第72話「縁」

 一夜明けて……

 レッシバル隊に、留守番で村に残っていた商会員二名が合流した。


 今日、エシトスたちは小竜を手に入れる予定だ。

 そうなると、ここまで乗ってきた馬を連れて帰る者がいなくなる。

 そこで二人には後から追いかけてきてもらった。

 彼らに馬を任せる。


 一緒に来てもらえば良かったのではと指摘を受けそうだが、彼らには小竜たちを受け入れる小屋作りを任せていた。

 時間も資材も足りなかったから、帝都の竜舎のように立派なものは無理だが、当分はそれで雨露を凌げる。


 あと少しで出発するところだったが、間に合って良かった。

 追い付いたということは小屋が完成したか、完成間近なので二人を馬の回収に出しても残りの商会員たちで問題ないということだ。

 出発前に良い報せだ。

 士気が上がる。


 二人には少し後ろから付いてきてもらい、隊は予定通り出発した。


 空中ではレッシバル組が先行し、地上ではエシトスたちが馬蹄を響かせ、後に続く。

 やがて草木が茂る牧歌的な風景は、次第に岩だらけの荒涼とした風景に変わっていった。

 岩の隙間に生え、しかし潮風に晒されて茶色や黄土色に変色した疎らな雑草が、却って寂寥感を醸し出す。


 一行は断崖の岩場と呼ばれる一帯に入った。

 すぐに空でも地上でも警戒態勢をとる。

 レッシバル組は一騎だけなので周辺警戒を厳にするだけだが、地上の騎馬隊は間隔を開けていった。

 纏まっていると、不意に現れた小竜の雷で一網打尽にされてしまう。


 ここはもう小雷竜たちの縄張りだ。

 侵入者迎撃の竜がいつ現れても不思議ではない。


 どこだ?

 いつ来る?

 身体を捻って真後ろも確認するが、小竜どころか海鳥一羽すらいない。


 ——おかしい。


 レッシバルは首を傾げた。

 向こうはもうこちらに気付いているはずだ。

 なぜ迎撃に上がってこない?


 ——まさか……


 まさか、一足遅くまた小火竜に追い払われてしまったのか?


 だが、浮かんだばかりの懸念を振り払った。

 仮に想像通りだったとしても、その場合は小火竜が上がってくるはずだ。

 なぜ上がってこない?


 そのときだった。

 レッシバルは背筋にゾクリと冷たいものが流れた。

 勘が知らせる。


 危険だ!

 危険が迫っている!


 ただし、勘は結論しか語らない。

 結論が端的なのは良いことだが、いまはもう少し情報が欲しい。

 確かに危険だと納得し得る情報が。


 どのような危険だ?

 どこまで接近してきている?

 あとどれ位の時間で到達する?


 これらの情報がなければ、常人は理解できない。

 納得できない。

 動けない。


 だがレッシバルは真上を見上げた。

 まだ何も理解できぬまま。


 どうして上を向いたのかと問われても返答に困る。

 理由はない。

 強いて言うなら「何となく」だ。


 何となく見上げた上空には白い雲と眩しい太陽。

 あと黒点が一つ。


 ?

 黒点?


 もし誰かが隣を飛んでいて「あの黒いの、一体何だろう?」と振り返っても、そこにレッシバル組の姿はない。

 太陽の中に薄っすらと霞む黒点を確認した瞬間、咄嗟の手綱捌きで左急旋回。

 緊急回避に入った。


 三秒かからず、レッシバル組がいた空間を小屋ほどの塊が吹き抜けた。

 危なかった。

 質問に答えていたら激突されているところだ。


 隕石?

 いや、違う。

 隕石は軌道修正などしない。

 塊は急降下から左旋回に転じ、フラダーカを追尾する。


 塊は小屋でも隕石でもない。

 小雷竜だ。


「ちっ、抜かった!」


 ぴったり付いて来る竜を振り返りながら、レッシバルは自分自身に舌打ちした。


 侵入に気付いてから上がってくると決めてかかっていたが、竜はすでに上がっていて、太陽に隠れていた。

 小竜は素早さが命だ。

 敵を発見してから動いたのでは遅い。

 予め待ち伏せておき、敵の死角から先制攻撃を仕掛けるのだ。


 先日、自分たちもそうやってリーベル派を倒したのに……


 フラダーカほどの極端な急角度でないにせよ、そもそも小竜という生物自体、急降下ができるのだ。

 太陽に隠れながら獲物を探し、高空から飛び掛かるという狩猟法を大昔から行っている。


 そのことを失念していた。

 迂闊だった。


 常在戦場——

 追尾してくる竜を見ている内、ふとレッシバルの脳裏に浮かんできた。

 陸軍時代、よく耳にした言葉だ。


 戦場にいるような気持ちで物事に取り組めという意味だが、逆に言えば、いまいるところが戦場ではないということも意味している。

 戦や危険とは無縁の平和な日常だ。


 対して小雷竜たちは常に危険と隣り合わせだ。

 いつ小火竜が縄張りを拡張しにくるかわからない。

 他のモンスターや獣が卵や稚竜を奪いに来るかもしれない。

 そして彼らの住処……


 潮風が吹き寄せてくる岩場という地形が、生存を一層難しくしている。

 植物が育ちにくいので、獲物となる草食動物が少ない。

 仕方なく、他所の縄張りへ獲物を求めるしかないが、そうなれば戦いは避けられない。


 生きることは戦いだ!

 常在戦場!

 ……そんな戯言は、いま平和だからほざけるのだ。


 岩場の小雷竜たちはほざかない。

 ほざいている場合ではない。

 孵化してから毎日、生きることが戦いでなかった日はない。

 常在戦場が日常だった。


 ここはその戦場の中の戦場、激戦地だ。

 油断や慢心は即、滅亡に直結する。


 たまには皆でのんびり寛ぎたいときもあるだろう。

 でも彼らには許されない。

 皆で巣にいるところを急襲されたらどうするのだ?


 稚竜を守るため、皆で明日も生きるため、巣に接近する脅威を逸早く発見しなければならない。

 早ければ早いほど良い。

 巣までの距離が遠ければ遠いほど良い。


 彼らが偵察を怠るわけがなかった。

 高空で見張り、死角から奇襲を仕掛ける。

 これが素早さを活かせる最も有効な戦法だ。

 理に適っている。


 冒険者によれば、野外で小竜に遭遇したら初撃を躱せという。

 大型竜と違い、体力で劣る小竜は長期戦が苦手だ。

 ゆえに短期決戦で獲物を仕留めようと、初撃の急降下に全力をかける。


 だから木陰に隠れるなどして初撃を躱せ。

 そうすれば、大抵の小竜は諦めて飛び去る。

 ……と語っていたが、これは餌取りの場合の話だ。

 仕留めにくい獲物に拘らず、他の油断していそうな獲物に切り替えた方が能率的だ。


 しかし、いまは縄張りを守るために侵入者を撃退しようという場面だ。

 追撃戦で求められるものは、能率より執念深さだ。

 初撃を躱した後も、フラダーカの後をぴったり付いて来る。


「…………」


 小竜たちに対して「そうは言ってもフラダーカの家族や同族だろ?」という甘い考えがあった。

 だから後れを取った。

 言い訳はしない。


 レッシバルは己の過失を認め、反省した。

 これは戦いだ。

 勝利に必要ない邪念はすぐに捨てる。

 フラダーカの家族云々は邪念だ。


 先手を取られてしまったが、戦いはこれからだ。

 戦いは目紛しく攻守が交代するもの。

 隙を見て、すぐに後ろを取り返してやる。

 機動性はフラダーカが上だ。

 何せ、カツオドリなのだから。


 レッシバルは追尾してくる竜を注視する。

 特にその顎を。

 牙の隙間から雷が漏れている。

 降下中に溜めていたのだろう。

 追い縋り、雷を放射してくるつもりだ。


 竜は速度を上げ、フラダーカの尾に食らいつかんばかりに迫ってきた。

 しかし噛みつかれる心配はない。

 口に雷を含んでいる最中だ。

 そのまま噛み付くことはできない。


 溜雷は撃つものだが、放射は浴びせるものだ。

 ゆえに標的との距離が離れていると、炎や雷が散らばってしまい、威力が半減してしまう。

 いま必死に追い上げてきているのは十分な威力を保つためだ。


 さっきの不意打ちは驚いたが、放射してくるとわかっていながら、わざわざ食らいはしない。

 大型竜も小竜も、放射前に同じ動作をする。

 顎を開き、勢いをつけて吐き出すのだ。

 だからこちらはその動作を見逃さず、適切に回避行動を取れば良い。


 レッシバルはひたすら頭の向きと顎だけを見ていた。

 放射角度と放射開始のタイミングさえ読めれば、難なく回避できる。

 ところが、


 ……ピクッ!


 ほんの僅か、フラダーカの小さな身震いが手綱から伝わってきた。

 弾かれるように正面を向き、フラダーカと同じものを見た。

 ずっと後ろを向いていたレッシバルにとって正面は死角だった。

 そこにあったものは、


「……くっ!」


 反射的に右急旋回と緩降下をかける。

 いままでいた空間を、前方から飛んできた三束の雷が貫く。


 ブゥンッ!

 ヴュンンンッ!

 ヴンンッ!


 前方で三頭の小雷竜が待ち伏せていた。

 追尾中の竜は、仲間が待ち伏せている地点へ誘導する係だったのだ。


 後ろを向いていたので、現れた瞬間を目撃することはできなかったが、フラダーカの身震いから察するに、三頭はおそらく急に現れた。


 あちこちに岩陰があるので、そこで雷を溜めてから上昇してきたか?

 あるいは先の一頭と同じく太陽に隠れていて、時間差で降下してきたか?


「味な真似をっ!」


 何と頭脳的な竜たちだろう。

 恐ろしい連中だ。

 同時に、親しみも感じる。


 劣勢だからと諦めずに工夫し、力を合わせて脅威に対抗しようという団結の強さ。

 まるで、探検隊のようだ。


 小雷竜は、小火竜やその他の種族に住処を奪われ、絶滅させられそうだ。

 ブレシア人もリーベル・フェイエルム連合軍に国を奪われ、民族が丸ごと〈原料〉にされそうだ。


 奇しくも、両者は強敵から滅ぼされようとしていた。

 同じような困難に直面している二つの種族が今日、出会った……


 レッシバルは迷信を信じない。

 縁など迷信だ。

 偶然だ。


 でも、今日から考えを改める。

 縁というものは本当にあるのかもしれない。

 いまはそんな風に思えてならない。

 だって、あのとき——


「あのときは、ありがとうな!」


 レッシバルは小竜たちへ叫んだ。


 あのとき、北一五戦隊全滅のとき、大陸の真ん中で力尽きていた彼を小竜は襲わなかった。


 おそらくそのときの小竜と、いま交戦中の四頭は無関係だ。

 しかし、そんな些末なことはどうでもいいのだ。

 客観的に辻褄が合っていなくても構わない。

 こういうことは、レッシバルがどう思うかだ。


 小竜という種族が彼を生かした。

 だからその後、陸軍竜騎士になることができた。

 孵化に立ち合い、稚竜を立派な軍竜に育てた。


 振り返ってみれば、陸軍竜騎士団での日々は、フラダーカ育成という本番に備えた予行練習だったのかもしれない。


 その後、理不尽な別れを経験したが、いまはそれで良かったのだと思える。

 あのまま大型竜に乗り続けていたら、フラダーカと出会うことはなかった。

 フラダーカがいなかったら、いま頃トトルとラーダは生きていないし、リンネはワッハーブの妹と同じ末路を辿っていただろう。


 そしていま——

 レッシバルとフラダーカはここにいる。


 すべて偶然か?

 だとしたら、随分と連続する偶然だ。


 これほどまでに連続する偶然は、もう偶然で片付けるべきではない。

 縁という必然を認めてもいいだろう。

 レッシバルは小竜との縁を確信した。


 俺たちは——

 彼とフラダーカという意味ではない。

 岩場の小雷竜たち、後日会いに行く小火竜たち、すべてを含んだ小竜隊という意味だ。


 俺たち小竜隊は——

 人の道を踏み外した魔法使い共の神作りを阻止する。

 そのために生まれてきた。

 ならば、俺たちはどうしても出会う運命だったのだ。


 無敵艦隊?

 海賊と結託している人攫い共ではないか。

 いまの内にせいぜいほざいていろ。

 すぐに行ってやる。

 小竜隊の準備が整い次第、アレータ海で爆散した仲間の後を追わせてやる。

 それほど時間はかからない。

 だって——


 雷の束を避けたレッシバルは、項の毛がチリチリと逆立つのを感じ、フラダーカに翼を畳ませた。

 ストンと高度が落ち、いましがたまでいた空間を別の雷が突き抜ける。

 追尾していた竜が後方から放射してきた雷だ。


 竜は渾身の急降下を回避したレッシバル組の動きを見て、仲間の雷も躱すと予測していた。

 そこで回避方向を確認してから放射した。


 追尾竜が注意を引き付けて仲間の方へ追い込む。

 仕留められれば、それで良し。

 躱された場合は、仲間の雷に気を取られている背後を襲う。


 二重の罠を仕掛けてくるとは見事だ。

 追尾竜がもし人間だったら、きっとシグのような知性派だろう。


 こいつらとなら準備が整うまでにそれほど時間はかからない。

 だって——

 もう互いに連携し、隊として行動できているではないか。


 それじゃ、もう戦う理由がないのでは?

 いや、そんなことはない。

 これは挨拶だ。

 同族とはいえ、初対面なのだから互いに自己紹介は必要だ。


 素晴らしい連携攻撃を披露し、小雷竜たちの自己紹介は済んだ。

 次はフラダーカの番だ。

 カツオドリの力を見せてやる。


 レッシバルは横目で海を確認すると手綱を操り、再び左へ旋回。

 海に向かった。

 振り返ると、合流した四頭も綺麗な横一列で付いて来た。


「よし、付いて来い! 面白い物を見せてやる!」


 海上に出たレッシバルは急上昇をかけた。

 グングン高度を上げて行くフラダーカに四頭も付いて行く。


 竜が去り、静けさが戻った岩場。

 普段と変わらない波音と潮風が戻ってきた。

 岩と海。

 ここにはそれしかない。


 それ以外に何かと問われたら……

 せいぜい枯れた雑草と、海の一部に細波がいくつも起きていることくらいか。

 きっと大きな魚に追われて小魚たちが水面まで逃げてきたのだろう。


 さっきレッシバルが横目で見ていたようだが、海辺ではままある光景だ。

 特に気にするほどのものではない。

 たぶん……

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