第60話「新時代の目撃者」

 フォルバレントの救助活動は終了に向かっていた。

 あとはボートを引き上げていくだけだ。

 その作業を船員たちに任せ、トトルとラーダは壊れた箇所の応急修理に当たっていた。


 あの後、大変だった……


 安らかに眠ったリンネにいくら呼び掛けても目を覚ますことはない。

 必死に拒絶していたレッシバルだったが、いつまで経っても反応が返ってこなければ受け入れざるを得ない。


 彼女は死んだのだ、と。


 彼の叫びが船内に鳴り響いた。

 いや、叫び声というより咆哮に近い。


 あれは、人間の声じゃなかった。

 もっと巨大で獰猛な何かの咆哮だ。


 その声に呼応したフラダーカが主を追って強引に甲板へ出たので、あちこち壊れてしまった。


 だからいま、ラーダが資材を当て、トトルが鎚を振るっている。


 トン、トン、トン……


「なあ、トトル」

「ん?」


 資材を押さえていて暇だったので、ついさっきのことを思い出してしまった。


「すごかったな」

「……ああ」


 すごかった。

 凄まじかった。


 リンネを看取った後、レッシバルは無人の野を往くように甲板へ上がっていった。

 誰も遮ることはできない。


 身体は人間大だが、中身は巨大な竜。

 皆、そんな錯覚に囚われていた。

 怒れる巨竜がこちらへ歩いてきたら、誰だって道を空ける。


 こういうとき人竜一体は厄介だ。

 主の怒りが竜にも伝わってしまう。

 小屋ほどもある生物が暴れ出したら手に負えない。


 主と竜は甲板で合流し、東の海を睨みつけた。

 視線の先にはアレータ島がある。


 事情を知らない者は、島の近海で沈んだネイギアス海賊を睨んでいるのだと思うだろう。

 だが、事情を知る者は「一体どちらなのか?」と迷ってしまう。

 アレータ島のずっと先にイスルード島がある。


 甲板で動きが止まったレッシバル主従を囲むトトルや船員たち。

 彼らはそこで巨竜の怒りを聞いた。


「ヨクモ——」


 よくも大切なモノを壊したな。

 貴様らも大切なものが壊される苦シみを味わえ。

 待っていろ。

 すぐに行ってヤル。

 行って貴様らの全てを、


「粉々ニシテヤル!」


 果たして〈貴様ら〉とはネイギアス海賊を意味するのか?

 リーベルの魔法使いを指しているのか?

 あるいは両方か?

 叫び終えたレッシバルは力尽きその場で倒れ込んでしまったので、どの意味なのかを確認することはできなかった。


 結局、修理が終わっても、救助を終えたフォルバレントが航行再開しても彼は眠り続けた。

 起きたのは翌朝、すっかりいつものレッシバルに戻っていた。

 表向きは……


 フラダーカの世話をし、皆と朝食をとる。

 船内作業をこなし、偵察に出掛ける。

 普段と何も変わらない。


 だが、何というか……

 彼の目の奥に火が宿っていた。

 獰猛な何かはまだいなくなっていない。


 トトルは副長やラーダと相談し、今回の航海を取りやめることにした。

 理由は二つ。

 一つ目は、いつまでも死体を積んで航行するわけにはいかないからだ。


 奴隷たちの中には親族共々捕まってしまった者たちがいた。

 亡くなった者の内、身元がわからなかった者には下船してもらったが、親族同伴だった遺体は船倉に安置してある。


 二つ目は、レッシバルが心配だからだ。

 本人は何ともないと言っているが、こういうときの自己申告を真に受けてはいけない。

 どこかで休ませた方が良い。


 フォルバレントの針路を二八〇へ。

 東風を斜めに受けて全速で北西へ走る。

 目的地は帝都ルキシオ港。


 ピスカータでは奴隷たちの保護も帰郷の手配もできない。

 それに……火葬の用意も。


 ただ埋葬するだけならピスカータでも良いが、故郷に連れて帰るなら火葬する必要がある。

 それには大量の薪を要するが、村では集まりそうになかった。

 帝都にはシグがいるので、彼の手を借りた方が良いと判断した。


 東へ展開している封鎖艦隊に注意しなければならなかったが、風も天候も荒れることはなく、航海は順調に進んだ。


 数日後、前方にガレー船が見えた。

 帝国の沿岸警備隊だ。

 一行は無事、帝国の領海に入った。


 それから東岸に沿って北へ転針、明日か明後日の朝には帝都へ到着できる。

 時々、南へ物資を運ぶ輸送船とすれ違うくらいで、ここには海賊も魔法艦もいない。

 もう安心して良い。


 北上中、トトルは欄干に頬杖をついて東の海を見ていた。

 ただ眺めているのではなく、考え事に耽っていた。


 僅かではあったが、預かっていた荷があった。

 それを届けることができなかったし、注文の品を仕入れてくることもできなかった。

 帝都に着いたら客に詫びなければならない。


 不幸中の幸いは、海賊に荷を奪われずに済んだことだ。

 何とかそれで納得してもらうしかない。

 この時代、全てを失う場合の方が多いのだし……


 だから今回の航海が失敗に終わったことはそれほど気に病んではいない。

 考え込んでいたのは、客に荷を返した後のことだった。


 もうアレータ島を利用した欺瞞航海はできない。

 レッシバルを静養させ、また元気に飛び立てるようになったとしてもだ。


 あの島は奴隷貿易の中継点だった。

 最近目印にし始めたのか?

 昔から目印だったのに、運良く遭遇しなかっただけなのか?

 どちらなのかわからないが、ネイギアス海賊と遭遇するとわかった以上、危険は冒せない。


 物騒な言い方になってしまうが、奴らの口を封じることができたので、フォルバレントが海賊共の評判になることは防げたと思う。

 でも安全になるまで、あの島には近付かない方が良いだろう。


 帝都から東の海はリーベル艦隊が封鎖し、僅かな隙間が空いていた南東のアレータ海も実はネイギアス海賊の通り道だった。

 南の海は……いまさら言うまでもない。


 これでシグが言っていた通り、完全に袋の鼠となった。


 トトル商会はしばらくの間、休業せざるを得ない。

 せっかく陸のエシトス、空のレッシバル、海の自分たちで繁盛していけると思ったのに……


 どうやら、フォルバレント〈順風満帆〉号に逆風が吹き始めたようだ。



 ***



 帝都、フォルバレント号臨時安置室——


 シグは安置室に一人横たわる幼馴染に声を掛けた。


「おかえり、リンネ」


 本来、フォルバレント号に臨時安置室などという船室はなかった。

 だが遺体があちこちに散らばっているのは良くないので、船室の一つを臨時に置き場にしたのだ。

 リンネも安置室へ移ってもらった。


 航海中、安置室への無用な接近を禁止したが、誰もそんな所に用はない。

 いつ疫病が部屋から滲み出てくるかと怯えながら、ルキシオを目指した。


 到着すると帝都の検査官たちが顔を顰め、船内に留め置こうとしかけたがそれは逆というものだ。

 むしろ一刻も早く火葬にしなければ。


 検査官が皆、シグのように優秀で仕事熱心とは限らない。

 彼らの理解と納得を待っていたら、被害が拡大する。

 気にせず、身内と一緒にテキパキと下ろしていった。


 そうしてリンネ以外を全て下ろし終えた。

 いま部屋にいるのは彼女とトトル、そしてシグだけだ。


 彼はさすが探検隊隊長というべきか。

 全身を布に包まれている姿にショックを受けてはいたが、レッシバルのようにはならなかった。


 トトルは心中で称賛したが、そうではない。

 亡くなる瞬間を見ていないからだ。

 少女の姿しか記憶に残っていないし、目の前に横たわる布の塊を彼女だと言われても実感が湧かない。


 でもトトルとラーダは悲しそうだし、何よりあんなレッシバルを見たことがない。

 だから間違いなく彼女なのだ。


 女心は難しい。

 てっきりレッシバルを目の敵にしているのだと……


 さっきは猛獣のような迫力に驚いたが、トトルからアレータ海での話を聞いて合点がいった。

 臨終間際の告白とは……

 随分ときついものを残していったものだ。

 

「事情はわかった。手続きは任せておけ」


 ルキシオ到着までにトトルが生存者たちへ確認したところ、帝都での埋葬を希望する者はなく、全員故郷へ連れて帰りたいと希望した。

 従って、亡くなった者たちは火葬だ。


 数は多いが、火葬にするのは難しくない。

 順番に行っていくだけだから。


 あとは生存者だ。

 攫われたのは帝国南方の者だけではない。

 他国から攫われてきた者もいる。

 彼らが帰国できるようにしてあげなければ。

 その手続きをシグは引き受けた。


 まだ日が高い。

 両者はさっそく取り掛かることになった。

 トトルは火葬。

 シグは帰国の手続きを進める。

 だが、


「トトル」

「ん?」


 シグは、船員たちに指示を出そうとしていたトトルを呼び止めた。


 リンネのことは残念だったが、トトルが無事で良かった。

 これで話を進めることができる。

 密貿易の話を。


「おまえに大事な話がある。火葬の段取りがついたらウチに来てくれ」

「わかった。今晩、三人で寄らせてもらうよ」


 トトルにしてみれば「三人で」というのは当然だが、シグは首を横に振った。


「いや、おまえ一人で来てくれ」

「えっ、どうして?」


 陰謀だからだ。

 関わる者は少なければ少ないほど良い。

〈兄弟〉を巻き込みたくなかったが、他に信用できる商人の知り合いがいない。


 一度は舅殿の友人を紹介してもらうことも考えたが、一国の外務大臣と繋がりがある商人は豪商ばかりだ。

 商機と誤解して手広くやられては困る。


 密貿易なのだから目立たないようにひっそりとやらなければならない。

 派手なことをすればトライシオスはすぐに手を切るだろう。

 いや、リーベルからの報復を恐れて封鎖に加わるかもしれない。


 ゆえにトトルを選んだ。

 探検隊の一員だし、世間から注目されていない駆け出しの商人だ。

 帝国側の商人として最適な人物だった。


 彼が密貿易に協力できないというなら、そこで終わりだ。

 話は忘れてもらうし、ラーダとレッシバルに明かす必要もない。

 だが賛同してもらえた場合、二つの展開が考えられる。


 一つは、二人を陰謀に巻き込まないようにする場合だ。

 この場合、フォルバレントから下りる人間に余計なことは教えない。


 もう一つは逆だ。

 二人を巻き込み、密貿易に協力してもらう。

 この場合、彼らは関係者になるので、密盟について知ってもらう。


 リーベル派はネイギアス海の北側を西から東へ向かって航行する。

 いわば横の線だ。

 対してこちらは帝国と連邦間の縦の線。

 二本の線はピスカータの南で交差する。


 交差点はアレータ海と化すだろう。

 そのとき、ラーダとレッシバルがいれば心強い。


 トトルはどれを選ぶのか?

 実際に密貿易を担当する者の選択を尊重する。



 ***



 時を少し戻す。


 救助活動を終了したフォルバレント号が北西へ立ち去り、アレータ海は静けさを取り戻した。

 聞えてくるのは高波が島の岩肌にぶつかる音と、漂流する木片に落ちる雨音のみ。

 日暮れの海に雨が降り始めた。


 これから海域を通る予定だった船は迂回した方が良い。

 海で雨雲に遭遇したら侮らないことだ。

 小雨と思って突っ込んだ途端、嵐に変わることも珍しくない。

 ……と言っている間に、土砂降りになった。


 アレータ海から遥か南西、一隻の軍艦も一八〇度回頭を決めた。

 迂回ではなく、母港へ帰還する。

 前方で土砂降りが始まったからというのもあるが、標的がいなくなったからというのが大きい。


 彼らはネイギアス連邦ロミンガン海軍。

 リーベル派を討伐するのが使命だ。

 以前から目を付けていた一家が東へ向かったので、密かに追跡してきたのだった。


 各国は誤解しているようだが、コタブレナ王国は滅んでいない。

 評議会に議員を送ってこないので心配ではあるが、ちょっと人付き合いに疲れてしまったのだろう。

 そういうときは、そっとしておいてやるものだ。

 ゆえにいまでも連邦加盟国のままであり、コタブレナ海は連邦領である。


 そのすぐ隣のアレータ海は確かに公海だ。

 誰でも航行の自由がある。


 とはいえ、セルーリアス海と違って狭い海だ。

 何かあればすぐにコタブレナ海に影響が及んでしまう。

 よって各国はたとえ公海上だとしても、加盟国領海に被害が及ぶような行いは厳に慎むべきである。


 要するに、アレータ海はネイギアスの縄張りだ。

 連邦の〈庭〉へ気安く立ち入るなという意味だ。

 帝国の交易船がうろつくのも気に入らないが、〈庭〉で奴隷取引など以ての外だ。


 ネイギアスの旗がアレータ島でリーベルの旗と闇取引をしている。

 そんな噂が立ったら迷惑だ。


 海賊共は契約違反。

 リーベル側は条約違反。

 どちらも討伐するしかあるまい?


 リーベル側は海の魔法で抵抗するかもしれないが、こちらには試作抗魔弾がある。

 まだ不安定なので一発で障壁を破るのは難しいが、まとめて撃ち込めば確実に破れる。

 魔法艦に乗っていない単独行動の海の魔法使いなど、魔法殺しの敵ではない。

 というつもりで追ってきたのだが……


「副長、我々は海賊を追っていただけなのに、とんでもないものを見てしまったな」

「はい……」


 二人は下ろした望遠鏡の表面を眺めながら、目撃した光景の意味を考え込んでしまった。


 彼らの望遠鏡は普通の物ではない。

〈遠見〉の魔法が込められたネイギアス製の呪物望遠鏡だ。

 広域探知並に見通せるので非常に便利なのだが作るのは難しく、一部の士官と見張り員の分しかない。


 帝国船と海賊船、双方に見つからない遠方から、彼らはこの呪物望遠鏡で一部始終を見ていた。

 海の魔法が、新時代に敗れるところを……


 その意味の重さに悩んでしまったが、冷静に考えてみれば悩むことはないのだ。

 完全無欠と信じられてきた海の魔法にも弱点があった。

 もっとも、その弱点を突けるのはさっきの竜騎士だけだが。


 とにかく、これは朗報だ。


「副長、ここを頼む」

「アイ、艦長!」


 艦長は指揮を副長に任せ、艦長室へ入っていった。

 そこには長距離通信可能な特級品の伝声筒がある。


「ロミンガン司令部、こちら——」


 一刻も早く報告しなければ。

 執政閣下に。

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