第52話「弱き者」
リーベル派によるフォルバレント号追撃から時を下る。
後に教官となったレッシバルは学生たちから様々な質問を受けた。
話して良かったと思うこともあれば、その逆もある。
母艦に敵艦が迫ってきた場合についてだ。
小竜隊は出撃中。
何らかの理由で護衛艦が離れていて、単艦で後方待機していた母艦に敵艦が迫ってくる状況……
このような場合、どう対処すれば良いのか?
将来、竜騎士志望の学生は特に興味があるところだ。
本音を言えば、嫌なことを思い出すので触れたくない。
だから毎回「そんな事態にならないよう、索敵を怠るな」と誤魔化してしまう。
当然、それで納得してくれるはずはなく、学生たちは食い下がる。
索敵に全力を尽くせというのはその通りだが、尋ねているのは索敵失敗後についてだ。
追い詰められたレッシバル教官は渋々と話す。
「無防備な母艦に敵が迫ってきたら——」
そのときは……
「鮫や大頭足に食われる覚悟を決めろ」
息を呑む者、どよめく者、さらに質問を浴びせてくる者。
反応はいろいろだが一頻りざわついた後、理解できた者から順に静まっていく。
だって、結局そうなってしまうではないか?
小竜隊は遠くへ出撃中。
通常はあり得ないが、護衛艦もいないというなら丸裸の母艦は沈むしかあるまい。
陸の竜騎士なら隊が全滅しても自力で帰還できるが、海の竜騎士はそういうわけにはいかない。
海の真ん中で甲板がなくなれば、力尽きた小竜から順に墜落する。
その後に待っている運命は、鮫の餌か大頭足の餌だ……
他でもない、竜将が語る海の竜騎士の末路。
言葉の重みが違う。
墜落の話をすると毎回こうなってしまう。
まるで葬式のようだ。
レッシバルはこの空気が苦手だった。
そこで、しんみりの後には元気になる話に繋げる。
魔法艦と竜母艦は似ている。
まだ遠くにいる敵を先に発見し、敵艦砲の射程外から始末できる。
遮蔽物がない大海原で空から見下ろせば、敵艦などすぐに見つかる。
後は連撃をお見舞いするだけだ。
竜母艦の強みは索敵範囲が魔法艦より広いことだ。
無敵だ、最強だ、と浮かれず丁寧に索敵していればそもそも母艦が襲われる事態は起こり得ない。
竜将から打つ手なしと聞いて沈み込んでいた学生たちが、今度は竜将の言葉で励まされて表情と声に明るさが戻る。
後は学生たち自身に任せておけば良い。
「隙間なく索敵するにはどうすれば良いか?」という議題について元気に意見が飛び交い始める。
正直、実際の偵察に出ていない彼らの意見は突っ込む所が沢山ある。
しかしいまは突っ込まない。
とにかく問題について考えるということが大事だ。
レッシバルは途中で口を挟まず、彼らの議論に耳を傾ける。
話はちゃんと聞いている。
後で彼らの結論に間違っている点や弱い点があれば、教官として指摘しなければならない。
だから心ここに在らずというわけではない。
それでも……
母艦が襲撃される話になると、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。
自分の失態のせいで、トトルたちを危険に晒してしまった日のことを……
***
時を過去へ戻し、アレータ海上空——
銃撃が止んだ隙にレッシバルは退却し始めた。
罠だとも知らずに……
なぜ銃撃が止んだ?
その意味をよく考えるべきだった。
長銃の射程外に離脱できたわけでもないのに。
だがもう遅い。
いまから別の方角に欺罔しても無駄だ。
伝声筒から流れてくるラーダの声が震えていた。
「レッシバル……いま、俺たちは探知された……」
〈海の魔法〉の最も恐ろしいところは火球でも障壁でもない。
探知魔法が海で使えるということだ。
見張り員の視力がどんなに良くても、その外側から先に発見されてしまう。
彼我の位置関係が先にわかれば、不利な位置から脱することもできるし、有利な位置へ移動することもできる。
戦場で先に相手を見つけられるというのは、それだけですでに有利なのだ。
かつて、レッシバルも北の海で思い知った。
振り返ると、先頭船はフォルバレントがいる方位に向かって直進している。
その方向で正しい。
進む先に標的はいる。
方位良し。
次は魔法攻撃だ。
しかしすぐには始まらない。
火球で攻撃するには少し遠い。
追う側と追われる側、双方に暫しの猶予が与えられた。
追う側、熟練兵は距離を詰めている間に魔法を完成させておくことができる。
追われる側は?
レッシバルは己の失態を悔いていた。
手練れが見ている前で母船に向かって真っ直ぐ退却してしまった。
自分の失態のせいで、仲間たちはこれから射程距離に入り次第、火球や砲撃で皆殺しにされる。
北一五戦隊のように。
北の海で受けた攻撃は魔力砲だった。
ラーダによれば先頭船は魔法艦ではなく、熟練魔法兵が波や揺れに耐えながら魔法を発動しているのだという。
だから射程距離も制限を受けて短くなる。
しかし、その点を踏まえて計算しても、フォルバレントが射程内に入るのにそれほど時間はかからないだろう。
せっかくピスカータから生き延びてきたのに……
別れの時が刻一刻と迫っていた。
レッシバルは震える手で伝声筒を掴んだ。
トトルたちはこれから死に、彼とフラダーカもその後を追うことになる。
ならばその時が来るまで話をしたい。
「レッシバル」
この事態を招いてしまったことを詫びようとした矢先、ラーダに先を越されてしまった。
「上を見ろ」
「上?」
促されて上を見ると、空は厚い灰色の雲に覆われていた。
そういえば出発前に水夫の一人が言っていたような気がする。
今日は正午から雲が増え、夕方から降りそうだと。
銃撃を回避するのに必死で気付かなかったが、いつの間にか正午を過ぎていたようだ。
「予報が当たったな。確かに曇りだ」
「いいか、よく聞け」
もう時間がない。
ラーダはレッシバルの言葉を遮り、先を続けた。
あいつらはネイギアス商船の振りをした海賊船だ。
間違いない。
きっと後続船に禁制品を積んでいたのだ。
それが何なのかはわからないが、目撃されたと思い込んでいる。
だから見逃してはくれないだろう。
向こうは獲物を追うために速度を重視している偽装商船。
こちらは速度より積載量に重点を置いている正真正銘の商船。
勝ち目はない。
「だから、いますぐフラダーカを上昇させるんだ」
「上昇?」
「ああ、雲を突き抜けて限界まで上昇しろ」
高空に到達したらなるべく翼を広げたままにさせ、体力を温存しながら西を目指せ。
つまり、大陸東岸を目指して滑空しろということだ。
即座に、レッシバルの頭の中に海図が浮かぶ。
アレータ海から少しずつ高度を下げながら、最短距離で東岸まで……
「……無理だよ、ラーダ。陸まであと少しのところで落ちる」
「ああ、そうかもしれん。でもそこまで飛べれば——」
その辺りには、漁船や沿岸警備隊の船がいるはずだ。
きっと拾いに来てくれる。
フォルバレントは足が速い海賊船に追われている。
しかもその船には手練れの魔法兵が乗り込んでいて、もうすぐ魔法の射程に入る。
逃げ延びるのは不可能だ。
せめて、レッシバルとフラダーカだけでも。
「元気でな。喧嘩ばかりしてないで、フラダーカと仲良くしろよ」
「お、おい!」
ラーダは返事をせず、隣に立っていたトトルにかわった。
「レッシバル……」
「……ト、トトル……」
海は危険がいっぱいだ。
嵐や大頭足、最近だとリーベル軍の封鎖網もある。
きっと今日まで多くの夢と命がこの海に呑まれていったに違いない。
中古ではあるが自分の船を持った日、彼は覚悟を決めていた。
いつか自分の〈番〉もやってくると。
「エシトスやシグたちによろしくな」
「……やめろよ……そんなこと……うわっ⁉」
フラダーカが高度を上げ始めた。
握っていた手綱に微妙な力が加わってしまったのかもしれない。
「違うんだ、フラダーカ! 戻れ! 言うことを聞け!」
しかし指示に従わない。
手綱を引いてもダメ。
旋回させようとしてもダメ。
あっという間に雲の中に消えていった。
「行ったな」
「ああ、フラダーカがお利口さんで助かった」
これでレッシバルたちは大丈夫だ。
退却を見届けたトトルとラーダは視線を水平に戻す。
甲板中央では水夫たちがテキパキと長銃や短銃の装填作業を進めていた。
視線を、艦尾に立つ二人の水夫へ移す。
一人は手旗で海賊に交渉を申し込み、もう一人が望遠鏡で相手の応答を見ていた。
ただ、残念ながら相手は交渉に応じる気はないらしい。
ずっと信号を送り続けているのに、その横で望遠鏡を構えたまま動かない。
わかってはいたが、これではっきりした。
二人に声をかけて手旗をやめさせた。
目的は金品ではなく、こちらの命だ。
ならば、これ以上続けても無駄だ。
こうなったら……
トトルたちも自分の銃に火薬と弾丸を詰め始めた。
〈たち〉ということはラーダもだ。
元魔法兵といってもイスルード島の沿岸街道を守る陸軍魔法兵だった。
魔法の気配を感じ取れるというだけで、あの手練れのように海上で魔法を完成させることはできない。
状況は絶望的だ。
しかし「神は無慈悲だ」と恨み言を言うつもりはない。
むしろ感謝している。
人生の最後に——
仇討ちの機会を与えてくれたのだから。
***
上昇を続けるフラダーカの背で、レッシバルは絶望の只中にあった。
何もできなかった……
北一五戦隊でも、竜六戦隊でも。
そして今日も。
探検隊の六人は兄弟のようなものだ。
その兄弟が、仇のネイギアス海賊に殺されようとしているのに何もできない。
「何て、無力なんだ……」
子供の頃、騎兵のおじさんから奪った機銃を撃ったら肩が外れた。
痛かったし、情けなかった。
その日から今日まで、強くなりたいと頑張ってきた。
山のゴブリン共から、海から攻め寄せてくる海賊共から人々を守れるように。
でも、ダメだった。
結局、誰一人救うことはできなかった。
遅かったが、いま悟った。
自分はこんなにも弱かったのだ。
弱いから銃撃が止んだ途端、フォルバレント目掛けて真っ直ぐ飛んでしまった。
仇共にトトルたちの居場所を明かした……
「俺のせいだ……俺があいつらを死に追いやった……」
悔しくて、情けなくて、レッシバルの目から涙が零れた。
***
失意のレッシバルはフラダーカの背にすがって嗚咽を漏らす。
ここは雲の中。
人目を憚る必要もない。
いまでもお馬鹿竜と怒られているが、フラダーカは相手の意を汲み取れる賢い竜だ。
浜でレッシバルがうっかり怪我をすると、労わるような鳴き声で慰めた。
だが、いまは背中を振り返りもしない。
主の悲しみなど気にも留めず、雲の中を上へ上へと突き進む。
一体どうしたのか?
今日はやけに冷たい。
「…………」
古竜と呼ばれるほど長い時を生きた竜は人と話せるようになる。
つい最近までやんちゃ坊主だったフラダーカに会話はまだ無理だが、相手の気持ちを理解することならもうできる。
だから鞍越しに伝わってくる主の悲しみが辛い。
でもいまは振り返れない。
労わるような鳴き声をあげるわけにはいかない。
口を開いていたらいつまで経っても溜まらないではないか。
賢い小竜は、いま自分が何をすべきなのかを正しく理解していた。
鼻をこすり付けて、悲しみを癒すことではない。
励ましの声を聞かせることでもない。
主はいま悲しみに囚われているが、雲の上に出る頃にはきっと立ち直る。
だから上昇中に整えておくのだ。
戦闘用意を。
フラダーカの喉の奥で、雷が溜まり始めた。
細い稲妻が一本。
二本。
三本……
稲妻の増殖が止まらない。
狭い喉の中はすぐに溢れかえり、逃げ場を失った稲妻同士が球状に結合していく。
レッシバルには怒られたが、その後も練習していたフラダーカの必殺技。
ラーダ師匠直伝、溜雷だ。
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