第54話「海の竜騎士vs海の魔法使い」
レッシバルたちは雲から出た。
視界いっぱいに群青色のアレータ海が広がる。
正面に海賊船、その前方にフォルバレントが霞む。
まだ無事だった。
一瞬ホッとするが、気を引き締める。
戻ってきたのは漁のため。
緩むのは大物を仕留めてからだ。
海賊船に集中する。
雲で見えなかったが、敵艦に対してこちらの針路がやや左にズレていた。
手綱を僅かに動かして軌道修正する。
ブレシア馬の全速を味わったとき、この世にこれ以上速いものはないだろうと思ったものだが違った。
馬より何倍も速いものがあった。
この超高速の中で手綱の力加減を間違えれば、攻撃位置から大きく外れていってしまう。
指示を出す竜騎士と従う騎竜。
双方に針仕事のような繊細さが求められる。
対するフラダーカはよく応えてくれた。
微妙な力加減を敏感に感じ取り、敵艦首、艦尾を結ぶ線に直列に重なってくれた。
軌道修正が終わったら、反転上昇まで竜騎士にできることは何もない。
後は敵に気付かれないことを祈るのみ。
針路このまま。
点のようだった海賊船がみるみる膨脹していく。
帆と帆の隙間からは蟻のように小さな人影も見える。
艦首付近には小さな灯りも。
消した直後の灯芯のようにか細い。
……灯り?
距離が離れているレッシバルから目視できるのだ。
か細い灯りではなく火球だ!
間に合うか⁉
いや、間に合わせる!
今度こそ!
ジジジジッ!
バチバシッバチッ!
フラダーカのあぎとが開き、左右へはみ出る放電の本数が倍増した。
攻撃用意よし!
「そんなもの……」
あの日、北の海で全滅した日——
魔力の炎が砲口の奥で赤く光っていた。
虐殺を目的とする残忍な赤光。
あの赤色が瞼の裏に焼き付いて消えない。
そしていま、同じ色の光がトトルたちの命を狙っている。
「そんなもの、俺の兄弟たちに向けるんじゃねーっ!」
怒りが苦しみを凌駕した。
雲海の下は上より空気が濃い。
フラダーカの高速に身体が慣れてきた。
これらが一切関係なかったとは言わないが、怒りに比べれば些細な要因だ。
強烈な感情は、時として苦痛を凌駕することがある。
つまり——
レッシバルはキレたのだ。
***
フォルバレントを追う海賊船の甲板——
顧問は帝国船撃沈の用意を整えていた。
正午過ぎから雲が空を覆い、風と波が強まってきたが問題はない。
魔法艦の甲板なら詠唱陣によって波や揺れから守ってもらえるがここは海賊船だ。
そんな便利なものはない。
だからといって泣き言は言わない。
海が荒れていようとも、作ると決めた魔法は必ず作る。
それができて初めて一人前の〈海の魔法使い〉だと言える。
研究所からこの船に派遣される前、彼は海軍の熟練魔法剣士として一隊を率いる立場にあった。
隊に新兵が配属されると、必ず言い聞かせてきたことがある。
それは一つの心得。
海の魔法兵としての心得だ。
海軍魔法兵は〈海で〉魔法を自在に操れる兵だ。
〈詠唱陣の上で〉ではない。
開祖ロレッタ卿の時代には詠唱陣などなかった。
威力半減は仕方がないとしても、詠唱の失敗は己の未熟さが原因だ。
海のせいにするな。
随分と厳しいが、彼にしてみれば当たり前のことだった。
他国の魔法兵もどき共とは違う。
世界の海を支配する〈海の魔法使い〉なのだから。
だから今日も当たり前に火球を作る。
詠唱陣がなくても、海が荒れていても、魔法を必ず完成させてこその海軍魔法兵だ。
火球の詠唱を始める前、彼は念のために探知魔法を展開して周囲を確認していた。
この時代、危険は水上か水中から迫ってくる。
ゆえにその二つを確認すれば安全確認としては十分だった。
探知の結果、水上・水中共に敵影なし。
彼は安心して火球作りに専念した。
真上に竜が迫っているとも知らずに……
これは彼の落ち度ではない。
時代が変わっただけだ。
帝国南方の片田舎でひっそりと変わったのだ。
記録には残っていないが、世界で最初に時代の変化を目撃したのは顧問ではなく見張り員だった。
真上から迫る竜に気付けたのは全くの偶然だった。
揺れに耐えながら火球を作るのは大変だが、メインマストの見張台に立つのも大変だ。
高さが災いして、甲板より揺れる。
すぐ近くで波がうねり、横波となって右舷にぶつかってきた衝撃で台から振り落とされそうになった。
落ちれば命はない。
彼は尻餅をつき、仰向けに倒れながらも転落だけはするまいと必死に耐えた。
災い転じて……
転んだおかげで、上を向くことができた。
仰向けに倒れた視界正面、灰色の曇り空に青白く光る点が一つ。
「何だ?」
光点はみるみる大きくなっていき、正体がわかった。
さっきの小竜だ。
離脱したはずの敵が帰ってきた。
しかも帝国船追撃に集中していて気付きにくい真上から。
逃げたのではなく、一度距離をとって反撃の態勢を整えていたのだ。
そして整ったから帰ってきた。
だとしたら、あの光は……
光が一体何なのか確かめる必要はない。
こちらに対する何らかの攻撃であることは確かだ。
彼は仰向けの状態から飛び起きるや否や警鐘を打ち鳴らした。
「敵襲っ! 真上から来るぞーっ!」
カン、カン、カン——!
甲板にいた者たちも音と叫び声に気付き、見張り員より僅かに遅れて真上を見る。
海賊共が見つめる先、新たな時代が青白い光を放っていた。
???
全員、見上げたまま動きが止まった。
あれは……何だ?
疑問は身体と思考を硬直させ、思考の硬直は放心に陥らせる。
急降下してくる小竜に対して船を真っ直ぐ走らせるなど以ての外だ。
面舵か取舵を一杯に切って回避に努めるべきなのだが……
操舵手も操帆手も、船長ですらもポカーンと上を見あげたまま動けない。
その中で一人だけ動けた者がいた。
顧問だ。
小竜が至近に迫る。
溜雷発射まであと一〇秒。
正式な術式で綺麗な半球状に展開している時間はない。
彼は完成まであと少しだった火球作りを中止し、空に向かって障壁を緊急展開した。
ただし、その範囲は狭い。
咄嗟展開だったのだから仕方がない。
その代わり強度は通常のものと同じだ。
うまく受け止めれば、至近距離の砲撃でも突破することはできない。
展開完了と溜雷の発射はほぼ同時だった。
危なかった。
顧問の反応があと一秒遅かったら、無防備に初撃を食らっていたかもしれない。
即応できたのは長年の経験の賜物といえる。
いま、溜雷が障壁に激突した。
バァァァンッ!
メインマストの少し上で光と障壁が爆ぜた。
残念ながら、世界初の急降下攻撃は命中しなかった。
やはり小竜の攻撃は非力だったか……
いや、ここは素直に相手を褒めるべきだろう。
さすがはリーベルの障壁だった。
咄嗟の展開だったが、辛くも全員即死の事態は免れた。
……そう、完全には防げなかった。
直撃して一瞬で全滅という事態を避けられただけだ。
圧縮されていた稲妻の塊が爆ぜて解放された途端、あちこちに迸る。
帆を焼き、甲板に穴を開け、人に命中した。
帝国船を一方的に狩るはずだったのに……
鼻歌混じりだった甲板は地獄と化した。
大型の雷竜が放射する電撃は、魔法使いが陸上で作った雷球を上回る。
フラダーカは小型種だ。
小竜の放射にそこまでの威力はない。
しかし忘れてはいけないことがある。
フラダーカは波も揺れもない浜辺でラーダに勝っている。
溜雷を習得したことにより、放射では実現できない大型種並の威力を手に入れていた。
その強力な雷の塊を口に咥えた状態で、雲海からここまで急角度で降下してきた。
口の中の溜雷には凄まじい加速がついている。
地上で大型種並の威力がある溜雷に加速をつけて撃ち出したらどうなるのか?
結果は御覧の通りの地獄絵図だ。
焦げて動かない者や苦しんでいる者。
彼らを手当てしようとする者。
消火に努める者。
火薬樽を海に捨てる者。
爆音で放心から立ち直り、甲板が慌ただしい。
その中で、顧問は驚きで目を丸くしたまま立ち尽くしていた。
視線の先には攻撃を終えて遠ざかる竜の姿が。
「そんな、馬鹿な……」
驚きのあまり、信じられないという思いが口から漏れ出た。
帝国軍の竜は大型火竜種と聞いている。
ところが攻撃してきたのは小型雷竜種だった。
希少種だ。
だが、いま目を丸くしているのは珍しさが理由ではない。
驚いていたのは、大型種並の威力に対してだった。
障壁は狭かったが、強度は通常時と同じだ。
至近砲撃や大型種の放射一回分くらいなら耐えられるはずだった。
それを、あの小竜は一撃で砕いた。
障壁で軽減してもこれほどの損害を被ったのだ。
もし直撃していたら……
顧問の背に冷たいものが流れた。
——援軍を呼ぼう!
いまの雷球が全力でなかったとしたら、こんな通常船では勝ち目がない。
だが魔法艦ならば!
ここからでは見えないが、北で封鎖任務に着いている艦に呼び掛けよう。
同じエリートでも帝国の正騎士とは大違いだ。
障壁を破られたからといって意地になったりしない。
要は勝てれば良いのだ。
顧問は海賊船で使っているものとは別の伝声筒を取り出した。
リーベルから持ってきた物だ。
これを手に握って交信したい相手を思い浮かべればすぐに会話ができる。
ところが、
「ダメだ……」
彼は取り出した伝声筒をポケットに戻した。
援軍を呼ぶわけにはいかなかった。
要請すれば来てくれるし、あの竜を撃退してもらえるだろう。
だが、その後どう説明すればいい?
彼の立場は複雑だ。
表向きは海軍魔法兵団所属であり、現在は経験を買われて研究所へ出向中ということになっている。
しかし内実は違う。
内実は以前から研究所と繋がっていた。
……杖計画の一員だ。
計画における彼の役割は〈安全〉に材料調達できるよう、リーベル派に同伴すること。
もちろん海軍も王国も知らない。
研究所の極秘任務だ。
今日も彼はウェンドアの研究所に引き籠っている。
大変な実験に取り組んでいる最中なので、誰が訪ねてきても面会できる状況ではない。
……ということにしてある。
だから助けを呼んだ後、説明に困ってしまうのだ。
下手をすれば計画が露見する。
咄嗟に伝声筒を掴んでしまったが、歯軋りしながらポケットに戻さざるを得なかった。
この伝声筒は〈一人〉になれた後でなければ使えない。
その場合も説明を求められてしまうが、隣に海賊共がいなければ何とでも言える。
決心がついた。
この場にいる者だけであの竜を撃退するしかない。
自分と海賊共だけで。
小竜は初撃の後、右へ曲がり低空飛行で遠ざかっていった。
しかし逃げたわけではなかった。
遠くで旋回して再びこちらへ向かってきている。
閉じた牙と牙の間から稲光を漏らしながら。
「うわぁっ! また光ってるぞっ⁉」
「あっちへ行け! 戻ってくんなぁっ!」
海賊共の声は大きいが、鬨の声ではなく悲鳴だった。
このまま総崩れか?
でも、どこへ逃げる?
リーベル軍は呼べない。
ネイギアス軍?
……粛清されるぞ。
悪事とはこういうものだ。
強いときには自分勝手が通るが、弱ったときには独力で助かるしかない。
打つ手がなければ、覚悟を決めるしかない。
船長はそのことを理解していた。
おもむろに短銃を抜き、真上に向かって発砲した。
パァンッ!
乾いた音が手下共の恐慌を鎮めた。
「持ち場を、離れるな!」
敵は一騎だけだ。
舷側砲で竜を狙い、長銃で竜騎士を射殺する。
撃ちまくればどれかは当たる。
それで問題解決だ。
いや、海の真ん中で逃げ場がないのだから、何が何でも解決するしかない。
「わかったか! わかったら腹ぁ括れっ!」
「ア、アイアイサー!」
どうやら船長の恐ろしさは雷竜より上だったらしい。
崩れかけていたが、どうにか持ち直した。
攻撃は船長に任せておけば大丈夫そうだ。
というより、任せるしかない。
顧問は防御に専念しなければ。
あの攻撃は、直撃を阻止しただけでは足りない。
完全に防御できなければ、食らう度に船と人が削られていき、やがて航行不能に追い込まれる。
彼は正式な詠唱を始めた。
さっきは咄嗟だったが、今度は万全な障壁を展開する時間が十分にある。
***
ついにリーベル派とレッシバルの戦いが始まった。
互いに予定していた戦いではない。
だが互いに相手を倒すべき理由がある。
リーベル派は目撃者を始末しなければならない。
レッシバルたちは執念深く追って来る海賊から仲間を救いたい。
互いに相容れることはないのだから、これはもう戦うしかあるまい。
フォルバレントは水平線上に霞んで見え始めたがまだ遠く、長銃でレッシバルたちを援護できる距離ではない。
顧問は魔法艦隊を呼びたくても呼べない。
これなら誰にも邪魔されず、白黒をつけることができる。
海の竜騎士と海の魔法使いの一騎討ち。
次の時代に進めるのは果たしてどちらなのか?
そんな勝敗はレッシバルたちにとって無意義かもしれない。
でも神にとっては非常に有意義だ。
人間に神を作らせるわけにはいかない。
何としても杖計画を潰さねば。
その力がフラダーカに備わったかどうかを、この一騎打ちで見極めたい。
神は雲海よりさらに高いところからアレータ海を見守る。
本心では、ぜひピスカータの悪ガキ共に勝ってほしいと願っている。
でも依怙贔屓はしない。
これは前哨戦だ。
前哨戦から依怙贔屓に助けられているようでは先が思いやられる。
本戦の相手は無敵艦隊なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます