第57話「海の脅威を退けし者」
勝利の女神はピスカータの悪ガキ共に微笑んだ。
海賊側が抱える諸般の事情によるものではあったが、半球型の障壁が直前で盾型になった運の良さ。
そして見えない盾が突き出されることを事前に察知できた勘の良さ。
これならきっと無敵艦隊にも通用する。
ぜひとも〈本戦〉が見たい。
女神の加護を得たレッシバルたちは見事、試練の壁を飛び越えた。
障壁がフラダーカの尾の下を吹き抜けていく。
危なかった……
気付くのが少し遅かったら激突していたかもしれない。
だがまだ終わりではない。
躱したらすぐに下降して攻撃だ。
素早く手綱を操り、仰角四五度から俯角四五度へ。
正面に魔法兵を捉えた。
躱されたことが信じられないのか、目を大きく見開いて放心状態に陥っているようだ。
右掌を突き出したまま、こちらを見上げて固まっている。
——ここで決める!
家族の仇、ネイギアス海賊!
いや、家族だけではない。
村の皆の仇だ。
仇の船にどうしてリーベルの魔法使いが乗っているのかはわからない。
だが、協力関係にあることは明らかだ。
ならば容赦しない。
子供の頃、「届け!」と祈っても届かなかった攻撃を、いまこそ届かせてみせる!
「撃てぇぇぇっ!」
カッ!
レッシバルの叫びを合図に、フラダーカは溜雷を発射した。
障壁の内側、至近距離で。
***
顧問目掛けて溜雷が迫り来る。
障壁を緊急展開……
いや、もう間に合わない。
斜め上に固まった視界を青白い光が埋め尽くす。
あと一秒ほどで直撃する。
強烈な電撃が彼の五体を粉砕し、放出された稲妻の一本一本が破片を塵に変えるだろう。
時とも呼べないほどの短い瞬間、これまでの人生が蘇ってきた。
初めて魔法を完成させて、両親から褒められた幼き日の嬉しさ。
難関だった海軍魔法兵団へ入団できた日の感動。
だが思い出したのは楽しかったことだけではない。
苦しかったことも……
エリート集団に入ることができた喜びも束の間、無敵艦隊の一員を名乗るからには、それに相応しい実力と成果が求められた。
我々は海の魔法使い。
偉大なる海の三賢者の直系。
海の魔法は他国にとって重圧だったかもしれないが、リーベル人にとっても重圧だった。
新米の海軍魔法兵にとっては特に。
入団前の憧れなど、初日に吹き飛ぶ。
敵艦も海も、慣れるのを待ってはくれない。
先輩魔法兵から怒鳴られながら付いて行くだけで精一杯だ。
彼も最初から熟練兵だったわけではない。
脱落するまい、落ちこぼれまいともがく苦悩の日々があった。
無様な日々だ。
けれども決して無駄ではない。
積み重ねた失敗の数だけ経験となって蓄積されていき、いつしか彼は熟練者として指導する側になった。
だからこそ、この状況が解せない。
指導するということは、本人が気付いていない弱点や盲点を見つけてやるということだ。
その立場にあった者がこうして敗れるということは、どこかに弱点や盲点があったということではないか。
どこだ?
どこに弱点や盲点が眠っていた?
何が欠けていた?
緩やかに流れる長い一瞬の中で、経験に照らし合わせていくが何も見つからなかった。
それはそうだろう。
答えは過去の経験の中にはない。
照らし合わせるなら、過去ではなく未来だ。
慈悲深い神は命の瀬戸際に立った彼に未来を見せた。
慈悲というより、神作りに加担していた者への罰かもしれないが……
未来の光景はどこかの海だった。
周囲に陸が見えないのでそこが何という名の海なのか、特定するのは難しい。
だが、彼は特定できた。
セルーリアス海だ。
なぜなら、その海には大艦隊が浮かんでいて、どの艦にもリーベルの国旗とセルーリアス艦隊の旗がはためいていたから。
——これから海戦か? それにしても……
これほどの大艦隊は見たことがない。
大部分はセルーリアス艦隊だが、他の海域を担当している艦隊の旗も見える。
連合艦隊だ。
この世に、一対一で魔法艦に勝てる艦船は存在しない。
昔、コタブレナを倒すために二個艦隊で向かったというが、現代なら一個艦隊でもお釣りが出る。
そのような強力な魔法艦を沢山集めて戦わなければならない敵とは?
世界地図を思い浮かべてみるが、該当する大国はなかった。
一国を除いて。
ブレシア帝国だ。
彼は「まさか!」とすぐに打ち消した。
研究所は模神の材料不足を解決するため、「帝国討つべし!」という空気を生み育ててきた。
だから予定通りに王国と帝国が戦になっていることは喜ばしい。
だが帝国海軍如きに連合艦隊は大袈裟すぎないか?
研究所が材料の調達先に帝国を選んだのは海軍が弱小だからだ。
近頃、他国に倣ってコルベットやフリゲートを建造し始めたらしいが、見様見真似で作った艦隊など我々には通用しない。
あまりに艦数が多いので、上陸部隊を多めに乗せた兵槽船が混じっているのかと思った。
帝国への遠征では内陸深くまで追撃する必要がある。
ブレシア人を生け捕りにしなければならないのだから。
そこまで考えたが、内陸追撃の問題は解決済みであることを思い出した。
北岸から上陸したフェイエルム軍が南下する手筈になっている。
リーベル軍は捕えたブレシア人を船に詰めてウェンドアへ送る作業に専念していれば良い。
心配するとしたら、頭に血が上ったフェイエルム軍が材料を殺し過ぎないかという点のみだ。
海戦については何の心配も要らないと思うのだが……
今日これから、彼はこの世を去る。
ゆえに明日のことを知らないのも無理はない。
明日以降、全てのリーベル派から原料供給が途絶えるのだ。
派遣してある魔法兵からの連絡も。
人間は状況が不明であればあるほど、不安が増していくもの。
悪事を働いている者なら尚更だ。
研究所の魔法使いたちは悪事を働いている人間だ。
不安が募った彼らは、帝国への敵対心と並行して油断大敵であると不安を煽る。
その結果が連合艦隊だ。
なぜリーベル派が研究所に材料を渡さなくなるのか?
神が見せる未来の中にその答えはない。
当然だろう。
見せてやりたかったのは悪人共が辿る末路だ。
途中経過は省略した。
「…………」
彼は見た。
呻き声一つあげず、一部始終を見た。
無敵艦隊が為す術なく小竜の群れに滅ぼされる光景を。
〈海の魔法〉が死ぬところを。
未来の光景はそこで終わった。
現実に戻ると溜雷が彼の鼻先まで迫っていた。
青白かった光が近すぎて白一色に見える。
そのまま、彼は白光の中へ……
逃げ隠れせず、断末魔の叫びをあげることもなく。
いや、消える寸前に何かを呟いていたようだ。
恨み言か?
それとも負け惜しみ?
どちらでもない。
彼は光が直撃する寸前に悟ったのだ。
我々は海の魔法使いではなかったのだ、と。
海の魔法使いとは、海の脅威から人々を守る者。
それがいつの間にか、海の魔法を振りかざす〈海の脅威〉になっていた……
かつてリーベルはモンスターに手も足も出ず、滅びを受け入れるしかなかった。
そこへロレッタ卿が現れ、〈海〉を示してくれた。
脅威から人々を救うために。
そして現代、海の脅威と化した我々がブレシア人を滅ぼそうとしている。
だから帝国に〈彼女〉が現れた。
我々から人々を救うために。
あの竜騎士はたぶん男性だ。
もし女性だったとしてもロレッタという名ではないだろう。
だが、そういうことではない。
名前や性別に関わりなく、あいつは〈ロレッタ卿〉だったのだ。
彼女は伝説から帰ってきた。
昔は海の魔法、今度は小竜という新時代を携えて。
敵う相手ではなかった……
我々は彼女の流れを汲む者たちではなかった。
いわば偽者だ。
未来で無敵艦隊が全滅するのも頷ける。
偽者が束になっても本物の〈ロレッタ卿〉に敵うわけがない。
「我々は、間違っていた……のか……」
彼の悟りと五体は光に飲み込まれ、静かに溶けていった。
レッシバルと熟練魔法兵の対決が終わった。
しかし海賊船との戦闘はまだ終わっていない。
といっても、すぐに一人残らず顧問の後を追うことになるのだが。
溜雷の勢いは魔法兵一人を塵に変えた位では止まらない。
俯角四五度で甲板に命中し、緩やかだった時の流れを本来の速度に戻す。
バァァァンッ!
耳をつんざく落雷の轟音がアレータ海の空に轟く。
船体がたわむほどの凄まじい衝撃が海を叩く。
上から見ると波紋がまるで樹木の年輪のようだ。
甲板に大穴を開けた溜雷はそこで自らも砕け、四方八方に迸った。
まるで働き者の召使いたちが手分けして掃除に取り掛かるように。
甲板と船内に放たれた稲妻は手当たり次第に掃除していく。
どこかに汚れているところはないかと探す必要はない。
ここはリーベル派の海賊船。
汚れしかない。
「ギャッ……⁉」
「ガッ……!」
船のあちこちであがる短い悲鳴。
電撃は一瞬で身体を突き抜けていく。
体表だけでなく肺も喉も焼かれてしまうので、物語のように「ギャァァァッ!」と長い叫び声はあげられない。
働き者の稲妻たちは仕事がきめ細かい。
一部屋残さず、一人残さず、丁寧に汚れを掃除していく。
おや?
これは何だろう?
あら?
こんなところにも汚れが!
甲板掃除に勤しんでいた稲妻が大砲近くの火薬樽に気が付いた。
使い終わったら定位置に戻すか、不要なら処分するべきだ。
整理整頓!
ドガァン!
ドゴォォッ!
樽の一つに雷が当たって爆発が始まると、隣の樽も誘爆し、さらにその隣も……
次々と誘爆していき、最終的には弾薬庫に飛び火した。
ドカアァァァンッ!
内部での大爆発。
これが致命傷となった。
海賊船はフォルバレントからも確認できるほどの大きな火柱を上げて爆散した。
溜雷発射後、上昇に転じたレッシバルが振り返ったとき、水面に浮かんでいたのは船首部分のみ。
しかも真上を向いて水没中だ。
あまり長くはもたないだろう。
彼の見立ては正しく、船内に溜まっていた空気が急速に抜けていき、あっという間に沈んでいった。
……気のせいか?
完全に水没する寸前、船首に飾られていた天使像がどこか恨めしそうだった。
周囲に敵影なし。
レッシバルたちは勝った。
***
アレータ海の空を羽ばたく小竜のさらに上、天上から戦いを見守っていた神々はレッシバルたちへ惜しみない拍手を贈っていた。
だがこれは単なる勝者への称賛ではない。
この勝利は神々にとっても大変喜ばしいものだった。
だって……
〈カツオドリ〉に杖計画を阻止する力があることを確認できたのだから。
これで世界を救う目処が付いた。
レッシバルたちにしてみれば、ただ生き延びたかっただけ。
海の魔法と雌雄を決しようと思っていたわけではない。
だから勝った喜びより、「命拾いできて良かった!」という喜びの方が大きい。
しかし世界にとって、今日の勝利はもっと大きな意味を持っていた。
海の魔法は遙か彼方の危険を察知し、敵射程外からの先制攻撃で脅威を退けるもの。
然るに小竜が急降下で雲海の下に出たとき、顧問はフォルバレントに当てるための火球を作っていた……
後から振り返ってみるとよくわかる。
本当の決着は、この時すでについていたのだ。
ついに海の魔法の弱点が見つかった。
上からの攻撃に弱い。
そして魔法攻撃では小さくて速い標的を追いきれない。
この発見こそが今日の勝利の意味だ。
攻略法が見つかった無敵艦隊は、もはや無敵ではない。
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