第56話「ゼロをイチに変えるもの」

 砲弾の下を掻い潜り、銃弾を躱し……

 フラダーカが低空より海賊船に迫る。


 水面スレスレを高速で吹き抜けていくので、風圧が水を叩いて白波が立つ。

 まるで白く尾を引きながら夜空を流れていく流星のようだ。


 すぐに見えなくなってしまうところも流星と似ている。

 白波の尾が消えたときはレッシバルたちが海賊船に飛び掛かったとき……

 それまでに残された時間はあと僅かだ。


 夜空の流星に倣って、海の流星にもお願い事をしてみようか。

 願うなら消えない内に済ませなければならないが、何を願おうかと悩むことはない。

 海の竜騎士も海の魔法使いも、お願いすることはすでに決まっている。

「さっさとくたばれ!」だ。


 主の願いを叶えるべくフラダーカが口を開いた。

 途端に口の端から、牙の間から稲光が溢れ出す。


「お、おい……さっきよりでかくねぇか?」

「……やべぇよ、逃げようぜ」

「逃げるって、どこへ?」


 手下共が狼狽え出した。

 信じていない者たちに通常時と緊急時の違いを説明しても無駄だ。

 とにかく、顧問殿は初撃を防げなかったのだ。

 軽減ではなく、完全に阻止できなければ彼らは納得しない。


 ザワザワと甲板がうるさくなってきたが、顧問は気にせず集中を高めていく。

 この程度の騒めきは騒音の内に入らない。


 戦闘中の魔法艦はもっと騒々しい。

 他の魔法兵の詠唱の声、号令や応答の大声、そして砲音……

 その中で魔法を完成させるのだ。

 詠唱陣の助けがあっても魔法に不向きな環境ではあるが、それでもやり遂げるのが海軍魔法兵だ。


 リーベル海軍では魔法兵だけでなく、水兵たちもそれぞれの役目をきちんと果たしてきた。

 何かある度にいちいち浮足立ったりしない。


 こいつらは訓練を受けた兵士ではない。

 士気も練度も劣るただの乱暴者なのだ。


 ——やはり、当てにならん連中だった。


 とうとう一番うるさかった奴が船長に叩きのめされてしまったが、顧問は振り向きもしなかった。

 頭の中で、完全に海賊共のことを切り離した。


 自分は任務のため。

 彼らは研究所との契約のため。


 たまたま同じ船に乗り合わせていただけだ。

 船長が好きに制裁でも粛清でもやればいい。

 こちらも好きにやる。

 いまは小竜への対応で忙しい。


 あと少しで小竜が盾叩きの予定位置に入る。

 遠くてぼんやりとしていた竜騎士の姿が大分くっきりしてきた。

 ギリギリまで近付いてから雷を撃ちたいらしい。

 正解だ。

 障壁を破りたいなら、さっきのように肉迫するしかない。


 ——名は知らんが、愚かな竜騎士で助かった。


 顧問がほくそ笑む。

 一度破ることに成功したから、次も同じ手でいけると思ったのだろう。

 馬鹿め。


 さっき破られたのは咄嗟に展開した障壁。

 今度は万全の障壁だ。

 しかも身を守る盾ではなく、敵を殴り倒すための鈍器だ。

 あの竜騎士は鈍器を構えている相手が殴りやすい位置へ、わざわざ自分から飛び込んできているのだ。


 ——お望み通り、人も竜もぶっ飛ばしてやる!


 彼は右掌を勢い良く突き出した。



 ***



 砲撃に続き、銃撃を躱すことにも成功したレッシバルたちは一気に間合いを詰めていった。

 銃撃が止んでいるいまが好機だ。


 海賊共が顧問から素人の集まりと評されるのも仕方がなかった。

 本当は一斉射撃ではなく数組に分かれ、小竜に絶え間ない銃撃を浴びせるべきだったのだ。

 しかし恐怖に駆られている彼らに冷静な判断力はなかった。

 その結果が船長の「撃てぇぇぇっ!」という号令だった。


 剣を振り下ろして、ただ「撃て」と命じたのだ。

 誰も、数組に分かれて「交互撃ち方始め」という意味には受け取らない。

 一斉に撃てば、一斉に装填作業に入ってしまい弾幕は途絶える。

 もはや誰も顧問を援護することができない状況に陥ってしまった。


 天上では、勝利の女神がこの局面に注目している。

 彼女はいま、どちらに対しても微笑んでいない。


 リーベル派にとって絶体絶命の状況だ。

 しかし、顧問にとってはありがたい展開だともいえる。

 もはや危険はないと思っているのだから、竜は真っ直ぐ突っ込んでくるだろう。

 見えない盾に向かって真っ直ぐに……


 レッシバルたちにとっては好機到来だ。

 海賊共の失態によって弾幕が止み、落ち着いて敵甲板を狙うことができるようになった。

 後は初撃より威力を高めた二発目をお見舞いするだけだ。


 いま最後の軌道修正が終わった。

 弾幕が止んでいるおかげで、落ち着いて狙いを定めることができた。

 もう山型に飛び上がるまでやれることはない。


 女神はどちらかというと、レッシバルたちに関心があるようだ。

 じぃーっと真剣に眺めている。


 彼らの勝利の瞬間を見逃さないように?

 違う。

 勝つどころか、勝負は九対一で顧問が有利だ。

 このままだとレッシバルたちは負ける。

 盾叩きを予測できていないことが痛い。


 リーベル海軍魔法兵団は真理探究より、何が起こるかわからない海で〈何の役に立つか?〉を重んじる。

 顧問はその兵団内において手練れと呼ぶに相応しい魔法兵だった。

 彼だから障壁で盾叩きをやるという柔軟な発想ができたのだ。

 相手が悪すぎた……


 ならば九対一ではなく、一〇対〇なのでは?


 いや、それはわからない。

 読み違えていた半球型の障壁が後から盾型になった。

 なんという強運か!

〈〇〉だった勝ち目が〈一〉に上がった。


 問題は盾を飛び越えるタイミングだ。

 山型に上昇を始める地点を、予定よりずっと手前に設定しなければならないが……

 突き出してくることを読めていない以上、予定を変更しようなどと考えられるはずがない。


 では何が〈一〉なのか?


 ここから先は理屈で説明することができない。

 拮抗している両者の勝敗を分けるもの。

 それは運や勘の良さだ。


 顧問は一〇だったものが九に下がった。

 レッシバルは〇だったものが一に上がった。

 〇だったものを一に変え、一瞬で一〇に押し上げるもの。

 それが運や勘だ。


 勘の良さで危険を察知する可能性が残っているではないか。

 なんとなく気まぐれで上昇位置を手前へ変更するかもしれないではないか。

 運や勘というものは馬鹿にできない。


 どちらが勝つかはまだわからない。

 女神が注目しているのはそのためだった。



 ***



 攻撃前の最終軌道修正を終えたレッシバルは手綱をしっかりと握り直した。

 あと少しで上昇、下降、発射、再上昇と忙しい作業が始まる。


 最も難しいのは最初の上昇だ。

 溜雷を見られた後なので、きっと強固な盾型障壁で待ち構えているに違いない。

 まずはこれを飛び越える。


 ラーダのように感知できないが、盾型だと予測した。

 ……いや、予測というより願望に近い。

 どうか盾型であってくれ。

 でないと、作戦の前提が崩れる。


 では、どの辺りから上昇をかければ良いか?

 その位置がわからないまま、ここまで来てしまった。


 遠くから上昇を始めれば威力が弱まるだけでなく、障壁を上に向かって張り直されてしまう。

 なるべく近くで仕掛けなければ。


 でも近すぎれば発射前に激突する危険がある。

 また、発射できたとしても近すぎれば、障壁に当たった溜雷の余波を浴びる危険がある。


 散々迷った末、北の海で戦った魔法艦を参考にすることにした。

 濃霧のせいで目視できなかったが、艦のすぐ近くで銃弾を弾く音がした。

 広い探知円と対照的に、障壁の展開位置は艦に近かった。


 近くて当然だろう。

 探知円は〈知る〉ものだから範囲が広ければ広いほど良いが、障壁は身を〈守る〉ためのものだ。

 薄く全体的に守るか、厚く限られた範囲を守るかが違うだけで、半球型も盾型も身を守る盾なのだ。

 盾は身から離して使うものではない。


 ならば今回も同じ位の距離なのでは、と仮説を立てた。

 もし外れていたらお手上げだ。


 もう敵艦は間近だ。

 レッシバルは考えることをやめた。


 もう最後の軌道修正を終えたのだ。

 いまさら何かに気が付いても間に合わない。

 あとはフラダーカと自分の仮説を信じ、上昇のタイミングを逃さないことだけに集中する。


 海賊船がグングン大きくなっていく。

 眼球に当たる風に耐えながら、レッシバルは僅かな変化も見逃すまいと前を睨む。


 正面に、魔法兵の姿が見える。

 さっきの急降下で目が合った奴だ。

 向こうも準備万端のようだ。


「ん?」


 魔法兵を睨みつけていたレッシバルは、小さな違和感を覚えた。

 以前、ピスカータでラーダに障壁を見せてもらったことがある。

 展開中、まるで「あっちへ行け、それ以上近付くな」と言わんばかりに掌を前に突き出していた。

 防御したい方向へ正対しているのは掌だけではない。

 身体もだ。


 そういうものだと思っていたのだが、術者によってやり方が違うのだろうか?

 前方の魔法兵は右斜め前に構え、右掌を胸の前まで引いている。

 変わった構えだ。

 防御というより、これから掌打を繰り出そうとしているような雰囲気だ。


 障壁、盾、掌打、打撃……


 一秒にも満たない刹那の時の中で、レッシバルの脳裏になぜか従騎士時代のことが浮かんできた。

 騎士見習いのことを帝国では従騎士といい、正騎士か準騎士の下で一人前の騎士を目指す。

 彼は貴族ではなかったので準騎士付きの従騎士だった。


 ある日、付いていた準騎士の師匠から盾の使い方を習った。

 習うといっても言葉で教えてくれるのではない。

 稽古を通して体験から学ぶのだ。


 レッシバルは盾と模擬剣を装備し、師匠は盾のみ。

 落馬して武器を失くし、盾しかない状況で完全武装の歩兵が襲い掛かってきたという設定だ。


 確かにそういう状況はあり得そうだ。

 訓練の主旨を理解できたので、歩兵役として落馬した騎兵を討ち取りにかかったのだが……

 結果は師匠の圧勝だった。


 最初は模擬剣の猛攻に対して師匠は防戦一方だったが、斬撃と斬撃の間に盾を割り込ませた。

 盾叩きだ。


 相手に武器がないからと、大振りになってしまった隙を彼は見逃さなかった。

 レッシバルは盾叩きで鼻を潰されて体勢が崩れたところを、さらに足払いで倒された。

 慌てて起き上がろうとするもすでに遅く、奪われた模擬剣が顔の前に突き付けられていた。


 鼻血を拭いながら師匠の教えを胸に刻んだ。

 盾は防具だが、扱い方によっては武器にもなるのだ、と……


 回想から戻ったレッシバルは違和感の正体がわかった。

 あのとき、盾叩きを繰り出す寸前の師匠と前方の魔法兵の構えが似ている。

 魔法使いがどうして歩兵の構えを?


 一斉射撃を凌いだ小竜が安心して攻撃を仕掛けにくる状況……

 次弾装填は間に合わない。

 残るは魔法のみ。


 氷の矢を誘導して当てるか?

 いや、誘導射撃を北の海で見たが、艦船のような大きな標的を対象とする戦法のようだ。

 ハーピーやフラダーカのような俊敏な標的は追いきれないだろう。

 躱されたら雷を無防備で受けることになる。


 ここは氷の矢による迎撃は諦め、防御を固めるべきだ。

 ……と魔法の素人は考える。


 しかし相手は手練れだ。

 きっとリーベルでは師匠のような立場だったのだろう。

 鼻血は出なかったと思うが、新米魔法使いの盲点を突いて驚かせていたに違いない。


 例えば……

 盾型障壁を前へ突き出してみるとか?

 それこそ、盾叩きのように。


「ヤバいっ!」


 なぜ魔法兵の構えが師匠と似ているのか?

 その理由がわかった。

 合点がいった。


 だが「なるほど、そうだったのか!」と感心している場合ではない。

 間に合うか?

 レッシバルは直ちに急上昇をかけた。


 顧問も右掌を突き出す。

 これは小竜の変化を見て即応したのではない。

 小竜がそこまで来たら突き出そうと予定していたのだ。


 海の竜騎士と海の魔法使いは、ほぼ同時に動いた。

 そう、〈ほぼ〉だ。

 同時ではない。

 レッシバルがやや早く、顧問は僅かに遅れた。


 とはいえ誤差のようなものだ。

 フラダーカは先に上昇を始めたが、見えない盾が砲弾のような勢いで突っ込んでくる。

 速度は盾形障壁が勝っているようだ。


 両者互角。

 しかし引き分けはない。

 必ずどちらかが滅びる。


 勝利の女神はどちらに微笑むのか?


「…………」


 模型のように小さな小竜と海賊船を交互に見つめた後——

 彼女は、レッシバルたちに微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る