第51話「不覚」

 レッシバルはリーベル派のことを知らない。

 だから目の前で起きている虐殺の理由がわからなかった。

 共にネイギアスの旗を掲げているのに、先頭船が後続船を滅多撃ちにしている。


 チュンッ!

 ギィンッ……!


「グァオォォッ⁉」


 何かが飛んできて鱗に当たった。

 しかし固い鱗を貫くことはできず、耳障りな音を残して弾かれた。

 銃弾だ。

 フラダーカが苛立たし気に咆える。


 レッシバルたちは二隻を中心として遠巻きに旋回し、先頭船の射線から大きく外れて飛んでいた。

 だからいま当たったのは流れ弾ではない。

 明確にこちらを狙って撃ってきた。


 いま、彼の頭の中は「なぜ?」で一杯だ。

 なぜ撃ってくる?

 なぜ同じネイギアスの船を沈めようとする?


 孤児院で暮らしていた頃、各国から訪れる使者一行を見てきた。

 一行ということは使者だけでなく護衛もいる。

 リーベル王国の一行には軍服姿の魔法兵がついていた。


 だから見間違えはしない。

 火球で解体している軍服の男はリーベル海軍の魔法兵だ。

 なぜ、ネイギアスの船に魔法兵が?


「ラーダ、火球だ! どうして海で⁉」


 海は魔法が使えない場所ではなかったのか?

 唯一の例外は魔法艦だが、あの二隻は魔法艦ではないだろう。

 なのに、どうして?


 火球の爆音とレッシバルの混乱ぶりが伝声筒を通してフォルバレントの甲板にまで流れてきた。


「落ち着け! 別に不思議なことではないんだ!」


 ラーダは魔法兵だ。

 だから知っている。

 必ずしも魔法艦の上でなければ、海で魔法を完成できないわけではないことを。


 熟練の魔法使いはいくつかの手順を簡略化でき、通常の艦船上でも魔法を発動し得る。

 もちろん陸上より威力は半減するが、元々魔力が高かった者なら半減しても十分な威力を発揮できる。


 思い出してほしい。

 ロレッタ卿たち三賢者の初陣は、魔法艦誕生より前だ。

 世界中で誤解されているが、海での魔法発動に魔法艦が必須というわけではない。

 魔法艦という〈杖〉があった方が有利だというだけだ。


 この点は陸の魔法使いと同じだ。

 初心者には杖が必要だが、熟練者なら杖がなくても魔法が使える。

 何の不思議もない。


「それじゃ、あの火球はその熟練魔法兵が?」

「おそらく」


 正直、ラーダも混乱気味だ。

 リーベルの熟練兵がなぜネイギアスの船に乗っている?


 いや、リーベル兵ではなく、海賊がどこかでリーベルの軍服を手に入れたのでは?

 そんな考えもよぎったが、すぐに打ち消した。

 変装するということは誰かを騙すためだが、海の真ん中で誰を騙そうというのか?


 今日レッシバルが飛んでくることを、奴らは知らなかったはずだ。

 変装ではない。

 おそらく本物の魔法兵だ。


 わけがわからない。

 けれども、いまは考えている場合ではない。

 レッシバルが攻撃を受けている最中なのだ。


「考えるのは後だ! 逃げろ!」


 ラーダの悲鳴のような指示が、レッシバルの伝声筒に届く。

 もちろんそうする。

 フラダーカは軍竜ではないし、彼もいまは軍人ではない。

 魔法艦も魔法兵もお断りだ。



 ***



 どこの組織にも言えることだが、上層部が悪いことをやっていれば、下も倣うものだ。

 連邦と帝国が貿易摩擦で揉めている最中だというのに、元老トライシオスがシグたちと密盟を交わした。

 上層部が敵と通じているのだから、下も平気でリーベルと通じる。


 コタブレナの因縁など、いまを生きる海賊にはどうでもいい。

 要はうるさい〈じじい共〉にバレなければ良いのだ。


 その点については研究所の魔法使いたちも同感だった。

 ゆえに熟練者を遣わした。

 今日のような日のために。


 リーベル海軍の熟練魔法兵——

 彼の任務は目撃者全員の始末と条約違反の証拠隠滅だ。

 そして、これは海賊共に伝えていないのだが……

 もし目撃者を取り逃がしたときには、口封じの対象が〈目撃者〉から〈海賊共〉に変更される。


 その日がやってきたら、海賊共は激しく抵抗するだろう。

 だから彼の腰には魔法剣が提げられている。

 彼は魔法剣士だ。

 広義では魔法剣士も魔法兵に含まれるので、騙しているわけではない。


 いざとなったら命令通りにする。

 だが、最近は荒れ事とは無縁の日々だった。

 きっと封鎖のおかげだろう。

 帝国船はルキシオに引きこもってしまったし、他国の船も物騒なので近寄らなくなった。

 段々と暇になっていき、彼の中で安心や油断が増えていった。


 こういうときに悪いことが起こるのだ。

 災難は忘れた頃にやってくるというのは本当だった。

 まさか海ではなく、空から目撃されるとは……


 レッシバルは魔法に驚き、熟練兵は竜に驚いた。

 双方、そこにあるはずがないものを見て混乱したのは同じだ。

 しかし熟練兵に一日の長あり。

 兵としての経験の差で先に混乱から脱した。


 まずは奴隷船を沈める。

 証拠さえなくなれば、後は知らぬ存ぜぬで押し通せる。

 もちろん船を沈めた後はあの竜騎士も撃ち落とす。

 もし取り逃がしてしまったら、後で尋問を受けることがないように海賊共をこの場で全滅させる。


 その後は少々大変だが、すぐ北に展開する味方の魔法艦に拾ってもらう。

 探知円に触れるか、伝声筒で呼び掛ければ拾いに来てくれる。

 そこまで頑張ってボートを漕げば良い。


 いまはまだ海賊と協力しておく段階だ。

 砲撃と火球を受けた奴隷船は簡単に爆散した。


 砲撃だけではここまで早く破壊できない。

 熟練兵の火球のおかげというのは大きい。

 だがそれだけでなく、海に飛び込んだ水夫たちが火薬樽を〈良い位置〉へ配置しておいてくれたおかげというのもある。


 辺りに散らばっているのは木片のみ。

 船だったことを推知させる部位は残っていない。

 これで証拠は消えた。


 残るは目撃者の始末だ。

 甲板中の長銃がフラダーカに狙いを定めた。


 アレータの空とレッシバルたちの運命に暗雲が立ち込めていく……



 ***



 後続船が木端微塵に吹っ飛んだ後、砲撃が止んだ代わりに銃撃が増えた。

 段々距離感が掴めてきたのか、鱗に当たる音が増えてきた。

 腹の鱗は背中より薄いから、角度によっては貫かれるかもしれない。

 レッシバルはフラダーカに回避運動をとらせ、必死に射線から逃れようとする。


 早くフォルバレントに帰りたい。

 しかし海賊共の予測射撃がそれを阻止する。

 また、弾幕に混ざって飛んでくる氷の矢が怖い。

 熟練兵はフラダーカを火竜だと思ったらしい。

 火には水や氷だ。


 火竜と雷竜の見た目には大差がないので、竜息を見なければ区別がつきにくい。

 帝国竜騎士団が火竜で編成されていることは有名なので、騎竜を見て火竜だと見なしてしまったのも無理はない。


 だがどちらであったとしても、水や氷が苦手なのは共通だ。

 氷の矢を撃っておけば間違いない。

 この対処法は正しかった。


 胴体に直撃すれば命中箇所から込められている魔力が解放され、フラダーカだけでなくレッシバルも凍結する。

 翼に当たれば凍死の前に墜落死する。


 レッシバルは焦っていた。

 なかなかフォルバレントの方へ向かうことができない。

 変則的に飛び、的を絞らせないようにするので精一杯だ。

 それでも何とか西へ帰ろうと試み続けた。


 必死な気持ちはわかる。

 わかるが、手練れの魔法兵の前で何度も西への退却を試みるべきではなかった。

 失態と言わざるを得ない。


 熟練兵はその焦りを見逃さなかった。

 氷の矢を撃つのを止め、回避運動を繰り返している竜をじっと見つめる。


 矢を作りながら不思議に思っていた。

 あの竜はどこから飛んできたのだろう?


 大陸東岸から?

 いや、大型竜でもこんな遠くまで飛んでくるのは苦しいだろう。

 それを、あんな小さな翼で飛んできたというのか?


 もし飛んでくることができたのだとしても、ヘトヘトのはずだ。

 あのような変則飛行ができるほど、体力が余っているのはおかしい。

 熟練兵は船長の近くへ行って海図を確認し始めた。


 船長は空を見上げて射撃指示の最中だったが、さすがに人が近付けば気配でわかる。

 視線を下げると、魔法兵が熱心に海図を見ていた。


「どうした? 顧問殿」


 熟練兵はここの連中から〈顧問〉と呼ばれていた。

 実際、軍事顧問として派遣されているのだから間違ってはいない。


「少し待ってくれ」


 顧問は答えを後回しにした。

 船長にはすまないが、説明より確認が先だ。


 帝都沖からリーベル軍の哨戒線まで指でなぞっていき、そこから南へ、南へ……

 船長も一緒に見るが、どこまで南下しても海しかない。


「西の海がどうかしたのか?」

「…………」


 海図を食い入るように眺めているので、船長からは彼の表情が見えない。

 でも身を屈めて覗き込めば、口角が不気味につり上がっている様を見ることができただろう。

 顧問はほくそ笑んでいた。


 大陸東岸からアレータ島まで翼を休める場所はない。

 なのに、大型種より航続距離で劣る小型種が、沿岸から遥か遠くの海で元気一杯に飛び回っている。

 考えられる理由はただ一つ。


「船長、銃撃をやめさせてくれ」

「何を言い出すんだ? そんなことしたら逃げられてしまうぞ?」

「すばしっこくて狙うのが大変だろう? それよりも——」


 それよりも、あの竜の〈母船〉を沈めれば済む話だ。

 顧問は自らの仮説を説明した。


 どう考えても、沿岸からここまで無休息で飛んでくるのは無理だ。

 大型種が無理なのだから小型種は尚更だ。


 きっとこの近くに母船がいる。

 あの竜はそこから飛んできたのだ。

 大型種を船に乗せたら一頭だけでも沈んでしまうが、小型種ならここまで運んでくることができるかもしれない。


「ぼ、母船⁉」


 船長が呻いた。

 俄かには信じられない。

 竜を船で運び、洋上から飛ばすなんて聞いたことがない。


 しかし「そんなでたらめな話があるか!」と否定することもできない。

 話の筋は通っている。

 顧問殿の仮説通りなら、蠅のように飛び回れる体力も説明がつく。


「俄かには信じられんよな?」


 顧問が苦笑交じりに尋ねると、


「う、うむ……」


 図星を突かれて船長は口ごもってしまった。


 歴史にはそれまでになかった〈新戦法〉というものが登場するときがある。

 そのことは承知している。


 でもそれは結果を知っているからだ。

 もし結果が出る前の場面にいたら、やはり荒唐無稽と感じてしまうのではないだろうか。


 海賊は世間から見れば、はみ出し者や型破りと評されている連中だ。

 それでもこの仮説は型破りすぎた。

 正直、ついていけない。


 だからこそ、仮説を検証してみようではないか。

 あの竜騎士はさっきから西へ退却したくて仕方がないようだ。

 銃撃を止めれば、喜んで母船へ帰ろうとするだろう。

 一口に西といっても広すぎる。

 具体的にどの辺なのか?

 彼に示してもらおう。


「撃ち方やめぇっ!」


 さすがは一家を束ねる船長だ。

 理解すれば決断も行動も早い。


 手下たちへの命令は船首と船尾へあっという間に伝わっていった。

 銃声はすぐに止み、アレータ海に静けさが戻る。


 さて、竜はどちらへ向かうか?


 顧問は探知魔法の用意を始めた。

 通常は球形に展開するが、今回は線状に展開する。

 追跡用の形状だ。

 範囲は極端に狭まるが、探知可能距離は飛躍的に延びる。


 顧問と海賊共が見守る中、銃撃が止んだことに気付いた竜は変則飛行を止め、ある方向へと速度を上げていった。

 西南西だ。

 一旦、北か南へ飛んで見せることもなく、馬鹿正直に真っ直ぐ……


「欺罔してくるのではと思っていたが、存外愚かな竜騎士だったな」


 船長の言う通りだ。

 レッシバルは下手を打った。

 魔法が完成した顧問は、竜騎士自ら教えてくれた方角へ探知線を延ばしていく。


 竜を追い抜き、その先の水平線へ。


「…………」


 さらに向こうへ。


「…………居た」


 顧問は西南西を指差した。


「方位二五〇、それほど遠くない。たぶん補給艦か商船だ」


 静かだった甲板に慌ただしさが戻る。

 減速して良い砲撃位置につけようと縮帆していたが、今度は全速航行だ。

 帆が次々と開かれていく。


「取舵一五! 両舷砲撃用意!」


 ついに、フォルバレントが探知されてしまった……


 今日まで封鎖網を潜り抜けてこられたのは幸運だった。

 だが、運というものは良いときもあれば悪いときもある。


 まず停泊予定のアレータ島近海でリーベル派と遭遇してしまった不運があった。

 さらには、その船に手練れの軍事顧問が乗っていた不運が重なった。


 顧問はレッシバルより何枚も上だった。

 元気なフラダーカを見て、西のそれほど遠くない海に母船が待機していることを見抜いたのだから。


 もし退却の方位を欺罔したとしても彼は騙されず、西への進撃を船長に提言したことだろう。

 そしてトトルたちは見つかる……


 フラダーカを見られた時点で、レッシバルには海賊船を沈める選択肢しか残されていなかったのだ。

 そのことをもっと早く悟るべきだった。


 戦う覚悟が決まっている者と決まらない者。

 勝利の女神がどちらに微笑むかは明白だ。


 女神はリーベル派に微笑んだ。

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