第55話「勇者の博打」
初撃の溜雷がフラダーカの口から飛び出す直前、レッシバルは敵魔法兵と目が合った。
奇襲に気付かれてしまったが、攻撃位置へ辿り着くことができた。
目が合うほどの近距離から撃ち込めば、敵に打つ手はないだろう……と考えていた。
しかし甘かった。
その掌に火球はなく、こちらへ向けて開いている。
障壁だ。
ラーダの話によれば、こいつは手練れの魔法兵らしい。
炎が消えてから僅かな時間だったにもかかわらず間に合ったということだ。
敵ながら見事だ。
レッシバルたちは背で溜雷と障壁の激突音を聞きながらメインマストの少し上を飛び去った。
後の小竜隊もそうだが、自らの攻撃が命中する瞬間を目撃することはない。
命中するより早く通り過ぎてしまうからだ。
戦果は音で知るか、安全になってから振り返るしかない。
このときの彼も振り返ることはできなかった。
振り返って戦果確認する余裕などない。
攻撃後、すぐに上昇へ転じようと考えていたのだが、急降下をやめても下に向かって慣性が働いている。
水平飛行に移行した途端、レッシバルの全身に上から重圧がかかった。
「うぐぅっ……⁉」
耐えきれず、フラダーカの背に押し潰された。
呻き声と一緒に、肺に残っていた空気が絞り出される。
反転急上昇など、とんでもなかった。
水平飛行に転じるだけで精一杯だ。
陸軍竜騎士団で何度も下降から水平に戻る飛行を経験してきた。
水平飛行移行時の身体にかかる重さも味わっている。
その経験から、今回の重さを予測していたのだが……
死ぬかと思った……
今日から考えを改める。
こいつは陸軍の竜とは全くの別物だ。
陸軍は大型種、フラダーカは小型種だ。
何を今更と突っ込まれそうだが、大きさのことを言っているのではない。
野生の小型種も空から獲物に襲い掛かるが、突入角度は四〇度から六〇度の間だ。
真っ逆さまに近い角度で急降下を仕掛けたりしない。
こいつは竜というより、カツオドリに近い。
魔法使いのように雷球を発射できる海鳥なのだ。
知らない者が聞いたら「頭がおかしいのでは?」と疑うだろう。
でも、事実なのだから仕方がない。
ならば、竜の騎乗法ではなく海鳥の乗り方をしなければ。
でないと、フラダーカが存分に力を発揮できない。
今日は無理だが、いつの日か……
水平飛行に移り、殺人的な重圧が消えた。
ようやく身体を起こすことができたレッシバルは振り返った。
海賊船から多少煙は上がっているが、大破炎上というほどではない。
溜雷は凌がれた。
できれば初撃で仕留めたかったが仕方がない。
奴らは依然西進中だ。
どうあってもフォルバレントを見逃がす気はないらしい。
やむを得ない。
攻撃続行だ。
「よくやった、フラダーカ。この調子で頑張るぞ」
首をポンポンと宥めるように優しく叩いた。
「ガウゥッ!」
人語に訳すと「うん!」といったところだろうか。
フラダーカは喜び勇んで蓄電を始めた。
第二次攻撃の用意だ。
このまま遠ざかりながら溜雷を作り、出来上がったら旋回して低空飛行で突撃する。
目標は喫水付近。
大穴を開けて浸水を狙う。
発射と同時に上昇へ転じ、雲に逃げ込む。
本当は急降下から反転急上昇したかったのだが……
フラダーカが平気でもレッシバルの身がもたない。
単騎で無理をするのは禁物だ。
ジッ……
バチ、バシッ!
ジジジッ、バチバチッ!
第二次攻撃の用意が整った。
獲物には障壁という〈殻〉があった。
初撃で殻を砕くことはできたが、肝心の〈身〉に致命傷を与えることはできなかった。
次は殻を突き破るだけでなく、貫通して身に当てたい。
だからもっと強力な溜雷を用意する、ということなのだろう。
漏れる稲妻の本数がさっきより多い。
本当に賢い竜だ。
手綱を操り、大きく右へ旋回。
正面に海賊船を捉える。
急降下攻撃は大変だったが、水平攻撃も大変だ。
身体への負担は少ないが、代わりに敵艦から飛んでくる銃弾や砲弾の雨に晒される。
その中を掻い潜らなければならない。
レッシバルは再び身を低くし、フラダーカにも低く飛ぶよう指示した。
低く。
もっと低く。
艦砲の射角の下まで。
しかし長銃の射角外に逃れることはできない。
せめて的を絞らせまいと、左右へ揺れながら距離を詰めていく。
これではこちらも狙えないが、最後に海賊船の方を向いていれば良い。
道中は銃撃回避優先で行く。
するとさっそく——
パァンッ!
銃声が一発。
これは船長が手下共を鎮めるために撃ったものだが、レッシバルの位置からは甲板の様子がわからない。
銃声が続かないことに首を傾げるが、何かの合図だったのかもしれないと解釈した。
奴らは溜雷を見た。
直撃はしなかったが、障壁で軽減しても船のあちこちが焦げたのだ。
必ず迎撃してくる。
いまの一発で終わりということはない。
レッシバルたちは不規則に動きながら速度を上げていった。
目標は敵艦後部喫水付近。
できれば艦尾に当てて浸水だけでなく、舵を破壊したいが……
問題が一つある。
障壁をどうすればいい?
弾幕を低空飛行で掻い潜って攻撃位置に辿り着いた後、敵魔法兵が待ち構えている。
さっきは不意を突けたが、今度は万全の態勢を整えているだろう。
奴らは障壁で防ぎながら銃や大砲で攻撃できるが、こちらは溜雷しかない。
これを障壁と相殺されては勝ち目がない。
魔法使いにとって探知と障壁展開は初歩だという。
相手は熟練者なのだから易々と展開してくる。
そんな相手と相殺を続けたら、フラダーカの体力が先に尽きる。
持久戦はこちらが不利だ。
まだ体力に余裕がある内に仕留めるしかない。
ラーダによると障壁はいろいろな展開方法があるらしい。
基本的には半球状に覆うものだが、板や盾のような形に展開する場合がある。
守れる範囲が限定されてしまうが、防ぐべき方向がわかっているなら強度を増すことができる。
今回はどちらだろう?
半球型か?
盾型か?
ラーダがいたら形を感知してもらえたかもしれないが……
ここは素人のレッシバルが判断するしかなかった。
だが海賊共も必死だ。
呑気に思案する時間など与えてはくれない。
ドン、ドォン!
ドォッ!
ついに迎撃が始まった。
ヒュッ!
ヒュンッ!
黒いゲンコツのような砲弾が風を切って過ぎ去る。
通常弾の威力は魔力砲より劣るが、生身の人間にとって、どちらも必殺の威力があることに違いはない。
しかも魔力砲から撃ち出される火球と違い、黒色なので目視しにくい。
通常弾には、目視困難な鉄球が高速で飛んでくるという魔力砲とは別の恐ろしさがあった。
旋回してすぐに高度を下げて正解だった。
全弾命中せず。
砲弾はレッシバルの頭上を通り過ぎて行った。
だが安心するのはまだ早い。
砲音と砲音の間に銃声が混じっている。
パァンッ!
パパパッパァン!
パパァン!
こちらは数が多い。
何発かは鱗に当たり、小さな火花が散った。
「くそっ、まだ考えが纏まっていないのにっ!」
苦悩するレッシバル。
しかしこれが小竜の竜騎士だ。
確信がもてなくても決断し、その決断に命を賭ける。
賭けに勝てれば一撃必殺。
負ければ死あるのみ。
いつまでも決断できない臆病者と、よく考えずに誤った判断をした浅慮者は早死にする。
世にも恐ろしい運試しだ。
小竜に乗るということは、その博打の席に座り続けるということを意味する。
賭け金は己の命……
弾幕を躱しながらレッシバルは決断した。
待ち構えている障壁は盾型だ。
よって艦尾喫水付近への攻撃は中止し、甲板へ撃ち込む作戦に変更する。
まず予定していた攻撃位置より手前で急上昇をかけ、盾を飛び越える。
越えたらすぐに下降して甲板へ溜雷を発射。
発射後は再び上昇して雲に入る。
山型に上がったり、下がったり……
こんな飛び方はしたことがないし、フラダーカも初めてだろう。
でも、こいつならできると信じている。
盾型だと決断したのも、その根拠はフラダーカに対する信頼だ。
障壁がどんな形をしているかなんて素人にわかるはずがない。
だから素人目にも確実なことを判断材料にした。
確かなこと。
それはこいつの雷が障壁を破壊したということだ。
この事実は誰にも否定できない。
何人も破ること能わずと御自慢の障壁が一撃で壊され、敵は溜雷の威力を知った。
それでも基本通りの半球型に拘れるだろうか?
もし自分だったら、次は破られないように強固な障壁を展開したい。
凄まじい威力を思い知って尚、広く薄く展開できる度胸はない。
それが恐怖というものだ。
雷を固めて撃ち出し、障壁を一撃で砕く竜など聞いたことがない。
熟練兵も今日初めて見たはずだ。
初めて受けた攻撃。
初めて壊された障壁。
それでも全く恐怖を感じない者などいるだろうか?
ゆえに盾型だと推測する。
読みというより一か八かの賭けに近いが……
それでも信じる。
自分の勘ではなく仲間の力を信じる。
種族が違っても、フラダーカはピスカータ探検隊の仲間だ。
***
小竜が次の雷球を撃ちに帰ってくる。
船長の一喝が奏功し、手下共は立ち直った。
砲手たちは小刻みに動く標的に何とか照準を合わせようと苦心を続け、それ以外の者たちは長銃の火蓋を切っていく。
顧問は——
小竜に向かって掌を翳し、「さあ、来い!」という気迫が漲っている。
見えないが、障壁の展開は完了しているようだ。
迎撃用意良し。
船長は剣を抜いた。
「撃てぇぇぇっ!」
レッシバルたちに向かって剣が振り下ろされた。
リーベル派対海の竜騎士の一騎討ち、その二合目の開始だ。
二合目、先手リーベル派の銃口と砲口が一斉に火を吹いた。
ドン!
パパパパッ!
ドォッ!
パパパァン!
ドォン、ドン!
小竜は水面スレスレの低空飛行で砲撃を躱し、左右へ不規則に動き続けて銃撃からも逃れようとする。
結果は……
銃弾は数が多いので何発かは竜に当たったようだが、固い鱗を貫くことはできなかった。
そして、肝心の竜騎士には一発も直撃せず。
砲弾は射角の下に逃げられてしまい、かすりもしなかった。
「…………」
顧問は集中を維持しながら、海賊たちの迎撃が失敗に終わる様子を横目で見ていた。
——止められんか……
頼りないと罵るつもりはない。
無理もないことだ。
彼も長い兵団生活の中で、あれほど速い敵と戦ったことはない。
頭上を吹き抜けていった竜を追って振り返ったが、不覚にも一瞬見失ってキョロキョロと探したくらいだ。
だがここで迷いが生じてしまった。
こいつらに任せておいて大丈夫だろうか、と。
役立っている間は協力するが、邪魔になったら始末しよう——
口には出さないが、顧問と海賊が互いに思っていることは同じだった。
彼らを結び付けているものは利害だけだ。
レッシバルとフラダーカのような信頼はない。
だから何かあればすぐ不信感に火がつく。
相手が何か失態を犯せば、一つ、二つ、三つと落ち度を数える。
顧問の落ち度は、小竜の攻撃を完全には防げなかったこと。
海賊の落ち度は、一発も当たらなかったこと。
最初から互いを信じていない両者にとって、見切りをつけるには十分な落ち度だった。
詠唱を始める前、船首の遥か前方に帝国船の左舷側が見えた。
小竜に足止めさせている間に面舵へ目一杯に切り、帝国の領海へ逃げ込む気だ。
小竜など無視して母船を追いかけたいが、あの雷球は脅威だ。
無視して追いかけたら、母船と小竜の挟み撃ちに遭う虞がある。
やはり、うるさい〈小蝿〉は先に退治すべきだ。
顧問は決意した。
海賊共は当てにならん。
自分の手で退治しよう、と。
***
実は、レッシバルの読みは外れていた。
障壁の形は半球型だった。
海賊たちの弾幕で小竜を撃ち落とせると信じていたからだ。
防御に専念していれば十分だと考えていた。
ところが低空へ逃げ込まれて大砲では射角がとれず、銃撃も真面に当たらず……
顧問は他の手段を講じる必要に迫られた。
この辺りで長々とドンパチを続けるのはまずい。
アレータ海の少し北には封鎖に当たっているリーベル艦隊がいる。
小蝿退治に時間がかかり過ぎると、異変を探知した艦が確認にやってくるかもしれない。
臨検は困る。
海賊と一緒にいるところを見られたら、味方の口も封じなければならなくなってしまう。
顧問はレッシバルと違い、仲間である海賊たちの力を信じていない。
いや、そもそも仲間ではなかったか。
彼はアレータ海の真ん中で独りぼっちだった。
困り事は独力で解決しなければならない。
——あの小蠅は自分一人で叩き落す!
半球型に展開していた障壁を盾形へ変更。
前に突き出していた右掌を右胸の前へ引き戻し、さらに集中を高めていく。
歩兵の戦闘術に〈盾叩き〉という技がある。
構えている盾を相手に向かって勢いよく突き出し、体勢を崩したり打撲傷を負わせる。
この技を障壁でやる。
もう避けられない距離まで引き付けてから右掌を突き出し、障壁でぶっ飛ばしてやるのだ。
タイミングが外れたら先に雷球を吐かれてしまうが、障壁を構えているのだから問題ない。
盾叩きから本来の防御に戻るだけだ。
レッシバルの読みは外れていたが、後から半分的中することになった。
全部的中ではなく半分という表現に留まるのは、盾形になった障壁が突き出されることまでは予測できていないからだ。
突進してくる障壁をうまく山型に飛び越えることができると良いが……
飛び越えるタイミングを間違えたら、見えない大盾に叩き落される運命が待っている。
***
決着のときがやってきた。
フラダーカはまだ元気だが、溜雷の消耗は小さくない。
無駄撃ちは禁物だ。
疲労の限界が戦闘の興奮を上回ったら、問答無用で海に墜落するだろう。
この攻撃で決めたい。
顧問も可及的速やかに小蝿と母船を始末してアレータ海から離れたい。
味方の近くは気が休まらない。
双方の意見は一致した。
海の竜騎士も海の魔法使いも長丁場は望まない。
ここが正念場だ。
海の竜騎士が見事障壁を飛び越えて旧時代に雷を撃ち込むのか?
あるいは海の魔法使いが盾叩きで新時代を粉砕するのか?
さっきまでリーベル派に微笑んでいた勝利の女神が、いまは双方を興味深そうに眺めていた。
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