第48話「連邦の王」
会談が終わり、シグとザルハンスを乗せたボートが静かに水面に下ろされていく。
これから、来た時のように空間魔法で帝都沖へ送る。
女将は宿屋号の舷側に立ち、二人に手を振っていた。
空間転移は大魔法だが、詠唱や術式は?
複数の艦船を同時にという場合は他の魔法使い同様、正式な手順を踏まなければならないが、宿屋号とボートくらいなら略式で十分。
彼女の準備はすでに整っていた。
隣にトライシオスがやってきて、一緒に帝国の友人たちへ手を振る。
その途端、上に向かって振り返していた二人の手が下がった。
「ひどいな。彼らには友情というものがないのか」
あまりにも好き嫌いがはっきりしすぎている。
それが元老のツボにはまった。
大魔法の発動に備えている魔法使いの隣で、突如沸き起こる大爆笑。
普通なら「邪魔するな!」と怒られるところだ。
しかしそこは女将。
別にそのせいで準備しておいた魔法が台無しになるということはない。
ないが、呑気に笑っている様が鼻に付いたので、冷たい言葉を浴びせた。
何も知らない若者たちに対して、あまりにも不遜すぎる。
「〈あなたたち〉もないでしょ? お互い様よ」
「女将まで……」
その先の反論は続かなかった。
代わりに苦笑いを浮かべながら「やれやれ」と肩を竦める。
この偉大な魔女には何もかもお見通しだった。
ネイギアスだぞ?
敵の敵同士だからといって、味方になるわけがないではないか。
模神のことがなければ、帝国と王国で永遠に潰し合いをやらせるところだ。
シグたちに提供した情報は本当だったが、真実を伝えた方が連邦の利益になると判断されたからだ。
事と次第によっては嘘も辞さない。
自分で調べもせずに信じる奴が愚かなのだ。
「〈私たち〉は平和な世界を目指しているだけだよ」
「……平和ねぇ」
ロレッタも含めた真面な人間にとっての平和と、連邦にとっての平和は違う。
連邦が目指している平和とは、小競り合いが絶えない世界。
様々な考え方が存在し、しかし互いを容認することは決してなく、常に程よく分裂と併合を繰り返す。
模神はこの平和を破壊する。
完成すれば誰も、研究所の野心に気付いたリーベル王国ですらも敵わない。
世界は模神の下に平定されるだろう。
その後に待っているのは模神対人類の大戦争だ。
負ければ人類滅亡。
勝っても人類は大損害を被り、衰退は避けられない。
世界は一つの勢力によって平定されてはならない。
平定の後には大戦争を伴う分裂が待っている。
世界はバラバラだから平和なのだ。
「女将は〈我々〉の平和に賛同してくれていると思っていたのだが……」
「部分的には賛成しているわよ? ただ——」
ただ、その平和を実現する方法が悪辣すぎる。
彼女は邪法も外法も反対だが、彼らが反対しているのは邪法のみ。
多少の外法は見逃す。
外法に抵抗がない連中だから、悪辣非道くらい平気で働く。
部分的に賛成しているというのも、世界に様々な考え方が併存していても良いという点だけだ。
常に小競り合いをさせるという点には賛同しかねる。
トライシオスが手を振った途端、あの二人が手を下げた気持ちはよくわかる。
心から好きになれる連中ではない。
女将も嫌いだ。
彼個人ではなく、〈元老トライシオス〉が。
杖計画を阻止するため、この密盟は成立すべきだと思う。
だから話の腰を折らないように静かにしていた。
しかし、もう構わないだろう。
「あなたたちは商人——」
「ん?」
商人に利益度外視で働けとは言わない。
支援を送り、策を授け、試作弾を提供する。
これらは親切心から行う人助けではない。
すべて投資だ。
今日の策が成功しても無敵艦隊撃破とはいかないだろう。
それでもずっと不真面目だった王国政府に正面を向かせて、交渉の席に着かせることはできる。
あとはシグの頑張りにかかっているが、彼なら上手く和議をまとめられるはずだ。
和睦が成立すれば、もうブレシア人を丸ごと模神の原料にすることはできない。
杖計画を阻止できるし、海上封鎖を解かれた帝国は生き返る。
連邦に借りがある帝国は、引き上げた関税を通常に戻さざるを得ない。
ネイギアス商人たちが値をつり上げても、余程法外な値でなければ帝国の役人も目を瞑ってくれるだろう。
一国を救った投資の見返りとしては十分な利益だ。
女将が容認できるのはそこまで。
「その先は容認しかねるわ」
「……参ったな」
帝国の二人へ嫌がらせの様に振られていたトライシオスの手が止まった。
その手を後頭部へ伸ばし、困ったように掻く。
彼女は気付いていた。
〈老人たち〉の策は、杖計画を阻止して終わりではない。
続きがある。
連邦が仕向けたわけではなかったが、せっかく帝国とリーベルに火種が生まれたのだ。
和睦後も定期的に小競り合え。
今回は劣勢の帝国に味方したが、拮抗しているときは静観する。
リーベルは百年後も海洋強国のままだと思うが、もし帝国優勢だったら、そのときはリーベルに味方する。
ネイギアスは誰の敵でもない。
そして味方でもない。
裏切られたと騒いでいる連中は全員被害妄想だ。
味方ではないのだから、裏切るということもあり得ない。
……というのが彼らの考えだった。
女将は大きな溜め息を一つ吐いた。
とんでもない連中だ。
泥沼化している紛争には必ず彼らの陰がある。
どちらか一方、もしくは双方にネイギアス製の呪物が供給されているが、連邦に問い質しても無駄だ。
転々流通の終着点が各勢力だったのだろうと白を切る。
何とか紛争介入の証拠を掴んでやろうという者も時々現れるが、立証に成功したという話を聞いたことがない。
いくら呪物の流れを辿っても、決してネイギアスに繋がることはない。
取引はトトルのような商人を通す。
直接やり取りすることはない。
そして連邦側は紛争に全く関係ない国の商人を遣わす。
ネイギアス人を関わらせないところが用心深い。
こうして、情報提供と支援で励ましながら延々と戦わせ続ける。
当人たちもなぜ戦い続けているのかわからないまま……
ネイギアスに助けてもらうということは、彼らの〈平和〉に付き合わされるということだ。
ゆえに、トライシオスから「帝国の人間を紹介してもらいたい」と頼まれたとき、快く引き受けることはできなかった。
にも関わらず、ザルハンスに担当官同伴で来てもらった。
納得できたからではない。
模神と〈老人たち〉を秤にかけ、世界にとってどちらがより迷惑かを比較した結果だ。
苦渋の選択だった。
模神を見逃がせば世界が滅ぶ。
だが〈老人たち〉を見逃がせば、陸の大国と海の大国がこれから長い小競り合いを始めることになる。
彼女は常人より長生きしているだけあって、非常に物知りだ。
しかし全知全能ではない。
だから、今日締結された密盟が正しかったかどうかはわからない。
それだけに、下から元老を睨みつけている若者たちには勝ってほしい。
模神の原料になどされず、どうか生き延びてほしい。
でなければ、何のために〈老人たち〉の策に協力したのか……
彼女の苦悩も知らず、トライシオスは敵意溢れる鋭い視線に優美な笑みを返している。
「勝てるかしら? あの子たち」
いい大人が、というより連邦の最高権力者の一人が大人気ない。
制止の気持ちを込めて尋ねてみた。
「ん? さあ?」
「そんな無責任な……ああ、あなたたちにはそもそも責任という概念がなかったわね」
「そこまで言うか……」
約束したことは守ると反論するが、逆に言えば約束していない事柄については与り知らんということだ。
約束したのは支援するということだけ。
勝たせるとは約束していない。
「さあ?」の半分は元老らしい冷たさからだったが、もう半分は本当にわからないからだった。
反論の後、こう続いた。
「もしリーベルに狙われたのが我が国だったら——」
やっぱりザルハンスに授けたのと同じ戦法で戦うしかないだろう。
海賊団を囮に、各都市から選抜した別動隊で試作弾を撃ち込みながら接近戦に賭けるしかない。
だが、ネイギアスには猟犬殿のような豪傑がいない。
都市海軍にも斬り込み隊はいるが、彼の部下たちのように勇猛ではない。
だからせっかく敵旗艦に取り付けたのに尻込みしてしまい、勝機を逃してしまう虞があった。
ネイギアス海軍では全く勝ち目がない。
海賊団は信用できない。
まだ帝国海軍の方が可能性がある。
とはいえ、勝利を確信できるほどではない。
前二者よりはマシというだけだ。
「女将……いや、いまはあえてこう呼ばせてもらう。ロレッタ卿」
トライシオスは彼女に正対した。
「あなたの〈海の魔法〉は完璧だ。おそらく我々は——」
負けるだろう……
昔から、魔法艦は接近戦が苦手だから、砲撃を掻い潜ることさえできれば勝てるという迷信が言い伝えられてきた。
迷信ではなく本当だというなら、その戦法で攻略できたという話が伝わってこないのはなぜだ?
接近戦が苦手などという話は迷信だったのだ。
いつも長距離砲撃で決着がついてしまうので、そんな迷信が生まれたのだろう。
もしかしたら、当初は苦手だったのかもしれないが、頭脳明晰な彼らが弱点を放置しておくはずがない。
いまはもう解決済みだと見るべきだ。
それでもやるしかない。
やらなければ、自分たちが知っている世界は滅びる。
「我々が〈あなた〉に勝つには何かが足らない。あと一つ、何かが……」
完璧というのは弱点がないから完璧というのだ。
常識的な方法で〈ロレッタ卿〉の艦隊に勝つのは不可能だ。
完璧なものに勝ちたければ彼の言う通り、何かを用意しなければならない。
常識の外から攻撃できる、非常識な何かを……
「こちらの準備が整いました。女将、お願いします」
女将の巻貝から声がした。
下のボート、漕ぎ手の給仕からだ。
無事に着水し、転移される準備が整った。
宿屋号甲板でも、女性給仕の一人が女将に報告する。
帝都沖、転移先の海域に船影なし、と。
彼女も女将ほどではないが、長い時を生きる魔女だ。
得意な魔法は〈遠見(とおみ)〉。
広域探知よりも遥か遠くまで見通すことができる。
これより空間転移を始める。
宿屋号とボートをまとめて帝都沖へ転移させた後、瞬時に宿屋号だけ少し離れた海へ転移し、漕ぎ手の給仕を待つ。
シグたちを迎えに行ったときと同じだ。
始めるといっても、すでに女将の意識の中で術式は完成している。
あとは思い描いた場所へ飛ぶだけだ。
次の瞬間、巨大な双胴船とちっぽけなボートは一斉に消えた。
***
同刻、帝都沖——
突然、沿岸に向かって流れていた波が乱れた。
見えない巨大な何かがそこにあるかのように。
しかし乱れはすぐに治まり、後には一隻のボートが漂っている。
シグたちが帰ってきた。
ボート上で周囲をキョロキョロと見渡すが、すぐ隣で聳え立っていた宿屋号はもうどこにもいない。
消えたのではなく、予定通り、ボートを残して遠くの待機場所へ飛んだのだ。
わかっている。
わかってはいるが、あれほどの巨艦が一瞬で現れたり、消えたり……
どういう理屈なのかは理解したが、慣れるには時間が必要だ。
少しでも気を抜けば、幻だったのではないかと楽な解釈に逃げ込んでしまいそうだ。
だが、幻ではない。
その証拠に、二人の手にはそれぞれ一匹ずつ帝都沖の魚が握られている。
なかなかの大物だ。
女将が土産にくれた。
二人は朝からこの辺りで釣りをしていたはずなのだから。
そして土産がもう一つ。
シグは首にかけた紐を手繰り、遠音の巻貝を手に取ってしげしげと眺めた。
「今後も御贔屓に」
宿屋号甲板でボートに乗る直前、彼女がそう言いながら首にかけてくれた。
彼女も宿屋号も幻ではない。
この巻貝の首飾りも証拠だ。
「次回はトトル様も御一緒に」
給仕が港に向かって漕ぎながら声をかけてきた。
そういえば、この男も甲板にいたような気がする。
会談内容が聞こえていたのだろう。
彼に悪気はなかったのだが、名を聞いた二人は再び不安が蘇ってきた。
「トトル……無事だと良いが……」
いま、どの辺りを航行中なのかわからない以上、彼らにはどうすることもできなかった。
***
帝都沖からさらに遠くへ飛んだ宿屋号の甲板に夕日が差し、トライシオスの顔を赤く照らす。
隣の女将には一仕事終えたような、でも少々疲れたような、そんな表情に見受けられた。
「お疲れ様でした。殿下」
「いや、殿下は……ここでは敬称をつけず、名前だけで良いとあれほど……」
「あら、それは大変失礼しました。執政閣下」
「……参ったな」
わざとらしく膝を曲げてみせる彼女に、トライシオスは苦笑いを返した。
ネイギアス連邦は海域内に点在する小さな王国の集合体だ。
王国ということは当然、国王がいる。
連邦をどう運営していくかを決められるのは、究極的には国王たちだ。
ただ、どこかに集まって話し合うのは困難なので、評議員を代わりに立てることになった。
元老院議員も、所属都市の国王から選任された評議員だ。
この評議員についてだが、如何なる人物が選ばれるのだろうか?
国王の代理人として、都市内外に対して恥ずかしくない人物が相応しい。
この条件に最も合致するのは王族だろう。
それもなるべく国王の直系の者がいい。
すると、王太子が最適任者ということになる。
そういう決まりがあるわけではないが、余程の愚か者でもない限り、国王は自分の息子を評議員に立てるのが通例だ。
やがて死亡や老齢により父王が退位すると、王太子は評議員を辞めて帰国し、次の国王に即位する。
そして我が子を評議員に任命する……
他の客がいるときはやらないが、誰もいなくなると女将はトライシオスを殿下呼ばわりしてからかう。
被害者は彼だけではない。
彼の父も祖父も、その前も……
ロミンガン王家はずっと、この大魔女にからかわれ続けている。
元々、各都市に団結を呼び掛けたのはロミンガン王国だ。
それだけにロミンガン元老は〈老人たち〉の中で最も権威が高く、〈執政(しっせい)〉と呼ばれている。
昔は元老院議長と呼んでいた時代もあったが、評議会議長と元老院議長というように議長が二人になってしまってややこしい。
いつしか元老院の方を執政と呼ぶようになった。
ややこしさが切っ掛けだったが、却って良かったのかもしれない。
「名は体を表す」という。
連邦の方針を決定しているのは元老院だ。
その筆頭たるロミンガン元老が連邦の〈政〉を〈執〉っているのだから、執政という呼び名は合っているといえる。
〈政〉を〈執〉るなら〈王〉も良さそうだが、これだと各都市の国王と被ってしまう。
やはり執政が良いだろう。
王国では国王。
帝国では皇帝。
どちらも君主だ。
連邦ではそれを執政と呼ぶ。
つまり、トライシオスは連邦の〈王〉だ。
どこの国にもある話だが、即位したての若い王は実績がないので周囲から侮られがちだ。
父王に従っていた者たちからは特に。
彼も例外ではない。
祖父であるロミンガン王の退位によって執政だった父が国王に即位することになり、彼がその後を継いで執政の座に着くことになった。
〈老人たち〉はいまのところ大人しくしているが、品定め中であることは明白だ。
早く何らかの実績を示さなければ、執政の資質が疑われるだろう。
シグたちには是非とも勝ってもらいたい。
帝国を利用して杖計画を阻止し、連邦の繁栄と世界の平和を守った——
執政として十分すぎる実績だといえるだろう。
〈老人たち〉も納得するに違いない。
しかしシグたちと友人になったのは、実績作りのためだけではない。
彼は執政であると同時に、一人の青年でもあるのだ。
孤立無援で苦境に立たされている弱い人間だ。
それだけにシグたちの苦境を捨て置けなかった……
〈老人たち〉は甘いと嗤うだろう。
だから何だ?
勝てば良いのだ。
甘さを勝利で塗りつぶしてしまえば何も言えまい。
彼が国内で友人を作ることは難しい。
ならば外で作るしかない。
女将は気に入った客に遠音の巻貝を授ける。
「今後も御贔屓に」と。
彼も女将に倣って、シグたちを支援する。
「いつか御贔屓に」と。
出会って早々、斬られそうになったが……
いつか〈友人〉ではなく、ただの友人になれたらと思う。
本心だ。
「いまの内に、いい竿を用意しておこう」
青年トライシオスの呟きを聞いたものは、女将と沈みかける夕日のみ。
宿屋号を下りれば、彼はいつもの執政に戻る。
冷酷非道で奸智に長けた〈老人たち〉の筆頭に……
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