第50話「証拠隠滅」

 トトルの船はフォルバレント号という。

 リューレシア大陸南部の方言で〈フォル〉、〈ルバル〉、〈エント〉を組み合わせた。

 フォルは「良い」、ルバルは「風」、エントは「後ろ」とか「背中」を意味する。

 後ろから吹いてくる良い風——

 つまり〈順風満帆〉号ということだ。


 商会の船はまだこの一隻だけだが、いつか数を増やして交易船団にする予定だ。

 船団旗艦予定のフォルバレント号はピスカータ沖を離れ、アレータ島を目指していた。


 アレータ島はピスカータから東南東の方角にある。

 風は東から吹きつけてくるので、直進することができない帆船は風を斜めに受けてジグザグに進むしかない。


 このとき北東へ進む距離は短くし、南東を長めにする。

 そうしなければ帝都沖から東に展開している封鎖網に引っ掛かってしまう。

 だから北東へ進んでいるときは緊張するが、南東へ転舵した後は一転して甲板に穏やかな空気が流れる。

 船歌も流れる。


 歌は伝声筒を通して上空のレッシバルの耳にも届いていた。


「レッシバルからフォルバレント」

「こちらフォルバレント。魔法艦か?」


 トトルからすぐに応答が返ってきた。

 魔法艦を見つけたのなら、すぐに進路を変更しなければならない。

 船長が上空を向いて話しているのに周囲も気付き、楽器と船歌が止んだ。


「いや、周囲に船影なし。針路このまま」


 この辺りに魔法艦はいないようなので、もう少し先行するという連絡だった。

 甲板のあちこちから安堵の溜め息が漏れる。

 音楽が再開し、伝声筒を通して陽気な歌や音色が流れてきた。


 偵察に関する話は以上だ。

 だが、通信を終える前にもう一つ伝えておくことがある。


「トトル」

「何だ?」


 魔法艦発見の報ではなかったので、もう先程までの緊張はない。

 落ち着いて待っていると、ただ一言——


「二点だ」


 船歌に対する評価だった。

 百点満点中、二点……

 上空で孤独な偵察係は辛口だ。


「おい、レッシバルが二点だそうだ! ワハハハハハ」

「なにぃぃぃっ⁉」


 通信を終える寸前に漏れ聞こえてきたものは、歌い手の怒号と周囲の爆笑だった。

 火種を投じておいて何だが、笑う側と笑われる側で喧嘩にならないことを祈るのみだ。

 伝声筒をしまい、両手で手綱を握る。


「行くぞ、フラダーカ」

「ガオォッ」


 馬なら馬術。

 竜なら操竜術が巧みでなければ竜騎士は務まらない。

 レッシバルは陸軍の竜騎士だったので当然習得していたが、フラダーカにはあまり意味がなかった。

 彼の意思がこの竜にはわかるのか、手綱捌きで指示しなくても思った通りの行動をしてくれる。


 皆が言う通り、変わった奴だ。

 だが、そこがいい。

 まさに人竜一体ではないか。


 浜で暮していた頃、いくら注意しても急降下雷撃漁をやめなかったが、船に乗ってからは大人しく偵察飛行をするようになった。

 海に連れて行くのは心配だったが、却って良かったのかもしれない。

 役目を与えられたことで落ち着いたようだ。


 いまも一声かけただけで理解し、速度を上げてくれた。

 お馬鹿竜など、とんでもない。

 こいつはやるときは、ちゃんとやれる奴だった。


 トトルたちの役に立っているし、シグたちの交渉がうまくいけば海上封鎖が解除され、偵察の必要はなくなるだろう。

 そうなれば、本来予定していた空の配達屋を始められる。


 こいつとならやれる。

 やんちゃをせず、真面目に偵察の仕事に取り組んでいるフラダーカを見て、レッシバルは確信を深めていた。



 ***



 フォルバレントから先行するレッシバルへ、転舵の連絡が入った。

 船は南東から北東へ。

 偵察もそれに合わせて針路を変更する。


 トトル商会の伝声筒は帝国製ではない。

 商会ではいくつかの他国製伝声筒を日替わりで使用している。

 大っぴらに言えないが、質が良くないので通信可能範囲が狭いのだ。


 リーベル製は高性能だが高価すぎる。

 ネイギアス製も高性能だが盗み聞きされそうだ。

 その他の国々はこれら二国より性能が下がるが、帝国製よりは上だ。


 通信可能範囲は、そのまま偵察可能範囲となる。

 商会にとっては死活問題だ。

 純粋な性能比較に愛国心を挟むべきではない。

 別に軍艦や公船ではないのだから。


 トトルは躊躇いなく他国製を採用した。

 おかげで見えなくなるほど離れていても、ここはまだ通信可能領域だ。


 伝声筒に届いた声はまだ明瞭だが、この辺が限界だろう。

 これ以上離れると、互いに聞き取り辛くなる。

 フラダーカは増速を止め、速度を一定に保ち始めた。

 さすがだ。

 レッシバルはまだ手綱を引いていないのに。


 フォルバレントと一定の距離を保ちながら飛行を続ける。

 今日は雲が少ないので遠くまで見渡せる。

 偵察がしやすい。

 逆に、相手からも見つかりやすいが。


 方向と時間から計算して、そろそろアレータ海上空に入る。

 レッシバルは周囲を見渡した。

 アレータ海のすぐ隣はコタブレナ海だが、時折魔法艦らしき艦影を見かける。

 奴らの禁忌だからと油断することはできない。


 確かに上空からの偵察は、奴らの探知円より索敵範囲が広いので有利だ。

 だが不利な点もある。

 奴らが円に接触したものを全方位探知できるのに対して、こちらは肉眼で発見しなければならない。


 広い海で、点のように小さい艦船を見つけるのは大変だ。

 また今日のような快晴の日は照り返しが眩しい。

 艦船がその光の中にいた場合、角度によっては目が眩んで見落としてしまう虞もある。


 だから望遠鏡を持っているが、すぐには使わない。

 肉眼より遠くまで見通せる反面、視野が狭まる。

 まずは肉眼で発見し、何か見つけたら望遠鏡で確認するのだ。


 レッシバルは肉眼で広く探し、望遠鏡で確認するという作業を繰り返した。

 少しでも気になるものがあればすぐに望遠鏡を向ける。

 たとえば他より大きな波を見つけたら、ただの波と決めつけずに「船かもしれない」という意識で確認する。

 高度を変え、陽光の反射を避けながら。


 神経が磨り減る。

 だが、もう北一五戦隊のような思いをするのは御免だった。

 いるはずがないと決めてかかるのが一番危険なのだ。


 警戒しながら飛行を続けると、やがて前方に薄っすらと島影が見えてきた。

 アレータ島だ。


 これからトトルたちが、あの島の影に潜んで魔法艦をやり過ごす。

 余計なものがいないか、望遠鏡で隈なく探した。


 島を挟んで左右をよく見る。


「…………」


 気になる影はない。

 島の先に望遠鏡を向けるが、そこにも船影は認められなかった。


「大丈夫そうだな」


 安心したレッシバルは望遠鏡を下げる。

 そのときだった。


「ん? 何だ?」


 目から離しかけた望遠鏡をもう一度覗き込んだ。

 島の手前に何か見えたような気がする。


「魔法艦か⁉」


 拡大した視線の先には、西から東へ向かう二隻の帆船があった。

 縦一列で航行し、自分たちと同じくアレータ島へ向かっているようだ。


 伝声筒を取り出し、直ちにトトルたちへ報せた。


 確認は後だ。

 誤報でも構わない。

 とにかく海で何か見つけたら、即座に連絡することになっている。


 連絡を終えたレッシバルは考えた。

 咄嗟に魔法艦を疑ったが、落ち着いて考えてみると二隻という数はおかしい。

 封鎖の魔法艦なら一隻ずつ散らばっているはずだ。


 リーベル軍ではないのだとしたら、他国の交易船団か?

 たとえばネイギアス商人とか。

 二隻というのは少ないが、自分たちのような駆け出しの商会なのかもしれない。


 近付いて確認するのが一番だが、いきなり接近するのは危険だ。

 レッシバルはある連絡を待っていた。

 それほど時間はかからない。

 少し待っていると、左手に握っている伝声筒から声が、


「フォルバレントからレッシバルへ」

「ラーダ、どうだ?」


 通信の相手は、探知円を感知する係のラーダだった。

 この海において魔法艦の任務は哨戒なので、帝国船を一隻も通すまいと常時探知円を展開し続けている。


 レッシバルがその円に触れてもわからない。

 わかるのは魔法兵だったラーダだけだ。


 だから前方の二隻から探知円が出ているか、確かめてもらっていたのだ。

 果たして……


「探知円は出ていないようだ。でも——」


 でも魔法兵に何かあって、探知円が途絶えているだけということもあり得る。

 魔法艦ではないと断定するには判断材料が足りない。

 もっと近付き、確認するしかない。


 フォルバレントは現在地から右一六点回頭。

 正体不明の二隻が魔法艦であるという前提で逃げ支度を整える。レッシバルが正体を確かめに行き、民間船とわかったら戻ってくる。


「探知円が復活したら知らせてくれ」


 そのときはレッシバルも尻尾を巻いて逃げる。


「ああ、任せとけ」


 ラーダの心強い応答で通信は終わった。

 振り返っても見えないが、彼はフォルバレント船首で前方二隻の気配を探り始めていることだろう。


 人は魔法使いのことを「海では使い物にならない」というがそんなことはない。

 波や揺れで完成させられないから役立たず、と決めつけるのは間違っている。

 探知円の展開を感知するだけなら、波や揺れの影響を受けない。


 ちゃんと人の役に立っている。

 魔法使いにしかできない役割を果している。

 ラーダが友達で心強かった。


 その友から探知円展開の報せはないから、いまのところは安全だ。

 前を向き、二隻に意識を集中する。

 一体、どこの船か?

 肉眼で二つの点がはっきりと見えるようになったので、望遠鏡で詳しく確認する。


 遠くてわからなかったのだが、いまはよくわかる。

 二隻は同じ型の船ではない。


 先頭船は後続船よりやや小さく、甲板に小口径砲が見える。

 護衛か、あるいは武装商船か?

 後続船は見るからに商船といった雰囲気の帆船だ。

 船倉が満載で速度が上がらないようだ。

 喫水が深い。


 甲板からマストへ視線を移動させる。

 はためいているのはどこの旗か?


「……ふぅ、びびらせやがって」


 溜め息のち舌打ち。

 二隻のマストにはためいていたのはネイギアスの旗だった。


 リーベル艦でなくて良かったが、ネイギアス船だから安心ということもない。

 商船に偽装した海賊船ということもあり得る。


 海賊といったら黒旗に髑髏の海賊旗を連想するが、実際には滅多にいない。

 もしいたら、そいつは余程船足に自信があるか、旗上げ直後で粋がっている新米のどちらかだろう。

 海賊旗を見たら獲物の商船は逃げるし、軍艦なら追いかけてくる。


 これでは海賊稼業上がったりだ。

 だから真っ当な海賊は商船や海軍の振りをする。

 前方の二隻もそういう連中かもしれない。


「ネイギアス海賊……」


 思わず手綱を握る手に力が入ってしまった。


「グルルル?」

「ああ、すまん。何でもない」


 子供の頃に浜で見た海賊船を思い出してしまった。

 村を焼き、のうのうと水平線の向こうに消えていったネイギアス海賊……

 二隻があのときの奴らなら生かしておくものかと思うが、確証はない。


 本当に商船なのだとしたら、濡れ衣を着せて八つ当たりを仕掛けることになってしまう。

 もし海賊船だったら?

 だとしても、まだこちらが攻撃されたわけではなく、海賊旗を掲げているわけでもない。


 ここが帝国の領海というならともかく、アレータ海は公海だ。

 公海上で先制攻撃を加えるわけにはいかなかった。

 たとえ仇だったとしても。


「ふぅ……」


 レッシバルは大きく息を吐いて気を落ち着けた。

 いまは仇討ちよりフォルバレントの安全を優先すべきだ。


 伝声筒を取り出した。

 前方の二隻はネイギアスの偽装商船の疑いあり、とトトルたちに報告する。


「レッシ——」


「レッシバルよりフォルバレント」と呼び掛けようとしたときだった。

 斜め下前方で、帆を畳んで停船した後続船から数人の水夫たちが海へ飛び込んだ。


「何だ?」


 竜騎士は目が良い。

 もう望遠鏡を使わなくても二隻の様子がわかる。

 先頭船は誰も飛び込まず、取舵転舵している。

 漂っている後続船の水夫を拾いに行くらしい。


 しかし解せないのは、先頭船の左舷から砲門が突き出ていることだ。


「砲撃? でも何を?」


 フォルバレントはまだ見えない。

 ということは後続船を狙っているのか?

 自分たちの船をどうして?


 そのときだった。

 彼の自問自答をラーダの叫び声が遮った。


「レッシバル! 二隻がいる辺りで急激に〈気〉が集まっている!」

「き?」


 魔法の素人にいきなり〈気〉などと言ってもわかるはずがない。

 でもラーダはそう言わざるを得なかった。


 詠唱や術式によって周囲に散らばっている〈気〉を集め、必要な量に達したら望む形に変える。

 これが魔法だ。


 傍で見ていれば、そこからどんな形にしたいのかがわかるが、フォルバレントからではわからない。

 ゆえにややこしい言い方になってしまった。


 とにかく魔法発動の前には〈気〉の集結がある。

 わからなかったレッシバルのため、ラーダは素人にもわかる言葉に言い直した。


「魔法だ!」

「魔法⁉ でもここは——」


「ここは海だぞ⁉」と続けることができなかった。

 見下ろす視界の中、先頭船の甲板で赤熱する小さな光を見つけた。


 忘れはしない。

 見間違えもしない。

 北の海で魔力砲に狙いを定められたとき、砲口の奥で光る火球を正面から見た。

 あのときと同じ色の光だ。


 ラーダの言う通り、あれは魔法だ。

 火球だ。


 海、船、火球。

 北一五戦隊全滅の記憶が蘇ってきた。

 恐怖と絶望を味わい尽くしたあの日を……


「グルルル?」


 主の不安が鞍越しに伝わってくる。

 フラダーカは心配そうにレッシバルを振り返った。


「心配するな、フラダーカ。大丈夫だ……大丈夫……」


 竜の不安を宥めようと、そして自分自身の不安も宥めるかのように首を優しく撫でてやった。


 しかし、戦とは残酷で勝手なもの。

 相手の用意が整っていなくても、我が方の用意が整えば一方的に始まっていく。

 レッシバルの都合など知ったことではない。


 彼の読みは半分当たっていた。

 二隻は商船ではなかった。

 ネイギアス海賊だ。

 ただし、宿屋号会談に登場したリーベル派だ。


 後続船には各地で攫ってきた若者たちが詰め込まれている。

 研究所へ引き渡す予定だったのだが、レッシバルたちに見られてしまった。


 他国の船に見られないよう、注意していたのに……

 まさか海の真ん中に竜が飛んでくると誰が想像できただろうか?


 甲板から望遠鏡で確認すると、あの竜には人が乗っているようだ。

 帝国の竜騎士か?

 どうやってこんなところまで飛んできたのかわからないが、生かして帰さない。


 海賊共は慌てなかった。

 研究所と事前に取り決めていたから。

 不測の事態が起きたら、全てなかったことにしろ。

〈品物〉はまた仕入れてくれば良い、と。


 奴隷?

 自分たちは真っ当なネイギアス商人だ。

 条約違反の品は取り扱っていない。

 そもそも一隻だけで航行していたのだ。


 竜騎士?

 海の真ん中に竜など飛んでいるわけがないではないか。

 冗談も休み休み言え。


 ……これからそういうことにする。


 見れば小さな竜だ。

 大した炎は吐けないだろう。

 障壁で防げそうだ。

 竜騎士の始末は後回しにする。

 それより先に条約違反の証拠を消さなければ。


 取舵へ転舵していた先頭船は後続船の真横に並んだ。

 漂っている水夫たちの内、泳ぎの速い者から順に下ろされた縄梯子を上がっていく。

 どうやら救助と処分を同時に行うつもりらしい。


 砲撃準備完了。

 火球も完成した。


 攻撃開始。


 ドォン!

 ドドォン!

 ドォドォン、ドォン!


 砲撃と火球が後続船を解体していく。

 一撃毎に飛び散る木片。

 積んでいた火薬に引火し、爆風で宙を舞う人。


 ……人?


「お、おい! 何やってんだ、おまえら!」


 レッシバルの叫びは届かない。

 いや、届いてもやめない。

 後で始末する竜騎士の制止など意にも介さない。

 海賊共は船と人を破壊していく。

 北一五戦隊を葬ったリーベル艦のような残忍さで。

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