第61話「執政の注文」

 探検隊の心配をよそに、レッシバルは以前の彼に戻っていた。

 リンネを火葬するときも静かだった。


 フォルバレント号は外洋に出られない。

 しばらくは帝都でお留守番だ。

 その間に客から預かっていた荷を返しに行く。


 トトルは彼の「大丈夫だ」という自己申告を信じ、作業に加わってもらうことにした。

 あと、エシトスにも。

 偶然、他の配達の用で帝都に立ち寄っただけなのだが、港で特徴的な改造見張り台を見つけ、フォルバレントの帰還を知ったのだ。


 十分な人数が揃ったところで、商会の返却作業は開始した。

 レッシバル組は空を往けるので山間部や遠方へ。

 他の者たちは馬で平野部の街や村へ。


 終わったら再び帝都に集合し、皆でピスカータに向かう。

 リンネとお腹の子を村に埋葬してやりたい。


 シグはトトル商会の皆を見送ると、帝都に一人残って奴隷たちの帰郷や帰国の手続きを進めていった。

 一応、各国の大使はまだルキシオに留まっているので、それほど面倒な作業ではない。

 ……今日のところは。


 リーベルが宣戦布告してきたら、各国は大使館も領事館も閉鎖して一目散に逃げるだろう。

 そうなる前で良かった。


 外国人の奴隷については簡単だ。

 海賊に攫われていた友好国の国民を帝国が保護したので、各大使館に引き渡すだけだ。


 問題は帝国南西部で攫われた者たちだ。

 難しい手続きはないのだが、帰郷させるのに少し時間がかかりそうだった。


 モンスターが蔓延る危険地帯を通るので、騎兵か歩兵の護衛が要る。

 すぐに陸軍へ申請を出したので、あとは用意が整ったという連絡を待つしかない。

 ただ、陸軍はまだ征西を諦めていない。

 余剰戦力はないので、いつ用意が整うかはわからなかった。


 正騎士なら余っているが……

 奴らは奴隷にされていた人々を護衛するどころか、モンスターと遭遇したら戦奴扱いして前面に押し出すだろう。

 ……役立たず共め。


 実はもう一つ、危険地帯を通るよりマシで迅速に帰郷させる方法があった。

 トライシオスに海賊共の北上を押さえてもらい、その間に船で帰郷させるのだ。

 だが、できればこの案は採りたくない。


 あいつは〈老人たち〉だ。

 借りる手はなるべく少ない方が良い。


 そもそも海賊を取り締まるのは国家の務めだろうに。

 当たり前の務めを果たしてもらうことが、こちらの借りになるというのもおかしな話だ。

 にも関わらず、厚顔無恥なあいつらは将来、こちらに恩を着せてくるだろう。


 東のならず者は厄介だが、南のならず者は強欲だ。

 それでもトライシオスと話をしなければならない。


 シグは休憩で外の空気を吸いに出た風を装い、船も人もいない桟橋で巻貝を取り出した。

 密貿易の件について帝国側の決定を伝える。


 安置室でリンネと再会した日の夜、約束通り一人でやってきたトトルにこれまでのことを明かした。

 宿屋号のこと、リーベル派のこと、そして杖計画阻止のためにネイギアスと密盟を結んだこと。


 トトルは絶句していた。

 無理もない。


 中でも模神の話が最も理解に苦しんだ。

 説明する側も聞く側も魔法については素人なのだ。

 始原の魔法とか、賢者の石とか、素人には難解すぎる。


 それでも、世界を滅ぼしかねないヤバい物だということは何とか理解できた。

 役人と商人の現状認識としては十分だろう。


 専門外のことをあれこれ悩むより、自分の分野で全力を尽くすべきだ。

 高騰し続けている物価を何とかしなければ。


 高騰の理由は単純だ。

 内で生産できず、外から品が入ってこないのだから現品の取り合いになる。

 征西軍の失敗続きによって農地を増やすこともできていない。

 このままでは路頭に迷う者や餓死者が増えていくだろう。


 トトルはさすが商人だった。

 村を滅ぼされたことを忘れていないし、汚い商売をしているネイギアス商人も嫌いだ。

 だが彼は私怨と現実を分けて考え、帝国側の商人になることを承諾してくれた。


 とにかく品を仕入れて物価を安定させなければ。

 ネイギアスの品だと嫌っている場合ではない。

 これがシグとトトルの共通見解だ。



 ***



 シグは巻貝を握り、トライシオスを思い浮かべた。

 ……気分は悪いが、帝国のために。


 すごい呪物だ。

 たったこれだけで、世界のどこにいても相手と話ができるのだから。

 リーベル製の伝声筒が霞んで見える。


 こちらの巻貝からは波の音が鳴り、相手側では何らかの手段で通信を知らせる。

〈何らか〉というのは、音や光、時には震動や仄かな発熱等、状況に応じて通知に最適なものを巻貝自身が判断するのだ。

 相手が気付いて手に取ると送信者の顔が浮かび、通知が止む。

 同時にこちらの波音も消える。

 これでお互いに通信可能な状態になる。


 もっとも相手の都合など気にしている場合ではないこともあり得る。

 そのときは波音の最中でも相手側に声が届く。


 だからいきなり話し始めても構わないのだが、相手は〈老人たち〉の一人だ。

 しかも聞き覚えがある名だったので会談後に調べてみたら、奴はロミンガン元老だった。

 まさか執政だったとは……


 連邦の王なのだから、一日中密談に勤しんでいることだろう。

 いまもどんな内緒話をしている最中かわからない。

 我々の密盟に関係している話の可能性もある。

 ゆえにこちらから「トライシオス、応答せよ」と声を出すべきではない。


 静かに波音が消えるのを待つ。


 ザザァ……

 ザァ……


 寄せては返す細波が一回、二回、三回……

 六回目の途中で急に途絶えた。


「やあ、シグ殿」


 相変わらず優美で和やかな声だ。

 自然と眉間に皺が寄ってしまう。


「いま話しても大丈夫か?」とは尋ねない。

 奴に社交辞令など無用だ。

 だって、我々は〈友人とやら〉なのだろう?


「トトルが帰ってきたので貿易の話をした」


 さっそく要件を切り出す。

 本人は気付いていないかもしれないが、さっさと会話を終わらせたいという意思が滲み出てしまっている。


 執政に対して非常に無礼だが、トライシオスはシグのそういう正直なところが面白かった。

 だからつい、ちょっかいを出してしまう。


「フォルバレント号が到着してから随分時間が経過しているが、トトル殿の説得に手古摺ったのかな?」


 ——こいつ⁉


 なぜ船名を知っている?

 さらに到着した日時まで。


 動揺が巻貝を通してトライシオスに伝わってくる。

 彼はそんなシグを鼻で……

 嗤いはしなかった。


 鼻で嗤うという行為は敵に対して行うものだ。

 友人に対してすることではない。

 ましてや、情報に弱い帝国人と知った上で友人になると決めたのは彼自身なのだから。


 世界中から勘違いされているが、ネイギアスは海賊の国ではなく、商業の国だ。

 商人にとって取引前に相手のことを調べるのは基本だった。


 前回会談時、帝国の二人から飛び出した「トトル」という名を聞き逃さなかった。

 帝国に潜んでいる密偵がすぐに調べ上げたので、彼は会う前からトトル殿について詳しい。


 交易商人トトル——

 シグ殿と同じピスカータ村の生き残り。

 孤児院退所後は同郷の配達屋エシトス殿と組んでいる。

 船の名はフォルバレント号。

 最近、魔法艦警戒のために小竜を乗せるようになった。


 その小竜に騎乗しているのがレッシバル殿だ。

 彼も会談中にその名が出た。

 当然、どういう人物か調べはついている。


「…………」


 シグの背に冷たい汗が流れた。

 わかっていたことだが、改めて思う。

〈老人たち〉は恐ろしい。


「——で、トトル殿は協力してくれると?」

「ああ、最終的には承知してくれた」


 巻貝の向こうで、「大変結構」と喜んでいるが白々しい。

 結果についても知っていたはずだ。

 優秀な密偵が帝国のあちこちに潜んでいるのだろうから。


 きっとこちらの正直さを確認しているのだ。

 自分たちが奴の手の内にあると思うと腹立たしいが、そこは堪えて話を続ける。


 前回、貿易については保留とし、後日、互いの商人を連れて宿屋号に集まるという話で終わった。

 トライシオス側の用意は済んでいるので、いつでも集合できる。

 しかし、シグ側はそういうわけにいかなかった。


 客から預かっていた荷を返す。

 あるいは注文の品を仕入れてくることができないことを詫びる。


 そのために全員帝国各地に散らばっていて、終わるまで帰ってこない。

 よって、宿屋号集合はトトルが帰ってきてからになる。


「すまないが、それまで待ってほしい」


 この密盟は、どう取り繕っても帝国が助けてもらう立場だ。

 だとすると、シグの申し出は無礼にあたるかもしれない。

 執政との会談より、平民を優先するというのだから。


 対するトライシオスは、


「感心な心掛けだ。商人は信用が第一だからね」


 これは本心だ。

 商人だから利益を追いかけるのは当然だ。

 だからといって人を裏切って良いことにはならない。


 相手の求める利益を与え、その代価にこちらが求める利益を得るのが本来の商人だ。

 相手を騙して利を巻き上げるのは商人ではない。

 そいつは詐欺師や盗賊の類だ。


 然るに、商いの意味を履き違えている者が何と多いことか。

 連邦内にも「商売に情けは無用」と豪語する不心得者が多い。

 彼らはより大きな利益のためなら簡単に人を騙すし、用済みになれば豪語した通りに切り捨てる。


 世の人たちは〈老人たち〉を冷酷非情と恐れるが、仕方がないではないか。

 こんな連中は信用できない。


 不心得者共が連邦政府や元老院に近付くのは利用するためだ。

 ならば互いに利用し合って良いはずだし、用済みになって切り捨てられても恨みっこなしだろう?


 それが彼らの語る〈商売〉だったはずだ。

 彼ら自身が無用だというのだから、お望み通り情けはかけない。

 どうせ人を騙して巻き上げた悪銭だ。

 情け容赦なく巻き上げて、真面目に暮らしている人々のために使う。


 普段、金に群がる魑魅魍魎と渡り合っていると、客一人一人と向き合っているトトル殿の誠実さが光って見える。

 そう、商売というものは本来こうあるべきなのだ。

 彼の商売の邪魔をしてはならない。


 トライシオスは宿屋号集合の日時が延びることについて了解した。

 彼の帰還を待って、後日改めて日時を決める。


 話は終わった。

 長々と話したい相手ではないので、シグは別れの挨拶を述べて巻貝をポケットにしまおうとした。

 だが、


「待ってくれ、シグ殿」

「——っ⁉」


 しまいかけていた巻貝を慌てて持ち直す。


「何だ?」

「しまうのが早すぎるぞ。私からも話があるのに」


〈老人たち〉との会話など一秒でも早く済ませたいという気持ちが逸って、相手に対する配慮を欠いていた。

 これは純粋にシグが悪い。


「そ、それはすまなかった」


 素直に自分の非を詫び、話を伺った。


「うむ。一つお願いがあるのだが——」


 トライシオスの願い。

 それは今度集合するとき、できれば探検隊全員に会わせてほしいということだった。

「配達屋のエシトス殿と、元リーベル陸軍魔法兵のラーダ殿と——」というように一人一人挙げられてしまい、とぼけることはできない。


 だが、エシトスとラーダはザルハンスに近い。

 村を焼いた海賊の飼い主と我慢して会う理由がない。

 妥協する理由があるトトルとは違うのだ。


「うーん……」


 巻貝から悩みの呻きが漏れ聞こえてくる。


 ピスカータ襲撃はリーベル派の犯行であり、連邦政府が命じたものではなかった。

 シグはそのことを理解している。

 心はともかく頭では。


 ただ、エシトスたちに同じ考えを持つよう強要することはできない。

 ……強要したくない。


 それに、どうして連邦の執政がエシトスたちに会いたいのだ?

 密盟に関係ないではないか。


 シグの疑問にトライシオスは首を横に振った。


「いや、これから関係者になるかもしれないのだ」


 だとしたら、事情を知る者と知らない者に二分されている状況は良くない。

 食い違いが起きる可能性がある。

 できれば一同を集め、全員で同じ話を聞いてもらった方が良い。


 トトルの帰還まで時間がある。

 その間にエシトスたちを説得してほしい。

 トライシオスはそう言うが……


 シグは難色を示した。

 直接戦うことになるザルハンスと密貿易を担当してもらうトトルは仕方がない。

 でも理由がわからないまま、残りの三人を巻き込みたくない。


 渋る気持ちはトライシオスにも理解できる。

 できるが、それでも説明するわけにはいかない。

 いま、執務室に一人でいるのだが、ここでは誰かに盗み聞きされる虞がある。


 どんなに尋ねられても「皆で集まったときに説明する」と繰り返すしかなかった。

 訳がわからん、と不満かもしれないが、どうか信じて探検隊全員を連れてきてほしい。


 まだ明かせないが、彼の中に一つの腹案があった。


 先日、リーベル派を追っていたロミンガン海軍の艦から「海の魔法敗れる」の報を受けた。

 そのとき、ザルハンス特攻案より良い方法を思いついたのだ。

 成功すれば多大な犠牲を払わずに勝てるかもしれない。


 この腹案を実行するには人数が必要だ。

 しかも事情を知っている者たちだけでやらなければならない。

 その最適任者が探検隊なのだ。


 理由がわからないままでは嫌だというなら、エシトス殿とラーダ殿については宿屋号で腹案を聞いた後日でも良い。

 でも、


「レッシバル殿だけは絶対に連れてきてくれ」

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