第73話「山育ちvs海育ち」

 フラダーカも野生の四頭もいなくなった岩場に、エシトスたちが遅れて到着した。

 すでに空戦が始まっている。

 見上げた先、五頭の姿が豆のようだ。

 先頭で上昇し続けているのがレッシバルたちで、それを追う四粒が小雷竜たちだろう。


 心配だが、あんな高いところへ行ってしまった彼らに、地上からしてやれることは何もない。

 できることは、叩き落とされた竜を再び空へ逃がさないようにすることだけだ。

 一行は下馬し、捕獲の用意を整え始めた。



 ***



 空では——

 上昇を続けるフラダーカの口の中に、雷が満ちていく。

 溜雷だ。


 一方、レッシバルは何もしていない。

 だた、フラダーカの用意が整うのを待っているだけだ。

 時々、振り返って何かを確かめているようだが、確認の対象は四頭ではないようだ。

 おそらくは四頭の後方、海面の一点を注視していた。


 あの一点に向かって急降下で溜雷を撃ち込み、海賊船を木端微塵にした威力を見せようというのか?


 なるほど。

 凄まじい水の爆発と特大の水飛沫を見せてやれば、竜たちも驚くに違いない。


 でも、それだけだ。

 驚きはすれど、怖がりはしない。

 彼らはその程度で崩れるような腰抜けではない。

 むしろ、溜雷の威力を見て警戒が強まるだろう。


 これでは逆効果だ。


 それに、威力を見せたいだけなら、進行方向の海面でも良いではないか?

 なぜあの一点に拘る?

 どうしてもというなら、回れ右か左をしなければならないが、四頭の前に無防備な背中を晒し、騎手が雷をもろに受ける。


 しかしレッシバルは黙々と、溜雷の出来具合と後ろ下方の海面を交互に見るのみ。

 さっき「面白い物をみせてやる」と豪語していたが、そんな物、本当にあるのか?

 実は、追いつめられているのではないか?


 挟み撃ちに遭い、苦し紛れに高空へ逃れたが、四頭は急上昇に難なく付いて来る。

 このまま上昇し続けることはできず、いずれ左右どちらかに旋回しなければならない。

 四頭もそのことを理解しており、フラダーカの後方、左右二頭ずつに分かれて待ち構えている。


 どちらへ旋回しても雷を浴びせられる追い詰められた状況……

 レッシバルの心境はともかく、外見的にはそう見える。


 ……ジッ


 フラダーカの牙から漏れる細い稲妻。


 ジジッ

 バチッ、バチッ!

 バシッジジジッ!


 溜雷が完成した。


 最後にもう一度海面を振り返った。

 海面に追い詰められた小魚が起こす白い水飛沫が見える。

 そして陽光に照らされ、小魚の群れを追い上げてきた大きな魚の影も。


 目標、良し。

 溜雷、良し。


「一番、攻撃用意良し!」


 まだ癖が残っていたのか?

 もう、竜六戦隊ではないのに。


 違う。

 そうではない。


 レッシバルはこれから前例がないことをやろうとしている。

 陸軍でやったことはないし、他の竜騎士がやってみたという話を聞いたこともない。

 ……正直言って、怖い。


 でも、フラダーカならできると信じている。

 あとは彼自身の勇気だけだ。

 ゆえに竜六戦隊の掛け声を叫んだのだ。

 自分自身を鼓舞するために。


 次の瞬間、手綱の指示通りにフラダーカは仰け反り、宙返りした。

 天地が逆転し、海が真上に見える。


 叫びたい衝動に駆られるが、グッと飲み込んで冷静に手綱を操る。

 フラダーカの身体を回転させ、逆転した天地を正しく戻す。

 正位置に戻った視界前方、白く波立つ魚群が飛び込んできた。


 小雷竜たちよ……

 おまえらはもう他の縄張りへ行くな。

 そんな危険を冒さなくても、餌なら海にいくらでもある。


 だから俺たちに付いて来い。

 後でおまえらにも教えてやる。


 まずは手本だ。

 よく見ておけ。


「これが、俺たちの急降下漁だ!」


 アレータ海再び。

 突入角度、七〇度。

 翼を畳んだフラダーカはカツオドリと化し、四頭を高空へ置き去りにする。


 左右どちらかへの旋回に備えていた竜たちは、宙返りに付いていけない。

 振り返ったときには急降下が始まっていた。


 どうやら追尾していた竜がボスだったらしい。

 探検隊ならシグに相当する存在だ。


 そのシグ竜が三頭を率い、慌てて後を追う。

 しかし、


「~~~~っ⁉」


 フラダーカの降下速度が速すぎて、どんどん引き離されていく。

 四頭は首を傾げるが、当然だろう。


 竜は生まれつき火や雷の力を宿しており、ゆえに大量の水が苦手だ。

 無意識の内に身体が減速しているのだ。


 小竜たちは山育ちであり、住処を追われてここまで落ち延びてきただけだ。

 皆、親竜や周囲の成竜のやり方を見習いながら大きくなった。

 親たちが持ち帰る獲物は基本的に陸上動物だ。


 稀に魚を持ち帰ることもあったが、他の種族から横取りしたか、うっかり落としたものを拾ってきたのだろう。

 漁はやっていなかった。


 急降下漁は溜雷だから成立する漁法であり、放射では雷が水面に溶けてしまうので効果が薄い。

 先祖代々、彼らに魚を捕まえるという発想はなかった。

 当然、何の用もない水の上を飛ぶはずがなく、彼らも今日、初めて水の上を飛んだ。


 カツオドリを見習いながら、海辺で育ったお馬鹿竜とは違うのだ。

 海面に向かって速度を上げて突っ込んでいくなど、小竜たちから見れば狂気の沙汰だった。


 ——狂っていると、嗤いたければ嗤え。


 小竜たちの反応など気にせず、レッシバルたちは水飛沫へ一直線に降下を続ける。

 目標は、小魚を追って浮上中の大きな魚だ。


 野生動物を従わせるには力を示すか、餌取りの巧さを示すしかない。

 レッシバルは最初、力でねじ伏せようと考えていた。

 そのための閃光弾やカイリーだった。


 しかし四頭を見ている内に気が変わった。

「死兵に当たるべからず」という。

 追い詰められている彼らを攻撃すれば、きっと決死の反撃が返ってくる。

 それよりも生存への希望を見せてやった方が効果的だ。


 海面がざわついてくれて丁度良かった。

 論より証拠だ。

 実際に大魚をとってみせる。

 四頭の目の前で漁の腕前を見せてやれば、力と技量をどちらも示すことができる。


 強さの内、すでに勇敢さは見せ付けた。

 彼らは尻込みしたが、こちらは海面を恐れずに速度を上げた。


 あとは力と技量。

 この二つは溜雷を海面へ撃ち込んだときに、嫌でも理解するだろう。


 ピスカータの浜から見ていたが、あれは水飛沫が上がるなどという可愛らしいものではない。

 水の爆発だ。

 吹っ飛ばされた大魚が宙を舞い、直撃した鮫が砕け散る。

 放射では実現できない威力だ。


 同族のフラダーカにできたのだから、と四頭も試みるに違いない。

 だが放射では小魚にしか当たらず、水中の大物を仕留めるのは難しい。

 そのとき、人を乗せているフラダーカと乗せていない自分たちとの技量差を思い知るだろう。


 ……本当はフラダーカ単独の技なのだが、これで「人を乗せると魚をとれるようになるのか?」と勘違いしてくれればしめたものだ。


「やれ、フラダーカ!」


 レッシバルは首筋をポンポンと軽く叩き、フラダーカの自由にさせた。

 急降下漁を何度も目撃してきたが、彼も参加するのは今日が初めてだ。


 水面まで、あと何エールト(一エールトは約一メートル)のところで溜雷を発射するのか?

 浜から見ていると、魚種や天候、波の高さによって、毎回変わるものらしい。

 その加減がわからない。


 だからフラダーカに任せる。

 レッシバルは急降下漁については素人だ。

 余計なことをせず、大人しく引き下がった。


 自由を得たフラダーカは細かく微調整し、顎を開いた。


 バシッバチッ!

 バチチジッジジジジッ!


 レッシバルにも見えた。

 前方海面、小魚が立てる細かい白波の先、ぼんやりと黒い影が見える。

 でかいっ!


 溜雷の狙いは大魚のやや前方。

 原型を留めて捕まえるため、直撃はさせない。


 漁を始めた頃は直接狙って木端微塵にしてしまい、大物だった欠片を咥えて落ち込んでいたものだ。

 竜が魚を捕まえるのは簡単ではない。

 失敗続きだった。

 けれどもその度に学び、いまは距離感も力加減も完璧だ。


 程よい威力、程よい距離で、フラダーカは溜雷を発射した。


 ボッ!


 発射後、急降下から緩上昇へ。

 重力がレッシバルを上から押し潰す。


「……くっ……!」


 来るとわかっているので、心の準備を整えていたが、それでも呻きが漏れた。


 後方では、遅れてやってきた四頭に溜雷爆発の水飛沫が襲い掛かり、慌てて散開していた。

 効果はあったようだ。

 人間だったら、凄まじい破壊力を見せ付けられて唖然、呆然といったところだろう。

 空中浮遊で遠巻きにフラダーカを見ていたが、魚を拾いに戻ってくると、サッと空間を譲った。


 大魚は無事だった。

 無事、原型を留めた状態で浮かんでいる。

 高度をゆっくり下げていき、いつも通り首を水面まで伸ばして大魚を咥えると、悠々と岩場へ戻っていった。


「おかえり、レッシバル!」


 岩場では捕獲の用意を整えていたエシトスたちが出迎えてくれた。

 だが「ただいま」はまだ早い。


「まだどうなるかわからない。場所を空けてくれ!」


 見れば、四頭の小雷竜たちもこちらへ戻ってこようとしている。

 全員慌てて騎乗し、後方へ下がった。



 ***



 再びレッシバル組だけになった岩場。


 バサッ、バサッ!

 バササッ!

 バッサ、バッサ!


 羽風で枯草を吹きとばしながら、四頭も岩場へ降り立った。

 すぐにフラダーカを半円に囲み、威嚇したり、睨んだり……


 剣幕は凄いが虚仮威しだ。

 その証拠に、凄んでいるだけで誰も突っかかってこない。


 初めて溜雷を見たら、誰だってビビる。

 だから、ビビっていることを見抜かれまいと虚勢を張っているのだ。

 怖くても自らを奮い立たせ、住処を守ろうとしている。

 健気だ……


 カツオドリの力を十分に見せつけた。

 次は敵対心がないことをわかってもらわなければ。

 レッシバルたちも、後方で控えているエシトスたちも敵ではないのだ。


 レッシバルはフラダーカに声を掛け、咥えている大魚を彼らの前に落とした。


 ドサッ……


「——!」


 四頭は自分たちの前に投げ出された魚をしばらく眺めた後、フラダーカを見たり、また魚に視線を戻したり……


 その間、フラダーカは首を高くして四頭を見下ろしていた。

「おまえらにやるから、食え」ということだ。

 特に、シグ竜に向かって。


 魚を受け取れば、今後はフラダーカとその背に乗って命令しているレッシバルに従うという意味になる。


 どうしようか、と四頭は迷った。

 昨日、狩りに失敗しているので稚竜が腹ペコだ。

 正直に言えば、目の前の魚がほしい。


 でも、新たなボスと人間……

 即決できる問題ではない。

 互いに顔を見合せたり、レッシバルやフラダーカを見たり、と忙しくなった。


 少し離れて見ていたエシトスたちにも意味がわかった。

 うまくいけば捕獲などと乱暴な真似をしなくても、多少は穏やかに騎乗できるかもしれない。


 餌付け作戦が成功すれば装鞍し、騎乗を開始できるが、失敗した場合はレッシバルの言葉通り、二回戦が始まる。


 ——拾え、大人しく受け取ってくれ!


 手出しできない、近付くこともできないエシトスたちは、竜たちへ祈りの念を送った。

 果たして竜たちは……


 しばらく四頭で何か咆え合っていたが、ようやく結論が出たようだ。

 このような状況に陥ると、人も竜も似たような決断を下すらしい。

 ……何だか、他人の気がしない。


 竜たちの結論は「シグ竜の判断に従う」だった。


 困っているシグ竜を見下ろしながら、レッシバルは遠く帝都のシグに詫びたい気持ちになってしまった。

 難問を丸投げした三頭は身も心も晴れ晴れと、シグ竜を眺めている。

 ……普段の俺たちも、あの三頭と同じだ。

 シグ、すまなかった……


 すべてを託されたシグ竜の決断は……


 軽々には決められない。

 この決断に群れの存亡がかかっているのだ。

 確認するような視線がレッシバル組と魚を何度も往復する。


 皆、静かにしていた。

 シグ竜の決心を邪魔してはならない。


 決心——

 文字通り、このようにしようと心を決めることだ。


 己の心は己一人で決めるもの。

 他者からの働きかけで決めるものではない。

 だから人も竜も、一切、何も発言するべきではない。


 レッシバルたちは焦らず、静かに待った。


 潮風と岩肌に激突する波の音しかしない。

 けれど、誰も急かさない、促さない静謐な空間……


 しばらく考えた末、ついにシグ竜は決心した。

 口を開きながら首を伸ばす。


 ……パクッ。


 岩場の小雷竜を代表し——

 シグ竜は、レッシバルたちの魚を受け取った。

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