を口説き落としたことは正解だった。

 一行は見事、フラダーカ以外の小竜を手に入れた。


 レッシバルは胸を撫で下ろした。

 だが、これで終わりではない。

 わかっている。


 それでも小竜隊の第一歩を踏み出すことができたのだ。

 一歩目を踏み出せなければ、いくら先の計画を立てても意味がない。


 だから次に進めることを安堵しただけだ。

 すぐに気を引き締める。


 手に入れたのは雄竜四頭だ。

 フラダーカと合わせて一個小隊になったが、ラーダのためにもう一頭必要だ。

 四頭に住処へ連れて行ってもらわなければならない。


 そして……


 群れは嫌がるかもしれないが、皆でピスカータへ移住した方が良い。


 かつて陸軍が大型竜を手に入れたときは、竜を移住させるのではなく、人間が竜に合わせた。

 餌を運び込み、周辺を立ち入り禁止にして彼らの平穏を守った。


 山岳地帯まで餌を運ぶのは大変だったが、慣れない土地で繁殖に失敗して数が減ってはまずい。

 当時の陸軍は、山で十分に殖えてから人里での繁殖に着手すれば良いと考えていた。

 ゆえに、大型竜を急いで移住させる必要はなかったのだ。


 しかし、岩場は違う。

 小火竜来襲の危険性、餌場としての貧しさ、そして雨露を凌げる洞窟のような場所が少ない。

 常に潮風が吹きつけ、稚竜の体温を容赦なく奪う。


 レッシバルの目にも、岩場は子育てに向いていない。

 陸軍の場合と違い、纏めて移住させる必要がある。


 村なら小屋が建ててあるし、足りなくなったら増築できる。

 馬車で餌を運び込むのも、岩場より村の方が容易だ。

 村の空に小火竜が飛来してきたことはないが、もし現れたら、陸軍の竜騎士団がすぐに飛んでくる。

 五頭、一〇頭程度の小火竜では、軍竜として鍛えられている大型竜には敵わない。


 村には、ここにはない安全がある。

 野生動物相手に焦りは禁物だが、群れを上手く連れ出したい。


 無事に村へ連れて帰ったら、子育てを手伝いつつ、雄竜たちの訓練も並行する。

 竜騎士たちも小竜の乗り方に慣れてもらわなければ。


 忙しくなる。

 レッシバルは撫で下ろした胸に気合いを入れ直した。



 ***



 一行が村へ帰ってきたのは、岩場での戦いから一週間後のことだった。


 遅かったというなかれ。

 あれから大変だったのだ……


 生物の中には保育を行う種族がいる。

 彼らは、雄が餌取りに出掛け、雌は巣と仔を守るという役割分担が多い。

 ゆえに、子育て中の雌は気が立っているので、不用意に近付かない方が良い。


 竜もこの形式だ。

 異変に対して、雌竜は過敏に警戒する。

 加えて、普段から窮地に追い込まれている群れだ。

 見慣れない人間を乗せて帰ってきた四頭に向かって、一斉に威嚇の咆哮をあげた。


「あんたぁっ! 後ろに乗っけてるの何なのよっ!? キィィィッ!」


 人語に訳すと、たぶんこんな感じだろう……


 ——人も竜も、母親というものはどうしていつもあんなに怒っているのだろう?


 少し離れて付いて行ったレッシバルは、自分の母親を思い出していた。

 こういうことは、種族を越えて一致するものなのだろうか?


 気が進まない。

 でも下りないわけにはいかなかった。

 母竜たちの怒りを鎮め、卵と稚竜を連れて村へ移ってもらわなければならないのだから。


 降下態勢に入ったフラダーカの下では、四頭が制裁を受けている最中だ。

 雌から翼でビンタされたり、尾で叩かれたり……


 魚は?

 魚は、少し離れたところに避難した稚竜が大事そうに咥えていた。


「おっかねぇ……少し離れたところに下りるか……」


 降下地点を変更しながら、今度はレッシバルの脳裏に父親のことが思い浮かんできた。


 街へ魚を売りに行った男たちが村へ帰ってくると、母親たちが寄って集ってビンタしていた。


 ——お土産を買って来てくれたのにどうして?


 当時は彼女たちの怒りを不思議に思っていたが、いまならわかる。

 せっかく魚が売れたのに、その金で大酒を飲んだり、余計なものを買ってきたり……

 子供の土産で丸め込まれる彼女たちではなかった。


 何だか、四頭と親父たちが重なって見える。


「もし……」

「グルルル?」

「……いや、何でもない」


 もし、こっちにとばっちりが来たら逃げようか?


 レッシバルは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 子分がシバかれているのに、親分が隠れていては示しがつかない。


 フラダーカは変更した地点へ静かに降り立った。

 ……いや、降り立ってしまった。

 それほど遠くない。

 夫婦喧嘩の様子がそこからでもよく見えた。


「覚悟を決めよう。喧嘩の原因は俺たちなのだから」

「ガァウッ!」


 ピスカータのお馬鹿竜は、小雷竜たちのボスになっても変わらない。

 状況が呑み込めていない若きボスは、現場へ向かう足取りが軽い。


 対して、レッシバルは顔が引きつっている。


 違うんだ、フラダーカ。

 そんな、元気一杯に行く状況ではない。

 おまえにそれを理解しろというのは無理なのか……



 ***



 結局、雌竜たちの警戒が解けるのに丸一日を要した。

 その間、フラダーカは朝からせっせと漁に出掛け、彼女たちの前に魚を積み上げた。


 初めは不機嫌だった彼女たちも、子供たちが満腹になっていくのに比例して落ち着きを取り戻していった。


 レッシバルたち人間にはわからないが、竜には竜の言葉がある。

 シグ竜たちと群れの竜たちは話し合い、レッシバルたちに付いて行くと決まった。

 エシトスが群れの若い雄竜を従えたのは、その翌日のことだった。


 ここまで、長かった……


 振り返れば、人も竜も青痣、赤痣、傷だらけだ。

「母は強し」というのは本当だった。


 とはいえ稚竜たちを守りながら、この数で小火竜を追い払うのは無理だろう。

 やはり保護して正解だったと思う。


 ただの小雷竜のままでは、小火竜の数に押し潰される。

 村に戻ったら早速訓練開始だ。

 シグ竜たちを軍竜に鍛え上げ、雷竜小隊にする。


 出来れば、小火竜たちも餌で手懐けたかったが……

 彼らの住処は食料豊かな森林地帯だ。

 魚を見せても無駄だ。


 彼らには力を示すしかない。

 雷竜小隊の力を。


 それに、人間側も訓練が必要だ。

 エシトスたちはもちろん、レッシバルにも。

 まだ急降下から急上昇に転じることができない。

 あの重圧に負けない強靭な身体を手に入れなければ。


 翌日、一行は東に向かって飛び立った。

 卵や子供を抱えた雌竜たちを中心に、レッシバル組率いる雄竜たちが外側を囲みながら。


 東——

 ピスカータ村へ。



 ***



 レッシバルたちが村へ向かっていた頃、ロミンガンではトライシオスが執政室で一人難しい顔をしていた。

 リーベルに潜伏している密偵から、良くない情報が届いたからだ。


 気を紛らわせたかった彼は、しばらくの間、窓から外を眺めていた。

 だが、いつまでもそうしていられない。

 後ろの机を振り返ると、苦々しそうに呟いた。


「キュリシウス型精霊艦……」


 机の上には、目を通したばかりの報告書が置かれている。

 報告書は複数枚からなり、リーベル海軍の最新鋭艦について記されていた。

 彼が呟いたのは、その艦型名だ。


 ……かつてロレッタ卿は、海上での詠唱を補助する〈杖〉として魔法艦を考案した。

 初期魔法艦という。


 リーベル以外の国々では、初期魔法艦とそれ以降の魔法艦の間には繋がりがないと考えられている。


 初期魔法艦は戦闘力より安全性を重視し、艦上で行う魔法全般を術者の手で行わなければならなかった。

 あくまでも人間が主役であり、魔法艦は補助だという考え方だ。


 対して初期魔法艦の次に登場した妖魔艦は逆だ。

 安全性より戦闘力を優先し、艦上で行う魔法全般に妖魔の力を利用した。


 こうして比べてみると、初期魔法艦とそれ以降の魔法艦とでは、根本的に考え方が違うのだとわかる。


 妖魔艦は、艦内に〈核室〉という部屋を設置し、予め捕えておいた妖魔を室内の拘束具に繋ぐ。

 この拘束具は魔法使いによる呪物拘束具だ。

 外すか、壊れない限り、対象から魔力を吸い上げ続け、魔法兵が詠唱せずとも火球や雷球を作り出すことを可能とした。


 彼らは核室に拘束された妖魔を〈魔力核〉と呼んだ。

 自分たちが利用する魔力の源ということだ。


 妖魔は滅ぶべき存在だ。

 どうせなら干涸びるまで力を吸い出し、人間の役に立ってから滅びてもらおう。


 当時のリーベル王国、特に海軍と研究所はそのような考え方だった。

 きっとこの頃からすでに狂っていたのだろう。

 狂っているから、他の種族や存在を犠牲にする魔力核という仕組みを編み出したのだ。


 その後、妖魔の力を得たリーベルが何をしたかは周知の通りだ。

 いまもコタブレナ海は封鎖海域のままだ。


 当時の〈老人たち〉は妖魔艦量産に怯えていたようだが、幸いにもそういう事態にはならなかった。


 対コタブレナ戦に出撃した妖魔艦は全部で一三隻。

 そのすべてが〈コタブレナ一三妖〉に変化してしまっては、さすがのリーベルも怖気づいたか?


 戦後、多少は建造したようだが、やがて妖魔艦は姿を消し、代わりに精霊艦が登場した。


 現代まで続くリーベル海軍の主力、精霊艦——

 仕組みは妖魔艦とほぼ同じだ。

 違うのは、妖魔の代わりに精霊を魔力核に用いること。


 妖魔から精霊に切り替えたことで、引き出せる力は弱まったが、内側から核室を破壊して暴走することはなくなった。


 ただ、他に何も問題がなかったわけではない。


 属性の違う精霊同士は仲が悪い。

 出会えば相手が消えるまで戦い、しかし結局双方力尽き、それぞれの精霊界に強制転移する。

 その際、周辺にあるものを巻き込み、球形に抉り取りながら帰る。

〈転移消滅〉という現象だ。


 ゆえに、海戦で複数の精霊が必要な場合は、火精艦、水精艦という感じに各種一隻ずつ用意するしかなかった。


 建造費も維持費も莫大な額になる。

 だが、これは世界最強の看板を掲げるのに必要な代償だ。

 仕方がない。

 ……といままで甘受してきた。


 ある日、海軍研究所がこの問題を解決した。

 奴らは陰で神作りに勤しんでいるが、表では新型魔法艦の研究に励んでいた。


 新型の名は〈キュリシウス型精霊艦〉


 従来の精霊艦は転移消滅を避けるため、一種類の精霊しか搭載できない〈単一型〉だったが、新型は違う。

 核室の中を隔壁でいくつかに仕切り、異なる精霊を同居させることに成功した。


 この新方式によって、いつでも必要な精霊を海上で呼び出すことができるようになった。

 これからは戦況に応じて火精艦になったり、水精艦になったり、と柔軟に戦うことができる。


 あらゆる敵、様々な状況に対応できる世界初の可変精霊艦。

 それがキュリシウス型だ。


 報告書の最終頁には新型の建造開始と完成予定日、それとなぜかセルーリアス海を中心とする海図が描かれていた。


 ネイギアスの密偵は優秀だ。

 事実のみを報告し、求められない限り、私見を述べることはない。


 ところが、今回はどうしても伝えたい私見があったようだ。

 ただし、それを直接伝えることは許されない。

 それゆえの完成予定日とセルーリアス海だった。


 トライシオスは意図を読み取った。

 密偵は暗にこう告げているのだ。

 新型が完成し、艦隊に組み込んだら、いよいよ遠征が始まる。

 ウェンドアから西へ海図に線を引けば、遠征軍が大陸東岸へ来襲するのがいつ頃になるか、予測することができる、と。


 彼は報告書に目を落としながら再び呟いた。


「剣王キュリシウス……我々を討伐しに蘇ったか」


 艦型名のキュリシウスとは、大昔、海軍魔法兵団副団長を務めていた魔法剣士の名だ。

 団長ではなく副団長だったのは、王家と血の繋がりがある大貴族の出ではなかったからだ。


 血の尊さでなれるのが団長。

 実力でなれるのが副団長。

 どこぞの騎士団のような慣習がリーベルにもあった。


 彼は強かった。

 元々、剣では敵う者がいない剛の者だったことに加え、様々な魔法に通じていた文武両道の豪傑だった。


 そして〈海の魔法使い〉としても優秀だった。

 彼は時化を物ともせず、自らの魔法剣に付与を行えたという。

 火が必要になったら火の力を付与し、雷が必要になったら雷の力を瞬時に付与し直す……


 変幻自在に魔法剣を操る常勝無敗の魔法剣士。

 当時の人々は彼を〈剣王〉と呼んだ。


 剣王の名を冠する可変精霊艦。

 彼が魔法剣に宿す力を戦況に合わせて付与し直したように、新型も艦内の精霊を適宜切り替えながら戦う。

 ぴったりの名ではないか。


 トライシオスは報告書から目を背けるように再び窓へ。

 さっきは風景を見ていたが、今度は空を見上げた。


「ガネット……」


 空で戦おうと提案したのは彼だ。

 勝算があると信じている。

 だが、何の不安もないと言えば嘘になる。


 リーベルは剣王を用意している。

 対するこちらはカツオドリ……


 …………

 ……カツオドリだぞ?


 カツオドリで剣王に勝てるのか?

 本当に勝てるのか?


「…………」


 若き執政の悩みは尽きなかった。

 しかし押し潰されはしない。


 希望はある。

 あると自らに言い聞かせる。

 レッシバル組がリーベル派に勝ったではないか、と。


 剣王も〈海の魔法〉の延長線上に生まれた魔法艦だ。

 魔法艦である以上、カツオドリは剣王にだって通用する!

 ……はずだ。

 きっと……

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