第66話「自由の空」

 探検隊の内、シグとザルハンスは一度聞いた話だが、初耳の者たちのためにトライシオスと女将は一つ一つ説明していった。

 始原の魔法のこと、杖計画のこと……


 初耳の三人はやはり前回のシグたちのようになった。

 驚いたり、難解すぎて頭を抱えたり。


 三人?


 トトル、エシトス、ラーダ。

 合計三人だ。


 ……いや、レッシバルは?


「…………」


 彼は最中、一言も発しなかった。

 ただ少し俯き、目を瞑って説明に聞き入っていた。


 どうせ彼が疑問に思ったことも他三人が尋ねてくれるから、あえて質問する必要がなかった、ということなのかもしれない。

 でもトライシオスの説明中、女将の目には別のものが見えていた。


 彼の巨大な〈気〉が再び増大している。

 殺気は感じられないが、恐ろしさはさっきの比ではなかった。


 まるで……

 天からやってきた竜の王か何かが、リーベルから苦しめられた人間たちの訴えに耳を傾けているような……


 緊張する女将の横で、前回と同じ説明が流れていく。


 リーベル派は名の通り、リーベル海軍研究所の手先だった。

 研究所はリーベル王国の力を利用し、内緒で〈杖計画〉を進めている。

 計画の狙いは始原の魔法を我が物とし、いつか彼らだけで世界を支配すること。

 その手段として〈模神〉を作ろうとしている。


 真の仇は研究所の魔法使いと連邦政府に背いているリーベル派だ。


 これで探検隊内での情報のばらつきがなくなった。

 疑問や異議がなければ今回の話を始めたいのだが……


 トトルたち三人は理解できた。

 でも、レッシバルはどうだろうか?


 今日、海賊共の元締めに会えると知り、暗殺の用意を整えてくるような奴だ。

 こいつに〈共通の敵〉という概念はない。

 直接の仇ではなかったが、連邦にも海賊の管理不行き届きという落ち度がないわけではない。

「リーベルは滅ぼすが、連邦もくたばれ!」ということは十分あり得る。


 探検隊五人は目で合図したり、頷き合ったりしている。

 海に落ちて全員ずぶ濡れになってしまったので、いまは用意してもらった衣服に着替えていた。

 武器を隠し持つことはできなくなったが、レッシバルは素手でも十分危険だ。


 もしトライシオスに襲い掛かろうとしたら、また皆で止めなければならない。

 あちこち痛いのに……

 連邦の執政がなぜこいつにご執心なのか知らないが、そのときは密盟に加えることを諦めてもらう。


 皆が注視する中、レッシバルが静かに目を開いた。

 まっすぐトライシオスを見る。


 さて、どちらだろう?

 納得か?

 暗殺か?


 気を揉む仲間たちのことなど意にも介さず、レッシバルは右掌をトライシオスへ向けて差し出した。


「返してくれないか?」


 投げナイフの返還を求めた。

 ネイギアスも魔法が発達しているので、トライシオスが何らかの魔法で奪い取ったと誤解したままだった。


「私は持っていないよ。魔法使いではないからね」


 両掌を見せて持ってないことを示す。


 空中を飛翔中の物体を消せるのは魔法使いの仕業だ。

 この船は魔女の船で、働いている者たちも魔女と常人が半々といったところらしい。

 だから魔法使いだらけなのだが、おそらく給仕たちの仕業ではないだろう。

 彼女たちはあくまでも給仕という役割に徹し、会談に乱入する気はなさそうだ。

 たとえ、暗殺に成功したとしても。


 給仕たちを除くと、投げナイフを奪ったとおぼしき者は三人。

 トライシオスでないならラーダか女将だが、海上のラーダは魔法を感知できるだけだ。

 何かを発動することはできない。

 残りは一人。


 レッシバルは女将へ右掌を向ける。


「返してくれ」


 さっきの説明の中に女将の昔の話も出てきたので、時と空間を操れるということは知っている。

 どちらかの魔法で取り上げられたのだろう。


「……帰るときにお返しするわ。なくても会談に支障はないでしょう?」


 当然だ。

 むしろ彼の手元にある方が、会談の障りになる。


「いや、大切な物だから返してくれ」

「嫌よ」


 暗殺者に暗器を返すはずがない。

 第一、どこにでも売っている安価な物ではないか。

 大切などと、わかりやすい嘘を吐くものではない。


「もう投げないから返してくれ」

「どうかしらね」


 さっきまでの殺気は感じられないが、言葉だけでは信用できない。

「もうしない」なんて、村の悪ガキではあるまいし……


 ——いや、違う。


 女将は考えを改めた。

〈あるまいし〉ではなく、悪ガキなのだ。

 暗殺然り、喧嘩然り、大人だと思うから破天荒に映るが、悪ガキなのだと思えば何の不思議もない行動ばかりだ。


 大した理由はない。

 ムカついていたからやった。

 それだけだ。


 悪ガキの「もうしない」ほど信用ならないものはない。

 確証が持てない限り、お帰りまで預からせていただく。


 対するレッシバルは怒らなかった。

 ここは彼女にとって大切な場所なのに、台無しにしかねない行いをした。

 疑われて当然だ。

 でも、


「本当に大切な物なんだ。頼むから返してくれ」


 別に魔法が永続付与されている呪物の投げナイフというわけではない。

 武器屋で買った何の変哲もない品であり、特に思い出があるわけでもない。


 でも、大切な物だというのは本当だ。

 真の仇に向かって放つ、大切な投げナイフなのだ。


「すまなかった。俺は——」


 レッシバルは頭を下げて詫びた。

 女将に対しては宿屋号を荒らしたことを。

 トライシオスに対しては濡れ衣を着せて殺そうとしたことを。


「俺は、投げる相手を間違えた」


 ここに、真の仇はいなかった。

 仇でない者に投げるつもりはない。

 心を証明することはできないので、言葉を信じてもらう他ないが……


「…………」


 滅茶苦茶な行いをしておきながら、言葉だけで信じてもらおうという発想が悪ガキらしい。

 でも、


「女将」


 トライシオスが右掌を女将へ差し出す。

 彼女は少し考えた後、


「……そうね」


 悪ガキは自分に正直だ。

 正直だから、本願成就のためなら嘘を吐くことも辞さないときがある。

 だが、間違いに気付いたら正直に認める素直さがある。

 保身のために大人のような理屈を捏ねたりしない。


 いまの詫びは信じられる。

 悪ガキらしい正直な詫びだった。

 彼女は、トライシオスの右掌に投げナイフを乗せた。


「お返しする。レッシバル殿」


 受け取りながら、


「レッシバルだ」

「ん?」

「ただのレッシバルでいい。〈殿〉はいらない」


 敬称を付けず、名で呼び合う関係——友人だ。

 暗器をポケットにしまい、空いた右手を再び前に出した。

 握手だ。


「そうか。ならば私もただのトライシオスで良い」


 微笑みながら彼の右手を取り、固く握手した。


 ……歴史とは奇なるものだ。

 絶対に交わるはずのない、竜将と執政が友になった。


 会談は終わっていない。

 まだ話し合うことが残っている。

 けれども、この日から歴史は大きく動いていった。

 人知れず、ひっそりと。



 ***



 ついに探検隊六人とトライシオスたちは〈友人〉になれた。

 これで具体的な話に入ることができる。


 まずは密貿易について。

 当初は人目に付かないよう、フォルバレント号がネイギアス海南西沖で海上取引をする予定だった。

 しかしトライシオスの〈策〉のため、これを変更する。


〈策〉の準備が整うまでの期間、海上取引ではなくワッハーブが単独で三角貿易を行うことになった。

 西方の品をロミンガンで下ろし、帝国に必要な品を積んでピスカータを目指す。

 村で荷を下したらブレシア馬等、帝国の品を積んで西方へ帰る。

 これなら帝都に潜伏しているリーベルの密偵にも見つからない。


 問題は〈いくら〉で取り引きするかだ。

 ワッハーブは当初、無料で提供しても良いと思っていた。

 探検隊に渡した分が丸ごと損失になってしまうが、他で儲けを出せば済む。


 だが、トライシオスから注意を受け、真っ当な額でやり取りすることになった。

 彼の注意は、帝国の市民があまり楽になりすぎるのもまずいということだった。


 密貿易は帝国支援が目的だ。

 だからといって、あまり助けすぎてしまうと海上封鎖が痛くも痒くもないことになってしまう。

 忘れてはいけない。

 リーベルの密偵は、いまも市民たちの苦しみ具合を見ているのだということを。


 これは大規模な籠城戦のようなものだ。

 ゆえに、とりあえず持ち堪えられる程度の支援に留めておくべきなのだ。

 市民たちはどうか、密偵の前で生活苦を訴えてもらいたい。

 こちらの準備が整うまで。


 トトルに異議なし。

 ワッハーブの気持ちはありがたいが、商人なのだからやはり利益度外視というのは良くない。


 それに、相手はリーベル海軍だ。

 手厚い支援を受けておきながら、失敗に終わるかもしれない。

 紛争当事国の人間でない彼が一緒に破滅する必要はない。


 ここでザルハンスの手が挙がった。


「何かな? ザルハンス殿」

「俺たちも『殿』はいらないぞ」

「それは失礼。では改めて——何かな? ザルハンス」


 ザルハンスの質問は籠城戦についてだ。


「籠城は援軍を前提とする戦法だが、帝国には当てがないぞ? 連邦が兵を出すわけではないのだろう?」

「無論だ。我々は関税問題で揉めている最中だからね」


 リーベルが「連邦も封鎖網に加われ」と声を掛けているのはそのためだ。

 帝国と敵対している者同士、コタブレナのいざこざは水に流して手を組めると考えているのだろう。

〈老人たち〉も甘く見られたものだ。


 では、一体どこから援軍が?

 援軍が来ないなら、籠城などしても緩やかに死ぬだけだ。

 それゆえの改装補給艦特攻案ではなかったのか?


 対するトライシオスの答えは、


「ありがとう。おかげで前置きせず本題に入れる」


 皮肉ではない。

 本当に良い導入だった。



 ***



 自分で提案しておいて、と批判されそうだが……

 トライシオスはザルハンス特攻案を取り下げた。

 他に手がなかったから提案したのだが、艦対艦の戦いに拘るべきではない。


「拘るも何も、相手は艦隊で攻め寄せてくるのだから、こちらも艦で迎撃するしかないではないか」


 ザルハンスの片眉が下がるのも無理はない。


 無敵艦隊を相手に海戦はしない方がいい。

 その通りだ。

 教えてくれなくても世界中が知っている。

 それでも一か八か、改装補給〈艦〉で突撃するしかないではないか。


 トライシオスは反論せず、静かに耳を傾けていた。

 彼の言う通りだ。


「私もそれしかないと思っていたのだが……」


 前回会談時はまだ〈レッシバル組〉の存在を知らなかった。

 特攻案はこちらも艦で対抗するしかないという前提での案だ。


 でもいまは違う。

 いまは〈レッシバル組〉を知っている。

 ならば別の戦い方がある。


 敵は艦対艦の戦いにおいて最強の存在だ。

 あえて相手が得意とする戦いに付き合うことはない。


 トライシオスは真上を指差した。

 全員、彼の指に従って上を見る。


「…………?」


 見上げた先、そこには抜けるような青空が広がっていた。

 それだけだ。

 空の他には何もない。


 意味がわからず、一人、また一人と視線を戻し、トライシオスに更なる説明を目で求める。


 彼は探検隊をからかうのが好きだ。

 だから性懲りもなく、またやりやがったのか?

 そう疑われても仕方がないくらい、空には何もなかった。


 でも、からかったわけではない。

 彼が指し示したのは空ではない。

 活路だ。


 空に無敵艦隊はいない。

 だからレッシバル組のような小竜たちを飛ばそう。

 自由の空へ。


 これがトライシオスの〈策〉だ。

 勝ち目の薄い艦対艦は捨て、空対艦に賭ける。

〈海の魔法〉の死角から仕掛けるのだ。


「我々は、空から無敵艦隊を攻撃しよう!」

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