第49話「幼馴染」
宿屋号での会談の後、帝都に帰還したシグに変わった様子はなかった。
……内心はともかく。
静かにトトルの船を待った。
リーベルによる海上封鎖の解除が絶望的だとわかり、外務省の主役はネイギアス担当部に代わった。
おかげで定時に上がり、船を見に行ける。
傍目には急にやる気がなくなり、仕事より私事を優先しているように見えるかもしれない。
本当はやる気がなくなるどころか、益々仕事熱心になっているのだが。
リーベルとの問題を解決する。
そのことに変更はない。
ただし、解決法が変わったのだ。
これまではリーベルとの和解を目指していたが、宿屋号で目が覚めた。
リーベルとは徹底的に戦うしかない。
〈トライシオスたち〉は帝国と王国の潰し合いが狙いなのだろうが、あえてその手に乗った。
ブレシア人を絶滅から救うため、利用できるものは何でも利用する。
リーベル担当部はいまだに説得の道を探っている。
その一員であるシグも会議には参加しているが、不毛だと思いながら毎日席に着いている。
当然会議中は上の空で、トトルの心配ばかりしていた。
彼が無事に帰ってきてくれないと、〈仕事〉に差し支えてしまう。
「帝都のリーベル大使へ、定期的に抗議を申し入れよう」
仕事熱心でいろいろな意見を出していたシグが、会議でこれしか言わなくなった。
良く解釈するなら、有効な打開策が見つかるまで現状維持に努めようということなのかもしれないが、周囲には事なかれ主義にしか見えない。
彼に対する同僚たちの評価は落ちていったが、中には心配してくれる者もいた。
何か重大な情報を掴み、一人悩んでいるのではないか、と。
彼らから酒席に誘われたが、真実を明かせるはずもなく……
同僚たちにはすまないが信用できない。
正確には同僚たちそのものではなく、彼らの身内が信用できない。
同僚たちは貴族出身者が多い。
貴族ということは必ず身内に騎士がいる。
同僚たちにこの件を明かせば騎士共の知るところとなり、大騒ぎになるのは必定だ。
リーベルの密偵は帝都にも潜んでいる。
騎士共の大騒ぎは本国に報告され、機密漏れを知った研究所が計画を早めるかもしれない。
こちらの準備がまだ何も整っていないのに、いま宣戦布告されるのはまずい。
だから誰にも明かすことはできない。
どんなに誤解されようとも。
彼は孤独に耐えながら待った。
やがて——
「無事だったか!」
港に近付く一隻の中型帆船。
異様に長いメインマスト先端に見張り台が設置されている。
見間違えたりしない。
トトルの船だ。
シグは逸る気持ちを抑えられず、停船する予定の桟橋へ駆け出した。
無事で良かった。
これからトトルに密盟の話をする。
話を聞いた後、彼が帝国側の商人になってくれるかどうかはまだわからない。
それでもいまは友の生還が純粋に嬉しい。
船はスゥーッと桟橋に滑り込んできてシグの前で停まった。
ジャリリリ……ッ!
ドボォーンッ!
投錨完了。
タラップが下ろされると、検査官たちが乗り込んでいく。
お尋ね者が紛れていないか?
禁制品を持ち込んでいないか?
かつて自分も検査官だったからわかる。
船に乗っている者たちは皆、早く下船したいのだ。
モタモタしていると彼らが騒ぎ始めるので、早く確認を済ませなければならない。
かといって、雑に済ませれば良くないものが帝都に入ってしまう。
彼らの仕事は大変だ。
トトルの船は交易船なので、客船と違って人の検査はすぐに終わる。
続いて積荷の検査に移行したようだ。
こちらは時間がかかる。
——もう行っても大丈夫だろう。
水夫たちは検査が済んだ荷から順に下ろし始めた。
シグは荷揚げの邪魔をしないように注意しながらタラップを渡る。
友の船の甲板は、いろんな掛け声が飛び交っていて賑やかだった。
大部分は水夫たちの作業の声で、残りは検査官たちの声だ。
その中に咎める声や反論の声はなかった。
問題はないようだ。
さて、トトルはどこに?
近くを見知った水夫が通りかかったので呼び止めた。
「やあ、おかえり」
「ああ、シグさん! 船長なら下に——」
と、彼が船倉へ下りる階段を振り返るので、シグも同じくそちらを向く。
視線の先にはトトルたちの姿があった。
ちょうど上がってきたところだ。
〈たち〉ということは、トトル一人ではない。
横にレッシバルとラーダが並んでいた。
……皆、表情が暗い。
「何かあったのか?」
水夫に尋ねると、
「ええ、海でちょっと……あとは船長に聞いて下さい……」
そう言うと、水夫は逃げるように立ち去った。
去り際に見た彼の横顔も、どこか沈痛そうだ。
水夫の背を見送り、トトルたちの方を向くと、彼らもシグに気付いていた。
「ただいま、シグ」
「おかえり、皆……レッシバル?」
トトルとラーダは曇りながらも何とか笑顔を作っていたが、レッシバルは俯いたまま。
シグの出迎えに挨拶を返すこともできない有様だった。
「何かあったのか?」
代表してトトルが答えようとしたが、レッシバルが一歩前に進み出た。
「…………」
「……レッシバル?」
前に出てきたということはトトルではなく、レッシバルが答えるということだ。
只事ではない様子だが、一体何を語るのか。
待っていると顔を上げた。
その顔は——
「……っ⁉」
久しぶりに見た友の形相に、危うく後退りしかけた。
表情はいつも通りだ。
凄んでいるわけではない。
ただ何というか、全身から怒りが溢れ出ていた。
「シグ」
「な、何だ?」
名を呼ばれただけなのに、シグの背に冷たい汗が流れる。
姿は友そっくりだが、まるで大きな猛獣か野生の竜と正対しているかのような重圧を感じる。
「リンネを覚えているか?」
「リンネ……告げ口の?」
「ああ」
リンネというのは短縮形で、正しくはリンネロッテという。
探検隊では〈告げ口のリンネ〉と恐れられた少女だった。
彼女の告げ口のせいで、親父たちのゲンコツを何発貰ったかわからない。
探検隊が解散に追い込まれたのも一度や二度ではない。
告げ口さえなければ可愛いのにと、皆で陰口を叩いたものだ。
成長しても口うるさかったと思うが、綺麗な女性にもなっていたことだろう。
だが……
〈あの日〉、彼女も村にいた。
親父さんは横たわっていたが、彼女の姿はなかったからきっとリーベル派に……
「リンネを見つけたよ……」
「本当か⁉ 無事で良かった!」
シグは素直に喜んだ。
探検隊以外にも生存者がいたなんて、こんなに嬉しいことはない。
吉報に喜ぶ気持ちはよくわかる。
それでも冷静に沈黙の意味を考えてみるべきだった。
喜ばしいことのはずなのに、なぜ皆の表情が暗い?
なぜレッシバルが怖い?
そして——
見つかったというリンネロッテが、どうしてこの場にいない?
皆の暗さが冷水となってシグの興奮を覚ました。
頭が良いというのも考えものだ。
答えてもらわなくても、疑問の答えがわかってしまった。
代わりに尋ねたことは、
「会えるか?」
おそらく船倉に安置されているのだと思うが、幼馴染に一目会いたい。
だからこその確認だった。
何日経過した?
会っても大丈夫な〈状態〉か?
レッシバルはまた下を俯いて答えられそうにない。
シグの視線が自然と船長のトトルに向かった。
こういうとき、船長というのは損な立場だ。
できればレッシバルのようにしていたかったが、この船は彼の船だ。
船長である限り、嫌だといって逃げることはできない。
「いや、布で包んでしまったから……それでも良ければ案内するが?」
布……
遺体を包む布だ。
もうわかっている。
わかってはいるが、「布」という一言が余計に死を実感させる。
緊張で吐き気を催すが、グッと飲み込んで堪えた。
「ああ、構わない」
顔は見えないが、やはり一目会いたい。
会って「おかえり」と言ってやりたい。
シグはトトルの案内で船倉へ下りていった。
…………
探検隊と悲しい再会を果たしたリンネロッテ。
海で一体何があったのか?
それを知るには時を戻す必要がある。
一週間前、海でトトルたちが彼女と再会する時まで。
そこから順に見ていけばわかるだろう。
レッシバルの怒りのわけが。
***
一週間前——
海上封鎖の影響で廃業する商人や配達屋が増えている中、トトル商会は順調だった。
この時代、封鎖を掻い潜ることができるというのは強い。
外国へ運ぶ荷は減ったが、逆に仕入れてきてほしいという注文が増加していた。
とはいえ封鎖の網の目が小さくなってきており、改造見張り台を頼みに突破するのも難しくなってきた。
魔法艦に捕捉されるのは時間の問題かもしれない。
そこで商会は予定を変更し、レッシバルとラーダにも乗船してもらうことにした。
フラダーカが若竜に成長し、人を乗せて飛べるようになったのだ。
見張り台より高い空から魔法艦を探してもらう。
レッシバルは頑張った。
手本がカツオドリだったので、フラダーカの飛び方はかなり特殊だ。
急上昇、急旋回、そして急降下……
竜というより海鳥に近い。
いくら普通の竜の飛び方に直そうとしても、頑固で言うことを聞かない。
人も竜も同じだ。
憧れを簡単に捨てられるはずがない。
レッシバルがフラダーカの飛び方に合わせるしかなかった。
トトルやエシトスも練習を見たが、俊敏すぎて目で追うのが大変だった。
思い出すと、目が回って吐きそうになる。
よくぞ乗りこなせるようになった。
レッシバルはよく頑張った。
だが全ては空の配達屋になるためだ。
それがまさか、船から飛び立って海上で偵察をやってもらうことになるとは……
彼の努力を台無しにしてしまったが、おかげで魔法艦を回避して航行できる。
この偵察を考えたのはトトルだ。
フラダーカが浜から飛んできたことが切っ掛けだった。
水平線上に船が見えたので、出迎えに来てくれたのだ。
後でレッシバルに怒られていたが、そのときに閃いた。
見張り台より高い所から魔法艦を見つけられるのではないか、と。
竜は水を嫌がる。
フラダーカもカツオドリの真似をして海に突っ込んで以来、泳ごうとはしない。
ただ、その後も浜で暮していたせいか、海上で急降下雷撃漁に励んでいた。
懲りない竜だし、変わり者だ。
こいつなら船を嫌がらないだろう。
この予測は正しかった。
嫌がるどころか皆で遊びに行くのだと思い、喜んで船に乗り込んでくれた。
レッシバルが「やる」とトトルに返事するより早く。
フラダーカのおかげでリーベル艦の探知円より索敵範囲が広くなり、奴らをより遠くから発見できるようになった。
上空からの偵察にはもう一つ利点がある。
上から見て奴らの配置がわかるので、回避進路を指示してもらえるのだ。
欠点は、発着のために甲板を広く空けておかなければならず、邪魔にならないように帆の向きを変えたり、場合によっては畳む必要があるということだ。
また、小竜の寝床のために船倉の一部を確保しなければならず、その分だけ積載できる交易品が減る。
しかしそれでも構わない。
魔法艦に捕捉されれば、積荷も命も失われるのだ。
安全のための代価だ。
そして、竜が嫌がるものがもう一つ。
闇だ。
夜行性の竜もいるらしいが、それ以外の竜は夜闇を嫌う。
地面が見えないので高度がわからず、墜落して痛い目に遭うからだ。
水を怖がらなかったフラダーカだが、闇については他の竜と同じだった。
水を怖がらなかったのは、昼間の光の下で水面までの距離がわかったからだ。
水面が見えない夜間に、海上を飛行するなど以ての外だった。
そこでラーダの出番だ。
商人をやっているといろいろな情報が入ってくる。
竜は夜が苦手だということ。
そして、魔法使いは何もしていない平時でも、他の術者が展開した探知円を察知できるということ。
村に滞在していたラーダに確かめてみると、船上で魔法を完成させるのは大変だが、感じ取るだけなら何の準備も要らないという回答だった。
昼は竜の偵察が有効だが、夜になったら彼の能力が必要になる。
トトルはラーダにも同行してくれと頼んだ。
二人のおかげでトトル商会は昼夜問わず、安全に航行できるようになった。
不況の中にあっても順調に繁盛している。
今日もいつも通りだ。
エシトスと荷の受渡しを終え、ピスカータから出発した。
風は西へ向かって吹いているので、東へ行きたければ北東と南東へ交互に転舵しながらジグザグに進んでいかなければならない。
針路〇五〇——
目標、アレータ島……
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