第46話「午後の会談」
帝国と連邦、それぞれの郷土料理は双方から好評を博した。
最初、海老料理を「辛い」とぼやいていたシグも、食べている内に慣れてきたらしい。
途中から「おいしい」と褒めるようになり、何度も小皿におかわりした。
程よい辛さが後を引く。
魚介の煮込みもトライシオスに「優しい味がする」と褒められた。
どうやら彼の味覚がおかしいのは辛さに対してのみで、他は麻痺していなかったようだ。
宿屋号での昼食会は和やかに終わった。
空になった食器が下げられ、再びテーブルにお茶が並ぶ。
会談再開だ。
ここまでも重要な話だったが、あと一つ、重要且つ過酷な話が残っている。
戦についてだ。
上陸後の戦いはシグの言う通りの展開になるだろう。
問題は海戦だ。
勝ち目がないというのはわかっているが、海上で少しでも長く足止めして、市民たちが避難する時間を稼がなければ。
「ザルハンス殿なら、どう戦う?」
午後もまたトライシオスとシグが話の中心になると思っていたので、ザルハンスは気を抜いていた。
急に話を振られてもすぐには答えられない。
とんでもないことだ。
午前中の主役はシグだったが、午後は彼だ。
最初に交戦するのは彼ら海軍なのだから。
「いや、補給艦では……」
ザルハンスの歯切れが悪い。
いざ戦になったら「猟犬の本分を全うせよ」とガレーに戻されるかもしれないが、現時点では補給艦の艦長だ。
補給艦にできることは後方待機しかない。
味方のために兵糧や弾薬を保つことが使命だ。
どう戦うか、と問われても……
確かにその通りだ。
補給艦にも最低限の武装はあるが、あくまでも護身用だ。
魔法艦と遭遇したらどう戦うかではなく、少しでも遠くへ離れて積載している物資を守るべきだ。
トライシオスは質問を変えた。
斬り込み隊長時代、海賊狩りで心掛けていたことは?
〈これから〉どうするのかという話と、〈これまで〉どうしてきたのかという話がどう関連するのかわからないが、それなら答えられる。
敵艦に接舷して突入する前、後ろに続く隊員たちへかけてきた言葉がある。
自分自身がずっと実践してきた心得……いや、覚悟といってもいい。
「痛くても我慢して突っ込め。海賊が怖かったらさっさと片付けろ。そうすれば怖くなくなる」
ものすごい理屈だ。
隣のシグは唖然としてしまった。
海での活躍は知っていたが、そんなことを考えながら戦っていたとは……
幼馴染たちに見せているのは探検隊としての相だ。
海では別の相に変わる。
初めて見たので驚いてしまったかもしれないが、これが〈猟犬ザルハンス〉だ。
探検隊のザルハンスではない。
女将は苦笑いを浮かべた。
「頼もしいけど、他のお客さんたちの前では言わないでね」
今日はいないが、普段は海賊の客も訪れるのだ。
多少の拳の応酬は見逃すが、殺し合いは厳禁だ。
そういう事態を招きかねない発言は控えてもらわなければ。
三者三様。
シグは驚き、女将は苦笑した。
残るトライシオスは「良かった」と喜んだ。
さすがは猟犬殿だ、と。
そうであってくれいないと困るのだ。
これから、彼にも資金を投じるのだから。
「お、俺に?」
シグたち外務省に資金が必要だというのはわかるが、補給艦の艦長になぜ?
「君が補給艦の艦長だからだよ。」
トライシオスに言わせれば、猟犬殿の評価は低すぎるのだ。
ネイギアス海軍だったら、とっくに戦隊司令になっている。
どこの国にも格差の問題はあるが、帝国は特にひどい。
最たるものは正騎士だが、海軍も似たようなものだ。
だから猟犬殿を補給艦の艦長にしたのだ。
帝国で騎士の道を断念した者が流れ着く先は、歩兵隊か海軍だ。
海軍に流れてきた連中が、屈折していることは想像に難くない。
騎士団で屈辱を味わった彼らは、海軍内でそっくりな階層制を作り、今度は自分たちが屈辱を与える側になろうとする。
彼らは生意気な〈犬っころ〉がいくら戦功を積み上げても、決して認めようとはしないだろう。
孤児院上がりだからだ。
補給艦の艦長に任命されたことも出世ではなく、体裁の良い左遷だろう。
犬っころが積み上げてきた手柄の数々に報いつつ、これ以上手柄を立てられないように後方へ下げた。
「暗君は功臣を憎む」というのは本当だ。
地力で劣っているのに、こんな連中の指揮では無敵艦隊相手に万が一の奇跡も起こしようがない。
いますぐザルハンス殿に対する冷遇をやめ、小規模な戦隊の司令にするべきだ。
だが、これは理屈だ。
部下の才を恐れ、嫉妬に基づいて人員配置を決めているような連中に理屈を説いても無駄だ。
そこでトライシオスの出番だ。
理屈が通じないなら、通じやすいもので言うことを聞かせるまで。
つまり金だ。
彼らの行動原理は嫉妬と欲なのだから、欲に訴えかければ素直に言うことを聞く。
普段威張っている奴ほど、金がよく効く。
「…………」
ザルハンスは言葉がない。
金で人の心を買う話は物騒だが、それで黙ってしまったわけではない。
こいつの奸智にはもう慣れた。
黙ってしまったのは、彼の語る海軍内の様子があまりにも正確だったからだ。
よく知っている。
買収すべき人物もおそらく選定済みだろう。
そこまでしてネイギアス側が彼を戦隊司令に据えたい理由は、
「正面から無敵艦隊に突撃するためか?」
斬り込み隊長が戦隊司令になっても結局、猟犬にできることはそれだけだ。
少しでも早く接舷し、敵艦を制圧する。
砲撃戦では勝ち目がない相手なのだから、他に選択肢はない。
実戦知らずの自称名参謀共が聞いたら、彼を猪突猛進と笑うだろう。
だが、トライシオスが目を付けたのはまさにそこだった。
味方に危険が及ぶ前に脅威を察知し、超長距離から先制攻撃をしかけて撃退するのが〈海の魔法〉であり、その流れを汲む魔法艦隊だ。
エセ軍師共の生半可な策など一切通用しない。
〈老人たち〉もお手上げだ。
仮に各都市国家の艦隊を一つにまとめられたとしても、正攻法で勝つ方策が見つからなかった。
もちろん一員である彼もだ。
それでも諦めずに考え続けた。
こちらの射程の外から撃ってくる敵に勝ちたければ……
痛くても我慢して突撃するしかない。
ザルハンスの言う通りだ。
魔法というものは、陸でも海でも相手から離れていないと実力が発揮できない。
だからその距離を潰し、乱戦に持ち込めれば奴らの魔法を封じることができるかもしれない。
そのような戦いに最適な指揮官は、ザルハンスだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
たまらず、トライシオスの話を止めた。
「何か?」
各国に恐れられる元老から、自分の戦い方を認められたことは光栄に思う。
だが、相手は無敵艦隊だぞ?
「怖い無敵艦隊をやっつければ、怖くなくなるのではないのか?」
「揚げ足を取るな!」
これは根性や気合いの問題ではない。
いくら勇気を振り絞っても、肝心の船体が砕ければ海に放り出されてしまう。
無謀ではあるが、仮に魔法艦まで泳いでいったとしても、艦の周囲には障壁が張られているから取り付くことはできない。
また、取り付けるからどうか以前に、接近したら上から銃撃を受けてしまう……
猟犬殿の心配はご尤もだ。
トライシオスも友人を無駄死にさせるつもりはない。
その点については考えがあった。
長距離攻撃が得意な敵なのだから、撃ち合いでの勝利は諦め、接近戦に賭けるという方針は間違っていない。
ただしザルハンスが突撃するのは側面からだ。
「側面?」
「ああ。正面は君の戦隊以外に頑張ってもらおう」
つまり、ザルハンス戦隊以外の帝国海軍全艦を囮にしようという作戦だ。
現時点では戦場海域がどの辺りになるか予測できないが、セルーリアス海は基本的に東から西へ風が吹いている。
どの辺りだったとしても、海戦はリーベル軍に風上を取られている状態で始まる。
風上は砲撃に有利だ。
威力と飛距離が増す。
また速度も上がるので攻め込むのにも有利だ。
おそらく帝国軍は完膚なきまでに叩きのめされるだろう。
最初から勝ち目がない戦だ。
提督が退却を決断するのに、それほど長い時間は掛かるまい。
臆病風に吹かれて逃げる帝国軍を、リーベル軍が追いかける。
前衛の艦群は全速で追いかけるが、後衛は少し遅れて付いて行くので、どうしても艦隊が縦長に伸びてしまう。
ザルハンス戦隊が側面から襲い掛かるのはそのときだ。
狙うは敵旗艦。
護衛の囲みが薄くなった一瞬の隙を突き、遠征軍総司令官を討ち取る。
とんでもない荒業だ。
手薄とはいっても相手は魔法艦だ。
かなりの痛みを伴うだろう。
でも、これができそうなのは猟犬殿だけだ。
痛くても、怖くても、我慢して突っ込んでもらうしかない。
「…………」
ザルハンスがまた黙ってしまった。
恐ろしい。
無敵艦隊に限らず、敵艦へ突撃するという行為はとても恐ろしい。
初陣から今日まで何度も突撃してきたが、決して慣れることはない。
毎回恐ろしかった。
これは、猟犬ともあろう者が臆病風に吹かれているという嗤い話ではない。
殺し合いに一切恐怖を感じない者がいたら、そいつは死にたがりか殺人狂のどちらかだろう。
彼はどちらでもない常人だ。
毎回恐怖を乗り越え、勇敢に戦ってきた。
人は痛みに耐えた先に生存があると信じられるからこそ、恐怖に立ち向かおうと思える。
これを欠けば、誰も死地に向かおうとしない。
トライシオス案に果たしてその〈信〉はあるか?
ザルハンスが黙り込んで思案しているのはそこだった。
***
帝国海軍沿岸警備隊は〈古い戦友〉というものが作りにくい環境だ。
昔から斬り込みが中心なので、敵艦砲を掻い潜って白兵戦を挑まなければならない。
海賊船へ砲撃も行うが、敵を叩くというよりは怯ませるのが目的だ。
その間に少しでも距離を縮めたいが、易々と接近させてはくれない。
すぐに態勢を立て直し、突き放すように撃ってくる。
その中を突進していくので、まずは艦首付近で死傷者が出る。
ここで怯めばさらに距離を取られて滅多打ちにされるので、痛くても突っ込むしかない。
なんとか接舷できたら、いよいよ白兵戦だ。
揺れ動く甲板上で波を被りながら、血と剣と銃弾が飛び交う。
まるで運試しのような戦いだ。
終わったとき、彼我共に被害は甚大だ。
海賊共は全滅か、死傷者多数。
こちらの被害も決して少なくない。
帰港後、ガレーは損傷軽微なら修理し、致命的な損傷だった場合は乗り換える。
同時に、減った兵員も補充するので、海軍にとってはこれで〈元〉に戻ったことになる。
元に戻ったらすぐに出撃だ。
海賊船を発見し、見つけたら撃たれながら突撃する。
補充された新顔たちと親しくなる時間はない。
会ったばかりなのにもうお別れだ。
新顔か、あるいは自分が……
ザルハンスはそんな戦いを今日まで生き延びてきた。
功を焦ったり、馬鹿をやらなかったというのもあるが、自分では単純に運が良かっただけだと思っている。
だが本当に運任せだったら、とっくに死んでいただろう。
生存できると信じられるからこそ、勇敢に戦うことができた。
それが却って生を勝ち取る結果となったのだ。
「大丈夫だ、いける!」と信じるのに最も重要なこと。
それは、こちらの船体が敵砲撃に耐えられるかどうかだ。
一戦終えた後だった場合、付近の警備隊に呼び掛けながら逃げる。
これは臆病とか、敵前逃亡という話ではない。
廃船寸前のガレーでは敵砲撃に耐えられないという現実的な判断だ。
警備隊は運任せの決死隊ではない。
傍目には、命知らずの野蛮人が敵に襲いかかっているように見えるかもしれないが、実は冷静に彼我戦力差を計算した上で突撃するかどうかを決めているのだ。
ザルハンスはそのガレー乗りだ。
斬り込み隊の隊長として日々、その計算をしながら生きてきた。
叱咤激励しながら隊員たちの士気を高めていき、最終的に突撃可能な状態かどうかを艦長に報告しなければならない。
つい最近まで隊長だった者として、ザルハンスは異議を唱えざるを得なかった。
「おそらく失敗に終わる……」
「ほう、その理由は?」
反対されることは想定済みだったようだ。
トライシオスの表情に不満や動揺がない。
理由の説明を求めているのは反論のためというより、現場の意見をこのテーブルに並べてもらいたいということなのだろう。
こいつらは〈老人たち〉なのだ。
雑な奇襲が通じる相手ではないことは百も承知のはずだ。
きっと、何かある。
だから現場の意見を述べてくれというなら述べるしかない。
ザルハンスは反対する理由を挙げていくことにした。
涼しい顔が気に入らないが……
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